第二百二十六話 遠征の終わり
腰の抜けたトムだったが、ボクと言う女性を前にして少しはプライドが復活したのか、剣を杖にして意地を張って立ち上がる事ができていた。
股間を濡らし、膝ががくがくと笑っているけど、ここは見て見ぬ振りをしてやるのが、指導者としての優しさだろう。
「よしよし、ちゃんと自分で歩けるみたいだね?」
「さすがに先生みたいな女性に担がれるのは、貴族としてのプライドが――」
「プライドがあるなら、迷惑かけないように心掛けてほしかったね」
「うぐっ、それは……その、すみません」
自分が悪い事をしたことは自覚があるのか、ここは素直に謝ってくる。
彼の性格は基本的に素直でお調子者なので、悪戯心はあっても悪意があった訳ではあるまい。
子供特有の虚栄心が暴走した事として、ここは収めておくべきだろう。
「ま、帰ったらしっかり説教と反省文が待ってると思ってね」
「はい……すみませんでした」
「それじゃ、上に向かう階段はこっちだから」
「それより……ここはどこなんですか?」
やはり彼はここがどこか、把握していなかったようだ。
一応組合発行のマップは生徒たちに配ったけど、それは上層までの初心者向けの物だ。
この階層まで網羅した物は渡していない。
そもそも、ここを回った事があるのはレグルさんだけなので、彼の知識をもとに編纂された穴の多いモノだ。
彼を早期に発見できたのは僥倖だったと言うべきだろう。
「ここは最下層だね。君がいたのはマップから少し外れた所かな」
「最下層!?」
「よく生きていてくれたものだよ。あ、ちょっと待ってね?」
彼を確保した事を、上層で捜索しているセンリさんやアリューシャに伝えなければならない。
それにここまで十数分。ひょっとしたら組合に依頼を出しに行ったレグルさんを止める事も出来るかもしれない。
「もしもし、アリューシャ? あ、トムを確保したよ。最下層で」
『ホント!?』
通信機から聞こえてくるアリューシャの声も、嬉しそうに弾んでいた。
彼女としても、騎士科とは言え同学年の生徒が行方不明なのは心配していたのだろう。
「うん、そういう訳でセンリさんに連絡して、後はレグルさんを止めてきてくれる?」
『はぁい!』
あいにくとボクが持つ通信機はアリューシャとしか繋がっていない。
アリューシャは複数の通信機を持ち、全体を管制する役割を追ってもらっている。つまり彼女はセンリさんとも通信ができるのだ。
「よし、連絡完了。それじゃ行くよ」
「は、はい」
笑う膝を抑え込みながら、トムはボクについて来た。
弱音を吐かない所は偉いと褒めてあげよう。
この階層にいるモンスターはサイクロプスだけじゃない。
仮にも最下層、他にもそこらの冒険者では太刀打ちできないレベルのモンスターはいるのだ。
例えば、岩のような外皮と強力なブレスを吐く羽根のない竜種、アースドレイクとかもここには居るのだ。
これは地上にいるドレイクとは違い、炎で地面を溶かしながら地下に住む亜種だ。
「つまり、ボク達も油断をしたら、そういうモンスターと遭遇する危険があるんだ」
「先生、今まさに目の前にいます……」
「うん、ボク達の運は悪い方みたいだね」
今ボクの目の前には、アースドレイクが立ち塞がっていた。
地上で出会った場合なら何の問題もない相手なのだが、通路一杯に立ちふさがるアースドレイク相手では、自慢の機動力を活かす事ができない。
しかも背後にはトムを背負って戦わねばならないのだ。
「仕方ないな。トムはとりあえずそっちの陰に隠れていて」
「え、まさか戦うつもり!?」
「覚えておくといいよ。ああいうモンスターは大抵腹側の皮膚が薄いの」
例に漏れず、アースドレイクの腹は薄い。
ノンビリ解説するボクに、アースドレイクはブレスを吹きかけるべく、喉を膨らませる。
そのブレスが吐かれる前に、一息に顎の下まで踏み込んで、一気に剣を突き上げた。
「そして顎の周囲は骨で固められている場合が多いけど、顎の中央は骨が無い構造が多いんだ」
突き上げた剣は顎の骨の隙間を貫き、頭部を上下に貫き、脳を抉る。
脳を破壊されたアースドレイクはビクリと身体を震わせ、そのままボクの上に崩れ落ちた。
そこでボクは気付いたのだが、魔剣『紫焔』の効果をトムに知られる訳には行かない。
幸い先程はオートキャストが発動しなかったが、その機能はこの世界では類を見ない物である。
知られてはならないので、今の内に武器を交換しておこう。ちょうど今はドレイクの身体が視線を遮ってくれている。
こっそり紫焔を攻撃速度重視のストームブレイドに変更しておく。
少々厳ついが、紫焔は独特の形状をしているので、他の剣では一目瞭然なのだ。
崩れ落ちたアースドラゴンの下から這い出し、ボクはトムに向かって胸を張って見せた。
「ふぅ、このように倒すのだ」
「倒せねぇよ!?」
せっかくボクが倒し方を実演してやったのに、トムは絶叫しながら否定する。
「なんだ今の踏み込み、残像とか残ってたぞ! それに腹とは言えアースドレイクの皮を一太刀とかあり得ねぇから!」
「む、鍛えればワンチャン――」
「無理だから!」
腹側の皮膚は柔らかいけど柔軟で強靭でもある。
ゴムのように伸縮するので、一般人には貫くのは確かに厳しいかもしれない。
突撃を誘い、歩兵槍で待ちかまえれば行けるかもしれない。
「まぁ、多少準備をする必要はあるだろうけど、倒せない相手じゃないよ」
「そりゃ……準備があれば、だけど……」
「常に諦めず、攻略法を探し続けるの。それが一流の冒険者の資格なんだよ」
「難しいです」
少しばかり項垂れて、トムはそう呟いた。
先ほどのサイクロプス戦で、彼は絶望し打開策を模索する事を諦めてしまったのだ。
「まだ君は騎士にも冒険者にもなってないヒヨコだよ。失敗はしても当然。そこから如何に這い上がっていくかが男の真価だよ」
出会った時のアーヴィンさんだって、腕利きではあったけれど、一流には一歩も二歩も届いていない若造だった。
カロンに到っては、平均的新人以下の存在だった。
今ではそれぞれが、その道で名を馳せている。
「まずはみんなに迷惑かけた事を謝って、それから勉強しなおしたらいいだけだよ。失敗を経験するための遠征でもあるんだから」
「…………はい」
「それに前に出て戦うだけが道でもないしね」
トムの背中を叩きながら、落ち込んだ彼を励ます。
面倒を起こしたけど、彼もまた特薦組に編入される程度には優れた生徒だ。
ここで折れてしまうのは、いささか惜しい存在なのだ。教師としても、立ち直ってもらわないと困る。
「ほら、みんな待ってるから上に行くよ」
「はい」
「ッと、その前に……」
ボクは目の前のアースドレイクの素材を剥ぎ取りにかかったのだ。
こんなモンスターでも、結構なお金になるのだ。
ついでに食用に適した肉の部位をいくつか、こっそりとインベントリーに放り込んでおいた。
帰ったらパーティでドラゴンステーキでも振る舞ってあげよう。
地上に戻ると、アリューシャとセンリさんが一足先に戻っていた。
もう少し立てば、レグルさんも戻ってくるらしい。
「ごめんなさい、みんなに迷惑かけました」
「すみませんでした!」
「トム君……の、バカァァァァ!」
「ぶはぁぁぁ!?」
脱走組の面々が、アリューシャ達と顔を合わせた直後に謝罪の言葉を口にした。
そんな彼等に――いや、トムに向かって、アリューシャは叫びながら駆け寄っていき……顔面に渾身の右ストレートを容赦なく叩き込んだ。
よかったな、トム。アリューシャが後衛じゃなかったら死んでたぞ。
「みんながどれだけ心配したと思ってるの!」
「まぁ、心配してるのはせいぜいボク達とカルバート君くらいだけどね」
他の生徒達は、彼等が抜けだした事すら知らない。
それに手ぶらで帰った訳じゃないのだ。
「まぁ、アリューシャもそんなに怒らないで。彼も反省してるし、叱るのはボク達の仕事だよ」
「でも、ユミルお姉ちゃん……」
「それにほら、ここにお土産のアースドレイクのお肉が――」
「わぁい、やったぁ!」
ウチの食欲魔神は、目の前に突き出されたアースドレイクの肉塊にあっさりと懐柔された。
そして食材を見てセンリさんも目を輝かせる。
「それならオススメの調理セットを開発したのよ! コイツを使えば、どんな肉も一撃必殺――」
「食材を一撃必殺してどうするんですか!?」
彼女の料理観念は今もどこかズレたままだった。
こうしてトム達を連れ戻して、僕達は帰途へ着いたのだった。
翌朝、最終日を終えてボク達はキルマルへ戻る日がやって来た。
ボク達だけでは自力で戻る事ができないので、ガイエルさんに迎えに来てもらう事になっているのだ。
朝一番に不意に庭に現れたガイエルさんを出迎え、偽装用の魔法陣を描いておく。
生徒達を庭に集め、送迎を担当したガイエルさんに、生徒達一同を集め礼を述べさせるのも忘れない。
いついかなる時も感謝の念は忘れずに、だ。
「それじゃ、一礼」
「ありがとうございます!」
生徒四十名がずらりと並んで、ガイエルさんに一礼する。
面と向かってお礼を言われた経験のない彼は、少しばかり照れくさそうに頬を掻いていた。
「なに、気にする事は無い。それよりさっさと帰るぞ」
「あ、ガイエルさん。これ、タルハンの最下層土産です」
「なんだ、これは?」
「アースドレイクのお肉」
「我にこれを食えと?」
そういえば彼は人型でいる事が多いので忘れてたけど、本性はドラゴンだったっけ。
これ食べたら同族食いになるのだろうか?
「あー、さすがに無神経でした。取り下げます」
「いや、遠慮するな。少々後味が悪い気がする程度で、別に禁忌でも何でもない」
「あ、そうなんです?」
「お前達で例えると、虫を食うような物か?」
確かに虫を食べるのは多少抵抗がある。だが食べる地域の人は抵抗なく食べる。
ドラゴンである彼も、抵抗する敵は倒すし、倒した敵は食べる事もある。
そういう点では、少々引っかかる点がある程度で、あまり抵抗はないのかもしれない。
「なによりユミルからの初めてのプレゼントだぞ。大事に取っておくに決まっておる」
「いや、食べてください。生モノですから」
生肉をいつまで保存するつもりだ。
「それでは転送するぞ。魔法陣の上に集まれ」
彼の指示で前もって決めていた通りの順番で生徒達が配置に付いて行く。
それを確認して、ガイエルさんがテンポよく生徒を送り出していった。
送り出される直前、彼に手を振っていた生徒達を見て、まんざらでもなさそうな表情だった。
剣士を養殖すると言う邪念に塗れた彼の思惑から発生した高等学園だが、自分に懐く生徒達を見て、彼も少しだけ愛着が湧いたかもしれない。
まだ遠征は二度残されている。その間に少しでも、ボク以外の人間に興味を持ってくれると、ありがたいものだ。
ボクと付き合いを続けるのなら、彼も人と付き合い続ける事になるのだから。
これで一旦章の終了になります。
次は来週20日火曜からポンコツ魔神の連載に移りますね。