第二百二十八話 狂戦士降臨
その日、ユミル村に鬼がいた。
「ぐっぎゃあああああぁぁぁぁぁ!?」
悲鳴を上げて吹っ飛ぶのは、キルミーラ王国きっての俊英、アーヴィンさん。それを困ったように眺めるルイザさんは、頬に手を当てているだけだ。
いかに彼女とて、今戦場に踏み込んでは命の保証はない。
それはボクだって同じことである。
「フン!」
「いや、フンじゃなくて……アリューシャちゃん?」
「次よ、次! この程度じゃ運動にならないんだから」
ダイエットを心に決めたアリューシャが、翌朝最初に訪れたのは、アーヴィンさんの元である。
タルハンとユミル村を往復して冒険を続ける彼は、キルミーラ王国でも有数の剣士に成長していた。
アリューシャはその彼と模擬戦を行う事で、運動量を増やそうと画策したのだが……
「いや、いきなり模擬戦しようと言われても……ほら、俺の方にも準備が――」
「なら早くして。ハリィ、ハリィ、ハリィ!」
「もうヤダ、このバーサーカー!」
立ち上がって模擬剣を構えるアーヴィンさん。猛然とそれに迫るアリューシャ。
アリューシャはボクのように攻撃用スキルがある訳ではないが、剣の心得はそれなりにある。
賢者系には接近戦用魔法も存在するため、護身用程度に片手剣の習熟技能が存在するのだ。
しかもアリューシャは筋力こそ低いが、敏捷度はボクに次ぐ高さがある。
軽く、素早く、それでいて鋭い連撃が四方からアーヴィンさんを襲う。
構えた模擬剣と盾を駆使して、それを弾き返すアーヴィンさん。
正直言って、アリューシャの攻撃を弾き返せるだけでも大したモノである。
ハウエルなどは、初見とは言え数合と持たずに蹂躙されたくらいなのだ。
キルミーラ王国で、最も攻防のバランスが取れた戦士と呼ばれているのは伊達じゃない。
盾で受け止め、剣を弾き、隙を見てアリューシャの左に回り込んで攻撃を制限する。
だがそれも、雨のように襲い来る斬撃を止めるには及ばない。
結局は十数合目に一撃を受け、その防御の崩れから一瞬にして制圧されてしまった。
「ぐ、ぐはぁ!?」
「ふしゅうぅぅぅ……」
再び、吹っ飛ばされ、地に倒れるアーヴィンさん。
戦いに一段落ついて、残心から呼気を吐き出して気を静めるアリューシャ。
その姿はまるで、戦いに猛るオーガのようである。
いや、ボクから見れば可愛いけど。まるで子猫が威嚇するみたい。
「さ、アーヴィンおじさん。次行こう、次」
「いや、ちょっと待って、マジで待って!」
限界を超えた速度での攻防を要求されたアーヴィンさんは、すでに息も絶え絶えである。
付き添ってそばに居るこちらをチラッ、チラッ、と眺めて助けを求めて来るが、ボクは口笛を吹いて視線を逸らしておく。
今のアリューシャを相手にするのは、ボクも苦労しそうなのだ。
「いやもう、本当に少し休憩を――」
「まだ始まったばかりじゃない?」
「いや、一般人には限界を超えてるから!」
「アーヴィンさんが一般人とか言ってもなぁ」
「ユミル、お前が言うか!?」
アーヴィンさんは確かにボク達のような異能を受けてはいないが、それでもこの世界で有数の冒険者である事は間違いない。
その彼が自分の事を一般人とか言われても、説得力がない。
「ほんと、もう限界だから少し休ませて。代わりにユミルとやればいいじゃないか」
「え、ユミルお姉ちゃんと?」
そこで初めて、アリューシャはボクの事を見た。
いつも守られる存在であるボクは、アリューシャにとっては斬り合う対象に入っていなかったのだ。
剣を持ってアリューシャと対峙するなんて、幼い頃に剣の基礎を教えた時くらいである。
「そっか、その選択肢もあったか!」
「いや、無いから! ボクがアリューシャと対峙するなんて……見惚れちゃうじゃない」
「え、やだ。そんな……恥ずかしいよ、ユミルお姉ちゃん」
ボクの言葉に頬を染めて照れるアリューシャ。
だがそれも一瞬。次の瞬間には目を細めて、気合を入れ直す。
「ダメよ。ここはいくらユミルお姉ちゃんでも、情けは無用なの! わたしには適度な運動が必要なの!」
強い言葉でボクに向かって剣を構える。
その真剣な視線に、言葉通りボクは見惚れた。こうやって見ると尚更意識してしまうが、彼女はボクの想像以上に美しく成長していたのだ。
ボーッとしてしまったボクに構わず、鋭く斬り込んでくるアリューシャ。
「うおぉっ!?」
予想以上に鋭い斬撃に、慌てて回避するボク。
アリューシャは絶え間なく斬撃を繰り出してくる。
「ちょっと待って、アリューシャ! ボク模擬剣持ってないし!」
「ユミルお姉ちゃんなら剣いらないじゃない。それに剣持たれたら、わたしじゃ勝てないもの!」
「勝つことが目的になってるし!?」
地面を転がりながら態勢を整えるボク。
アリューシャは当初から運動を想定していたので、ランニングにホットパンツと言う、露出が多くて動きやすい服装である。
対してボクは見学だけのつもりだったので、いつものブラウスに膝上丈のスカートと言う村娘スタイルだった。
「あ、白いのが見えた」
「そうか? 青い線が入ってなかったか?」
「そうか、ストライプ……そういうのもあるか!」
早朝からの騒動で、すでに見物人が数人集まってきている。
その中から、そんな声が聞こえてくるが、今はそれどころではない。
スカートを払うように叩いて整え、斬り込んでくるアリューシャの剣の腹を叩いて逸らす。
逸らされたアリューシャは剣を翻して今度は横薙ぎ。これも膝を跳ね上げて蹴り上げ、間一髪で躱した。
「むうぅ、さすがユミルお姉ちゃん。一筋縄では行かない!」
「いや、落ち着いて、アリューシャ! ボクにも準備とか必要だし」
「ユミル、いくらお転婆だからって言っても、スカートで蹴りはないと思うわ」
「なに他人事のように落ち着いてんですか、ルイザさん!?」
仮にもアーヴィンさんがタコ殴りにあったばかりである。彼女として、その態度はどうなんだろう?
「あら。でもアリューシャちゃんなら、怪我しても治してくれるじゃない。だから安心」
「そーいう問題か!?」
これに猛然と反対したのはアーヴィンさん本人である。
ちなみに彼も、ボクとの一戦が終われば出番が回ってくるので、他人事とは言えない。
「そもそもアリューシャ、ダイエットに実戦と言うのは、いささか動機が不純なのではないかとボクは思うのです」
「言っちゃダメぇぇぇ!」
ボクの迂闊な暴露に、アーヴィンさんは『そう言う事か』と頷いていた。
「そうか、太ったのか」
「太ってないモン!」
アリューシャはこちらへの攻撃の手を止め、アーヴィンさんに向かって剣を投げつけた。
その速度はプロ野球投手もかくやと言う勢いで飛んでいき、彼の額に激突した。
「ぶぎゃっ」
まるで子豚を踏みつけたような悲鳴を上げ、アーヴィンさんは気絶した。
剣を投げつけたアリューシャは息を荒げて気絶したアーヴィンさんを睨み付ける。ボクはその隙だらけの彼女の背後に回り、大きな胸を鷲掴みにして動きを固めた。
「ひゃうわあぁぁぁ!?」
「戦闘中によそ見するのは、感心しないなぁ」
もにもにと揉みしだきながら、アリューシャの動きを封じる。
アリューシャも抵抗すべく身体をくねらせるが、ボクはその先を読んで動き、抵抗を封じ込めた。
「ボクの勝ち?」
「むうぅぅぅ!」
アリューシャは頬を膨らませながら、だが抵抗をやめて敗北を認めた。
なお、アーヴィンさんはまだ気絶したままである。
「これじゃ続きは無理だねぇ」
「アリューシャちゃん、ダイエットなら無理な運動はダメよ」
「お、ここは経験者であるルイザさんの出番ですか?」
「ルイザお姉ちゃん、いい方法しってるの?」
「そりゃ、女ですから。スタイルに関しては……ねぇ?」
現在進行形の恋する乙女であるルイザさんなら、確かにスタイルに関しては大問題である。
元男のボクや、脂肪のくびきから解放されたセンリさんでは、この世界のダイエットに関しては詳しくはない。
この世界の身体にいい食材に関しても、詳しいはずである。
「無理な運動じゃ、身体を壊すだけよ。よく食べて、よく動いて、そのバランスで痩せなきゃ」
「なるほどぉ」
「べんきょーになります!」
ボクとアリューシャは並んでウンウンと頷いた。
そんなユニゾンで動くボク達を見て、ルイザさんはとりあえずアーヴィンさんを指差した。
「とりあえずあの人を起こしてもらえるかしら?」
「あ、はい!」
気絶したまま放り出されたアーヴィンさんに、アリューシャは【リザレクション】の魔術を使う。
この世界では蘇生の魔術は存在しないので、この魔法は気絶から起こすだけの魔法になっている。
魔法陣を描き、光の柱がアーヴィンさんを包み込み、彼が呻き声と共に身を起こした。
正直言って、今回の彼は明らかにアリューシャのトバッチリである。
「アリューシャも。いくら目的があるからと言っても、他人に迷惑かけちゃダメだよ。ちゃんとアーヴィンさんに謝って」
「できればブチのめされる前に言ってほしかった……」
「あぅ、アーヴィンおじさん、ごめんなさい」
ぺこりと頭を下げるアリューシャ。さすがにボクに怒られて自分が暴走していたことに気付いたようだ。
昔から知る子に素直に謝られて、アーヴィンさんもさすがにこれ以上怒る訳には行かなくなったのか、軽く手を上げ、謝罪を受け取った。
「ああ、いいよ、いいよ。でも金輪際は御免だからね?」
「はぁい。もうしません」
「じゃ、今回の件はこれでおしまいね。それじゃ、アリューシャちゃんの健康的な体作りのために、がんばりましょ」
「え、ダイエットだ――」
ダイレクトな言葉を出したアーヴィンさんを、ルイザさんは凄まじい勢いで張り飛ばした。
そう言えば、アーヴィンさんはなぜかルイザさんの攻撃は、昔から避けられなかったな。
こうしてルイザさんの指導の元、ボク達は新たな作業に取り掛かったのである。
とりあえず、今後の展開を話し合うべく、トーラスさんの食堂に移動する。
いつもの調子で注文をしようとしたところで、アリューシャは思いとどまった。
ここでいつものように食べては、元も子も無いのだ。
「あ、あうぅ……」
「とりあえずフルーツジュースを貰えるかしら。人数分」
「はい、少々お待ちください」
注文を取ってトーラスさんが厨房に戻っていく。
彼の作る果物のジュースは、ただ搾っただけでなく、果汁の濃度やミルクなども混ぜ合わせ、繊細に調合されたものなのだ。
飲み物が届くまでに、ルイザさんが話を続けていく。
「まずは食事から改善しましょう。私が見るに、アリューシャちゃんは油分を取りすぎよね」
「う、うん。なんとなく自覚はあるの」
彼女の好物はフライセットとヨモギの葉から作った緑茶である。
この食堂でもそれをよく注文するのだが、揚げ物は確かに油が多い。もちろん、トーラスさんの店で使う油はあっさりしたものを利用して、胃にもたれないように工夫されているのだが。
「そこで野菜と脂の少ないお肉をメインに取るようにしましょう。それにプラスして、体調を整える効果の薬草も――そうね、マンドラゴラって知ってるかしら?」
ルイザさんは顎に指を添えながら、そう尋ねてきた。
マンドラゴラ。様々な薬効を持つとされる魔草の一種だ。
その根は万病に効くとも言われ、引き抜く時に大きな悲鳴を上げる。その声を聴くと命を落とすとも伝えられる幻想植物。
もちろんこの世界にしか存在しないし、アンブロシアほどの薬効もない。
「ええ、もちろん。噂だけですが」
「それなら話は早いわね。あの薬草は身体の調子を整える効果があるの。それは体の中の不純物、つまりは脂肪を流す効果もあるのよね」
「なんですと!?」
まさかマンドラゴラにダイエット効果まであるとは知らなかった。
つまり、アリューシャのためにそれを調達してあげればいいのだ。薬草探し……実に冒険者らしい。
「アムリタほど高価な魔草じゃないけどね。でもこれも北の方の森にしか生えてないのよ」
「ほほぅ?」
北と言う事は、また北のコーウェル王国に行く必要があるのか?
あっち方面なら、またガイエルさんのお世話になるかも知れない。いや、キーヤンで大丈夫か?
こうしてボク達は、再びコーウェル遠征の機会を得たのだった。