第二百十八話 謎の理事長
それから一ヵ月、ボクはタルハン遠征のために授業の合間を縫って東奔西走していた。
だけど意外とこれが上手くいかないのだ。
馬車の用意もしてみたのだが、牽引する馬はともかく、車体の方が用意できなかったのだ。
一週間の間六十人を運ぶとなると、大量の水や食料が必要になる。
そしてそれを運ぶ馬車も必要になり……と、結局ネズミ算的に増えて追いつかなかった。
この量を減らすためには行程期間を短くするため、セイコやウララにスピードを上げてもらう手もあるが、そうすると今度は車体の強度が持たないと判明した。
彼女達のスピードならば一日もあれば王都からタルハンまで強行できるのだが、そうなると速度に耐えられず、車輪がはじけ飛んでしまうのだ。
三日程度の行程に調整してもやはり車体の強度が足りなかった。
それ以上の時間を掛けると、荷物が増えてしまう。
このバランスが難しかった。
「という訳で、バランスが取れないのですよ、マニエルさん」
「いや、この執務室は一応私の私室なので、乱入しないでほしいのですが?」
「そう堅い事言わないでくださいよ。あ、お茶はモリアス産の甘めの奴をお願いします」
「実は傍若無人な方だったのですね」
そう言いながらもきっちりお茶を振る舞ってくれるので、マニエルさんは好きだ。
それより、行程の問題がまだ未解決である。
「どうにかなりませんかねぇ」
「普通なら道中の宿場町を利用しながら、荷物の軽減を図るんですけどね」
「急げば三日で付けるんですが、車体が持たないんですよ。組合の転送魔法って個人で使えませんか?」
「あれは軍事転用が簡単に可能なので、使用制限が厳しいんですよ」
組合が持つ転送魔法陣は大量の人員を別の支部へ送り届ける事ができる。
もし軍隊の移動に使われれば、非常に危険な魔法なのだ。
だが無ければ無いで困る魔法なので、封印する訳にも行かない。
こういう平和利用こそ本来はするべきなんだろうけど、高等学園は騎士予備軍であると同時に職業魔術師の育成機関でもある。
実際のところ、高等学園が使用するのは厳しいだろう。
「普通に馬車使うのはダメなのですか?」
「うちの子達が引けるのが三台までなので」
セイコとウララ、それにリンちゃん。馬車が引けるとしても三台までが限界なのだ。
他に馬を借りるとなると、また余計な出費をしてしまう事になる。そして、それよりも普通の馬では効率が落ちてしまう。
「うーん……もういっそ、アリューシャパワーで……」
「いくらなんでも個人の力で大人数を輸送するのは無理でしょう」
彼女ならできなくはないのだが、問題はそれを公にする訳には行かないという点である。
そうやってボクがウンウン頭を悩ませていると、不意に執務室のドアがノックされた。
愛想よくマニエルさんが来客を招き入れる。
「はい、どちら様かな?」
「ここにユミルがいると聞いて来たのだ」
「その声、理事長!?」
いまだほとんど学園に姿を現さない理事長が現れた? もはや存在すら伝説と呼ばれた、あの理事長が?
と言うか、どこかで聞いた声のような気がしないでもない。
「はて? 何か、聞いたような声が?」
ボクが首を傾げて記憶を探っていると、ドアが遠慮なく開け放たれ、背の高い壮年の男性が入って来た。
その姿はボクも見慣れた……という程頻繁ではないが、見た覚えのある人物だった。
「ガイエルさん!?」
「おう、ユミル。久しいな」
気軽に手を上げてボクに抱き着こうとする人型ドラゴン。
本来ならば拳で迎撃する所だが、彼には何時も世話になっているので、ハグくらいは大目に見る事にした。
そのままわさわさ背中を撫で回された気がしないでもないが、適当な所で強引に引き剥がす。
「お久しぶりです。後いい加減離して下さい」
「相変わらずツレない態度だ。我、どこか安心した」
「そうですか、それはよかった」
引き剥がされたガイエルさんは、気を悪くした風でもなく来客用のソファに腰を下ろす。
そんな彼に茶を薦めながら、マニエルさんはボク達に話しかけた。
「お二人は知り合いだったのですか?」
「と言うか、これドラゴ――」
「そこまでにしておけ。我はその先を一般公開してはおらぬ」
「あ、そうだったんで?」
まぁ、古竜王がホイホイ街中を出歩いていると聞いたら、衛視やら何やらが卒倒しそうではある。
国ごと滅ぼされかねない危険な存在が酒や剣士目当てにうろついてるとか、ボクでも怖い。
「だとすれば、ここでお話しするのは不味いですか?」
「いや、マニエルには真実を知らせておるから気にする事は無いぞ」
「だったら黙秘する意味ないじゃないですか」
この部屋にはボクとマニエルさん、それにガイエルさんしかいないのだ。
「いや、そこに人の気配がするぞ」
だがボクの油断をガイエルさんはあっさりと指摘する。
ボクの危険感知は敵意にのみ反応する。こういったスパイ行為には反応できない。
その隙を突かれた形なのだろう。
彼の指差す方向には窓があった。
その向こうには金髪の頭が隠れきれずに覗いている。その頭頂部には見覚えがあった。
ボクが毎日のように頬摺りしている頭頂部である。
「アリューシャ、なにしてるのかな?」
「あぅ、ユミルお姉ちゃんの様子を探ってたの」
見つかってバツが悪そうな顔をしているアリューシャは、あっさり白状してみせた。
ボクを気にするのは判るが、これはいけない行為だ。
「あのね、ボクは教師だから、生徒には内緒にしないといけない事もあるんだよ?」
「うぅ、ごめんなさーい」
テスト問題とか、成績を付ける課題とか相談していたかもしれないのだ。
ここは生徒と教師の違いをしっかりと教えておかねばならない。
「なんだ、その娘か。ならば聞かれても問題ないな」
「いや、事はそういう問題ではなくてですね……っていうか、どうしてここへ?」
「さっきマニエルが言っていただろう? 我はここの理事長である」
そう言えばさっき言っていた気がするけど、問題はそこじゃない。なぜ古竜王である彼が、高等学園の理事長に収まっているか、だ。
古竜王の彼と、高等学園での騎士を育成の間に、まったく関連性がないのだ。
「それか? 無論――趣味だ」
「いや、どうしてそれが趣味に繋がるんです? ガイエルさんの趣味は剣術と酒でしょう?」
「我は思ったのだ……世界を放浪して腕利きを探し出し、腕を試して技を盗むより、素質あるものを集め、鍛え上げ、縁を結び……それから剣を競った方が面倒がない事を」
「つまり――剣士の養殖?」
「言葉は悪いが、そうじゃな」
なんてこったい。
ガイエルさんはここで剣の上級者を養殖して腕を鍛えさせ、一流に達した頃に剣を競い合う事で手間を省こうとしたのだ。
そのために学園を作り上げ、有望な若者が集まる施設を構築し、養殖を開始していたという訳か。
普通の人間ならば一生をかけた大事業になるのに、ドラゴンたる彼にとっては、ほんのわずかな手間にしか過ぎないと感じたのだろう。
「実に――悪趣味ですね」
「うむ、我も少しそう思った。まぁ、それで人間も強くなれるならば、損はあるまい。あれだ……ウィーンウィーンの関係?」
「伸ばすなや。変な機械みたいに聞こえるだろ」
思わず地の話し方が漏れるくらい、酷い間違いをしてくれる。
「それで理事長。今日はどのような用向きで? いつもは必要な時でもいらっしゃらないのに」
「マニエル、実はお前、我を恨んでいるな?」
「ハハハ、まさかそんな。高等学園を設立していただいた事は感謝しておりますとも」
事実、この学園の存在価値は、キルマール王国にとって非常に高い。
多くの騎士志望の若者が英才教育を受ける事ができ、魔術師にとっても希少な知識に触れる事ができる。
安全に、かつ効率的に強くなる事ができるのだ。
その事実は人間にとっても、大きな利益を与えられている。
だがそれはそれとして、起業した後は投げっ放しのガイエルさんは、歴代の校長や教頭に職務を押し付けていたのだ。
あれ? なんとなく、ボクも同じ事をしているような……?
「い、いや……そこは深く考えないようにしよう」
「なんだ?」
「それよりガイエルさん、丁度いい所に」
「なんだ……何か嫌な予感がするのだが」
いつもは鷹揚な態度を崩さないガイエルさんだが、ボクの『お願い』に引いたような態度を取る。
もちろん彼の反応は実に正しい。この苦境にあって、この世界のドラ〇もんであるガイエルさんにお願いしない手はないのだ。
「ガイエルさん、固有魔法で空間を曲げられましたよね? それで六十人ばかり、タルハンに送れませんかね?」
「む、もちろんできるが……」
「よし、これで移動手段は確保だ!」
「おい、なんか我、便利に使われてないか?」
そう言えばガイエルさんには世話になりっぱなしである。いい加減借りを返していかないと、本当に身体で返す羽目になりかねない。
とは言え大概の事は自力でできるガイエルさんに、何をどうやって借りを返せばいいのやら。
「その辺の借りはいずれまた……いや、ホッペにちゅーくらいなら、してあげてもいいですから」
「よし、やろう。すぐか? いつでも我はやれるぞ!」
「うわ、チョロ!?」
いきなりやる気になったガイエルさんに、ボクの方が少し引いた。
「いや、最近聖域が無駄に色気付いていてな。特にキーヤンの奴が……」
「そう言えば、彼元気にしてます?」
「ああ、新婚だからな」
「え、結婚したの!?」
「うむ、竜人族の者とな」
「奴め、女日照りが祟って、ついに人以外に手を出したか」
まぁ、彼が遠くで幸せを掴む分にはボクには関係ない。
今重要なのは、ガイエルさんに協力を取り付け、気分良く手伝ってもらう事である。
幸い、ホッペで機嫌よく手伝ってくれるようなので、助かった。
だがここで、アリューシャがガイエルさんに反旗を翻したのだ。
「ガイエルおじさん、みんなを送るのはわたしがやるから、もう帰っていいよ?」
「ほう、確かにお主も転移魔法は使えるのだろうが、我より負担は多かろう?」
「ユミルお姉ちゃんのチューはわたしがもらうの。だからおじさんは用済み」
「ほほぅ、我を用済み扱いとはな……やる気か?」
「わたしを甘く見ると痛い目を見るよー?」
「二人とも、ケンカしない!?」
さすがにこの二人のケンカを放置したら、王都が崩壊する。
ガイエルさんは元より、アリューシャだって賢者系と侍祭系を極めた超戦士なのだ。
アリューシャの魔法とガイエルさんのブレスが激突したら、その破壊範囲は想像を絶する。
ここはアリューシャの機嫌も取っておかねばなるまい。
「アリューシャにもちゃんとしてあげるから。と言うか、むしろ毎日してあげようとも」
「ほんと!?」
「ホント、ホント」
ボクに抱き着いて喜びを表現するアリューシャと、こっそり便乗しようとするガイエルさん。
もちろんガイエルさんは牽制しておく。そこまでサービスしてやる気はないのだった。