第二百十五話 授業風景
とにかく、ボクの都合で遅れたとはいえ、授業は存在する。
お説教からホームルームをかっ飛ばし、速攻で最初の授業へ向かう事にした。
先にも述べたと思うが、この高等学園の教員の受け持ちは縦割り式だ。
ボクのように、特薦クラスを受け持つ者は、一年、二年、三年の特薦クラスの剣術を教えていく。
これは各学年においての実力差よりも、各学級における才能差の方が大きいが故の処置だ。
この学園で最低評価を受けたものは四組へ配属される。
三年四組の生徒よりも、一年特薦組の生徒の方が剣術に優れる。そういう現象が実際に存在する。
これはこの世界の能力値の恩恵があまりにも大きい故の影響なのだが、考えようによっては実に切ない。
そしてその能力値の恩恵てんこ盛りに受けているボクは、一組のさらに上の特薦組で剣術を教える事になっている。
とは言え、いくら特別な才能を集めたクラスとは言え、いつも実習という訳には行かない。
今日は座学で剣術理論を教える日である。
「という訳でおはよう諸君! 今日もプリティ&セクシィなボクの授業へようこそ!」
テンションを持ち直させて、勢いよく教室の扉を開ける。
木造の廊下がその衝撃で軋みを上げ、騒音が周囲に響き渡った。
高等学園の校舎は総木造建築で……まぁ、当たり前なんだけど……古き良き昭和初期辺りの学校を思い浮かべさせる。
「先生、遅い」
ハイテンションのボクに三白眼で苦情を述べてきたのは、このエリートクラスに配属になったジョッシュだ。
ちなみにテマとカルバート君もいる。
「や、スマヌ、生徒諸君。ちょっと登校時に人をはねてしまって」
「ついに……殺人を犯したんですか?」
「ついにとはなんだ、ついにとは」
いや、うっかりリンちゃんを高速起動モードにして街中を爆走したのは悪かったが。
ちなみにそのリンちゃん。教員主任に手紙を渡した後、自分で厩舎に行って食事を取り、お昼寝中である。
飼い主よりしっかりしているという噂があるという話だが、もちろん未確認だ。
噂の出所はしっかりと調査せねばなるまい。制裁込みで。
「被害者はきっちり治癒して送り出したから、心配しないように」
「それ、ひょっとして証拠隠滅?」
「ダマレ」
ジョッシュの頭にごつんと拳骨を落として、授業を始める。その一撃で机に半ば頭をめり込ませて、悶絶した。
とは言えこのままコントを続けていては職務怠慢と、また主任に叱られてしまう。
ボクは勤務態度を取り繕うべく、背筋を伸ばして座学の教科書を開いた。
今日のボクは濃紺のタイトな膝上丈のスカートと同色のジャケット、その下は白いシャツと赤い棒タイで襟元を飾っていた。
更にいつもは長く伸ばしてサイドアップにしている金髪も、後ろにまとめ上げて「なのです!」という口調が似合いそうな真面目な髪形にしてある。
顔に掛けた小さめのスリムなメガネと相まって、いかにも女教師という格好で決めているのだ。
剣術理論と言っても、ボクに教えるほど理論的な知識はない。
だが元の世界で蓄えた、中世時代の近接武器の特徴なんかは残っている。
そういった知識を彼らに伝えるのが、今日の授業の目的である。
「まず、剣のライバル、鈍器の種類から。ただの鈍器と侮るなかれ。そのバリエーションの多さは実は剣に匹敵しかねないほど多い」
ただの棒きれからメイスや連節棍に到るまで、実は鈍器と言うのは種類が多い。
特に元の世界でのアジア地方が存在しないこの世界では、そういった武器が出てきて意表を突かれる危険がある。
「このヌンチャクと言う武器は片手に持って振り回す事で遠心力を得て、威力を増強し……」
背伸びして黒板にその武器の図形を書き込んでいく。
背伸びしないといけないのは、ボクの身長が……低……いや、もう認めよう。ボクの身長が低いからである。
そう、アリューシャよりもさらに低いボクの背丈は実は百四十八センチである。ああ、今になって明かされる衝撃の事実!
いや、その事は今はどうでもいい。重要じゃない。ボクにとっては重要だけど。
とにかく、そうやって一生懸命背伸びして絵を描いていると、テマが茶々を入れてくる。
このクラスでもジョッシュ、カルバートに並ぶ三強の一角である彼は、最近調子に乗っていた。
「先生、見えませーん」
「なら前に来い」
「え、せっかく窓際の後ろの席取ったのに――」
「後ろに居れば見えない。そのリスクを背負って、君はそこにいるのだ。ぜいたくを言わない」
「なんか理不尽な理論キタコレ」
まぁ、これに関してはテマだけの問題ではなかった。
ボクの外見と言うのは、剣術を教える側としてはデメリットしか存在しないと言っていい。
愛らしい外見は生徒に侮られ、小さな体躯は黒板に板書するにも不便で、大剣の扱いに関しても不利があった。
もっとも外見を侮った三年の特薦クラスは全員まとめて十秒で半殺しにし(後で治した)、地位を確立させておいた。
その結果、低い位置の板書はなぜか生徒達が前を取り合い、大剣を持つ姿に萌え狂う。
そんな現象が起きたので、あまり問題にはなっていないのだ。
きっと生徒が教卓の周りを取り合うのは、ボクの魅力のおかげだな。
ほら、背伸びすればヒップラインとか露骨に出ちゃうし。
いや、なんだか生徒が妙にほのぼのした視線を送ってくるのは、気にしないでおこう。
そんな訳で、ピョンピョン跳ねながら板書しつつ、その日の午前の授業を終えたのである。
お昼はアリューシャ達と合流して、中庭の芝生で頂いた。
なぜかアリューシャ達以外にもカルバートやエルドレット、他にも女子生徒数名が一緒について来て、予想外の大所帯となっていた。
「さすがにこの人数のお弁当は用意してないんだけど? っていうか、ボクが用意しているのはアリューシャの分だけ」
「知ってます。ユミル先生はブレませんね」
ボクの発言に自分のお弁当を用意しながらエルドレットが言う。
彼はいつもメイドさん特製の弁当を持ってきており、ジョッシュがそのおかずを常に付け狙っていた。
彼もまた、ブレない男なのだ。
各々お弁当を用意して腰を落ち着けていたのだが、そこでボクは少しいつもと違う事に気が付いた。
それはエルドレットのお弁当が、いつもより豪勢だった事だ。
「ん、エルドレットのお弁当、今日は豪勢だね?」
「ええ、今日から弟も僕の家に住む事になりまして」
へぇ、エルドレットに弟がいたとは初耳である。
「でもここから初等学校までは遠いでしょ? なんでまた?」
「新しいお友達が来たの?」
「アリューシャ、お友達になれるかはまだ判らないから」
ボクの疑問に欲望丸出しで割り込んでくるアリューシャ。
彼女は草原で目を覚ました経緯があるせいか、かなり寂しがり屋さんである。
そのせいでガードが緩々な子になってしまったのは、ボクの教育のせいだけではあるまい。
下手をしたら『アメ上げるからお友達になろう』と言われたら、ホイホイ付いて行きかねないくらいガードが甘いのだ。
「アリューシャ、お友達になったげるって言われても知らない人についてっちゃダメだよ?」
「んぅ? うん」
もう美少女極まっている彼女と親しくなりたい者なんて、いくらでもいる。
ましてや、これから下心を持って近づく者も多くなるだろう。彼女の甘いガードは、今のウチにきっちりと締め直さねばならない。
だがボクがいくら言っても、アリューシャの人懐っこさは治らないのだ。それが魅力でもあるんだけど。
その様子を見て、ボクは彼女への注意だけじゃ無理だと判断する。
ボクはアリューシャに絶対的信頼を置いているが、彼女の警戒心に関しては、まったく信頼を置いていないのだ。
「はぁ、テマ、ラキ、ジョッシュ。アリューシャの事、ちゃんと見張っててね?」
「そりゃもう。まかせてくださいよ!」
ドンと頼りない力で胸を叩いたのは、魔術師科のラキだった。
彼はなんとなくアリューシャに淡い想いを抱いていそうなので、それはそれで心配ではある。
「いや、話が逸れちゃったな。ゴメン、エルドレット」
「いえ、大丈夫ですよ」
穏やかに笑って見せるエルドレット。受験の時の険が取れた彼はなかなかの美男子で、女子生徒には結構人気があるらしい。
「それで……ああ、そうそう。弟がなぜ遠い僕の家まで押しかけて来たか、ですね。それは単純に僕に懐いていたからですよ。昔っから兄離れのできない奴でして」
「へー、実はエルドレットは弟想い?」
「いえ、そこまでは。でも懐いてくる相手は邪険にできませんし」
「意外と人が良いんだね。それじゃ貴族社会は厳しいんじゃない?」
今でこそ穏やかで人当たりが良くなったが、エルドレットも貴族である。
魑魅魍魎が蔓延り、欲得がモノを言う世界では、さぞ息苦しいだろう。
「いえ、最近はそれほどでも。ほら、レグル卿やエルデン伯のような方も出てきましたので」
子爵位を持ってタルハンに帰参したレグルさんや、モリアスの後継者になったリビさんのように、話のわかる貴族も最近増えてきているのだそうだ。
そういった人材に力を与えて行っている辺り、キルマールの国王様はなかなか人を見る目がありそうだった。
「で、『エレーンと二人っきりにして、何かあったらどうするんです!』とか、失礼極まりない事を口にして、我が家に押しかけて来る事になりまして。いや、お恥ずかしい」
「それはボクも危惧している所だね。二人だけだと問題は色々あるだろうし。だから在学中は手を出しちゃダメだよ? 少なくとも、ボクが担任でいる間は問題を起こさないように」
「後半、本音が駄々漏れじゃないですか。一瞬、生徒思いだなんて思った僕の感動を返してください」
そうは言ってもエルドレットもすでに十五歳。色々と目覚めるお年頃なのだ。気にするなという方が無理である。
「そう言えば、カルバートには兄弟はいないのかな?」
「俺っすか。一人っ子ですよ。お陰で爺ちゃん達も甘くって助かります」
「それはどうだろう……もうかなりのお年なんだから労わってあげなさい」
「へーい」
まったく気にした素振りも見せず、生返事を返す。
そんなカルバートも年齢は十七歳。この辺りの年齢層の豊富さは、高等学園ならではである。
カルバート自身も背が高く、将来的に期待できそうな偉丈夫なので、騎士科の女子からは人気がある。
それを全く意に介していないというか、気付いている素振りが見えないのは甘やかされて育った弊害か。基本、人目を気にしない性格なのである。
こういうのが成長すると、アーヴィンさんみたいになるのかもしれない。
「そだ。アリューシャ、午後は魔術師科の護身術があったよね?」
魔術科も魔術だけを学ぶ訳ではない。
騎士科の生徒も魔法に対抗するために魔法の基礎を学ぶし、魔術科の生徒も接近戦に巻き込まれた時に備えて体術を学ぶのが、高等学園のポリシーなのだ。
騎士も魔術師も双方の特性を学ぶ事を要求されるため、この学園のレベルは高く維持されているのである。
だからこそ、入門の門戸は狭い。
「うん。ユミルお姉ちゃんが教えてくれるんだよね」
「学校では先生と呼びなさい。んでね、授業で模擬剣使うから、お友達誘って用意しておいてくれるかな?」
「はぁい!」
騎士科の剣術と魔術科の護身術では、教える事はやはり違う。
そしてそのレベルも、特薦組ともなればかなり高い物が要求されるのだ。
脳筋の騎士科には座学から。そして頭でっかちの魔術師科の連中には実践から入って、接近戦術の重要性を身をもって知ってもらった方がいいだろう。
そう思ってアリューシャに準備をお願いしたのである。
さて、もうすぐお昼も終わりだ。ボクも午後に備えて準備を始めねばならない。
少し短いですが、今章、残り2話です。