第二百三十九話 脱出
爆撃機の攻撃はしばらくの間続き、街を徹底的に破壊していった。
遥か高空にある敵機に対し、ボクは有効な反撃手段を持っていない。
リンちゃんはタルハンに置いて来ていたし、スキルの【ソニックエッジ】も射程距離が足りない。
歯噛みする思いで人命救助に励み、ようやく敵が戻っていった頃に街の外へ避難した。
町の外に出て、近くの森に人々を誘導していく。
こういう世界では町を作る上で木材は必須の為、森や水源の近くに町が拓かれる事が多い。
このラドタルトでも、迷宮、森、水場のバランスのいい場所に町が作られていた。
誘導していく中、人ごみの中に見かけた顔を発見する。
「あれ……ひょっとして……」
「ユミルさん! あなたもこちらに来てたんですか?」
避難民の中からひょっこり顔を出したのは、キースさんだ。
ユミル村にいち早く家畜を提供してくれた商人。そしてセイコとウララをボクに譲ってくれた人でもある。ある意味恩人。
「キースさん、それはこっちのセリフですよ! どうしてここに?」
「私は家畜を商っていたので、南方には伝手がありまして。その縁でこちらを訪れていたら、この有様です」
相変わらず無駄に鋭い視線をさらに細めて、説明してくれる。
悪役顔がさらに鋭くなるので、少し背筋が寒くなるんだよなぁ、この顔。
それにしても、キースさんは南方に縁があったのか。
考えてみれば気候が安定していて、動物王国でもある南方地域に、彼が伝手を持っていないはずがない。
その結果、巻き込まれたのだとすれば、不運としか言いようがないが……それにしても危険地帯に縁のある人だ。
そこでボクは一つのアイデアを思い付いた。それは、彼を危険に巻き込む可能性がかなりある。
だがこの惨状で、ボクも頭に血が上っていた。
「そうだ、キースさん。今暇ですか?」
「避難で忙しいです」
「いや、それはそうですけど、そうじゃなく! ちょっとお願いしたい事があってですね……?」
周囲に人の目が無い事を確認しつつ、ボクはキースさんを悪巧みに巻き込んでいく。
今回の事はボクだってかなり頭に来ているのだ。少々あくどい事にも手を伸ばそうというモノである。
こうしてキースさんは『ボクのお願い』を快諾し、別行動に移ったのだった。
避難民を誘導しつつ、町と森を往復している途中、流れに逆行する人達を目にした。
その森が近付いて来た所で、ボクはこちらに近付いてくる集団が存在したのだ。
恐らくは町に戻ろうとしている人達。
「ちょっとちょっと、どこへ行くつもり!?」
「あん? 町に戻るんだよ。あれだけ壊されちまったからな。すぐにでも修理しねぇと」
壊された町を一刻も早く復興したい。
そのバイタリティは確かに素晴らしい物だが、この状況ではそうも言っていられない。
航空戦力で主要防御施設を破壊した後に、行われる事。それは地上戦力により拠点制圧である。
つまり、敵の主力は今からやってくるのだ。
「ダメですよ! ああやって空から破壊して回ったという事は、この後歩兵が攻めて来るって事ですから!」
「そんな話は聞いてないぞ」
「マルティネスがそんな気を回す訳ないでしょう!」
私腹を肥やす事しか頭に無かったあの豚が、周辺警戒なんて手間をかけていたとは思えない。
ボクの耳にも入ってきていないという事は、ドルーズ共和国の首都を無視して、直接ラドタルトを陥としに来た可能性が高い。
なんにせよ、爆撃してハイおしまいとは行かないはずだ。
必ず追撃が発生する。今町に戻るのは危険だ。
「町を破壊しただけで終わる訳ないんです。この後町を制圧する連中が間違いなくやってくる。今のうちに他の町に避難した方がいい」
「俺達に町を捨てろって言うのか!?」
「今は危険だって話ですよ!」
現代日本ならあまりそういう感覚はないが、田舎の人とかは土地に対する執着心が強い。
多分彼等も、同じような感覚なのだろう。恐らくは、これ以上は押し問答にしかならない。
それならば、ボクは目的のマルティネスを連れ帰る任務を果たすだけだ。
「……警告はしましたからね。それじゃボクはこれで!」
「どこへいくんだ!?」
「逃げるんですよ。ボクは旅行者ですから」
彼等とは別に隠れたままのイゴールさんとも早く合流しておきたい。
今彼は、マルティネスの中に入っているので、町の人に見つかったらひどい目に遭わされかねないからだ。
町の警戒を行うのも、領主の仕事なのだから。
ボクは連れてきた人たちを彼等と合流させ、足早にその場を立ち去っていった。
駆け足程度とは言え、ボクの速度について来れる一般人はいない。
連れてきた人たちを放り出す事になってしまうが、だからといって最後まで面倒を見てやる事は、ボクにはできない。
静止の声を振り切って、森の中に駆け込む。
恐らくイゴールさんは、入口よりさらに奥に隠れているはずだ。
彼も今町の人に見つかる危険は理解しているだろう。
しばらく森の中を彷徨っていると、向こうの方からボクを見つけてくれた。
斥候能力を鍛えているイゴールさんは、こういう地形での索敵範囲はボクより広い。
「ユミル様」
「イゴールさん、無事だったんですか!」
「はい、おかげさまで命拾いしました。それにしても街が……凄まじい攻撃ですな。これが転移者の――」
「奴はまた特別だよ。ボクでもここまではできない」
森からでも町の惨状は目にできる。
壁の越しでも見れたマルティネスの屋敷からは黒煙が上がっており、火災が発生している事が見て取れる。
その他にも、町の各所から火の手が上がっており、惨状が見て取れる。
外壁もほとんど破壊されており、防御能力としてはないも同然だろう。
「マルティネスの復讐って面があったとしても、これはやりすぎだよ――」
「ユミル様?」
「……行こう、イゴールさん。この状況も報告しないといけない」
「はい」
ラドタルト爆撃。それはタモンが――いや、ケンネル王国が南方制圧に乗り出した証でもある。
その情報は一刻も早く、タルハンへ持ち帰らなければならない。
この騒動でマルティネスの拉致が覆い隠されたのは、幸運だったと思おう。
町の人と別れて後は戻るだけ。そう思っていた時期が、ボクにもありました。
トラブルは思いもしない方角からやってくるのだ。
今回のトラブルは、内側からやってきた。
「ユ、ユミル様、少々お待ちを……」
ゼェハァと息を切らしながら、イゴールさんが喘ぐ。
正直言って、その外見はマルティネスなので、拳を顔面に叩き込みたくなるほどに、暑苦しい。
イゴールさんには罪はないのだ。むしろ彼は被害者である。
運動不足のマルティネスの身体は、タルハンまでの強行軍に耐える事ができなかったのである。
「急いで帰りたいんだけど……無理?」
「肉体にかなり負担をかけているのですが、これが限界の様です。おそらく憑依を解けばかなりの惨状が待っているでしょうな」
レイスであるイゴールさんに本来肉体的疲労は無い。
しかし憑依する事でかりそめの肉体を持った今、彼は疲労という自然の摂理に囚われている。
彼だからこそ、ある程度の筋肉痛や嘔吐感などを抑え込めているのだろうが、ここで憑依を解いたらマルティネスの身体に襲い掛かる苦痛は想像を絶すると思われる。同情の余地はないが。
「まぁ、マルティネスの苦痛に関しては一切関知するつもりはないけど、肉体的限界はさすがにどうしようもないか」
「申し訳なく……」
「いや、イゴールさんのせいじゃないし」
今回、隠密行動の都合上、リンちゃんを連れて来ていない。
うちの子達は機動力に優れたいい子達なんだけど、目立ち過ぎるという点だけはどうしようもうないのだ。
とはいえ、このままではマルティネスの身体は身動き取れないままだ。
「仕方ない、橇でも作るか」
「ですが工具などは持ってきておりませんが」
「ロープさえあれば何とかなるよ」
そうイゴールさんに言い置き、ボクは近くの木に向けて剣を一閃した。
その一振りで三十センチほどの木は音を立てて切り倒されていく。
その行為を三度ほど繰り返した後、枝を落として長さを揃える。これを縦半分に割ってロープで連結させれば完成である。
「これは?」
「橇」
「単なる板に見えるのですが……」
「まぁ、雑な奴だからね」
これを引っ張るとなると、普通なら馬が必要になるくらいなのだが、ボクの腕力ならば下手な馬より馬力がある。
この板を力ずくで引っ張るくらい、朝飯前である。
クッション代わりにインベントリー内で余っていた毛皮を敷いて、その上にイゴールさんに乗ってもらった。
「それじゃ行くよ? 落ちないように掴まっていてね」
「承知いたしました」
彼がしっかりと掴まった所を見て、ボクは橇をを引っ張り始めた。
クッションが無いので結構振動が激しそうだが、それでも巨体で走るよりはマシだろう。
ただ彼が振り落とされないように、スピードは落とさざるを得ない。
一番早いのはボクがマルティネスを担ぎ上げて走るのがベストなのだが、できればあの体に触れたくはない。
特に直前までメイドさんを貪っていたのだ。嫌悪感が半端ない。
こう感じるのは、感性が女性面に堕ち始めているのだろうか?
馬の駆け足程度の速度まで落として、夜間は休息をとる。
ボクだけならそれは必要ないのだが、マルティネスは大事な交渉材料だ。
すでにかなり負担をかけている。これ以上の強行軍は命に関わるかもしれない。
焚火を起こして、いつもは食事の用意をするのだが、代わりに橇の改良も行っていく。
先端部分を斜めに切るだけで、滑りが滑らかになり、速度を上げる事ができる。
食事の用意はイゴールさんがやってくれている。
その間、マルティネスはグルグル巻きにしておいた。
「むぐぅ! もぐふっ!?」
イゴールさんの憑依から解放されたマルティネスは、疲労から襲い来る激痛に悶えている。
あまり騒がれるとうるさいので、猿轡は完備してある。
イゴールさんがマルティネスを監視しながら、スープを念動力で作っている。
そこへボクの危険感知が反応した。
「イゴールさん、敵」
「モンスターですかな?」
鍋を火から下ろして、戦いに備える。本来は熱くて持てないはずの鍋なのだが、念動力はこういう時は便利だ。
近付いてくる速度はかなり早い。時速にして四十キロ程度だろうか。この速度は――
「馬の速さかな?」
「となると、ケンネルの追手でしょうか」
「多分」
恐らくラドタルトは制圧されている。西部から襲い掛かってくる陸路と海路から爆撃機を飛ばす二正面作戦。
内戦で衰弱したケンネルだが、タモンの殲滅力が有って初めて成立すると言ってもいい作戦。
その作戦で主要目標のマルティネスを確保できなかったのだから、そりゃ追ってくるだろう。
特に橇は盛大に痕跡を残してしまう。後を追うのは容易かったはずだ。
やがて馬蹄の音を響かせて、騎馬の一団がこちらにやってきた。
街道沿いの夜営だから、発見されるのは当然の成り行きだ。
十数名の騎士が立ち塞がるボクを囲むように展開していく。
「そこのお前、この辺りで……マルティネス!?」
「いたぞ、ここだ!」
「逃がすな、手柄首だぞ!」
口々にそう叫びながら、ボク達を包囲する。最初から交渉するつもりなど、欠片もなさそうだ。
ボクも神経がささくれ立っているので、いつもの軽口を叩く気分ではないので、ちょうどいい。
今でも目にはあの町の惨状が焼き付いている。
「なんだ、この女は?」
「マルティネスの娼婦かもしれんな。なら俺達が楽しんでも……」
そんな事を口にしながら、下卑た笑いを浮かべている。
それがボクの殺意をことさら掻き立てた。
インベントリーから紫焔とサンダーブレードを取り出して、両手に構える。
紫焔は【メテオクラッシュ】と【ミストブリーズ】という魔法を発動させる両手剣で、サンダーブレードは【サンダーストーム】と【ライトニングボルト】を発生させる両手剣である。
【ライトニングボルト】以外の魔法は範囲を持つ攻撃魔法なので、対多数戦闘には向いているだろう。
「イゴールさん、マルティネスを連れて離れていて。魔法に巻き込まれるのは危ないでしょ」
「承知いたしました。存分にどうぞ」
【パワーアーム】のスキルで両手剣を片手で持つボクに、騎士達は警戒と嘲笑の表情を浮かべる。
見た目が少女のボクが両手剣を持つ姿を、虚勢を張っているように見たのだろう。
インベントリーから剣を取り出したのは、本来なら内密にしておきたいところだが、ここに居る人間を逃がす気はボクにはない。
ニヤニヤした笑いを浮かべた騎士が一人、芝居がかった仕草で腕を振り上げ、それを振り下ろした。
「かかれ!」
「うおおおぉぉぉおおおぉぉぉぉぉぉ!」
目の前に手柄となるマルティネス。しかもそれを守るのは一見可憐な少女。
それを自由にできると思い込み、獣欲にまみれた目でこちらに襲い掛かってくる。
しかしボクはそんな生易しい存在ではなかった。
無表情に紫焔を真横に薙ぎ払う。三名の騎士がそれに巻き込まれ、そこにオートキャストが発生して【メテオクラッシュ】が発動した。
巻き起こる隕石の破壊と冷気の嵐、雷の轟音。
その日、ケンネルの騎士団の一部隊が、世界から消えた。
隕石が落ちたのか、雷が落ちたのか判らない。
しかし、肉片しか残らないほどの破壊の痕跡に、ケンネルの斥候兵は背筋を凍らせたという話だった。