第二百十四話 テンプレ
春になり、アリューシャ達も無事高等学園へ通うようになった。
通学にはウララ達スレイプニールを使っているので、ボク達は王都でも非常に目立つ存在になっている。
元々アリューシャは、かなり人目を惹く美少女なのだが、そんな彼女がスレイプニールに跨って颯爽と街の中を駆けるのだから、ボクも声を上げざるを得ない。
「アリューシャ! スカートで跨っちゃいけません! 見えちゃうでしょ」
「えー、横乗りは安定しないから嫌いー」
「はしたなく跨るのはボクだけにして!」
「え、いいの?」
「やっぱダメ」
くそう、最近のアリューシャは下ネタすら効かなくなってきていて、保護者の立場がガタ落ちである。
そんな朝の恒例行事を終えてアリューシャを送り出してから、ボクも出勤準備を整える。
本来ならば教員であるボクは、アリューシャより早く学園に向かわねばならない。
だが、ボクがアリューシャを抱えている事と、ボクの家周辺に生徒が集まっている事で、多少遅い出勤も大目に見てもらっているのだ。
朝食の片付けを終え、隣の家に行ってテマとジョッシュ、ついでにエルドレットとカルバートとを叩き起こす。
特にエルドレット家のメイドさん……エレーンさんと言うのだが、なぜか朝に弱いのだ。いわゆるポンコツメイドである。
両親はどうしてこんなのを息子の補佐に付けたし?
「ほら、エルドレットも起きなー! エレーンさんも起きてー!」
玄関のドアをガンガン叩いて、近所に響き渡るくらいの声で叫ぶ。
本来近所迷惑になるほどの大音声だが、ここが郊外である事が幸いして、やりたい放題だ。
対して、カルバートは縁戚の老夫婦が家主になっているので、朝はしっかりと起きてくれる。
ただしこの老夫婦、かなりボケが来ているのでボクが知らせないと、休みに遊びに来てくれた孫みたいな感覚で、延々と寝かせてしまうのだ。
ボクの声で学園の登校を思い出し、カルバートを起こすというルーティンに入ってしまっている。
もちろん保護者たちがそんな有様なので、彼等の朝食は用意されていない事が多い。
そこでボクは、アリューシャに出した朝食の残りをサンドイッチなどにしてご近所に配っているのだ。
なんだかボクが寮母みたいになっていて、とても忙しい。そんな実状を学園側も配慮してくれたのか、始業ベルにさえ間に合えば、苦情を言ってこなくなっていた。
そんなご近所の生徒達がサンドイッチを咥えながら慌てて駆け出すのを、二階のベランダから眺めつつ、ボクも出勤用の服に着替えていた。
本来ならボクもアリューシャも帰宅が遅いので、洗濯とか干していきたい所なのだが、そこはそれ、ボク達はいわゆる美少女である。
下着ドロなんかも恐れて、無人の家屋に干しておけるはずもないのだ。
そういう訳で洗濯はスラちゃんにお任せしてある。
汚れだけ捕食してもらう――という訳ではなく、スラちゃんに洗濯を干してもらい、雨が降ったり乾いたら取り込んでもらうのだ。
スラちゃんは最近、メルトスライムからさらに上位のスライムロードへと進化していた。
今までのような単純作業だけでなく、細かな作業も自分の判断でこなせるようになっていたのだ。彼等はどこまで進化するのか、ボクも怖いくらいである。
なお活躍の度合いがスラちゃんより少ないのか、それとも経験値テーブルが彼等より厳しいのか判らないが、スレイプニールたちは進化していなかった。
あれ以上進化されても困るけど。
ゴツゴツと裏口のドアを叩く音と、『グルルル……』という唸り声でボクは我に返った。
そろそろのボクも出勤の時間である。
慌てて玄関や窓を戸締りし、スラちゃん達にお留守番をお願いしつつ裏口から出る。
裏口のすぐ脇には大きな厩舎が設えられていて、そこからリンちゃんが首を伸ばして、ドアを叩き、時間を知らせてくれていたのだ。
「おはよう、リンちゃん。それじゃ今日も頑張っていきましょうか!」
颯爽と出勤用のスーツ姿でリンちゃんに跨り、学園へと駆け出していく。
このスーツは服飾店のお姉さんが用意してくれた物で、『ミスマッチ、グッジョブ!』とか言っていた。
あの店、大丈夫なのだろうか……
ボクもリンちゃんに跨ると、タイトなスカートが捲れ上がりふとももが剥き出しになっている。
露出にわりと無頓着な辺り、ボクもアリューシャの事は言えないのだった。
遠くで朝八時半を知らせる鐘が鳴り響く。
王都では三十分おきに、礼拝堂で時刻を知らせる鐘が鳴るのだ。
そして高等学園の始業は八時四十分、つまりあと十分である。
「あれ? 今日は少しゆっくりしすぎた?」
この時、ボクはまだ家を出たばかりだったのだ。つまり、このペースでは間に合わない。
「やっべ、まずい遅刻遅刻ー!」
慌ててリンちゃんの首筋を軽く叩いて、加速させる。ボクの意図を悟ったリンちゃんは猛然と加速を始めた。
飛べばいいと思うかも知れないが、上空警備が厳しい王都では無許可の飛行は違反行為にされてしまうのだ。
過去にリンちゃんは対空防御網を突破した経験もあるので、その辺りの監視の目が少し厳しいのである。
なので街中にいる間は、大人しく地上を走る事にしていた。
時間に押されて変なテンションになっていたのか、ボクはお約束のセリフを口にしてリンちゃんを走らせる。
それがフラグ立てになってしまったのかどうか……リンちゃんが大通りへ出る角を曲がった時、ドガンと派手に人をはねてしまっていた。
「ちょ、リンちゃん!? 前方注意ー!」
「がぁう」
申し訳ないとばかりに頭を下げるリンちゃん。
よく見ると跳ねた人はそのまま通りの反対側まで吹っ飛ばされ、木箱を積み上げた山に頭を突っ込み気絶していた。
さすがに轢き逃げは良くないので――というか犯罪なので、ボクは慌ててリンちゃんから飛び降りて跳ねてしまった人の介抱に向かった。
その人……というにはいささか若過ぎて、まだ少年という年齢だった。
年の頃はアリューシャと同じくらい。つまりボクの外見とそう変わらない年齢に見える。
細く伸びた金髪は艶やかで、顔つきも繊細な造りをしている。まさに典型的美少年って顔だ。
「……捨てていこうかな?」
生前、平々凡々とした顔つきで彼女すらいなかったボクとしては、いささか殺意を覚えるほどの美貌だった。
とは言え、実際に捨てていくとボクが犯罪者になってしまうので、そうも行かない。
ざっと全体を診察してみたら、気を失ってはいるが特に外傷も存在していないように見えた。
骨折なども存在していないだろう。これは衝突直前にリンちゃんが体を捻って直撃を避けたからだ。
もし真正面から衝突していたら、今頃彼は肉片である。
「念のため、【ヒール】だけでもかけておくか」
騎士学科担任、剣術教員として学園に勤務するボクは、怪我人に出くわす可能性が非常に高い。
なので、いつ怪我人が出ても困らないように、常に回復用アイテムは常備していた。
今回は髪をまとめている髪飾りが、お馴染みのヒールを使用できるようになるアクセサリーだ。
「ま、ボクの回復魔法は気休め程度だけど……」
髪飾りで発動できる【ヒール】は非常に弱い、最低レベルのモノだ。
だが、これでも一般人にとっては過剰とも言える回復量を誇る。全てはボクの能力値の底力である。
体勢を安定させるため、頭を膝に乗せて横にする。
さすがに木箱に頭を突っ込んだ、尺取虫みたいな恰好で尻から【ヒール】をするのは、エレガントじゃないからだ。
いや、それでも効果はあるけどさ。
とは言え道端で美少年を膝枕するというのはさすがに気恥ずかしい。
道を行き交う人がボク達を見て微笑ましいモノを見ているかのような表情で通り過ぎていくのも、癪に障る。
そうこうしている内に、始業開始の鐘の音が学園から聞こえてきた。完全に遅刻である。
「ああ……これはクラス主任に怒られる」
クラス主任とは、まぁ、いわば学年主任のような物だ。
高等学園では学年ごとの横割りではなく、クラスごとの縦に担任を持つ。
ボクは特薦クラスの担任で、一年特薦クラスから三年特薦クラスの三学級の剣術の授業を受け持っているのだ。
「しかたないなぁ。リンちゃん、手紙書くから主任に届けてきて」
授業に使う帳面を破り、筆壷からペンを引き抜いて事情を記した手紙を即興で作る。
まだ赴任して一ヵ月も立っていないのに人身事故とは、ツイていない。
手紙を受け取ったリンちゃんはドスドスと足音高く走り去っていった。正直また人をはねないか心配な勢いである。
だが少年もここで放置する訳には行かない。
道行く人に頼んで警邏の兵士を呼んできてもらおうかと思い始めた矢先、膝の上で少年が身じろぎした。
「あ、気が付いた?」
「う……ん、ここは……ボクは……」
「ゴメンね。リンちゃんが前方不注意で君を撥ねちゃったみたいで」
「リンちゃん? 撥ねる……あ、そうだ! 学校!?」
勢いよく起き上がった様を見ると、怪我の様子はもう完全に問題ない様だ。
だが頭を打っているのだから、後遺症も心配である。
ボクは手紙に使ったノートの切れ端の残りを使い、自分の名前と高等学園の名を記す。
「怪我は癒したけど、頭を打ってるから今日は安静に。また何かあったらここに知らせて」
「え、癒して……って、君が? 治癒術使えるの?」
「まぁね。それじゃボクは急ぐから。お詫びは後で必ず」
手を振って駆けだそうとすると、背後から声を掛けられた。
「あの、ボクはルイス・ブラウン!」
「ユミルだよ。姓はないから」
名前はメモに記してあるが、名乗られたら返すのは礼儀だ。
こうしてボクは美少年のルイス君と別れたのである。
学園に到着すると、イヤという程こってりクラス主任に叱られた。
元々時間的にはもっと早く登校すべき所を大目に見てもらっていたのだ。それが街中で暴走した挙句、交通事故である。
無論、進んでやっている職ではないのでいつでも辞めていいのだが、それはそれでアリューシャの教育によくない気がする。
請け負った仕事は果たさねばならないのだ。
「本っ当に申し訳ありません」
「今後はこのような事の無いように、時間に余裕を持ち、周囲に注意して出勤するように」
「はい」
「後、その少年には後で謝罪に訪れなさい。こちらに連絡が来たら、お知らせしますから」
「本当にお手数をおかけしまして……」
「そもそも名前しか聞いていないなんて、片手落ちもいい所です」
「アハハ……なんかあそこに留まると、ヤバい気配を感じちゃったので」
早朝、遅刻と叫びながら交差点で美少年と衝突するなんて、どこのマンガかと。
それもヒロイン枠がボクとか、断固としてあり得ない。
いや、むしろ衝突したのはリンちゃんなのだから、ヒロインはリンちゃんなのか?
そうなると、美少年と爬虫類系の絡みか……
「ありかもしれない?」
「なにがです?」
「いえ、なんでも」
脳内に溢れ出した、腐った嗜好を追い払いながら、ボクはシラを切った。
ちなみに腐方面への理解もあるつもりである。センリさんが稀に熱く語ってるし。
それにしても、ルイス=ブラウン君ね……ん、ブラウンってどこかで聞いたような……?
前話が番外編みたいな話だったので、今日はもう一話投稿します。