第二百二十五話 モンスターの受難
上層を抜け、中層も一気に駆け抜ける。
無論、ここは迷宮なのだから、途中でモンスターと遭遇することも、しばしばあった。
だがそのすべてをボクは蹴散らして走り抜ける。
ゴブリンを踏み潰し、オーガを蹴り飛ばし、トロールを跳ね飛ばす。
ここはユミル村の迷宮に比べると、その難易度は大きく落ちるし、最下層の底も浅い。
十六層で行き止まりだなんて、浅いにも程がある。ユミル村はすでに六十層まで攻略されて、まだ底が見えないんだぞ。
トラキチの言によれば、現在は八十層近くまで伸びていて、しかも今なお成長途上だそうだ。
ユミル村の迷宮が、他を圧して巨大なのは、原因は主にボク達にある。
元々二つのコアが重なり合って一つの迷宮を作り出すと言う、特異な環境下にボク達のような強大な意思力を持つ『キャラクター』が連日押し掛けているのだから、溜まるポイントも半端な量じゃないらしい。
通常なら二つのコアが重なっても、そこを満たす意思量が足りず、それ程成長する事は無い。
だが、ボクと言うキャラ愛に溢れまくった人間を呼び込んでしまった事で、また、アリューシャと言う成長上限を取り払えるチート女神を召喚してしまった事で、取り込める意思力がオーバーフローしている状態なのだそうだ。
トラキチはその成長を緩和するべく、迷宮各所に休憩所を設けたり、ヒルさんの要望を叶えたり、コアを擬人化したりとポイントの無駄遣いに励んでいる有様なのだ。
決して、彼がロリ趣味だから、コアを幼女に変化させたわけではない――と、彼は強弁していた。
まぁ、誰も信じてないけど。
ともあれ、ここはそういった特殊な事情が無い、普通の迷宮である。
連日、限界を突破した領域で戦い続けているボクを止めうる敵は、存在しない。
目の前には十一層のボス部屋があり、やはりその扉は施錠されている。
このタルハンの迷宮の特色として、罠や施錠された鍵が非常に多く出る事が挙げられた。
これはここが実戦的と呼ばれ、多くの冒険者を呼び寄せる一因にもなっている。
ここは冒険者として、基礎を積むには非常に都合がいい迷宮なのだ。
罠を調べ、解除し、戦闘できる。
実に『冒険的』な迷宮として知られているのだ。
そんな訳でボクは万能開錠スキル【スマッシュ】をブッ放して、再びダイナミックに突入した。
部屋の中はそれまでのボス部屋と同じく、十数メートルもある広さの部屋。
その中央には棺桶が一つ置かれていて、ボクが突入したと同時にそのふたが開き始めていた。
ずるり、ガタンと音を立てて蓋が外れ、中から赤い液体に塗れた、人間の腕がふらりと立ちあがる。
まるで海草のように左右に揺れ、やがて棺桶の縁に手をかけて、中から一人の男が身を起こしてきた。
「来訪者……か。この階層を訪れる客も久方ぶ――ぎゅる!?」
「遅い!」
この急いでいる状況下で、暢気に口上を垂れ流すんじゃない。
苛立ったボクは怒りに任せて棺桶に駆け寄り、全力で棺桶を蹴り飛ばした。
蹴りを受けた棺桶は、音の速さでスッ飛んでいき、壁に激突して粉々に砕け散った。
壁には赤い花だけが残され、その横で切なそうに次の階層への扉が開いて行ったのである。
組合の配布するマップには、この階層のボスはエルダーヴァンパイアと記されていた。
太陽のない迷宮内に置いて、日光と言うデメリットを受けず、強力な魔術と回避能力、そして桁外れな回復能力を持つ強敵……のはずだった。
エルダーヴァンパイアよ、ボクの機嫌が悪かったのが不運だったな。
下層に入って、さすがに蹴散らすには厳しい相手が出るようになってきた。
トロールの上位種やオーガとトロールの混血種なんて物が出て来るようになっては、さすがに足を止めずに駆け抜けるという訳には行かない。
一瞬だけ足を止め、両足で滑るように擦れ違いながら、剣撃をお見舞いしていく。
ボクが擦れ違った後で、遅ればせながらオートキャストが発動して隕石が落ちてきたりするが、背後を確認する余裕はない。
だがボクの魔法攻撃を受けて、平気でいられるはずがないので、死亡しているはずである。
タルハンは初心者向けとは言え、下層に入るとそれなりの技量を要求される。
むしろ罠の質が豊富な分、他所の迷宮より難易度は急激に高くなるとも言えた。
いくらボクとは言え、罠を解除するのは時間が掛かる。
目の前に落とし穴があれば底が抜ける前に飛び越え、爆破トラップがあれば爆風をそよ風のように受け止める。転移トラップだけは避けようがないので、マップを確認して回避していた。
罠の解除は本当に面倒である。
勢いを落としたとはいえ、最下層ほど危険度が高い訳でもない。
本来なら上層からトムを探した方が堅実なのだろうが、死亡率の高さから考えると、最下層から上がっていった方が彼の生存率は高いだろう。
彼は無力な一般市民ではなく、冒険者としての訓練を積んでいるのだ。上層ならば単独でも生き延びるくらいはできると思う。
ただ最下層となると話は違う。彼の実力では、出会っただけで死亡確定なバケモノが、ウヨウヨしているのだ。
そして、最下層に近いほど、迷宮は狭くなる。
シラミ潰しに迷宮を捜索するなら、狭い場所から探していった方がいいだろう。
ボクの健脚をもってすれば、最下層まで到達する時間は十数分で済む。
ようやく到達した最下層は、天然洞窟でできた迷宮だった。
岩塊がそこかしこに転がり、死角が多い。
「トム、いる!? 居たら返事して! 居なくても返事しろ!」
ボクは絶叫しながら、迷宮を駆け抜けていく。
そうして数分も経たないうちに、岩が砕かれる破砕音を聞きつけたのだ。
そしてさらに響く、重低音な叫び声。モンスターの物だろう。
迷宮内ではモンスター同士が争う事も珍しくない。とは言え、だからと言って見過ごすのも今のボクとしては有り得ない。
今は少しでも情報が欲しいのだ。
聞こえてきた衝撃音を頼りに、洞窟を駆け抜けると、そこには巨大な角の生えた巨人の姿があった。
棍棒を振り上げ、今にも振り下ろさんとする先には、腰を抜かした鎧姿の少年。トムだ。
「見ぃつけたあああぁぁぁぁぁ!」
ボクは一声叫んで、振り上げた棍棒へ向かって突撃した。
まずは彼の安全を確保せねばならないからだ。
振り下ろされる棍棒にタイミングを合わせて飛び蹴りをくらわす。
成人男性の身長にも匹敵する巨大な棍棒が、ボクの飛び蹴りによって跳ね返された。
ボクはその反動を殺さず、方向を転換してトムの前に着地する。
腰を抜かしたトムは、顔面が涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっており、股間に水溜まりまで作っている。
表情は絶望に染まり、半笑いのような表情で死を覚悟していた。
正直、酷い状態ではあったが、怪我はないようなので、まずは一安心だ。
「トム、やっと見つけた……ダメでしょう、勝手に迷宮に入っちゃ!」
彼に振り向いてボクは説教を開始する。
教育者として、ダメなものはダメと、その場ではっきりと教えてあげねばならないからだ。
だが、トムはボクの行動に不満だったようで――
「バカ、それどころじゃねえだろう! 後ろ、後ろぉ!?」
トムが何を恐れ、危惧しているかはもちろん把握している。
彼の方へ振り向いた事で一角の巨人――サイクロプスへボクが背中を見せる事になったからだ。
無論、闖入者であるボクをサイクロプスが放置するはずもなく、いきなり背後を見せたボクに向けて、容赦なく棍棒を振り下ろしてくる。
空間ごと破砕せんとばかりに、轟音を立てて振り下ろされるそれを、ボクは明確に知覚していた。
彼のような害意のない存在ならばともかく、目前にいるモンスターの敵意を感じ取れないほど、ボクの感知能力は低くないのだ。
挨拶をするかのように軽く手を上げると、そこへ向かって棍棒が落ちてくる。
その棍棒を事も無げに受け止めると、ボクの足元の地面がズドンと陥没し、足首まで地面に埋まった。
サイクロプスの攻撃力がそのまま地面に伝わった証拠だ。
いや、ボクの関節各部で威力を減衰させて、なお余りある破壊力が地面に伝わった結果、である。
「ヒィ!?」
そのサイクロプスの殺気に、トムが思わず悲鳴を漏らす。
だが彼は全身の筋肉が引き攣っているのか、上げる声も掠れ声程度の物だった。
悲鳴すら上げられないのは、サイクロプスの特殊能力である、威圧効果を受けているからだろうか。
特殊能力を受けていないボクに、サイクロプスは苛立った雄叫びを上げる。
「グルオオオォォォォォォォ!」
「申し訳ないけど、今教育的指導中なんで、後にしてもらえませんかね?」
「そ、そんな暢気な事言ってる場合か!」
あくまで暢気な態度を崩さないボクに、トムは取り乱して絶叫する。
目の前に展開される非常識な光景に強い衝撃を受け、威圧効果が解除されたのだろう。
普通はボクのようにか弱い少女が、サイクロプスのような巨人の一撃を片手で受け止めるなど、ありえないからだ。
だがボクはあり得ないを体現した存在である。
この程度で驚いているようでは、まだまだ未熟な証拠だ。現にレグルさんやアーヴィンさんは、もう慣れている。
「仕方ないな。トム、ちょっと片付けて来るからそこで待ってなさい」
「片付ける? あれを片付けるだって!? 無茶もいい所だろ!」
「ドラゴンすら討伐できるボクが、サイクロプス程度に後れを取るとでも?」
どうやらトムはボクをかなり甘く見ているようだ。ボクの非常識な耐久力はエルドレットとの対戦で魔術師科の連中はよく知っているが、騎士科の人間にはあまり見せていないかも知れない。
ここはきちんと、彼に理解させておく必要があるだろう。
「ガァアアアアァァァァ!」
再度雄叫びを上げるサイクロプス。これはボクに威圧の状態異常を掛けようとしての事だ。
だが、高い精神抵抗力を持つボクに、そんな物は効くはずもない。
続け様に振るわれる棍棒。これは今度は大剣を振るって弾き返す。
再び足が地面にめり込むが、棍棒は大きく弾かれ、逆にサイクロプスは大きく仰け反る羽目になった。明らかにボクの方がパワーが上な証拠である。
「それじゃ、トム。ちょっとアレな状況だけど課外授業だ。ボクの本気を見せてあげよう」
そう言って【オーラブレイド】と【コンセントレイト】を起動させ、tの魔刻石を使用する。
tの魔刻石で与えられる効果、【パワーアーム】は、ボクの筋力を大幅に上昇させるので、基礎攻撃力が上がるのだ。
センリさんのマギクラフト・オンラインの騎士も同じ名前のスキルがあるので、実に紛らわしい。
その間、体勢を立て直したサイクロプスが再び攻撃を仕掛けてくる。
この階層、いや、この迷宮においても最高位に位置するモンスターであるサイクロプスは、自分より強い敵という物に出会った事が無い。
目の前にいる少女が、自分を遥かに超える破壊力を秘めているとは、到底思えなかったのだろう。
薙ぎ払うように棍棒を振るうが、これは簡単に左手で受け止める。
そのまま上方に弾き返し、再び仰け反る様に体勢を崩した。
その隙に懐に潜り込み、膝に向かってローキックを叩き込んだ。サイクロプスはその一撃を受け、宙を一回転して地面に倒れ込む。
無様に転がったサイクロプスに向け、ボクはトドメの一撃を放った。
「魔刻石、k起動。【ヴォーパルストライク】!」
kの魔刻石によって、ボクの攻撃力は爆発的に強化される。
武器破壊の効果すら伴って荒れ狂う威力を強引に抑え込み、サイクロプスに向けて振り下ろした。
本来ならこの攻撃で紫焔が壊れてしまうのだが、紫焔には破壊防止の付加効果が付いているので、この魔刻石を使用しても壊れない。これがボクが紫焔を好んで使う理由の一つである。
凄まじい轟音と、破壊の嵐が最下層全体を揺らす。
それだけの破壊力を受けては、サイクロプスとて耐えきれるはずもない。
「グ、ギャアアアァァァァァァァァァ!」
断末魔の叫びは巨大なクレーターを作る破壊の嵐にかき消され、ほとんどボクの耳には届かなかった。
本来壊れないはずの迷宮が、無残な有様に変化する。
そんな有り得ない光景を目にして、トムは再び腰を抜かしていた。
「ま、こんなモンでしょ。トム、ここは危ないから、地上に戻るよ?」
「い、今更、それかよ……いや、それですか?」
この迷宮に置いて最強レベルのモンスターを一方的に蹂躙しておきながら、散歩から帰ろうと言うレベルの気安さで話しかけるボクに、なかば喘ぎながらトムはそう返事をしたのだった。
次でこの章はいったん終了いたします。
その次はストック作りも兼ねて、20日からポンコツ魔神の連載に入る予定です。