第二百二十二話 脱走兵
翌日から始まった迷宮実習は、実にスムーズに進んでいった。
日に二回、ボク達三人にレグルさんを含めた四つのパーティが迷宮に潜り、多少のトラブルは存在したものの順調に実戦を積んでいったのだ。
午後からはまた別のパーティを率いて、似たような経験を積ませる。
こうして八パーティを三日間迷宮に潜らせることで、均等に実戦を経験させることになる。
「アンリ、右へ回れ! そっちにゴブリン共が集まっている! トムは左翼を早く仕留めろ!」
今も最後のパーティを率いているカルバートの指示が迷宮に響いていた。
現在は三日目の午後の部。つまり、遠征最後の迷宮探索である。
それを率いているのは、騎士学科のカルバート。最初の頃は多少戸惑いもあって、不味い指揮もしていたが、今ではかなり手慣れた口調でパーティを導いている。
未来の私設騎士団長殿は、実に有望だ。
「カルバート、右翼の後ろにも援軍が来てるよ?」
「あ、はい! アンリ、一時守勢に回れ。その間にナッシュはトムの援護を。先に左を潰すぞ!」
ボクの警告の声に、即座にモンスターの左翼を潰す判断したカルバート。
今彼等が相手にしているゴブリンは、この迷宮で最も数の多いモンスターでもある。
それだけに一度に対戦する数も多いが、それを統率する知性はほぼ皆無だ。
今も苦戦しているトムと言う生徒を無視して、大半が盾役のアンリと言う生徒に執拗に攻撃を加えている。
増援すらそちらに向かっているのだから、間抜けな限りだ。
後衛のナッシュと言う魔術師に指示を飛ばし、カルバート本人はアンリの援護に向かった。
盾役が沈むとパーティが崩壊しかねないからだ。
「ふむ、悪くない判断だね。ほらモーリス君は【ヒール】をアンリ君へ。彼の生命力がパーティの生命線だよ」
「は、はい!」
治癒術を得意とする生徒は、この三日の実戦でもいまだ緊張していた。
彼の戸惑いは、この世界では前線で戦う事の少ない魔術職なら、仕方ないとも言える。ミッドガルズ・オンラインでは下手なタンクより逞しく前に出る侍祭職はいたけど。
彼も初日なんかは焦って魔法陣を間違ったりして、術の発動すらままならなかった事を考えると、大幅な進歩が見て取れた。
戦況を見る目はやや物足りないが、それでも実戦で足を引っ張るようなことにはなるまい。
「実戦経験、無駄にはならない様でよかった」
「そりゃ、テマやジョッシュを見てたら、俺達だって実戦を経験したいと思いますよ。トム、処理したらアンリの補助を!」
「おう!」
トムが左側の敵を処理し終わったので、すかさずカルバートが指示を飛ばす。
彼は戦士としては程々……いや、ボク達を除けば一流ではあるんだけど……それなりに周囲を見る目を持っている。
どちらかと言うと、今のアーヴィンさんに近いタイプかも知れない。
トムは逆に威勢はよく、力もあるのだが、その力に振り回されている感がある。
アンリ君は言う事ないレベルだ。しっかりと敵を押さえ、後ろに逸らさぬ立ち回りは、一線の冒険者にも匹敵する。
彼等とて最初からそういう立ち回りができた訳ではない。初日などはフォーメーションもろくに組めず、酷い有様だった。
ボクが何度前線に斬り込んだか判らない位だったのだ。
それが、たった三日でこの有様である。
「男子三日会わざれば……ってヤツだねぇ。さすがに頼もしいや」
「え、そうですか? それほどでも……へへ」
ボクに褒められて、カルバートたち男子生徒は実に嬉しそうだ。なんともチョロイものである。
ちなみにボクは彼等よりも若く見えるので、教師陣の中ではそれなりに人気だったりするし、まぁ甘酸っぱい告白なんかも受けた事もある。
もちろん音速で拒否したけど。
「でも戦闘はまだ終わってないよ。残敵処理するまでは油断しない」
「う……はい!」
ゴブリン達はすでに崩壊状態で、動ける者は逃亡に移っている。
今は身動き取れないほど傷ついた敵にとどめを刺し、逃げた相手が戻ってこないように牽制を入れておかねばならない。
魔術師が後ろから追い打ちをかけ、前衛たちがとどめを刺して回る。
その間も油断してはならないのだ。死んだふりをした敵が奇襲を仕掛けてくるなど、実によくある光景だからだ。
「この中に冒険者になる者がどれくらいいるか判らないけど……騎士も冒険者も、生きて帰って、それでようやく勝利と言えるんだからね?」
「それは判っていますけど……」
「君たちはここで何度も実戦を積んできた。最初は勝利して喝采していたけど、今はそれじゃいけない。さらに上を目指すには勝った後も油断しない精神を身に付けないと、不意打ちを食らうよ? こんな風に」
そう言ってボクは【ソニックブーム】のスキルを発動させる。
その斬撃による衝撃波は、トムの背後に迫っていたゴブリンの腕を切り飛ばした。
「う、うわっ!」
「勝ったと思った直後が一番油断しやすいんだ。これは騎士も同じ。みんなはもちろんだけど、特にカルバートはよく覚えておいて」
「……肝に銘じておきます」
将来指揮官になるカルバートには、重要なポイントだ。
こうして戦闘後処理の心得なんかを説きながら、最終日の迷宮遠征は終了したのだった。
屋敷で全員が無事に戻ってきたのを確認すると、遠征の無事を祝うパーティを開く事になっている。
最近メキメキと料理の腕を上げつつあるイゴールさんが腕を振るい、さらにカフェの店長であるランデルさんに出張までお願いして、ご馳走を用意してもらった。
ついでになぜか給仕にボクやアリューシャがミニスカっぽいメイド服を着せられたのは謎である。彼のコスプレ趣味はいまだ健在のようだ。
尚、この衣装を目撃したジョッシュが鼻血噴いて倒れ、アリューシャに白い目で見られていたのは、余談である。彼もまだまだ若い。
屋敷のホールを利用して立食式のパーティを開催する。
料理はテーブルに整然と並べられ、好きなように取り分けて食べる事ができる物が用意されていた。
無論、正式なパーティではないので、それぞれは私服で参加している。ボク達を除いて。
「センリさん、覗くのはやめて」
「え、ユミルだってアリューシャのを覗いてたじゃない」
「ボクはいいんです!」
丈の短いスカート故、ボク達の防御力は限りなく低い。
男子生徒はもちろん、ボクとセンリさんも、その守りを破るべく、激しい攻防を繰り広げていた。
「あ、トレイで防御するなんてズルいわよ」
「センリさんこそ、壁際に回り込むのは卑怯です!」
「ここだと男どもの視線を回避できるもの」
「じゃあ、ボクもそっちに――」
「せっかくランデルさんが『見えてもいいパンツ』を用意してくれたんだから、盛大に見せなさい」
「その発想、どこから来たんですかねぇ!?」
この世界にはもちろんアンダースコートなんて存在はない。
相変わらずランデルさんの発想はこの世界の常識をかっ飛ばしているのだ。
裾の短い給仕服はさすがのアリューシャも苦戦しているようで、何かにつけて背後に回り込もうとする男子生徒を鋭い視線で牽制しながら、パーティを楽しんで(?)いた。
ちなみに背後の男子生徒の人数は、アリューシャトップで、ボクが二番手である。
センリさんはさすがに初見なだけあって、多少は遠慮されているらしい。
数少ない女子生徒も開放感からか、それなりに露出は多いのだが……さすがランデルさん、煽るポイントが一般人とは一線を画していて、視線が集まりまくっていた。
「えと、ボクは別に男子に媚びてこういう格好してる訳じゃないからね?」
「判ってます、ユミル先生って女子が好きだって噂だし……」
「なんだかインモラルな雰囲気がある言い回しだよね、それ」
一応女子生徒にそう言い訳して回ったりもしたけど、その必要はなかった。
ボクが女の子好きな事は知れ渡っていたようだ。
「先生も大変ですね……」
「あー、うん。そもそもなんでランデルさんの申し出を受けてしまったのだろう?」
「そりゃ、急な宅配サービスを申し込んだ代償でしょ?」
女子と話している所へセンリさんが割り込んでくる。
センリさんの言う通り、この最後の日の晩餐会は思い付きで行う事になったので、料理などの準備が間に合わなかったのだ。
そこでランデルさんに急遽助っ人を申し込み、その代償として規定料金の他に、このミニのメイド服を着る事が条件に入れられてしまったのである。
しかも巨乳用、美乳用、貧乳用とそれぞれデザインが違っていたので、見る側としては飽きさせない工夫もしてある。誰が貧かは、あえて言うまい。
男子の評判が良ければ、カフェの制服ローテーションに入れるそうなので、ボクとしてもそれに協力するのは吝かでは無かった。
実際に着るまでは、だ。
「さすがに着てみると……ちょっと視線が痛いね、これ」
「痛いなんて物じゃないよ、ユミルお姉ちゃん!」
クラスメイトの視線の猛威に晒されていたアリューシャが抗議の声を上げた。
彼女の場合、いつも顔を合わせるクラスメイトと言うスパイスが利いていて、ボクよりも注目度は高いのだ。
「アリューシャのいつもの制服も結構短いと思うんだけど、ボクは」
「あれはいいの! マント着用だし」
ちなみにアリューシャは学園の制服のスカートも結構詰めている。
これはクラスメイトに影響を受けてのオシャレらしいのだが、ボクとしては無防備なんじゃないかなぁと思わざるを得ない長さだ。
ちなみにデザインはタータンチェックのプリーツに、ブラウスとリボンタイ。魔術師科はこれにマント着用で、騎士学科はスカートがキュロットに変わる。
ブラウスの胸と右袖には校章が入っているので、高等学園の生徒と一目で判るようになっていた。
「でも下はアンスコないでしょ?」
「見られなければ、どうと言う事は無いのだ!」
「まぁ、見た生徒はボクが折檻しておくけど」
この発言を聞いて、背後の男子生徒は恐怖に震えていた。
アリューシャだけでなく、ボクだってやると言ったらやる性格なのだ。それもまた、学園では周知の事実である。
そんな和やかな雰囲気の晩餐会の中で、ボクは急に違和感を覚えた。
今までは料理と衣装、それに生徒の視線を躱す事で精一杯だったのだが、慣れてきて余裕ができたからだろうか?
ホールの全体を見渡すように視界を広げてみると、少し生徒が少ないような気がしたのだ。
「ん、あれ――」
「どうかしたの?」
「なんだか、生徒が少ないような……?」
ボクの声に応じて、アリューシャもホール全体を見渡す。
ブツブツと口の中で何かを呟きながら、左右に視界を走らせ、違和感の正体をボクに告げてきた。
「ユミルお姉ちゃん、三十八人しかいないよ!」
「ん、それは別におかしくないんじゃ……?」
「違うの、わたし達を入れて三十八人なの!」
わたし達――つまり、ボクと、センリさんと、レグルさん、それにイゴールさん。
つまり、生徒が四人いないと言う事か。
「誰がいないか判る?」
「えと……騎士科のトムと、ダントン。それと魔術師科のナッシュとキーリ」
ダントンはレグルさんが担当していた盾役の生徒だ。キーリはセンリさんの所で見ていた治癒術の得意な子。
攻撃魔法の得意なナッシュと、筋力自慢のトム。ボクは綺麗にパーティの分担が分かれている事に、不安を抱いた。
「ちょっと、カルバート! トムとナッシュは知らない?」
「え? 確かしばらく前にトイレって出て行って……そういや、それから見てません」
「それはいつ!?」
「ちょ、待ってくださいよ。えっと確か夕食が始まってすぐの頃だったから、もう一時間以上前でしょうか」
それから数人の生徒にも、いなくなった四人の行方を聞いてみたが、誰も知らないとの話だった。
「イゴールさん、生徒が四人いないのですが、見かけませんでしたか?」
「生徒、ですか……? 侵入者に気は配っていましたが、出ていくものはノーチェックでした」
料理の搬入で、多数の人間が頻繁に出入りしていたのだ。スラちゃん達もその手伝いをしていた。
この見逃しを責めるのは酷かもしれない。
「ユミル先生、トムの装備がありません!」
ボクの連絡を聞き、同室のカルバートが部屋の様子を見てきてくれた。
その結果、彼の装備一式が無くなっていることが判明。
「これはまさか……生徒だけで迷宮に潜った?」
この街で装備を整えて行く先なんて、街の外か迷宮しかない。
ボクはそう思い至って、泡を食って屋敷から飛び出したのである。