第二百三十八話 襲撃
屋敷内に入ってしまえば、ボクを発見する事は一般人には不可能に近い。
【クローク】のスキルで影に沈み、三階の部屋を片っ端から検索していく。
いくつかの部屋を調べたところで、中から艶めかしい声が聞こえてくる部屋があった。
「くっそ、夕食前の時間なのにもう盛ってやがる」
ボクは隣の部屋に潜り込み、身を隠して耳をそばだてながら、事が終わるのを待った。
やがて一際甲高い嬌声が響いた後、静寂が訪れる。
そして衣擦れの音がした後、一人のメイドが部屋から出てきた。
口元を押さえ、泣きながら廊下を去るメイドを見送り、ボクは入れ違いに部屋に潜り込んだ。
部屋の中には見るもおぞましい豚の類似品が、素っ裸でベッドに転がっていた。股間のミノムシも丸出しである。
「なんとおぞましい……」
「な、なんだ貴様は!」
【クローク】を解除し、影から湧き出たボクを見て、驚きの声を上げる豚――もとい、マルティネス。
しかしボクにそれに答えてやる義理はない。むしろこの場で処断したい衝動に駆られているくらいだ。
「イゴールさん、お願い」
「承知いたしました」
ボクの命を受けイゴールさんがボクの中から出てくる。
エルダーレイスの異貌を目にして、恐怖に駆られるマルティネス。咄嗟に溢れ出しそうになる悲鳴を、イゴールさんの重圧と言う特殊能力で抑え込む。
重圧という能力は、相手に威圧を与え行動を制限してしまう力だ。無論、能力が高い相手には効かない。
無論、抵抗できるほどの力がマルティネスにあるはずもない。これで奴は声一つ上げられなくなった。
硬直しているマルティネスにイゴールさんが憑りつき、その身体の自由を制圧する。
やがて完全に主導権を握ったイゴールさんが立ち上がり、ボクに向かって恭しく一礼した。
「乗っ取りに成功いたしました、ユミル様」
「ありがと、でも服は着てね。見慣れているとは言っても、人様のは勘弁してもらいたい」
「これは失礼を。ところでどこで見慣れておいでで?」
「ナイショ」
転生の際に性別が変化してしまっていることは、イゴールさんには伝えていない。
それに自分の物だって、あまり綺麗な造形だとは思えなかった。特にマルティネスのは見苦しい。
イゴールさんが服を着ている間、ボクは部屋を捜索しておく。
こういう男の場合、重要な書類は目につく所に置いておかないと、気が気ではないはずだからだ。
案の定、クローゼットの中に書類箱が隠してあり、中には彼が希少アイテムの流通量を意図的に操作していた記録が残っていた。
「寝室に持ち込んでるって事は、いざという時は持って逃げれるようにしてたんだろうなぁ」
「目の届く所に置いておかないと安心できないのでしょうな。どれだけ後ろ暗い事をしてきたのか」
「かなり、だね。これを見る限り」
ボクはピラピラと発見した書類を見せて見せる。ここにはマルティネスがアンブロシアの流通を制限し、私腹を肥やしていた記録があった。
これとマルティネス本人をタモンの所に突き出せば、平和的解決のきっかけになるかも知れない。
「よし、あとはこのまま、タルハンへ戻るだけだね」
「私はこのまま外に出てよろしいのでしょうか?」
「ボス自らのおでかけなんだから、引き留める人もいないんじゃない?」
「ですが、護衛と申し出る輩もいるのでは?」
「ム?」
太鼓持ちな部下がついて来ようとする可能性は、確かにある。
ボクが用があるのはマルティネスだけなので、こいつ以外の人間についてこられても困る。
「どうにかして一人で出てこれない?」
「それがこの身体、非常に鈍重で隠密行動は期待できそうにありません」
「ぐぬぬ、どこまでも邪魔をする脂肪め……」
かと言ってこの巨体をボクが運ぶと言うのも…………できるな。触りたくないけど。
「よし、じゃあボクが担いで柵を超えるから、とっとと庭に出よう」
「わかりました。ユミル様。それでは……」
イゴールさんはその巨体をズシズシ動かしながら、ボクが侵入してきた書斎へと移動する。
そして進入路である暖炉の前まで来たところで、ぴたりと足を止めた。
その理由はボクでもわかる……
「ユミル様……」
「言わなくていいよ」
「その、非常に申し上げにくい事ですが……」
「いいって。むしろヤメテ」
「暖炉に身体が入りません」
「あああぁぁぁぁぁ!」
でっぷりとした脂肪の塊であるマルティネスを、スリムボディのボクとでは天地の差ほどある。
進入路である煙突は、ボクならば二人並んで侵入できそうなほど大きなものだったが、それでもマルティネスが通れるほど広くない。
というかこいつの図体のでかさは、あのロゥブディアにすら匹敵する。
どう見ても煙突を通りそうにない。
「こうなると表から堂々と出た方がいいのかな?」
「人目についてしまいますな」
「もう仕方ないと諦めるしか……ん?」
そこでボクは奇妙な音に気が付いた。
バタバタと、まるで干しているシーツを連打するかのような騒々しい音。
いや、これは爆音なのかもしれない。
「ユミル様、この音は……」
「まさか……エンジン音?」
元の世界では何度も聞いた事がある。だがこの世界に来てから、一度も聞いた事が無い音だ。
ボクは慌てて窓に駆け寄り、外を眺める。
すると空には多数の飛行機が、こちらに向かって飛来しているのが見て取れた。
「飛行機……なんで、あんな……」
そこでボクはある事に気が付いた。
この世界で飛行機なんて物を作れるのは転移者しかいない。
そしてボク達は、飛行機なんて技術を外に漏らしていない。
現在、ボクが把握していない転移者は二名。キーヤンと……タモンだ。
キーヤンはゲーム的になんでもありな世界ではあるが、飛行機を作るほどの無茶はしないだろう。
となると残るはタモンだけ。そして奴は、海戦系のゲームから転移してきたと推測される。
ならあれは……
「まさか……艦載機!?」
空からの爆撃。それは地上に一方的な破壊を撒き散らす、凶悪な攻撃手段だ。
それがこちらに向かってくる。なにが目的か。考えるまでもない。
「ここはダンジョンコアのある町で、マルティネスのいる町だ。奴が狙わないはずがない――イゴールさん、逃げるよ!」
「ハ? あれが何か?」
「あれはある意味、ドラゴンよりも質の悪い存在です!」
その脅威を理解できないイゴールさんは、その場で立ち尽くしたまま、対応に戸惑っていた。
だが今は、それを説明する時間すら惜しい。
ボクは問答無用でイゴールさん、いや、マルティネスの身体を抱え上げ、ドアを蹴り開け廊下に飛び出した。
周囲には人の姿はない。
「クソ、こんな時に限って!」
爆撃機がこちらまで達すれば、その時点で周辺は焼き払われる。
その意味でも、警告を与える存在がいないと言うのがもどかしい。
「逃げろ! もうすぐこの町は焼き払われるぞ!」
ボクはありったけの声を張り上げ、廊下を疾走した。
無論、そんな騒々しいボクを見咎めない人間がいないはずもない。
「誰だ、貴様!」
「今はそれどころじゃ無い、早く逃げろ!」
当主であるマルティネスを抱え上げたボクを、家人が黙って通してくれるはずもない。
だがボクはそれどころじゃ無かった。壁を蹴って彼等の頭を飛び越える。
そしてそのまま逃走を続けた。
「逃げろ! 町が焼かれるぞ、早く逃げろ!」
抱き込まれていない使用人たちは、まずマルティネスを見て驚き、そしてボクの言葉でさらに驚く。
だがそのままボクが駆け抜けていくと、我先に逃亡へと移っていった。
金で雇われていた者、権力で攫われてきた者、どちらにしてもマルティネス本人がいなくなれば、義理を尽くそうという者は少なかった。
追ってくるのは、この豚のおこぼれを食らっていい目を見ていた連中くらいだ。
その本人が攫われたとなると、この屋敷に留まる理由もない。
彼等は屋敷の備品を掻き集め、強奪し、我先に逃げ出していったのである。
ボクもそんな彼等に構っている時間はない。
そのまま町まで飛び出して、街門まで駆け抜ける。
その間も警告を発し続けるのは忘れない。
できるならば、説明してやりたいところだがその時間が無いのだ。
街門に辿り着いた所で、ついに爆撃機が町の上空に到着した。
人を避けながらここまで走ってきたので、予想以上に時間がかかってしまったようだ。
そして想像通り、爆撃が始まった。
耳をつんざくような轟音が鳴り響き、町が焼かれ建物が崩れ落ちる。
その合間に往来していた人々が炎に飲まれ、がれきの下敷きに消えていった。
「くそっ、なんでこんな――ここまでするのか、タモン!」
彼と初めて会った時、まだ奴は話が通じるような気がしていた。
依然あった戦いたいだけのオックスや、功名心に駆られたキシンよりはよっぽどマシだと思っていた。
だが、これは……ここまで徹底的に破壊を求めるのか!
門から駆け出したボクは、イゴールさんに近くの森に逃げるように指示しておいた。
彼が……というか、彼が入っているマルティネスの身体は、最優先確保事項だ。
彼を押さえておけば、ボクの目的は達成できる。
「イゴールさん、あそこの森に行って隠れていてください!」
「ユミル様は!?」
「ボクは町に戻って救難活動をしてきます!」
言うが早いか踵を返し、いまだ爆撃が続く町へと駆けこんでいったのだった。
そこはまさに地獄絵図と言っていい状況だった。
彼の組合に対する憎悪はわからないでもないが、一般人を巻き込むのは許せない。
ボクは通りを掛けながら、町から出るように指示して回った。
先ほど頭上を飛んでいったのは、緑の彩色の施されたプロペラ機。時代的にピンポイントな攻撃には向いていないはず。
建造物という目標を無くせば、爆撃はそう精密な狙いを付けられる物じゃない。
「外へ! 町の外へ逃げるんだ!」
「バカを言うな! あんな原っぱに出たら余計に狙われるだろう!」
「建物の中の方が危ないんだ! あの爆弾は建物ごと破壊するのは見てわかるだろう!」
反論してくる街の人もいたが、そんな人に一々関わっていられない。
目につく人すべてに街の外に出るよう警告して回る。
そんなボクの耳に、子供の泣き声が聞こえてきた。
「まま! ままぁ!」
「どうしたの?」
それは一軒の家が燃えている現場だった。
炎上する家の前で、子供が大人に抑えられている。
「ままが! ままがなかに!」
「かろうじて、この子を逃がしたんですが……中に取り残されてしまって」
少女を押さえているのは、恐らくは近所のおばさんなのだろう。
その説明を聞いて、ボクはすぐさま燃える家に飛び込んでいった。
変装していた衣服が炎上して、すぐさまボロ布に変わっていく。
その炎はボクの皮膚をじりじりと焼いていくが、魔導騎士の生命力の高さと,HPの自動回復効果で大きなダメージは全く受けない。
「お母さん、いますか!? どこですか!」
叫ぶボクの声に、咳込むような微かな声が聞こえてきた。
それは一階ではなく二階。おそらくは炎から逃げている内に、上に追い詰められてしまったのだろう。
炎の中でボクは上を見上げ、そのまま垂直にジャンプした。
ボクの跳躍力なら二階まで問題なく飛び上がれる。
床板をぶち抜いて二階まで飛び上がると、そこは子供部屋だった。
ぬいぐるみに小物のあふれた雑然とした部屋。武器のあふれるアリューシャの部屋とは大違いだ。
すると窓際に人影を確認できた。おそらくはあの人が母親だ。
「無事ですか……?」
「ゴホッ、ゲホッ」
もはやまともな言葉は返せないほど全身を炙られ、咳込むしかできない。
だが生きているなら何とかなる。
すぐさまインベントリーからヒールできる装備品を取り出し、彼女に掛けた。
火傷の痕が見る見る消えて行き、呼吸が落ち着いていく。それと同時に、安堵からか彼女は意識を失った。
ボクは飛び降りるべく窓に近付くが、その窓は一定以上開かないように細工されていた。
子供が窓から落ちないように、細工しておいたのだろう。
それを忘れてこの部屋まで逃げ込み、追い詰められてしまったらしい。
だがボクにとっては木板の窓など紙も同然だ。
一蹴りで窓をぶち破り、そのまま地上まで飛び降りた。
「まま!」
「お、お嬢ちゃん、今飛び降り……え?」
「この方をお願いします。後、早く街から離れてください。上のアレは、建造物を目掛けて爆弾を落としてきます」
「ばくだん……?」
「【ファイアボール】の魔法みたいなモンです。精密な狙いは付けられないので、むしろ町の外の方が安全だ」
「あ、ああ――わかった!」
おばちゃんが母親を抱えたまま、子供を連れて街の外へ向かう。
その姿を見て、ボクは安堵の息を吐いた。
だがここでゆっくりもしていられない。爆撃はまだ続いているのだ。