第二百三十七話 極秘ミッション
その日の週末は、いつものように迷宮に潜る訳にも、遊具施設の検分をする訳にも行かなかった。
アリューシャにも内緒で、内密な任務をこなさねばならない用があったからだ。
アリューシャには学園の所用で一緒に行けないと言い含めて、テマ達のレベリングの面倒を見てもらっている。
センリさんには事情を話しておき、アリューシャの面倒を見てもらっていた。
アリューシャはボクが散々甘やかせて育てた結果、少々我が儘になってしまっている。
ボクがやろうとしている事を知ると、無理矢理でも付いて来かねない。
早朝のうちに全力疾走でモリアスまで駆け抜け、さらに南。
南方の迷宮都市ラドタルト――そこがボクの目的地だ。
そこまで言えば大体の事情は察してもらえるだろう。
ボクの任務。それはこの都市の冒険者組合支部長、マルティネスの拉致である。
奴は重要な役職についている上、組合組織の上層部にもパイプを作っていたため、レグルさんの工作では失脚させる事ができなかった。
このままではラドタルトは再びモリアスにちょっかいを出しかねないし、放置しておくだけでもタモンとの交渉の邪魔になる。
下手な戦乱を避けるため、彼とはできるなら話し合いで解決したい所である。
そこでキーパーソンとして名が挙がるのがマルティネスだ。奴を餌にタモンを交渉に引き摺り出す。
そのためにはマルティネスの身柄を押さえておく必要がある。
もちろん、これはれっきとした犯罪だし、レグルさんの独断だ。
見つかればボクとて、ただでは済まない。
だから内密に事を処理し、マルティネスには行方不明になってもらわなければならない。
そんな真似をしてタダで済むのか……実はタダで済むのだ。
そもそもマルティネスは、組合にとって有害な存在である。
だが上層部すら動かすほどの資産を、組合に預けているのも事実だ。
その当人が行方を晦ます。では残された資産はどうなるのか?
実はこれ、組合の物になるのだ。
マルティネスの親族は、ロゥブディアの一件で完全に失脚している。
生き残った者も名前を変え、各地で細々と暮らすしかなくなっていた。
つまり貴族としてのパイプはすでに無いし、そもそもマルティネスは放逐された身だ。
言うなれば奴は、天涯孤独も同様。
だからこそ、資産を一族に返還する義務は組合にはない。
行き場を無くした巨額の資産は、そのまま組合によって接収される。
生きていれば上層部の一部にのみ富を分配するが、死ねば組合全体が潤う存在。それがマルティネスだ。
だからといって、拉致誘拐が許されるわけではない。非合法の行為なので、組合長のヤージュさんでは動けない。
清濁併せ呑む領主のレグルさんだからこそ、決断できた……いわば蛮行だ。
こんな仕事にアリューシャを巻き込む訳にはいかなかったのだ。
ラドタルトは温暖な気候を持つ地方にあり、裸で野外に出ても凍死しないほど過ごしやすい。
それは同様に、モンスターたちにとっても過ごしやすい気候である事を示している。
だからこそ、ラドタルトの街壁は堅固で、高い。その頑強さは王都キルマルに匹敵するほど、巨大だった。
それなりに大きな門のはずなのに、壁の大きさとの対比で小さく見える門に、ボクはやってきた。
南方の交易基点。同時に迷宮都市。
冒険者も商人も、ひっきりなしに出入りする拠点。
そこのチェックが甘いはずがない。
「次……なんだ、子供か?」
「迷宮を探索しに来ましたぁ」
厳つい表情をした門番に、ボクはレグルさんに渡された組合証を提示した。
これにはレグルさんによって作られた、嘘八百の経歴が記載されている。
冒険者ユミルは、この街に来なかった。そういう建前になる。
「名前は、ユーリ。歳は十三歳ね。討伐履歴はゴブリンが3匹? これでは迷宮ではきついぞ?」
「それでも緊急にお金が必要になりまして」
「はぁん……? まぁ、事情は人それぞれだからな。だが命は大事にしろよ?」
存外、人の良さそうな警告をしてくる門番さん。クソ野郎に統治されていても、下までは腐ってないと言う訳だな。
「それと領主には気を付けろよ。あの方はその……あれだからな」
「あれ?」
「ほら、色々と色を好むと言うか、な?」
「あー、はいはい。そういう経験多いですから分かりますよぉ」
日頃からおバカなことをしでかす事が多いので、あまり気付かれていないが、ボクは美少女なのだ。
黙って座っていれば、その愛らしさに求婚者が続出するくらいには、魅力的に見えるそうだ。
言い寄られた経験も数多い。
「その外見じゃ、そうだろうな。だからこそ余計に気を付けろと……」
「わかってますって! で、入ってもいいですか?」
「ああ、許可する。あまり騒ぎは起こさんでくれよ」
「はぁい」
それは、こちらもそのつもりだ。
騒ぎを起こさず、マルティネスを連れ去る事が目的なのだから。
少々おせっかいな門番から解放されて、ボクはようやくラドタルトの街に足を踏み入れた。
そこはいきなり悪の巣窟……な雰囲気が漂ってるはずもなく、よくある商業都市と同じような喧騒に満ちている。
他所の街と違う点と言えば、女性の衣装が少々開放的な所だろうか?
暑い気候故に、胸元の大きく開いた衣装が好まれているようで、中には水着のような服で出歩いている冒険者もいる。
「なるほど、ここにマルティネスが根を張る訳だ」
女好きという噂のマルティネスなら、開放感あふれすぎるこの街はまさに天国だろう。
ボクとしてもこの街のファッションセンスには大いに賛同したい。
だが今日は目的が違う。
いつもならば宿を取り組合に顔を出して生活の基盤を築く所だが、今日は日帰りの予定なのだ。
しかも手にしているのが偽造の組合証である。できるなら、バレる前におさらばしたい。
人目のない路地に潜り込んで装備を全てインベントリーに放り込む。
この段階で、ボクの衣装は白い清潔なシャツにミニのフレアスカートに膝上までのタイツ姿である。
町娘……には見えないだろうが、どこかの私塾の生徒には見えるはずだ。
後は手持ちの肩掛け鞄を下げておけば、まるで修学旅行の生徒みたいに見えるだろう。
着替えが終わり、表通りに出たところで、ボクは小さく口の中で呼びかける。
「イゴールさん、いる?」
『はい、ユミルお嬢様』
頭の中からそう声が響いてくる。
周囲の行き交う人々はそこの声が聞こえた風ではない。
ボクだけでは侵入工作には不安がある。ボクは隠密行動はできても、罠などの開錠能力がないからだ。
そこでエルダーレイスのイゴールさんに同行してもらった。彼ならば、ボクに憑依する事でその姿を隠す事ができる。
それに罠の解除もお手の物だ。
平時はボクに身体の主導権を渡してくれれば、いつも通りの行動ができる。
ただしこの手段、アリューシャが盛大に嫌がるのが難点なのだ。なにせ『ボクの中に入る』のだから、彼女としても思う所があるのだろう。
とにかく、そうして警戒心を削ぐ様な格好をした後は、町中で一番大きな屋敷を目指して散策した。
案の定、ボクを警戒するような視線は感じない。
周囲は次第に富裕層の居住区のようになっていたが、ボクの服もそれなりに仕立てがいいので、違和感を覚えられる事は無い。
マルティネスのような人間は虚栄心が強い。
だからこそ、こういう町で一番大きな屋敷に住みたがるはずだと推測する。
その屋敷は高い塀と鉄柵で囲まれ、広い庭には何頭かの犬が放し飼いになっているのが垣間見えた。
無論これは、ペットなどではないだろう。薄い鉄板のような鎧を付けたドーベルマンのような犬を飼うとか、趣味が悪いとしか言いようがない。
「内部には警備犬が数頭、と」
隠密スキルである【クローク】は体温も体臭も隠す事はできない。
あれは視覚を欺くためのスキルだ。だから犬には効かないだろう。事実、ゲームでは幽霊や熱視覚をもつ昆虫、嗅覚の鋭い動物系モンスターには効かなかった。
「面倒だな……」
見張りが人だけならば、【クローク】でやり過ごす事も出来るだろう。
いや、結局マルティネスを運び出す時に、見つかってしまうか?
ブツブツとそんなことを呟きながら、正門の方までやってくる。
すると、さすがに屋敷の周りで不審な行動をとっているボクを、門番が見咎めてきた。
「そこのお前、何を見ている!」
「あ、はぃ? ボ――わたしですか?」
危うく口癖のボクと言いそうになったが、ボクっ娘などと言うレアな存在の痕跡は残したくない。
ここは昔のアリューシャの口調を意識して、切り返す事にした。
「すっごく大きな屋敷だから、見学してたんです! 誰のお屋敷ですかぁ?」
「そんな事を話す必要はないだろう!」
「学校の課題で、ラドタルトの地理を学ぶのもあるんですよ。いじわるしないで教えてくださいよー」
「学校だと――? どこのだ?」
「えと……ミーミル総合学園ですっ!」
「聞いた事が無いな」
当たり前だ。下手に実在の学園名を出せば、そこからボロが出てしまう。
だからこそ架空の学園名を出し、煙に巻こうとしたのだ。
「最近できたばかりの学園なんですよ――モリアスに」
ちらりとモリアスの名前を出しておく。
彼等としても、モリアスは三年前にちょっかいを出したばかりである。
そこからリビさんに領主が変わって、ラドタルト方面の間者と思しき存在は軒並み排除された。
なので、モリアスの内情についてはほとんど知らないと言っていい。
「そんな学園ができたのか?」
「ええ、去年」
「新しい学園か。景気のいい話だな」
「新領主様は学問にご理解が有られる方でして」
リビさんが冒険者上がりなのも、有名な話だ。
そして魔術師上がりであるが故に、知識についても貪欲なのも、これまた有名な話。
その事実を前に、彼等はボクの話を信じる気になった。嘘の中に混じる事実は、その嘘の信憑性を増す効果があるからだ。
「そうか……ここはラドタルトの領主、マルティネス様のお屋敷だ。不審な行動を取ったら、それ相応の処罰が下されるから注意しろ」
「処罰ですか?」
「そうだ。お前のような美しい娘なら、わかるだろう?」
門番が言っている事は理解できた。
つまり彼等は『これ以上屋敷の周りをうろついたら、犯っちまうぞ』と脅しているのだ。
「そ、そうですか。ではわたしはこの辺で……」
これ以上辺にうろついて顔を覚えらえれたら、それはそれで問題になりそうだ。
ここはいったん退いておく方が賢明だろう。
こうしてボクは標的の位置を確認したのだ。
日が傾くのを待って、ボクは再びマルティネスの屋敷にやってきた。
夜まで待たなかったのは、奴のお盛んな光景を目にしたくなかったからである。
まずは【クローク】を使用し、門番をすり抜けて内部に侵入する。
そこで番犬を避けながら、開いてる窓を探したのだが、やはり一つも存在しなかった。
マルティネスは自分の立場を熟知している。組合にとって死んでくれた方がいい自分という価値を理解していた。
だからこそ、彼の警備は厳重である。
ボクは残念ながら、隠密はできるが、鍵開けなどはできない。
イゴールさんに任せると言う手もあるが、一階は結局人目が多いので、行動が制限される事は否めない。
どうせああいう手合いの人間は高い所にある部屋に陣取りたがるのだから、上から攻めた方が効率的だ。
一階から入る事は一旦諦め、全身のバネを使って跳躍し、屋根まで飛び上がった。
この非常識な身体能力まで計算に入れた警備は、さすがにしていないだろう。
軽く二十メートル近い距離を飛びあがり、屋根に取付いて再度【クローク】で気配を消す。
そのままボクは煙突までやってきて、その中に潜り込んだ。
この世界は未だ薪燃料が主流だ。だから各家庭に煙突は必ずと言っていいほど存在する。
特にこういう大きな屋敷では、煙突は一つではない。居間や書斎には暖房代わりの暖炉が設置されているものだ。
煙突の中というのは、煤がこびりついていて意外と足掛かりになる。
多少汚れる事を覚悟すれば、いい侵入口になった。
内部から書斎に潜り込んだ直後、ドヤドヤと清掃人がやってきたので、ボクは慌てて【クローク】を掛け直し、気配を消す。
「やれやれ、それじゃ我が儘な王様のお部屋を掃除するとしますかね」
「おいおい、あまり滅多なことを口にするなよ? お前がテーブルに並ぶ羽目になっちまうぞ?」
「そりゃ勘弁してほしいな」
口々にマルティネスの陰口をたたきながら、部屋を片付けに掛かる使用人たち。
利権を貪る事を第一にするマルティネスにとって、この部屋はあまり使用されない部屋らしい。
ボクは出入りの激しくなってきた書斎から、抜け出しつつ、屋敷の探索に移ったのである。