第二十一話 ベヒモス
ベヒモス。
ミッドガルズ・オンラインの砂漠フィールドに数時間おきに現れる、ボス属性モンスターだ。
特徴は馬鹿げたタフネスと防御力。とにかく硬く、分厚く、しつこい。
ユミルも何度か戦闘した経験があり、防御無視系の武器と大量の回復アイテムと、これまた大量の魔刻石を消費して、ようやく倒した記憶がある。
その魔獣……今、目の前にいる。
「ガアァァァァァァァッ!」
ベヒモスはボク達を見据え、威嚇の雄叫びを上げた。
その大音声に迷宮そのものが震え、天井からパラパラと砂埃が落ちてくる。
「――まずい、これは……アリューシャ、退がって!」
考えてみればこの六層の地形、ボスが居て当然の配置じゃないか。
今回、粘土探しという事で、あまり回復アイテムを持ってきていないのだ。
こんな状況でベヒモス相手だなんて、相性が悪すぎる!
「逃げるよ――」
「ゆーね、とびら……しまってる!?」
「……え?」
ボス戦になると、フィールドが閉鎖される。
家庭用ゲームではお約束のシチュエーション。
「くそっ、何から何まで……馬鹿か、ボクは!」
回復アイテムを削った事、不用意にダンジョンを進んだ事、後方を確認しなかった事。
あれだけ油断はするなと心に誓っておきながら……
そんな逡巡の隙を突いて、ベヒモスは頭を下げて前傾姿勢を取る。
「突撃モーション!?」
その姿勢の意味を理解した瞬間、ベヒモスの巨体は地面を蹴った。
石畳を抉り、巻き上げながら十メートルを超える巨体が迫る。
――でかっ、こんなのと正面衝突したら潰されるって! サイドに避けて……あ!
そうだ、背後にはアリューシャが控えている。
ここで突撃を避けるという事は、彼女がその威力を正面から受けるという事になる。
つまり今、ボクには……
「逃げ場、無し――かよっ!」
咄嗟にアイテムウィンドウを操作。魔剣『紫焔』を呼び出して装備。この剣には破壊不可の強化が成されている。
――コイツならあの突進を受けても、折れたりしないはず……!
ズダン! と、重い音と衝撃が身体全体に響き渡る。
二メートル近い大剣を立てて突撃を受け止め、弾き飛ばされない様に地面を踏みしめた。
メキッと音を立てて、爪先が石畳を抉る。そしてボクはそのまま数メートルも後ろに押し込まれた。
ミシミシと身体が軋む……だが――
「っつぅ……でも、受け止めたぞ!」
目の前にある巨大な顔に怯える心を鼓舞するかのように叫ぶ。
顔だけでこちらの身長くらいはあるのだ。恐怖と、そして痛みで腰が抜けそうになっても、仕方ないことかも知れない。
――だが、今はダメだ。今、後ろにはアリューシャがいる。逃げる訳にも、怯む訳にもいかない!
受け止められた事に驚愕し、警戒を顕にしたベヒモスは再び距離を取ろうと、飛び退る。
その時間こそ、ボクの勝機だ。
――【アクセルヒット】、【オーラウェポン】、【エンチャントブレイド】、【コンセントレイト】、【ソードパリィ】!
脳内で立て続けにスキルを起動。
【アクセルヒット】で攻撃速度を引き上げ、【オーラウェポン】で威力強化。
【エンチャントブレイド】で魔法攻撃力を武器に乗せ、【コンセントレイト】で命中を上昇させ、【ソードパリィ】で防御を固める。
白、青、紫、そして金……多彩な強化を表す光が身体や剣に纏わりつく。
幻想的とも言えるそのその光景に何の感慨も持たなかったのか、ベヒモスが再度突撃を敢行してきた。
低く下げられる頭、同時にボクもポーチからアイテムを取り出す。
――tの魔刻石。
軍神テュールを表すこの文字は、効果は身体能力の強化を行う。
弾け飛ぶ魔石。
同時に体中に活力が漲って来る。
「らあぁぁあああぁぁ!」
「ガアァァァァァァ!」
ありったけの強化を掛けたボクと、ベヒモスが正面からぶつかり合う。
今度は推し戻される事なく、立ち塞がる事ができた。
そのまま、秒間五発を超える速度で斬撃を叩き込む。
まるで機関銃の様な打撃音を響かせるが、その剣身がベヒモスの身体にめり込むことはなかった。
無傷ではない……だが、あまりに効いていない。
ベヒモスも無抵抗ではなく、その巨大な四肢を撃ち振るい、反撃する。
これを剣で受け止め、撃ち落とし、そして耐える。
ゲームではないのでHPを見ることは出来ないが、今ステータスウィンドウを開けば、ボクのHPは物凄い速度で減り続けているだろう。
攻撃と防御の合間にポーチから回復用のヒールポーションを口にする。
最高位とは行かないが、このポーションもそれなりに高級品だ。
だが、足りない。
この程度の回復量では、ダメージの方が大きい。
もっと火力を出さないと、こちらが持たない。その手段はある……が、それは本当に最後の切り札だ。
魔導騎士は狩場での持続力には劣るが、瞬発力では他のクラスを圧倒する。
特にボス戦に関してならば、まだ一線級の戦闘力を発揮できる。
それでも、悩む。
今使っていいのか、と。
補給の出来ない今、貴重な魔刻石をこれ以上消費してもいい物かどうか。
悩みつつ剣を振るう。
その斬撃の合間に凄まじい速さで岩石が降りかかる。
オートキャストの【メテオクラッシュ】だ。時折、ベヒモスの表皮が霜が張り付いた様に白く染まるのは、【フリーズミスト】も発生しているのだろう。
それでも効かない。
ふざけたレベルの生命力が、魔法ダメージを無いも同然にまで引き下げる。
魔剣『紫焔』は高位の攻撃魔法をオートキャストするが、魔法攻撃力は上げてくれないのだ。
――これならマナブレードの方が良かったか?
じわじわと追い込まれ、焦燥に心が染まる。
やがて、体力も失われて、次第に膝が笑うようになってきた。
「くっそぉぉぉ!」
三ヶ月、魔刻石の使用を節約してきた。
その反動か……使用する魔刻石を間違えたかも知れない。攻撃ではなく、防御を選ぶべきだったか?
後悔に心が染まりそうになった時、視界の隅に白い光が走った。
「ゆーね、がんばって!」
背後に居たアリューシャが【フォーススラッシュ】をベヒモスに撃ち込んでいる。
腰が抜けて、へたり込んで、声も震えているのに……必死の形相でスティックを掲げ、魔法を撃ち出している。
「――アリューシャ」
「わらひも、がんばりゅ、から!」
歯の根も合わない状況で紡ぐ言葉は、いっそ滑稽なまでに震えて、言葉にならない寸前になっている。
それでも、彼女は叫ぶ。
ボクを守るために。ボクを鼓舞するために。
「ああ、もう……後の事考えるとか……ボクは馬鹿か!」
アリューシャの行為が、覚悟を決めさせてくれた。
ポーチに手を突っ込み、次の魔刻石をつかみ出す。
即座に使用する必要がある魔刻石は、衣装付属のポーチに格納できるようになっている。
選び出したのは、数ある切り札の一つ。
――kの魔刻石。
火を意味するルーンで、その名の通り、エネルギーの塊の様な効果を発揮する。
たった一発だけど、強烈な一撃を繰り出せるようになるのだ。
そう、たった一発だけ。
同種の魔刻石は二十個しか持てない。つまりこの魔刻石は補充の利かない今、二十回きりの切り札なのだ。
魔石を起動し、赤い光が身体全体を覆う。
「喰……ら、ええぇぇぇぇぇ!」
ミシミシと軋む身体。
この魔刻石の難点の一つが、身体や武器が破壊力に追いついて来ないことにある。
武器には破壊不可の属性が付与されているが、ボクにはそんな物は付いてない。
苦痛を振り払うように、その一撃を叩き込む。
ベヒモスもこれには耐え切れず、深々と剣身が突き刺さる。
「トドメぇ!」
続いてポーチから次の魔刻石を取り出し、突き破った表皮に拳を付きこんで発動させた。
――hの魔刻石。
雹を意味するこのルーンに秘められた力は、嵐のように周囲を切り刻む力だ。
それを体内で炸裂させる。
ゴブン、とくぐもった破裂音が響いた。
直後にブルリとベヒモスの身体が震える。
そして、体中の穴からどろどろになった血肉を噴き出しながら……その巨体を沈めていった。
完全に息の根が止まっているのを確認して、突きこんだ左手を引きずり出す。
「うわ……ぐろ……」
引き抜いた手には、手首から先が付いてなかった。
そりゃ手の中で範囲攻撃用の魔刻石を炸裂させたんだから、こうなるのは当然だろう。
本来はその力を剣に纏わせて使用するものなのに、素手で使用したのだから。
「ゆーね、ゆーねぇぇぇ! てが! ゆーねのてがぁ!?」
駆け寄ってきたアリューシャは、年相応の表情で泣きじゃくる。
そりゃ、こんなスプラッタは子供が見るものじゃない。泣いて当然だろう。
「ゴメン、ちょっと手が使えないから、ポーチからヒールポーション出してくれる?」
「わかった……えっく、白いのだよね。ひぐ、まってて!」
泣きながらも腰のポーチからポーションを出し、口元に運んでくれる。
こんなグロい状況なのに、一歩も引かずに看病してくれるなんて……いい子だ。
「護れて、よかった」
「うん、ありがとう。ゆーね、だいすき」
カチカチと震える手からポーションを飲ませてもらい、身体が凄い勢いで回復する。
とはいえ、欠損部位まで治すとはいかなかった。
【ヒール】を使うべく、インベントリーからブリューナクを取り出そうとして……気付いた。
「あ、左手が……ない」
インベントリーを呼び出すにはキーボードを操作する必要があり、キーボードを出すには『左手』で鳩尾に触れる必要がある。
「あはは、こりゃまいった」
「ゆーね、笑ってるばあいじゃないでしょ! 早くおいしゃさまにみてもらわないと!」
「お医者様……あー、ルディスさんだね。うん、早く戻ろう。でも……ここも少し、調べてみないと」
「なにいってるの!」
「大丈夫だよ、もう出血は止まってるんだ。さすが高級品」
ヒールポーションの効果ですでに出血はない。
ある意味ベヒモスの外皮が手首を強力に圧迫して、止血効果になっていたようで、失血による眩暈などもないようだ。
つまり、慌てて戻る必要は、今のところない。
「妙に落ち着いていられるのも、ユミルの身体だからなのかな……」
身体の一部が無くなったなんて、普通だともっと狼狽してもいいのに、頭の芯は冷えたままだ。
きっと精神的な図太さが効果を発揮しているのだろう。
「あ、ほら見て。捲れた石畳の下。粘土だ」
「……あ」
「それに、あれ。ベヒモスの顎の下に何か石が埋まってるでしょ?」
「ゆーね、よく見てる」
「当然。一流の剣士は一流の観察眼があるのだよ」
偉ぶってみても、実際は組み合ったときに偶然目に付いただけだ。
「あっちの石、何か刻まれてたみたいだから、ちょっと取って来るよ。アリューシャは粘土をこの袋に詰めていて」
「わかったけど……むちゃしちゃだめ、だよ?」
「うん、了解」
心配げなアリューシャを置いて、ベヒモスの石を抉り出す。
右手しか使えないので苦労したけど、どうにか取り出す事が出来た。
「なんだ、これ。何かの刻印……というか、印章のような……?」
しげしげと石を眺めていると、石は不意に光を放ち始め――ボク達の体に吸収されていった。
目標(十万字)達成しました。
明日からは切りの良い所まで一日一話のペースで更新しようと思います。