第二百四十話 登山訓練
ボクはタルハンの街に戻ると、真っ先にレグルさんの所へ駆けこんだ。
まぁ、彼の仕事場はボクの屋敷の一室なので、目的地としては同じではあるのだけど。
その間にイゴールさんには、マルティネスを閉じ込めておいてもらう。
鍵のかかる部屋に放り込んで閉じ込めた後、壁抜けして出てくればいいので、楽だ。
見張りには睡眠しないスラちゃんを当てておく。こういう監視能力はウチの子たちは高い。
レグルさんの執務に駆け込んで、ボクは彼の襟首を締め上げた。
「レグルさん、大変です! 大変だったんですよ!?」
「ぐふっ、ま、待て……とりあえず、その手を――」
「ラドタルトがですね!」
「……いい、から、手を……離……」
レグルさんの顔が赤黒く変色したところで、ボクは我に返った。
そもそも報告して何が起きるかに、思い到ったと言える。
あれだけ内陸まで攻撃の手が伸ばせるとなれば、より沿岸に近いドルーズの首都はイチコロだろう。
そしてラドタルトのコアを手に入れたら、次に目指すのはこのタルハンのはず。
タモンの最大目標である組合の打倒には、何より経済力が必要になってくるからだ。
コアを集め、ダンジョンを手中に収めれば、それだけ経済力は上がる。ブパルスとラドタルトだけでは、組合に抗するほどの資金力は得られない。
最低でもあと一つ、タルハンは手中に収めないと難しいだろう。
他にも北部のマクリームやユミル村のコアも存在するのだが、ここを手に入れるのは難しい。
マクリームの北にはドラゴンの領域が存在し、タモンの制空力が及ばない。
そしてユミル村には、ボクを始めとした複数の転移者が駐留している。
手に入れやすいという意味では、沿岸部に隣接したタルハンは、格好の的になる。
そしてここが戦場になるという事は、キルミーラの軍が動くという事だ。
高等学園の生徒は生徒であると同時に国軍の予備役でもある。卒業すればどうとでもなる事なのだが、在学中は国の命令に従わねばならない。
そうなるとアリューシャは元より、エルドレットやカルバートも戦争に駆り出される事になる。
「ぐぬぬぬ……」
可愛い生徒達が戦争に連れていかれるなど、許される事ではない。
特にアリューシャに関しては……
「で、ラドタルトがどうしたんだ?」
「報告が入ってないんですか?」
「報告? 攻め落とされたとは聞いているがな」
「それでなぜ暢気に書類仕事してるんですかっ!」
ラドタルト陥落はこの町にとっても大事である。
それなのに、書類仕事に興じている暇があるのか。
「誰のせいだと思ってるんだ。このままだとアリューシャ嬢ちゃんが国に取られちまうだろ」
「あ……そうか」
「それにお前もだ。このままだと単騎でラドタルト奪還に放り込まれてもおかしくない」
「それは……やだな」
学園でわりとやりたい放題やっていたため、ボクの戦闘力は首都でも響き渡っている。
それを有効活用しようとする、貴族や有力者に目を付けられて、最前線送りになる可能性は充分にあった。
そんな事態を防ぐための書類を、今彼が作ってくれているという訳だ。
「その、申し訳ありません、お手数をおかけして」
「いや、お前さん達を保護するのが、俺との契約だからな……っと、よし。それじゃ俺は役所にこの書類出して来るわ」
「領主になってまで役所に行かなくても……」
「こういう決まり事は大事なんだよ」
こういう細かい所はマルティネスと正反対である。
それに、なに気に『組合との約束』ではなく、『俺との契約』と言ってくれたのは嬉しい。
個人で約してくれたという事は、今後も決して変わらないと宣言してくれているようなものだからだ。
「これで少なくとも、お前やアリューシャ嬢ちゃんが俺の目の届かないところへ徴兵される事は無くなるだろう。だがさすがに他の生徒までは無理だぞ?」
「それだけでも充分ありがたいです。でも……」
自分だけが戦いの外に置かれて、生徒達が前線に駆り出される。そんな事態は考えるだけで胸が痛い。
ボクを置いて部屋を出ていくレグルさん。
この後マルティネスの処理もあるのに、真っ先にボクとアリューシャの身の安全を計ってくれたことは、感謝の念に堪えない。
「でも、なんとかしないと……」
レグルさんも結局のところ、この国の貴族だ。タルハンを守るために、その地位に就いた。
彼の第一優先はあくまでタルハンだ。ならば、そちらを優先してボク達を切り離さなければならない事態も、いつかは来る。
そうなる前に手を打つ事も考えておかねばならないだろう。
とは言え、ボクに打てる手は、現状限りなく少ない。
マルティネスの身柄はあの後レグルさんに引き渡したので、勝手に動かす訳にはいかない。
無論、レグルさんも様々な伝手を頼り、ケンネル側と接触しようとしてくれたが、効果は芳しくなかった。
ケンネル側――いや、タモン側の言い分としては、マルティネスはいずれ殺すという決意は変わらない。しかし、それをキルミーラ王国に借りを作ってまで強行する必要はないとの返事が来たらしい。
その宣言はつまり、キルミーラにも侵攻する意思があるという表明でもある。自力で奴の身を害するという事は、こちらの領域に踏み込む事に他ならないからだ。
恩義を借りて仇を打つのではなく、国ごと叩き潰せるという自信の表れだった。
それでも辛抱強くレグルさんは交渉を申し込んでいるが、そうこうしている内に、キルミーラの王国側がドルーズ解放へ軍を派遣することを決定してしまった。
幸いと言っていいか、初手は正規軍を動かしたため、学園からの徴兵は起きなかった。
ボクとアリューシャも、そして生徒達もその報告を聞いて、安堵の息を漏らしたものだ。
とは言え、転移者であるタモンがいる以上、おそらくこの遠征は敗北で終わるはず。
無論その事実を、生徒も貴族も知る由もない。レグルさんが出征の延期を申し込んではいたのだが、聞き入れてはもらえなかった。
近いうちにウチの生徒にも召集が掛かるかもしれない。
そんな懸念を抱きつつも、浮ついた雰囲気のまま、日々を過ごしている。それは生徒達にも伝わっていた。
「ほらそこ! ちゃんと集中しないと危ないでしょ!」
剣術の授業の最中、カルバートの放った一撃を受け損ねたトムが、地面に蹲っていた。
手首からは軽く出血の後も見て取れる。
刃引きした模擬剣を使っているとは言え、勢いが付けば怪我もする。一瞬でも気を抜いちゃいけない授業なのだ。
「トム、見せて?」
「す、すみません、先生」
謝りながらも手首を押さえる手を放さないトム。
ボクはその手を剥がしながら傷痕を確認した。幸い、深い傷ではないので、即座に【ヒール】で癒す。
「はい、みんな少し手を止めてー」
生徒達の乱取りをやめさせて、ボクは一旦授業を止めた。
この浮ついた雰囲気のままでは、いつか大事故を起こすかもしれないからだ。
それは彼等も理解しているのか、不安そうな視線がボクの元に集まった。
「まぁ、状況が状況だからね。でもこのままだと、本当に大怪我しちゃう」
「先生、本当に戦争は――」
「起きるよ。ラドタルトの後、ドルーズの首都も陥ちたって報告が上がってきた。では誰がケンネルを追い払う?」
「それは……」
陥落したドルーズ市民の蜂起に期待する?
そんな真似ができるなら、そもそも陥とされたりしない。
ではユミル村から兵を出す?
あの村には正規軍そのものが存在しない。
結局、拡張しつつあるケンネルを牽制するのは、キルミーラ王国がやらねばならない事だ。
予備役でもある彼等にしてみれば、日々のストレスは尋常ではないだろう。
「今のところ、正規軍が解放に向かってるから、君達の出番はないよ。それにそういう事態に対応するために、ボクの教えがあるんでしょ」
「それはそうですが――」
「トム、その辺にしておけ」
背後からトムの肩を押さえたのは、クラスのリーダーでもあるカルバートだ。
自身の領地に私設騎士団を持つ彼の家も、今回の事件に関しては他人事ではない。
いつもは余裕ある表情をしてる彼も、ここ最近は張り詰めた顔ばかりしている。
「……うん、今日の授業はここまでにしておこう」
「先生!?」
こんな状態では、身の入った授業など出来はしまい。
身に入らぬ授業と、大怪我の危険性を天秤にかけ、ボクは今日は息抜きをする事を選んだ。
「そんな暇ないじゃないですか! 僕達はいつ戦争に行くかわからないんですよ?」
「そんな精神状態で授業になるもんか。半端な修練されて怪我させる方が迷惑です」
「それは……そうかもしれないけど……」
「どんな時にも余裕は大事だよ。ありすぎるのも問題だけどね。君達には今、余裕がない。だから今日の授業はここまでにして、ハイキングにでも行こう」
「ハァ?」
疑問符を浮かべる生徒達だが、ボクのハイキングを甘く見ないでほしい。
幸運なことに首都キルマルのそばには結構な高さの山が存在するのだ。
「今日はトロール山に登ってお弁当を食べよう」
「ちょっと待ってください。もうお昼前ですよ!」
「大丈夫、あと一時間はあるじゃない」
「無茶だぁ!?」
無茶振り結構。そうやって無理やりにでも目をそらさないと、悪い方にばかり考えが行ってしまうからね。
こうしてボク達のハイキングという名のデスマーチが始まったのだった。
街を出て、山まで二十分も駆け足すれば麓に辿り着く事ができる。
距離にして十キロという所だろうか。地味に遠いかもしれない。
そこから更に山頂まで足を止めずに走らせる。その間、ボクはお弁当という名の餌を用意しておくのだ。
生徒達の監視はリンちゃんに任せてある。
サボろうとしたら、顔面をペロペロしてあげるよう命じてあるので、生徒も必死になるだろう。
ドラゴンの迫力フェイスで舐められるとか、一般人ならば恐怖でしかない。
逃亡しようとしても、空を飛ぶドラゴンからは逃げられようはずもないので安心だ。
インベントリー内に保存しておいた食料の類を、人目につかない所で取り出して荷車に積み込んでいく。
水やジュースの類も完備しておいた。残念ながら、酒はNGだ。学校なので。
そして猛然と荷車を引いて、山道を疾走し始めた。
瞬く間に先行していた生徒に追いつき、遅れがちな生徒にハッパを掛けて回る。
「ほら、追いついちゃったぞ! がんばれ、がんばれ」
「む、無茶言わないで……もう、ダメ……」
「これも修練の一つと思いなさい」
「ハイキングじゃなかったんですかぁ!?」
泣き言をいう生徒の尻を蹴り上げて先を急がせる。
さすがに限界に見えた生徒は、荷車に回収してボクが運ぶ事になったけど。
道端でキラキラしてる生徒とか、酸欠を起こしてふらついてる生徒を回収しつつ、山頂まで辿り着いた。
山といっても小さなものなので、一時間もあれば登り切れる。現にアリューシャは余裕綽々で駆け上がっている。
他の生徒たちは、アリューシャに信じられない存在を見るかのような視線を送っていた。
「いいお天気だね、ユミル姉!」
「そーだね。山だから少し涼しいし、気持ちいいね」
「この状況で、楽しめる、なんて……バケモノ……おええぇぇぇぇ」
ついにトムがリタイアして、登山道の道端でキラキラし始めたので、これも荷車に放り込んで置く。
それでも特薦組に選ばれるだけあって、半数以上は自力で登りきる事ができていた。
なかなか大したモンだと、心底思う。
山頂で水揚げされたマグロのような様相を成している生徒達に、ボクは弁当を振る舞って行く。
「いやぁ、山で食べるお弁当は美味しいね!」
「食欲どころじゃねぇ!?」
いきなりのオーバーワークにグロッキー状態の生徒達が一斉に抗議してきた。
この程度の山、軽々と越えてくれないと、先行き不安なんだけどなぁ。
こうしてバカ騒ぎをし、無理矢理不安を払って、学園生活を続けていたのだった。
なお、この日以降、高等学園において『ハイキング』は、『地獄の登山訓練』の隠語になった事は、余談である。