第二百二十三話 全力疾走
もし、今回の遠征で変な自信を付けたために、生徒達だけで迷宮に潜ったのだとすれば、それは非常に危険な事になる。
彼等はまだまだヒヨコに過ぎず、三日程度の経験でダンジョンに潜るには早すぎるとしか言いようがない。
特にトムは周囲を見る能力に欠け、力に頼り過ぎる傾向がある。
目の前の敵に没頭し、不意打ちや増援を見逃した事も多い。
これがいつものボクだったら、彼等を愚かな暴走と切って捨てて見捨てていた事だろう。
だが今のボクは教員である。
自分から危ない場所に足を踏み入れた生徒でも、守らねばならない。
「まったく、あの子達は!」
「ユミルお姉ちゃん、トムはやっぱり迷宮に?」
「うん、多分」
インベントリーから装備を着用しながら迷宮へ駆けるボクについて来れたのは、敏捷度の高いアリューシャだけだ。
後ろにはセンリさんやレグルさんも付いて来ているのが見えたが、それを待っている暇も惜しい。
彼らが姿を消したのは一時間前。
装備の着用におよそ二十分。生徒でもそれくらいで済ませるように、訓練されているのだ。
そしてボクの屋敷から迷宮まで十分もあれば辿り着ける。
時間にして三十分の遅れ。たった三十分と思うかもしれないが、人が死ぬには充分な時間だ。
「クソ、間に合え……」
毒付きながらも、剣と防具を装備してから速度を上げていく。
この辺りからアリューシャもついて来れなくなってくる。時間にしてほんの一分にも満たない。それだけの時間で屋敷と迷宮の間を駆け抜け、そこで見張りを行っている兵士にボクは詰め寄った。
「ここに高等学園の生徒は来なかった!?」
「は? え……」
迷宮内部にはモンスターが多数生息している。
それが迷宮から這い出してきたという報告はほとんど存在しないが、それでも皆無ではない。
なので、彼等はそういったモンスターの脱走を許さないために、見張りについている。
唐突に駆け寄ってきたボクに、不信感を隠せない見張り。それもそのはずで、ボクの格好はミニのメイド服に大剣と胸甲と言う姿だったからだ。
いつもの騎士装束ならすぐにボクだと気付いただろうけど、この格好では仕方ない所である。
「あ、ユミルさんでしたか。ええ、四人ほどさっき入っていきましたよ。学園の実習じゃなかったんですか?」
「勝手に抜けだしたんです! どれくらい経ちました?」
「三十分くらいですかね?」
そこへアリューシャ達も追い付いてきた。
そう簡単にやられるような温い教育はしていないつもりだが、それでも迷宮と言う過酷な環境においては不安が残る。
「ハァ、ハァ……やっと追いついたぜ。ユミル、生徒が勝手に迷宮に入ったってのは本当か?」
「ええ、先ほどこの見張りの人に確認を取りました。三十分前です」
「ならまだ余裕があるかもな」
抜け出した生徒の中にはレグルさんが担当した生徒もいる。その実力は彼も知る所だ。
「まったく、見つけたらこっぴどく叱ってやるから!」
「程々にしとけよ? ユミルの折檻って常識から外れてるからな」
「そこまで非常識じゃありませんよ」
「アーヴィンが世界樹に逆さ吊りにされたって聞いたぞ?」
「……そう言う事もあったかもしれません」
ボクは過去は振り返らない主義だ。そう言う事にしておこう。
とにかく、大分時間差は詰めているので、後は追いつくだけである。
「とにかく中に入りましょう。センリさんは装備は?」
「あるわよ。一般人と違うってのはこういう時便利ね」
インベントリーに装備を仕舞えるボク達はいつでも完全武装できる。とは言え鎧を着こむ暇すら惜しいので、今は雑な胸甲しかつけていない。
だがボク達は生命力が非常に高いので、鎧は多少無視できる。
「じゃあ、レグルさんはこれを」
ボクはスパイクの付いた斧槍をレグルさんに渡す。
装備せずに駆けだしたのは彼も同じで、もちろん武装はしていない。このままでは彼は迷宮に入れないので、武器だけでも渡しておこうと思ったのだ。
渡した武器は彼の得意分野である長柄武器と同じなので、使いこなす事ができるだろう。
「おう、いいのか? お前の武器は特別製で人に貸せないって言ってたろ?」
「今はそれどころじゃないんで。それじゃ、中に――」
そこで迷宮の奥から悲鳴が響いて来た。
入り口からそう遠くない場所だ。
「行きます!」
「おう!」
レグルさんとボクは入り口に飛び込み、階段を駆け下りていく。
暗い迷宮の中に入ると、通路の向こうから生徒が三人、こちらに向かって駆けよってくる。
その姿を見て、レグルさんとセンリさんが声を上げる。
「ダントン!」
「キーリ、無事!?」
「れ、レグル教官!」
「センリ先生! 大変なんです、トムが……」
「ユミル先生、トムが消えて――」
息せき切って駆けよってきた生徒達には、大きな傷はなさそうだった。とりあえずは一安心である。
だがトムの姿が無い。
「落ち着いて。まずは深呼吸……で、トムは?」
「それが……僕達だけで迷宮に潜れるって証明しようって、トムに持ち掛けられて……」
「こっそり抜けだして、迷宮に入ったのはいいですけど、そこの先でトムがいきなり消えちゃったんです」
ナッシュとキーリがお互いを補うように説明を繰り返す。
彼等の話に拠ると、自分の力を認めさせたいトムは、監視状態での迷宮攻略に不満を抱いていたナッシュ、キーリ、ダントンに話を持ち掛け、自分達だけで迷宮に潜ることを提案したそうだ。
晩餐会の機会を利用してこっそり抜けだし、迷宮内部に足を踏み入れたのはいいが、そこでいきなりトムの姿が消え失せてしまったらしい。
このタルハンの迷宮はすでに攻略が行き渡っており、上層ではほとんど穴がないほどに調べ尽くされている。
その罠の配置もマップも、冒険者組合に行けば手に入る。今回の遠征でも、生徒各人に配ってあるくらいだ。
だが、トムはそのマップには載っていない罠に掛かってしまったみたいである。
「それはどこだ? 案内しろ」
もちろん、この迷宮の管理者であるレグルさんが、自身も知らない罠があると聞いて、黙っていられる訳がない。
すぐさま三人に案内させ、トムの消失現場へと駆け付ける事になった。
「ここか?」
「はい」
即座に斥候の心得のあるレグルさんが周囲を調べ出す。
するとほどなく、足元にある黒ずんだ魔法陣を発見する事になった。
「転移魔法陣――ですかね?」
「設置型のトラップだな。おそらく最近新しく生まれたんだろう」
ここの迷宮のコアはレグルさんが持っている。
彼がこのタルハンにいる限り、コアの力は迷宮に届く。それは迷宮が今も成長を続けていると言う事でもある。
「じゃあ、ここから飛べば、トムの場所に……」
「ダメみたい。再起動の術式が書いてないもん」
即座にアリューシャが術式を解明、どうやら使い捨ての罠だったらしい。
「じゃあ、どこに飛んだか判らない?」
「この迷宮内である事は確かなんだけど……」
「なんてこった……下手に最下層に飛んじまったら……」
「彼の実力じゃ、ちょっと無理ですね」
トムは力自慢であるがゆえに、技の面で不安がある。
そしてモンスターというのは総じて人間より膂力があるのだ。そういう敵に対して、トムの相性は最悪と言っていい。
「下層では彼は生き延びれない……ならこちらから迎えに行かないと」
「でもどこに飛ばされたか判らないんでしょ?」
「だから虱潰しに探すしかありません。それができるのはボクと、アリューシャ、それにセンリさんくらいでしょう」
「足で探せっての? 面倒な事になったわね」
現在知られているタルハンの迷宮は十六層ある。
ユミル村のそれに比べたらかなり浅いが、それでもそこから生み出される資材や素材は侮れない物がある。
そしてその面積も、かなりのモノがあるのだ。
「ボクは一気に最下層に向かい、そこから上に上がってきます。センリさんは十層から上、アリューシャは五層から上を捜索して」
「おい、俺は? ここは俺の迷宮だぞ?」
「レグルさんは万が一が有ってはいけないので、お留守番です。まずは組合に連絡して、冒険者たちに捜索願を出してください。発見報酬は一万……いえ、五万ギルで」
「五万……結構高額だな。いいのか?」
「生徒の命には代えられません。今は少しでも人手が欲しい」
一般家庭の一、二ヵ月分に匹敵する額だが、この際しかたない。ボクのポケットマネーでもどうにか処理できる額だし、ここは出し惜しみする場面ではないだろう。
「それにレグルさんにしかできない事もあります。手隙の騎士もできれば動員してください」
「ああ、それは俺にしかできないか」
領主でもあるレグルさんなら、騎士団も動員できる。
夜番の騎士や兵士以外に手の空いている者も多いはず。彼等を動かす事ができれば、上層の探索くらいはできるだろう。
「とにかく、時間が惜しい。ボクは先に最下層へ向かいます。連絡は――」
通話用の魔導具はボクとセンリさん、アリューシャの間にしか存在しない。
「三十分後にアリューシャに連絡を入れます。アリューシャはその時間には入り口に戻ってて」
「え、それじゃわたしがあんまり捜索できないよ?」
「アリューシャの担当は上層だから、すぐに終了すると思う。それに冒険者や騎士達も来るし、上層ならトムだって生き延びれるかもしれない」
「でも――」
「連絡が無ければ、ボクもセンリさんも延々と下の方を探す事になるんだ。お願い」
「……もう、貸し一つだからね!」
簡単に打ち合わせだけして、ボクは下層に向けて駆け出したのである。
ボクは迷宮内を爆走していた。
下層を目指すと言う点ではアリューシャやセンリさんと同じだが、彼女達とボクでは足の速さが全く違う。
アリューシャもかなり早いが、ボクには遠く及ばない。
いつもなら歩調を合わせる所だが、今回ばかりはそうも行かなかった。
これは今までの戦いとは質が違う。今まで、単独では倒せないような敵を倒したり、災厄級のモンスターやドラゴンとも続け様に戦ってきた。
たった七年でベヒモスやドラゴンを倒した冒険者は、この世界でも類を見ない。
だがそれは時間制限のない、ボクが死ななければ問題のない戦いだった。
しかし今回のこの戦闘は時間が敵だ。
時間を掛ければかけるほど、トムの生存は危うくなる。
特に下層に飛ばされていた場合、その危険度は桁違いに上昇する。
「ギャキィ!」
「ヴォフッ? ガルル」
目の前にコボルドとゴブリンの混成部隊が立ち塞がった。数は全部で七匹。コボルド五体にゴブリンが二体。
いつもならゆっくり相手してやるところだが、今のボクにはそんな余裕はない。
背中に背負った鞘から両手剣――魔剣『紫焔』を引き抜き、無造作に振り抜いた。
「どけぇ!」
雄叫びを上げて紫焔を一閃。
直後にオートキャストで【フリーズミスト】が発生して、コボルドが根こそぎ氷結し、砕け散った。
ゴブリンが二匹その災禍から逃げ延びていたけど、これは無視する。
今回の目的は殲滅ではなく救出だ。それを忘れてはいけない。
ボクはそのまま足を止めず、生き残りの脇をすり抜け迷宮の奥へと走り去る。
取り残されたゴブリン二匹は、暴風のような災害から辛くも生き延びた事に目をぱちくりさせ、お互いを見合わせた後にそそくさとその場を逃げ去っていったのだった。
通路の先には扉があった。
ここはなぜか冒険者たちが何度開錠しても、次訪れた時は鍵がかかっており、その先には第一層のボス的モンスターが待機している部屋があった。
もちろん今回も扉は閉まっており、鍵がかかっている。
そこでボクは万能の開錠呪文を唱える事にした。
「【スマッシュ】」
剣士系の基礎攻撃スキルで強打するだけの技だが、紫焔の攻撃力とボクの筋力が合わされば、扉を砕くくらい訳が無い。
ぶち抜いた扉の先には、かつてないほどダイナミックな入場を果たしたボクを、呆然と見つめるコボルドロードの姿があった。
「こんばんわ、さようなら! 【マキシブレイク】!」
炎属性を持つ範囲攻撃スキルでコボルドロードとその取巻きごと吹き飛ばす。
火炎を纏った破壊の衝撃波が小部屋を満たし、逃げ場も無くコボルドたちが焼かれ刻まれ、消えていく。
後には討伐の証になるコボルドロードの牙が残されていたが、今回はそれすら無視する。
こうしてボクは、モンスターに災厄を振り撒きながら、下層へと到達したのだった。