第二百二十話 密談
生徒達が部屋の準備を整えている間に、ボクは戻ってきた目的を果たしに行く。
タルハンへは別にいつでも戻れるのだが、相手方の都合がそうも行かなかったのだ。
特に今回の要件は、時間を要する物だった。
つかつかと、やや急ぎ足で廊下を歩き、目的地のドアをノックする。
一階の正門に近い一室。
ここはレグルさんが領主館の機能として、ボクから借り受けている一室で執務室として使っている。
レグルさんとしては別の屋敷を借りて領主館としても良かったのだが、エルダーレイスやスライムロードが警護するこの屋敷ほど警備が厳重な場所は、このタルハンには存在しなかったのだ。
英雄と言う肩書を持ち、貴族の立場を入手したとはいえ、野放図な性格のレグルさんはそれなりに敵が多い。
身辺を守るには、この屋敷くらいの防備は欲しいのだ。
そして、ボクが聞きたい報告を受ける場所としても都合がいい。
この屋敷の中ならば、人の目は完全に制御できるからだ。
今は生徒があふれかえっているが、このタイミングならば彼等は自分の用事で手一杯だろう。
それに監視の目も存在する。
「レグルさん、居ますか?」
「おう、ユミルか? 生徒達が着いたから、そろそろ来ると思っていたぜ」
ノックと共にかけた声に、レグルさんが答える。
廊下の周囲に人がいないことを確認して、ボクは室内に足を踏み入れた。
扉を閉め、しっかりと施錠して誰か乱入してくるのを防ぐ。同時にイゴールさんも呼び出して、周囲の監視をお願いしておいた。
一応レグルさんは優秀な斥候能力も持っているので、ここまでする必要はないかもしれないが、念には念を、だ。
「イゴールさん、部屋の様子を窺っている人は?」
「現在の所、存在致しません」
壁をすり抜け周囲を探ってくれたイゴールさんが、そう報告してくれた。
その後、ボク達の会話の邪魔にならないように、すぐに退室していく。
もちろんこの屋敷の主でもある彼の事だから、その気になればこの部屋の事も知る事ができるだろう。
だが彼に関してはボクは一切の心配をしていない。それだけの信頼を持っているのだ。
「それで、報告は届きました?」
「ああ、来ているぞ。ケンネル王国の冒険者組合から。あちこち経由させてこちらの足取りを消したから、時間が掛かっちまったけどな」
そう、ボクがレグルさんに頼んでいたのは、ケンネルに所属しているタモンの情報だ。
敵を知り、己を知ればと言う格言がある様に、ボクも敵の情報を調べようと思いついたのだ。
だがそのまま実行してしまえば、ボクが探ってる事を気付かれ、藪をつついてしまう可能性も有る。
そこで海千山千のレグルさんに代理で探ってもらっていた。
彼ならこちらの事情も知っているし、敵の事情にも通じている。さらにこういう情報操作にも慣れているので、適任と言えた。
「タモン、な。こいつの足取りが初めて表に出たのはケンネル王国北部の寒村だ。ここで狩人をして糊口を凌いでいたらしい。それから数年で冒険者としての資格を取り、ケンネルの王都に拠点を移している。そこでシーサーペントを退治するなどの功績を上げているな」
「そこまではわりと普通ですね。それがなぜ国の中枢に食い込んでるんです?」
「シーサーペント退治は普通じゃねぇっての。まぁ、そこまでは判らんが、冒険者組合からの活動報告が途絶えた頃に、コイツが最初に活動していた村が流行り病で壊滅している」
そこまで聞いてボクは眉をひそめた。
彼が組合を憎む理由がそこにあるかもしれないのだ。
「その顔を見ると、察したようだな? お前の推測の通り、組合がこの村の壊滅に一枚噛んでやがった」
「なぜ組合がそんな真似を……?」
「間接的に、だがな。当時その地方に任官していた支部長が疫病の特効薬の売買を制限して、私腹を肥やしてやがったんだ」
「制限?」
「ほら、アリューシャ嬢ちゃんの例を見ても判るだろ? アンブロシアだよ。あれを意図的に品薄にして高額で流通させていたんだ。結果的にその村は薬を用意できず、多数の死者を出し壊滅した」
もしあの時、ボクが彼のように薬を調達できなかったらと考えると……その恨みも判らないでもない。
というかその話、どこかで聞いたようなパターンだな?
「なんだかどこかで聞いたような話ですね。具体的に言うとモリアスとかで」
今は亡きロゥブディアがアンブロシアを独占状態にして私腹を肥やしていたと言う話を聞いた覚えがある。
この手口はまさにその手法とそっくりなのだ。
「気付いたか。恥ずかしい話だが、当時の支部長はロゥブディアの親戚だそうだ。叔父にあたるんだとかってよ」
「でもあいつの一族ならキルマール王国の所属でしょう? それがケンネルの冒険者組合の支部長なんかになれるんですか?」
しかも奴の縁戚となれば、キルマールの貴族でもあったはずだ。それがキルマールの柵を簡単に捨てられるとは思えない。
「冒険者組合の職員に所属したら、その段階で貴族という肩書は意味を為さなくなる。つまり組合に所属してしまえば、キルマールの貴族でも他国へ配属される可能性はある。もちろん、そういう前歴は考慮されるんだが……こいつの場合、モリアス領主の座を巡って争った挙句、ロゥブディアに敗北したようでな。言うなれば都落ちって奴かな」
「それで配属先でロゥブディアと似たような汚職を行ったと……」
「その結果、危険人物の恨みを買って、しかもそれが組合に向かっちまってる。迷惑な話さ」
「それを彼に話したら……と言うかその男を人柱に差し出したら、和解の道はありませんかね?」
「どうだろうな? こんな事情を知った所で過去は変わらんし、知ったら知ったで余計に火に油を注ぐ様な気がしないでもない。それにそんな男を配属しちまったのは、紛れもなく組合側の落ち度だ」
確かに汚職職員を派遣してしまった組合の非もある。あの無差別な憎悪に染まったタモンが、元凶とは言え、豚の親戚一人で納得するとは思えない。
それに経済的競争原理の視点で見ても、対抗組織と言うのは魅力があるのは事実なのだ。
独占組織は腐敗が進みやすく、サービスの低下も招く。だが競争組織があれば、向上心を失う事は無い。
だからと言って、現在組合の庇護下にあるボクがタモンの元に走るのは、いくらなんでも不義理に過ぎる。
その辺りの問題も、今後は考えなければならないだろう。
「まったく、あの連中は面倒ばかり。それで、その豚の親戚は今どこに?」
「豚って……一応マルティネスって名前があるんだが。まぁクソ野郎である事は否定はせんけどな。今は確か……貯めた金で地位を買って、ドルーズ共和国のラドタルトの支部長に――って、おいこれ……」
「うぁ、まさかモリアスにちょっかい出したのは……?」
「有り得るな。組合も上の方はかなり腐ってるみてぇだ」
権力闘争に負けたマルティネスが復権を狙ってモリアスにちょっかいを出したというのは、非常に有り得る。
というか、それ以外考えられないんだが?
「これはちょっと、シャレにならない繋がりが見つかったんですが?」
「ああ、まさかこう繋がっていたとはな。この情報に関しては俺から組合の方に上げておくよ」
「手口と言い、性格と言い、そっくりじゃないですか」
「数年おきに所属を変えてやがるから、バレにくかったんだろうな」
足がつかないうちに所属を変えて、焼き畑農業的に各地を荒らして回っていたのだろう。
資金は組合に預けておけば、各地で引き出せるから資産の管理も簡単にできる。
自身はできるだけ身軽にする事で各地を回りやすくしていたのだ。
だがこれはこれで、ボクにとっては有益な情報である。
和解まで持っていけなくても、取引の材料には使えるだろう。
「なるほどね……助かりました、レグルさん。これはかなり役に立ちそうです」
「そうか?」
タモンの目的は組合を潰す事。そのために対抗組織を作る事だ。
今のタモンは、組織作りをするには圧倒的に資金が不足している。
さすがに組合を潰させる訳には行かないが、マルティネスの身柄とその資金力不足を埋めるアイデアを提供してやれば、なんとかなるかも知れない。
かといって、ユミル村のコアは渡す訳には行かないので、一筋縄では行かないか。
「ま、それは追々考えましょう。それじゃボクは生徒達の様子を見てきます。情報収集は引き続きお願いしますね」
「ああ、任せろ。それじゃ、ここまでの報酬を頂こうか」
「はい」
レグルさんが取り出したカードにボクのカードを重ね、前もって決めておいた既定の情報料を支払っておく。
もちろんこれは非公式の情報収集依頼なので、組合は仲介していない。公式な依頼で無いのは、こちらの痕跡を残さないためだ。
ボクが向こうの情報を集めていると言う事は、向こうもこちらの情報を集めている可能性が高い。
無論、タモンは戦争真っただ中なので、そんな暇はない可能性も充分にあるのだが、それでもできる限りの防御策は講じておきたいのだ。
とりあえず、対タモンへの対応は多少目処が立ったと言える。いくつか腹案も存在するので、なんとかなるかもしれない。
こうしてボクはレグルさんとの密談を終えたのだ。
四十人分の昼食となると、簡単に用意できるものではない。
こういう時に役立つ料理が汁物である。
カレーや芋煮などが有名だが、簡単に大人数に対応でき、しかもそこそこに美味い。
水分も豊富なので、意外と腹にも溜まり、満足感も大きい。
むしろ大人数用に大量に作った方がおいしい料理と言うのも珍しいくらいだ。
この日はユミル村の迷宮で仕入れてきた熊肉を、ショウガなどの香辛料と一緒に煮込んだ熊鍋を振る舞う事にした。
食用に適した肉を臭み消しの味噌や香草と一緒に煮込み、灰汁を取り、味を調えてからキノコや白菜などの野菜を追加し、丹念に煮込む。
鍋と言うより味噌汁みたいな感じになったが、これはこれでキルミーラ北部の生徒達には珍しい味わいになるだろう。
これにご飯と漬物を添えて出せば、昼食として充分な一品になるはずだ。
「うわ、これは匂いがきついですね」
「でも結構腹に響く匂いだな。俺は好きだぞ」
「これ、タルハンの郷土料理なんですか?」
生徒達は興味津々と言う態で鍋を覗きに寄ってくる。
椀にご飯をよそい、熊汁と漬物を添えてトレイに乗せていく。
王都キルマルではほとんどパンが主流なので、こういう食事は珍しいだろう。
冷めたらおいしくないので、配膳した端から食べるように前もって指示してある。
「あ、意外といける?」
「クセがあるけど悪くないわね」
「むしろ癖になる味だな」
「ユミル先生の手料理……ハァハァ」
なんだか馬鹿な事言っている生徒もいるが、ボクは配膳に忙しい。
代わりにアリューシャが不穏な生徒を屋敷の裏に連行していく。
「アリューシャ、ほどほどにね?」
「うん、まかせといてー」
なんだか目の辺りまで影の差した、陰のある表情が少し怖い。
このまま夕方まで自由時間だし、夕食は夜営の訓練と兼用になるので、今は好きにさせておこう。
多少怪我してもアリューシャなら治療できるだろう。
「治療……するよね?」
なんだか半殺しにして放置しそうな気がしないでもないが、そこは気にしない方針で行こう。ボクは今、料理に忙しいのだ。
そんな事を考えながら、ボクは食事を配り続けたのだった。