第二百十六話 教員の日常
午後の授業に移って、今度は魔術師学科の護身術を教える。
ボクは本来、騎士学科の剣術を教える教員なのだが、人同士で戦った場合、彼ら魔術師に近接戦を挑むのは、大抵ボク等のような戦士である。
つまり襲う側として、彼等に攻撃パターンを教え込み、対処法を身に付けさせようという試みなのだ。
都市の中に作られたとは思えないほど広い運動場で、魔術師達の卵と相対する。
この特薦組は、入学者の中でも限られた人材しか配置されないクラスなので、一クラスの人数がせいぜい二十人もいない。
一組から四組までが大体三十人所属している事を考えると、圧倒的に少ないと言える。
魔術科の場合は十八人。その中にはアリューシャとラキもいた。
「という訳で、魔術師と言えども近接戦の対応をおろそかにする訳にはいかない。そこにこの授業の真価があると言ってもいい」
二十人弱を前にして、ボクは偉そうに講釈を垂れる。
ボク自身は魔術系のスキルはあまり取っていないため、このクラスの本意である魔術の腕前は大半がボクを上回っている。
だからボクの戦闘力を知らない大半は、この授業を受け持つボクを侮って掛かっている。
「ですがユミル先生、そもそも接近される前に魔法で駆逐してしまえばいいだけの話ではないですか?」
「そうだよな。しょせん騎士なんて剣が届かないと脅威にはならないし。せいぜい弓くらいかな」
その空気を察したのか、エルドレットが率先して皆が思ってる疑問を口にする。
この発言が彼の本意ではない事は、その表情を見れば理解できた。
彼はあえて矢面に立つ事で、授業を円滑に進めるように動いてくれたのだ。
「うん、君達なら大抵の敵はそうできるだろうね。でも剣士の中には冗談では済まないような能力を持つ者も存在するよ。そういう相手には万が一の事態を想定しないといけない」
「ユミル先生が、その領域にいると?」
「さて? ……じゃあ、試してみようか。エルドレット君はどれくらい離れていたら、安全に攻撃できると思う?」
「安全、ですか……? そうですね、二十……いや、三十メートルもあれば、先手は取れると思います」
「じゃあ、それで」
ボクはアリューシャに用意してもらっていた模擬剣を手に取り、もう一本をエルドレットに渡しておく。
そして彼から三十メートルほど離れて、相対した。
「これくらいでいいかい?」
「え、ええ。でも本当にいいんですか? この距離なら、僕は二回は攻撃魔法を撃てますよ?」
「もちろん」
確かに三十メートルの距離なら初期レベルの魔法を二回は発動できるだろう――通常ならば。
だがボクは通常の枠に収まらない存在だ。
そういう人材がいる事を知ってもらうのも、教育の一環である。
「じゃ、アリューシャ。適当な所で合図よろしく」
「はーい!」
ボクを信頼しきっているアリューシャは、この距離でもまったく心配していない。
エルドレットも、困惑しながらも開始に備えて構えを取る。
彼の実力は、アリューシャとラキを除けば、このクラスでも頭一つ抜けている。このまま宮廷の魔術師達の中に混じってもおかしくない腕前だろう。
その彼がボクという戦士に追い詰められたとしたら、生徒達もこの授業の価値を思い知るだろう。
「それではー、はじめぇ!」
アリューシャのやや緊迫感に欠ける掛け声と共に、エルドレットは詠唱を始めた。
宙に描き出す魔法陣は基礎魔法の中でも汎用性の高い、【ファイアボルト】の初期レベル。
その速度も申し分なく、一秒も経たずにそれを完成させる。速度だけなら、プラチナさんに匹敵する速さだ。
ボクはあえて、その魔法が完成するまで待機して、正面から魔法を受ける事を選択した。
発動する【ファイアボルト】――本来ならこれでも大ダメージを受けるはずの魔法だが、それを正面から受け止め、弾き飛ばす。
エルドレットの魔法ではボクの防御力を撃ち抜くには力不足なのだ。
もちろん、発動前に間合いを詰める事も可能だっただろう。
だが、それでは魔法が効かない相手という実感を与える事はできない。
エルドレットからも直撃は見て取れたはず。それでも微動だにせず佇むボクの姿は変わらない。
そのままゆっくりと歩を進める。
エルドレットは顔を引きつらせながらも、二度、三度と【ファイアボルト】を起動させる。
次の魔法はレベルがかなり上の魔法を発動させていた。
それでもボクには有効打にならない。
ボクの知力が高いため、彼の魔法攻撃力よりボクの魔法抵抗力が大幅に上回っているからだ。
そんなボクを見て、炎属性に抵抗を持つと判断したのか【アイスボルト】を使用したりするが、それでも有効なダメージを与えられない。
それどころか、ボクが受けたかすり傷が見る見る治癒していくのだ。
これはミッドガルズ・オンラインの剣士系スキルに自動回復能力が存在するためだ。
「ク、クソ――いくらなんでも、こんな……無茶苦茶な!?」
「もういいかな? それじゃ行くよ」
半ば狼狽した様子のエルドレットを見て、ボクは満を持して動き出した。
ほんの二歩だけ、強く地面を蹴る。
強大な力を発揮できる脚力が地面を踏み砕きながら、ボクをロケットのように加速させる。
たった二歩で三十メートルの距離を詰める。その間、半秒にも満たない。
瞬き一つする間に懐に潜り込まれたエルドレットは、即座に反応できず立ち尽くしていた。
その喉元に、ゆっくりと模擬剣を突き付ける。
「はい、しょーぶありー」
「ボクの勝ち、だね」
アリューシャの宣言で模擬戦は終了した。
これは騎士学科の人間ならば受験時に目にした光景だが、魔術師学科の物は初めて見る光景だろう。
喘ぐ様に一つ息を吐き、エルドレットはようやくストンと腰を落とした。
「このように、魔法が有効に効かない相手だって世の中にはいる。そういう時、君達が生き延びるためには、ただ逃げ、耐え、ひたすら救援を待つだけだ。そういう時にこの護身術が役に立つんだ」
「いや、ユミル先生……さっきのはそういう問題じゃない」
ボクの足元にへたり込みながら、エルドレットは抗議の声を上げる。
見上げるように抗議の視線を飛ばす。
「さっきのは魔法も効かないし、気が付けば懐に入られてるしで、対処のしようがないじゃないですか」
「ま、まぁ……そう言う敵もいる、って事で」
確かにさっきの戦闘では、技術云々でどうにかできない程の力量差を示してしまったかもしれない。
だが護身術を学ぶことは無駄ではないのだ。
現にアリューシャなどは、アーヴィンさんを相手にしても勝利できる近接戦闘力がある。
ボクがそれを告げると、今度はラキが苦情の声を上げた。
「いや、アリューシャちゃんのは護身術とか言うレベルじゃないから」
「なんだとー。ラキ、貴様裏切るのか!」
「裏切るとかいう問題じゃないでしょぉ!?」
仁王立ちでラキを指差すボクの足元から、控えめな抗議の声が聞こえてきた。
「その、ユミル先生。できれば起こしてください。腰が……」
「むぅ、アリューシャ、お願い」
「はーい、【ヒール】!」
例によって超速度、超回復の魔法が飛ばされ、エルドレットの抜けた腰を癒す。
命じたボクも半ば冗談で、まさかこういう症状にも効果があるとは思わなかったが、むくりとエルドレットが立ち上がった時は驚いた。
「え、効くの?」
「そこで驚くんですか!?」
まぁ、そんな感じでボクの威厳は保たれた……様な気がする。
なんだかボクより一瞬で腰を治したアリューシャの方が評価高かったような気がするけど、そこは気にしないようにしよう。
そんな感じで授業を済まし、放課後になる。
アリューシャ達は先にテマ達と合流して、放課後の時間を楽しんでいる。
一応高等学園には部活動という物もあるのだが、彼女はそれには入っていない。もちろんいくつもの活動が彼女を引き込もうと勧誘しているが、それはことごとく断っていた。
なぜかと言うと彼女の場合、部活動的気分で迷宮に潜っているからである。
テマ達三人の生活は苦しい。
だからアリューシャと、タルハンで待機しているセンリさんと合流し、五人でユミル村の迷宮に潜って稼いでいるのだ。
こうなるとアリューシャの転移魔法は秘密にできないため、彼ら三人には緘口令を敷いた上で、使える事を知らせておいた。
機密事項を知る人間が増えてしまったけど、彼等がアリューシャを裏切るとは思えないので、まぁいいだろう。
その間、ボクは何をしているかというと、次の授業の準備とか、成績表をまとめたりとかしていたのだ。
教員と言うのは、意外とやる事が多くて忙しい。
アリューシャの冒険もやめる訳には行かないので、家の事はほとんど放置しっぱなしである。
そこでイゴールさんには屋敷と王都を二日おきにお往復してもらう事になった。
スラちゃんと二人(?)なら、家事の事もオマカセできるのだ。
日が暮れてから王都でアリューシャ達と合流する。
そこでいったん解散してからお風呂に入って体を清め、みんなでご飯を食べてから正式に解散するのが、いつもの日課である。
だがその日は珍しく来客があった。
もう少し早かったら、ボク達は留守だっただろう時間帯に呼び鈴を鳴らしてやってきたのはエルドレット達だった。
おまけでカルバートも一緒にいるが……もう一人、エルドレットの背後に隠れるように、金髪の少年が隠れていた。
「いらっしゃい、エルドレット、それにカルバートも。それで……あれ? その子……」
背後に隠れるその少年には、ボクは見覚えがあった。
その子は今朝、リンちゃんに轢殺された――いや、死んでないけど、あの時の少年だった。
「こんばんわ、ユミルさん。こいつは僕の弟でルイスって言います」
「あ、あの、今朝はどうも……」
「あー、あの時の! ゴメンねぇ、あの時は急いでてさ」
今はプライベートな時間なので、わりと砕けた口調に戻している。
今考えてみると、ボクの年齢もかなりになるはずなのに、フランクな口調が板についてしまっている。
これはどうも、外見的な印象に引き摺られてしまっているからかもしれない。
「い、いえ……ボクの方こそ、不注意で――」
「あー、エルドレットくん、その子が弟くん?」
ボクの後ろからアリューシャが顔を出す。
彼女にしてみれば、エルドレットの弟は新しいお友達候補だ。紹介されるのが待ち遠しかったのだろう。
そんなアリューシャを半ば無視して、ルイス君は顔を赤くしている。
アリューシャほどの美少女を前にしたのなら、その反応も無理はあるまい。
「それで、今日はわざわざ自己紹介しに来てくれたの?」
「ああ、こいつがどうしてもユミルさんに挨拶したいって」
「へぇ?」
わざわざ引っ越しの挨拶に来たいなんて殊勝な心構えである。
ひょっとしたら、アリューシャに会いたかったからかな?
「あの、ユミルさん――」
「はい?」
決然とした表情で顔を上げる、ルイス君。
そして彼は勢い込んで、こう叫んだ。
「好きです、付き合ってください!」
「だが断る」
ボクは超音速で、そう返事をしたのだった。