第二百三十話 森の中での遭遇
とりあえず訪れたのが、かつて騒動を起こしたボク達と知って、ゴードンさんは警戒を解いて宿を紹介してくれた。
前回と言い、彼には地味に世話になっているので、いつかお返しもしないといけないかも知れない。
とにかく、アリューシャとルイザさんがすでに限界なので、ボク達は早々に床に就く事になった。
二人部屋しか空いていないと言う事なので、部屋割りで多少問題は出たが、結局のところアーヴィンさんとルイザさん、ボクとアリューシャの二人部屋二つと言う割り振りで落ち着いた。
当たり前と言えば当たり前の振り分けである。
考えてみればアーヴィンさん、自分以外は美女美少女ばかりのハーレム状態である。
粗末なベッドに潜り込み、部屋のろうそくを消した所でアリューシャがボクに話しかけてきた。
「ゴメンね、ユミルお姉ちゃん。なんだかわたしの我が儘で迷惑かけちゃって」
今回の遠征はアリューシャのダイエットと言う、言わばわがままから端を発した物である。
彼女が少々後ろめたい気分になってもおかしくない。
今までは目的のために我を失っていた所があったのだが、落ち着いて来た所でその辺りが見えてきたのだろう。
「別にいいよ。アリューシャが女の子らしい事するのはボクも好きだし。それがダイエットって言うのが、らしいって言えばらしいけど」
「むぅ……なんだか、からかわれてるみたい」
「アリューシャはまだ子供なんだから、そんな気遣いしちゃダメだよ。普通の子供はもっと我が儘いうモノだし」
ボクがそうアリューシャを諫めると、彼女はボクのベッドに潜り込んできた。
そして胸元に抱き着いて来る。
「んー、ユミルお姉ちゃん、大好き!」
「なにを今更」
「改めて言いたくなったの」
「そう?」
今まで一緒に寝ていたアリューシャだけど、最近は別れて寝る事も多くなっていた。
これはボク達の仲が疎遠になったのではなく、お互いがそれぞれの生活で忙しくなっただけだ。
だから彼女にこうして抱きつかれて眠るのは、すごく久しぶりに感じる。
この夜は久しぶりに甘えてくるアリューシャを抱きしめて休む事ができたのだ。
翌朝、ボク達は目的の森へ出発した。
アリューシャ成分を存分に吸収したボクは、朝から絶好調である。
リンちゃんの背に乗り、颯爽とマクリームの街から出発したのだった。
無論、ぶら下げた籠の中には、アーヴィンさんとルイザさん、それにセイコとウララが詰め込まれている。
「さぁ、目的地はこの先です。頑張っていきましょう!」
「おー!」
ボクの声に応えたのは、アリューシャでなくアーヴィンさんだった。
彼とは逆にルイザさんはお疲れ顔である。リンちゃんの移動と言う慣れない旅で疲れが取れなかったのかな?
「ユミルお姉ちゃん、はいこれ」
「なにこれ?」
そこでアリューシャはボクに小さなゴム製品のような物を手渡してきた。
「え、耳栓だよ? 悲鳴上げるんだから必須かなって」
マンドラゴラは引き抜くと耳をつんざく様な悲鳴を上げる。
それを想定しての事だろうが、あの悲鳴は物理的な現象ではなく、なかば魔法に近い現象だ。
耳栓程度では防ぎきれないはずなのだ。
「いや、ダメでしょ。そんな単純な方法で防げる物じゃないよ」
「えー、そうなの?」
「そうなんです。ね、ルイザさん」
「そうね、あれは精神に直接干渉する特殊スキルみたいなものだって聞くから、耳栓だけじゃ心もとないわね」
「なーんだぁ」
がっかりするアリューシャだが、ボクは満更でもなかった。
今までボクに付いて来るだけだった彼女が、目的を達成するために自分で考え、道具を用意したのだ。
これは自主性の成長に他ならない。
「方向性は悪くなかったね。どちらかというと、アリューシャの精神防御魔法が必要になるかも」
「そっか、じゃあがんばるね!」
拳を握り締めてガッツポーズを決めるアリューシャ。
そのまま風に煽られて落下しそうになっていた。
「ダメでしょ。ちゃんと掴まってないと。落ちたら拾いに行かないといけないじゃない」
「んぅぅ……地面にぶつかる前にキャッチして」
「急旋回すると、セイコとウララが可哀想でしょ」
「そこは私達の心配をしてもらいたいわね……」
籠の中に詰め込まれている面面ではルイザさんが一番か弱い。
急旋回でスレイプニールたちの下敷きになれば、確実に命に関わるだろう。
対してアリューシャは地面に激突したくらいでは死なない位タフである。
もちろん、ボクに遠く及ばないのは、言うまでもない。
それにアリューシャならば、リンちゃんの背から落ちても大丈夫と理解しているからの言動である。
さすがに友人の命を危険に晒してまで、アリューシャの無傷を優先させる訳には行かないのだ。
背中をポカポカ叩いてくるアリューシャをあやしながら、リンちゃんの首筋を軽く叩いて先を急がせる。
この状態で飛行するのは、それだけでルイザさんの体力を削ると前日に悟ったからだ。
できるだけ早く、負担なく目的地に着かないと、ナヴィゲーターたる彼女が持たない。
こうして飛行する事一時間。ボク達はマンドラゴラがあると目される森に到着したのであった。
その森は、小規模ではあるが、かなり深い森だった。
湿気が少ない場所と聞いていたから、もっと木々の密度が低いのかと思っていたが、むしろ密林と言っていいレベルである。
「なんか予想と違って本格的な森ですね」
「私もマンドラゴラの採取は初めてだけど、これは予想外ね」
「初めてって……ルイザさん、いつもはどうやって入手してるんですか?」
「え? 私はダイエットとかした事ないから。ルディスから聞いただけなのよね」
「はいィ?」
てっきりルイザさんはダイエットの経験があるのかと思っていたが、彼女もそういう経験はなかったらしい。
「むしろ油断するとすぐに体重が落ちちゃって、ガリガリになっちゃうの。アーヴィンからも『もっと食え』って注意されてるし」
「こいつは放っておくと、すごい勢いで痩せていくんだぞ。ホントに見てる方が怖くなるレベルで」
「あなたの冒険がハードすぎるのよ。ついて行く方の身にもなってよ」
そう言えば移動だけで体力が尽きるようなルイザさんが、脳筋極まりないアーヴィンさんについて行くのはかなり大変なはずだ。
それでもこの長い冒険者家業を続ける事ができたのは……まぁ、これは無粋か。
「とにかく、これだけ視界が悪いとなると、迷宮と同じように隊列組んだ方がいいですね」
「そうだな。最前列はユミルと俺、後ろにルイザ。最後尾はアリューシャちゃんにお願いしていいかな?」
「うん、まっかせて!」
アリューシャは元気に拳を振り上げて、了承して見せた。
実際アーヴィンさんの指定した配置は、全く問題点が無い。
感知力の高いボクを前線に、支援系でありながら近接戦もこなせるアリューシャを最後尾に。
打たれ弱いルイザさんを中で護る。実にオーソドックスな隊形である。
幸い明かりが必要なまでに暗くはないが、それでも根深い雑草が足に絡みつき、下手をしたら転んでしまいそうなほど危ない。
この環境で奇襲されたら、思わぬ油断を呼んでしまいそうだ。
「でも……確かに湿気は少ないですね」
今までの経験からすると、これくらい森が深いと、スカートが足に纏わり付くような感覚を覚えた物だ。
周囲は森が広がっているのに、体感は砂漠にいるかのような感覚がある。
「見ろよ、木の表面がカラカラだ。これ、火災が起きたら大変な事になるぞ」
「クカスって木の効果なのかな。だとすると人里の近くで栽培できないのも納得だ」
人は火を使う生き物である。
獣と人間の明確な違い、それは道具を使うのでもなく、知性の進化でもない。
普通の動物なら忌避する炎、これを積極的に使用するのが特徴なのだ。
そして、それはクカスの木のそばでは致命的な問題になる。
周囲を乾燥させてしまうクカスの木は、人の使う炎によって簡単に延焼してしまう。
これを止めるのは非常に困難だろう。
もしクカスがユミル村の迷宮のそばで繁殖してしまったら、恐ろしい事になるかも知れない。
「クカスは村に持って行けませんね。繁殖しちゃったら危なすぎる」
「ユミル村は草原に囲まれてるからな。火計は最大の防御と同時に、最大の弱点にもなり得る……か」
「消火体制の強化は急務ですねぇ」
アーヴィンさんも村にとって縁の深い人材だ。
だからこそ、彼も村の防御については、一緒に心配してくれる。
そんな四方山話をしながら、ボクはそれを見つけたのだった。
初めてソレを見つけた時、ボクはカブが転がっているのかと思った。
青々とした葉が放射状に大きく広がり、その下には白い丸々とした根菜らしき植物が生えていた。
カブと比べて、やや表面にしわが寄っているが、その植物は瑞々しい新鮮さを保っていたのだ。
だが、植物はただ転がっていた訳ではなかった。
丸い根菜部分からさらに下方へ根が伸び、それが地面に埋まっているのが見て取れた。
「ひょっとして、あれがマンドラゴラ?」
「そうね。前に植物辞典で見たのと同じ感じだわ」
クカスの木はまだ見つかっていないが、カブのそばには小さな清流も流れていた。
あれがクカスから生み出されたものだとすれば、上流にはクカスが繁殖しているはずである。
なんにせよ、問題なく順調に発見できたのは僥倖と言えるだろう。
「それじゃ準備を――」
そこでボクは言葉を切って、抜剣した。
カサリと言う草を踏む、小さな音。
それがボクの耳に届いたのだ。
「ユミル、敵か?」
そう尋ねてくるアーヴィンさんの声も、低く抑えられていた。
敵が近いのなら、大声による確認は敵意を誘発する危険性があるからだ。
音が遠かったせいか、アーヴィンさんは元より、アリューシャすら気付いていない。
「なにか草を踏む音が聞こえました。この森の中だと、ボク達以外には人はいないでしょうし、森の動物で間違いないかと」
「判った。ルイザ、アリューシャちゃん、戦闘準備を」
野生生物ならば、腹具合次第では迷宮のモンスターより好戦的に襲ってくる。
警戒をしておくに越した事は無いのだ。
しばらくして、草むらから現れたのは、一頭の巨猿だった。
向こうもこちらの存在には驚いたのか、こちらに歯を向いて威嚇の声を上げる。
「敵意は……無さそうだが……」
「マンドラゴラを横取りされるのでなければ、無理に戦う必要はないですよね?」
「そうね。あれはマッドモンキーと呼ばれるモンスターで、狂い猿と呼ばれているわりには意外と被害が少ない類のモンスターよ」
「つまり、腹を空かせていないなら、安全なタイプの魔獣ですね?」
「そういうこと」
ルイザさんはアーヴィンさんのパーティでも、知恵袋的存在である。
彼女の知識がそうと判断したのなら、ボクにそれを覆す理由はない。
「アリューシャ、アーヴィンさん。このまま隊列を崩さず後退。距離を取ってやり過ごしましょう」
「いいのか? マンドラゴラを食いに来たのかもしれないぞ」
「腹を空かせてここに来たのなら、もっと美味しそうな獲物――ボク達に襲い掛かってるはずです。おそらくは水を目当てに来たんじゃないですかね?」
「ああ、なるほどな」
マッドモンキーは雑食である。と言う事は肉も食うのだ。
空腹ならば、目の前に女子供を連れた迂闊な人間が現れたら、即座に飛び掛かっていたはずなのだ。
それが威嚇だけで、下手をすれば向こうから逃げ出しかねない様相である。
恐らくはクカスから流れ出た清流を目当てに現れたに違いない。
ボク達が距離を取った事を見て、ボクの考えを読み取ったのだろうか?
マッドモンキーはゆっくりと清流に近付き、その清水に口をつける。
その間もこちらへの警戒は緩めない。
そうして数分。存分に喉を潤したマッドモンキーは、再び森の中へ姿を消したのだった。
「ふぅ……なんだか、戦うより気が疲れたわね」
「ボク達的にはさっぱり倒してしまった方が、話は早かったんでしょうけどね。それだと先住民にリスペクトが無い気がしますし」
「リス……なに? また訳の判らない言葉を使って……」
「敬意とか、尊敬とか、そういう意図をもって接する事ですよ」
「ああ、そうか。あの猿たちに取ったら俺達の方が侵入者だもんな」
「そうです。それじゃ、邪魔者も居なくなったところで、マンドラゴラを引っこ抜くとしましょうか」
ボクは腕まくりをする仕草をして、マンドラゴラへと向き直る。
するとそこに、聞きなれない、低い声が飛んできたのだ。
「少女よ、お主も我を抜こうとするのか?」