第二百四十一話 波乱の前兆
生徒達の不安をなだめすかしながら、およそ一ヵ月。
ついに恐れていた報告がボクの元へ飛び込んできた。
その日……授業に空きがあり、職員室でハイキングの登頂速度の採点を行っていた時だ。
ファリアス先輩が職員室に駆け込み、荒い息の中でこう呟いた。
「大変だ……ラドタルトの遠征軍が……壊滅した!」
「なんだと!?」
「馬鹿な!」
弱体化したケンネル軍に対し、こちらはキルミーラ王国軍の精鋭。
しかも相手は遠征による疲弊や損耗もあったはず。
それなのに敗北、しかも壊滅という結果。
同じく職員室に待機していた教員達が、驚愕の声を上げたのも、本来ならば無理はない話だ。
「戦力はこちらの方が勝っていたはずなのに……」
「速報ではほとんど一方的にやられたそうだ。空から【ファイアボール】の雨を叩きつけられたそうだ」
「それほどの魔術師を抱えていると言うのか」
それは爆撃機による空爆なのだが、召喚者の存在を知らない彼等は知る由もない。
空を飛ぶのは魔法によるもので、そこから降り注ぐ爆撃は【ファイアボール】による物だと勘違いしても仕方ない。
「それで、被害は?」
「ユミル君か。詳しくはわからん。ただ敗北ではなく壊滅と入ってきた事から、かなりの損害と予想されるな」
「それじゃあ……」
「ああ、おそらく、この学園からも――」
主力が壊滅したとなると、補充も兼ねて学園から徴兵が行われる。
前もってレグルさんに手を打ってもらっていたボクやアリューシャはともかく、カルバートやエルドレットは間違いなく軍属に編成されるだろう。
今はそうならなくても、いずれはそういう状況に陥ることは間違いない。
「すみません、少し用事ができました。授業の事はよろしくお願いします」
「は? いや、それは……」
「緊急なんです。申し訳ありません」
「お、おい!?」
ファリアス先輩の制止を振り切り、ボクは職員室を飛び出した。
目指すはレグルさんのいるボクの屋敷……つまるところ領主館である。
その日ボクはレグルさんの仕事に乱入し、いくつかの案を授け、紹介状を受け取った。
そしてアリューシャを連れてモリアスに転移する事にしたのだった。
「ユミル姉、モリアスは久しぶりだね」
「そだねぇ。こういうのはもっとゆっくりとした時に来たかったんだけどねぇ」
アリューシャの【ポータルゲート】でモリアスに飛び、そのままモリアスの領主館へと訪れていた。
今日の目的は観光ではないので、寄り道はしない。
門衛に紹介状を見せて、最優先で領主に面会を求める。
タルハン領主からの紹介状と知って即座に対応してくれた。
ボク個人で来ても、この対応は取ってくれなかっただろう。
ボクも草原ダンジョンの管理者として、それなりに知名度や権威はあるのだが、それでもタルハンやモリアスの領主に肩を並べるほどじゃない。
モリアス領主が仕事をしている場に乱入できる程の影響力はないのだ。
しかし、これが同格以上のタルハンの領主の紹介となれば、話は違う。しかもここの領主はリビさんである。
彼とレグルさんのパイプは強い。そんな訳で最優先でボク達はリビさんに面会する事ができたのだった。
「リビさん、おひさしぶりです」
「ユミルも元気そうだ」
リビさんは執務室で書類を捌きながら、ボクと面会してくれた。
ボクは執務室の応接机のソファに座り、彼は絶え間なく仕事をしている。
「仕事しながらで悪いな。書類が溜まっているんだ」
「領主が板について来てますよ。カッコいいです」
「世辞はいいよ。それで今日は何の用かな?」
今日、学園を早退してここに来たのには理由がある。
それはこのモリアスが危険にさらされている状態だからだ。
「近々、ラドタルトを制圧したケンネル軍が、そのまま北上してくる可能性があります」
「なにっ!?」
リビさんは驚愕しているが、考えてみれば当たり前の結論だ。
ケンネルの目的はあくまでも組合を超える量のダンジョンコアの確保。
プバルスとラドタルトのコアだけでは、組合の保持量を超えられない。組合を超えるには、少なくとも三か所は確保しないといけない。
そうなると、残り三か所に急襲を仕掛けてくるだろう。
ユミル村は難しい。
既に一度失敗しているうえに、ドラゴンとの繋がりもあるあの村を襲うには、余程の兵力が必要になる。
しかもダンジョンマスターたるトラキチが存在するため、迷宮近辺にもモンスターを配置できる。これは敵も知らない事だが……
局地的に言えば、キシンすら超える防衛力を発揮できる事になる。
マクリームも難しい。
マクリームは特に内陸部に存在し、沿岸部から遠い。
しかも途中にはドラゴン達の聖域が存在し、急峻が航空機の侵攻を妨げている。
ガイエルさんの住む頭の上を爆撃機が通過するなど、実際にはありえないだろう。
そうなると消去法的にタルハンが目的地になる。
沿岸部に隣接するタルハンは、艦隊を運用するタモンにとって非常に攻めやすい。
しかも奴の復讐の的でもあるマルティネスを確保している。狙ってこないはずがない。
ボクはその根拠をリビさんに説明し、彼に理解を求めた。
艦隊による制海権、制空権を確保したら、次にやってくるのは拠点制圧の地上部隊だ。
それをタルハンに送るためには、途中にあるモリアスは確実に邪魔になる。
キルミーラの正規軍を撃退した今、さらに北上してくる可能性が、非常に高い。
「という訳で、この街は結構ヤバい状況です」
「とは言え、この街の防衛戦力もかなりのものがあるぞ。ちょっとやそっとでは陥とされはしないだろう?」
「例えば、攻めてくるのがボクレベルの非常識だったとしても?」
「…………そんな存在が他にもいるのか?」
ボクが召喚者だと知っているのは、現状ではヒルさんとレグルさんだけだ。
リビさんやカロンは元より、アーヴィンさんすらその事実は知らない。
あの小部屋に入って、トラキチと会話していないので、彼には情報を隠されていた。
「ユミル村に攻めてきた、あのキシンっていう男より遥かに非常識な存在が、今ラドタルトに居るんです」
「あれ以上か……」
あの時、戦乱に参加したリビさんは、召喚者の存在を知らないが、その実力は熟知している。
身をもって体験した経験があるからこそ、現状の危機感を持った。
「なるほどな。あれ以上となると、この街の戦力では支えきれんな」
「はい、例えリビさんとカロンが陣頭に立ったとしても、難しいでしょう」
「それほどか……なら、市民も避難させた方がいいな」
街の外で敵を抑えられないなら、間違いなく市街が戦場になる。
そうなれば一般市民にも大きな被害が出るだろう。
だから彼は、真っ先に市民の避難を選択した。
「さすがリビさんは、話が早くて助かります」
「あんな非常識を相手にした経験があるからな」
そういうと机の上にある呼び鈴を鳴らし、秘書を呼びつける。
ここから先はボクは邪魔になるだろう。街の運営となれば、部外者が知ってはならない情報も多い。
「それじゃ、ボクはこれで。今日のところは街の宿で一泊していきますので」
「そうか。じゃあ後で私も顔を出そう」
「歓迎しますよ」
手早く要件を済ませ、ボクは席を立とうとした。
その時、リビさんはぽつりと呟いた。
「アリューシャ君は大きくなったね。まぁ、その……色々と」
「そうでしょ? もうボクより背が高いんですよ」
「そうなると、ユミルもそろそろ適齢期じゃないのか?」
「ウッ、ボクはほら……まだまだ若いですし」
「そうか?」
ボクの組合証の年齢はめでたく二十二歳になっている。
そういう意味ではボクも適齢期と言える。しかしボクにはセンリさんのように特定の相手はいない。
「まぁ、君にはまだ余裕があるからいいけどな」
「その口振りですと、リビさんは結構……?」
「後継ぎ問題はかなり……な」
貴族の次男坊で冒険者になったリビさんだが、今ではモリアスの領主に収まっている。
それは後継ぎの有無も深刻な問題になると言う事だ。
自由気ままな冒険者を長く続けていた彼にとって、結婚相手や世継ぎについて周囲から指摘されるのは、非常に煩わしいだろう。
「あはは、いっそボクと結婚でもします?」
「それはありがたいな。君なら気兼ねする必要はなさそうだ」
ボクの軽い冗談に、リビさんも乗ってきた。
しかしこれに猛然と反発したのは、それまで沈黙を保っていたアリューシャである。
「ぜーったい、ダメッ!」
「うわっ!?」
「ユミルお姉ちゃんはわたしの物なんだからね! リビおじさんでも渡さないんだから!」
「ハハ、これはすごい剣幕だな。そういう事なので、この話はなかった事に」
「しょうがないですね」
元々ボクにもリビさんにもその気はなかったので、笑いながら話を終わらせる。
アリューシャだけが『がるるー』とリビさんを威嚇していた。
その姿はちょっと反則的にあざとい。あざと過ぎて鼻血が出そうだ。
「と、とにかく、これ以上はお邪魔になるから……帰るよ、アリューシャ」
「がるる……あ、うん」
ボクはリビさんに軽く手を振り、久し振りの再会を終えた。この後宿も探さないといけないので、ボク達も忙しい。
執務室を出て、ホールまで来たところで、これまた久し振りな声が聞こえてくる。
「いいですか、神はいます。そう、草原の中央に!」
時おり仕事を抜け出しては、村まで来て『ユミル教』という謎の宗教を布教しているカロンの声だ。
「彼女ほど清廉潔白な人物を僕は知りません。白い衣装に白い肌、白いパンツ……」
「今日はストライプだ、クソアホゥ!」
ボクの常用している魔導騎士の騎士衣装は基本的に白い部分が多い。
それはいいんだが、パンツの色まで決めつけるんじゃないよ、このバカモノめ。
カロンの背後から忍び寄って後頭部を蹴り飛ばし、地面に這わせた。
「あっ、ユミルさん! モリアスに来てたんですか?」
「重要な案件があってね」
「最近村に行っても会えないから寂しかったんですよ!」
「街の重鎮がホイホイ村に来るな。そのまま孤独死しやがれ」
最近ボクの罵倒すら効いている素振りが無い。こいつの打たれ強さは、年々強くなっている。
起き上がったカロンを背後から足を引っかけて転ばし、さらに上から背中を踏みつけている……アリューシャが。
「ここにもユミル姉を狙う虫がいたかっ!」
「ぐへぇぇぇぇぇ!?」
「アリューシャ、最近過激になったね?」
「うん。最近ユミル姉のモテっぷりにタイヘンなの」
「それはいいから! どいてください、重いですから」
「重い? わたしが? まっさかねぇ?」
アリューシャは例の一件から、自身の体形に非常に敏感である。
成長期の終わりに近付くと共に、体型変化も減りつつあるようだけど、それでも彼女に根深いトラウマを植え付けたのだ。
腹這いになったカロンの上に跨り、勢いよくドスンドスンと上下するアリューシャ。
彼女の心境としてはカロンを懲らしめているのだろうけど、その態勢でその動きは非常に危ない。
「アリューシャ、そういうのは人前じゃやめなさい。帰ったらボクの上で好きなだけさせてあげるから」
「え、ユミル姉を懲らしめる気はないよ?」
「そうじゃなくて……」
うん、ボクが汚れてました。最近のアリューシャはおませだから、こういうのに反応するかと思ったのだけど、まだまだ可愛いのである。
「まぁいいや。カロン、今日来た目的は後でリビさんから教えてもらえると思うけど、これから忙しくなるから覚悟してね?」
「え? あ、はい。今でも忙しいですけど」
「これ以上に、だよ」
これから市民の大避難が始まるのだ。領主の補佐を受け持つ彼も、今後は寝る暇すら無くなるだろう。
そう思うと少しだけ、カロンを目こぼししてやってもいいかと思うボクだった。