第二百四十二話 根回し
久し振りの再会ではあったが、ボクもモリアスに長居する訳にはいかない。なにせ学園を放り出してここまでやってきたのだから。
翌朝にはモリアスを発ち、再び王都キルマルへ帰還する事にした。
翌日学園に登校すると、マニエルさんからこっぴどくお説教を受ける事になってしまった。
ボク一人だけならともかく、生徒まで連れだしたのだから、当然と言えば当然か。
それからしばらくは、ボクも大人しく学園生活に専念しておくことにする。
打つべき手は既に打ってある。この先はボクの想定通りの展開になるだろう。
「という訳で、おそらく君達は大陸西部の防備に回される事になるでしょう」
「は?」
レグルさんからの根回し完了の報告を受け、ボクは学園の教室で生徒達にそう告げた。
唐突な実戦配備宣告を受け、クラス委員であるカルバート君を始め、大多数はキョトンとした表情を浮かべている。
「でもユミル先生。モリアスは先生の忠告通り要塞化しているんでしょう?」
カルバート君の指摘通り、ボクの指示を受けてモリアスは市民を避難させ要塞化を進めている。
その作業もほぼ終了しており、これでモリアスが襲撃されても、民間人の被害は最小限で済む。
ラドタルトのような悲劇は起きないはずだ。
「たぶん、モリアスを要塞化しても、ケンネルの侵攻は止められないと思う。それに貴族達が敗北したまま黙っているとも思えないしね」
「それは……そうですけど、悪手じゃないですかね?」
「無論、悪手だよ」
敗北して頭に血が上り、更に戦力を追加補充する。これは『戦力の逐次投入』に当たり、戦術の常道からして最悪の選択肢とまで呼ばれている。
戦力を小出しにするくらいなら、最初から一気に投入するべきだし、敗北という状況に士気の落ちた軍を無理に率いれば、実力を発揮する事もできないからだ。
「だけどそれを実戦経験のない貴族が理解できていると思う?」
「それは……」
この大陸は周囲を海で閉ざされ、四方の国も草原で寸断されていた。
戦争らしい戦争はほとんど起こっておらず、三年前のユミル村の襲撃でさえ大事件になるほど、安穏としていたのだ。
「できないでしょうね。彼等は意固地になりやすいですから」
「でしょ?」
キルミーラ王国は、先代の国王が任命した貴族に少しアレな人材が多い。
現国王になって、それらの人材は更迭されつつあるが、それでも完全に影響力を排除されたとは言い難い。
むしろ先代の段階で国政の中枢に食い込まれ、人材の整理を邪魔されているらしい。
そういう隙を突いて、ロゥブディアのような領主が生まれてきたのだ。
「だから兵力の増強と、再遠征は必ず行われる。それに、待ち構えるだけでなくこちらから攻め込む事自体は悪くない」
相手はボクと同じ転移者なのだ。待ち構えているだけでは、圧倒的不利になるのは間違いない。
そこでボクはレグルさんに兵力編成に手を加えてもらい、新兵の配属に干渉してもらっていた。
「でもなぜ西部方面なんです?」
「そっちの防備も必要だし、おそらくはそこが一番安全だから」
西部――つまり、ユミル村の防御だ。
かつて一度キシンによる侵攻が発生しているが、その時はドラゴン達によって酷い目を見た経験がある。
正確にはボクによって酷い目に遭った後、ドラゴンによって浄化させられたのだが、その事実は彼等ケンネルの知る所ではない。
なので彼等がユミル村を再度攻めこむ可能性は、限りなく低いだろう。
「あそこはドラゴンとの交流もあるし、いざとなったらボクが守りに行けるからね」
「それは……少し不本意です」
「え?」
少し憤慨したように、カルバート君が反論する。
私設騎士団を持つ彼は、言うなれば騎士団長でもある。
その彼が戦闘から遠ざかる配属を行われるのは、臆病とも取られかねない。
そしてなにより、彼のプライドを刺激したかも知れない。
「それは……ゴメンね」
「いや、その……ユミル先生が俺達を心配してくれているのは、わかります。でも俺達は騎士を目指す者です。いずれは戦場に立たないといけないのは知っています」
「うん。でも今回だけは勘弁してほしい」
「え、なぜです?」
「今回の戦闘は――戦闘にすらならない可能性があるんだ」
「と、言うと?」
タモンが転移者である事は一般には知られていない。そしてその彼が表だって出てくる以上、そこにあるのは一方的な虐殺だ。
そんな戦場に、彼等を出す訳にはいかない。絶対に、だ。
「そうだね。ボクでも手こずるような、バケモノみたいな連中が出てくると推測されるんだ」
「ユミル先生でも!?」
魔術をものともせず懐に飛び込み、近接戦闘の範囲に入った瞬間、縦横無尽に暴れまわる。
そんな理不尽の権化たるボクの実力は、リビさんだけでなくこの学園でも知れ渡っている。
そのボクが手こずる存在。それがどれほど理不尽な存在かは、この一言で理解できるだろう。
「そんなのと、正面から戦いたい?」
「騎士と言えど、戦うべき時は心得ております。今回はその時じゃないんだ……」
カルバートは虚ろな表情で、華麗に手の平を返したのだった。
それから数日経って、案の定従軍命令が僕達の元に届いた。
最上級生だけに命令が来たのは、まだ幸運だったというべきだろう。
全校生徒を講堂に集め、理事長代理のマニエルさんがそれぞれに辞令を渡している。
この辞令を持って、生徒達は一時休学扱いにされる。
「うっ、ううっ……」
「ユミル先生が何で泣いてるんです?」
「あの問題児たちが立派になって……アリューシャも立派になって……オッパイとか」
「そこですか?」
教員の列に並んで涙を流すボクに、新婚ほやほやのアリスン先輩がハンカチを渡してくる。
次々と辞令を受け取る生徒達。そのすべてが王国西方方面、守備部隊所属という肩書で埋められている。
これがレグルさんの根回しの成果である。
しかもユミル村にはアーヴィンさんも派遣しておいたので、ちょっとやそっとの侵攻では被害すら出ないだろう。
「正直言って、カロンも村の方に行って欲しかったんですけどね」
「ああ、あのモリアスの懐刀」
「今そんな大仰な二つ名で呼ばれてるんですか? あのセクハラ小僧」
「セク――いや、ちょっとドジな所はあるようですけど」
「まぁ、彼の回復能力は、一般人よりも高いのは評価してますからね。安全のために……」
「それは……少し過保護が過ぎるんじゃないですか?」
アリスン先輩は呆れたような顔をして見せるが、彼等はボクが受け持った最初の生徒だ。
それくらい入れ込んでも、別にいいじゃないか。
そんな私語をかっ飛ばしていると、アリューシャの名前が呼ばれ、壇上に上がっていく。
十五歳になって、幼さを残した顔つきはすっかり美少女に進化し、それでいて子供の時のままの無邪気さも宿している。
それなのに首から下は妖艶とも言えるワガママボディに育ってしまって、目の毒極まりない。
アリューシャが壇上に上がっただけで、ただ辞令を受け取るだけの式が、まるで舞台のように華やいで見えた。
ボク以外の人もそうだったようで、見惚れるような表情を壇上に向けている。
だがそれも、彼女が辞令を受け取るまでの瞬間だった。アリューシャに下された辞令を聞き、会場が一気にどよめく。
「アリューシャ。タルハン方面、領主直属遊撃部隊へ配属する」
「謹んで拝命します」
タルハン守備隊。それは予想される中でも最大の戦地になると思われる場所だ。
タモンの能力は艦船を召喚する事。一応艦載機を飛ばす事もできるようだが、その真価は砲撃戦にある。
そしてタルハンは港町で、おそらくは砲撃の射程範囲に入るだろう。レグルさんはモリアスの要塞化と同時期に、タルハンの住民も避難を行っていた。
そこへ配属されるという事は、命の保証のない最前線に送られるという事でもある。
だがこれも、ボクが手回しした結果である。
ボクもアリューシャの保護者として、タルハンへ赴任する事になっている。
どっちみち、タモンはボク達じゃないと相手にできない。ならば最前線で迎え撃とうという魂胆なのだ。
ケンネルの戦力自体はそれほど多くない。ドルーズ共和国を併呑したとしても、それは変わらない。
むしろ後方の警戒の為に戦力を割かねばならない分、キルミーラ王国への戦力は少なくなっているだろう。
恐らくは伸ばせる勢力はここが限界点と推測できる。
三つの迷宮都市を制圧すれば、組合と対抗する程度の力は持てるはず。ならば、ここが最終ラインとみて間違いない。
センリさんも呼び寄せておき、タルハンを射程に捉える前に撃破する。
それしか、街に被害を出さずに撃退する手段がないのだ。
休学扱いなので、アリューシャはいずれ学園に復学する。
だからキルマルの家はそのままにして、ボク達はタルハンへと赴任した。
アリューシャ――というかボクもだけど、編入されるのはタルハンの遊撃部隊。これは今回新たに設立された部隊だ。
ぶっちゃけ、ボク達の為だけの部隊と言っても過言ではない。
レグルさんの執務室――と言っても、ボクの屋敷の一室だが――で着任の挨拶を済ませて、世間話に花を咲かせた。
勝手知ったる仲である。儀礼的な物は襟を正して行うが、それさえ済ませばお互いフランクに会話できる。
「直属の遊撃部隊っても、お前達三人しかいないんだがな」
「そうしてくれる方が、こちらとしても助かりますよ」
領主直属の遊撃部隊と言えば聞こえはいいが、要は対転移者のための部隊だ。
タモンの能力を知り、そしてボクやアリューシャ、センリさんの能力を全力で使用するために隔離するための方便でもある。
「しかし船は最小限でいいというが、戦場は海上になるんだろう? 本当に大丈夫なのか?」
「ええ。ハッキリ言って、数を揃えれば揃えるだけ被害が増えるだけです」
「大砲って言っても、そこまで差がある物かねぇ? 軍艦一隻だって数発当てないと沈められんだろう?」
「とぉんでもない! 奴の大砲はそれとは格が違います。一発で船どころか地形が変わりますよ」
「マジかよ……にわかには信じられん」
「少なくとも、草原の迷宮の四層……あの海岸線が変わるくらいの威力はありましたから」
「うへぇ、ドラゴン並みじゃないか、それ」
奴の能力が戦艦の召喚だとすれば、その威力はドラゴンどころではない。ボクとリンちゃんの合わせ技【ドラゴンブレス】のスキルでようやく対等という所か。
そんな場所に木造の軍用艦を並べたら、いい的だ。
射程も威力も段違い。近付く前に全て叩き落されて、海が血で真っ赤に染まるだろう。
それに【フライト】の魔法で近付かれても困る。
対空砲火を生身で浴びたら、掠っただけでも肉片になる。
結局のところ、ボク達だけで対処しないととんでもない被害が出てしまう。
「それでだな」
「はい? 他に何か?」
「いや、その……断れない筋から、お前らの部隊に入れてくれという人物がいてな?」
「ハァ? 冗談じゃないですよ。足手まといです」
「いや、それはない。むしろ役に立つだろ」
そう言ってレグルさんは隣の部屋に声を掛けた。
隣の部屋から出てきたのは、背の高い壮年の男と、若者二人。それに幼い少女が一人。
「あれ、ガイエルさん? それにキーヤンとハウエルも!」
「ウム、久しぶりだな、ユミル」
「いやいや、久しぶりはいいけど、なんで俺達が戦争に顔を突っ込むんだよ!」
「そうだよ。お前らが戦う戦場で俺の剣がどれだけ役に立つってんだ? そういうのは幸せ絶頂のキーヤンだけにしやがれ!」
「てめ、俺を裏切るのか!?」
「巻き添え食ってんのはこっちなんだよ!」
この二人と出会って何年にもなるというのに、相変わらず騒々しい。それにしても一緒にいる少女は誰だろう?
そう言えば、三年前にキーヤンが結婚したとか言っていたな。
まさか娘……? にしては大きすぎるな。
「あ、あなたがユミル? 話は聞いているよ。わたしはキーヤンの妻でヴィーっていうの。よろしくね!」
「ほぅ……キーヤン、アウト」
「あうと!」
ボクの宣告にアリューシャも続く。
このボクを差し置いて幼女に手を出すとか、あってはならない事だ。
奴には早速懲罰を受けてもらう事にしよう。