第二百八話 武技試験
アリューシャは試験官の人にペコペコ頭を下げて謝っている。威力の上限を見誤ったミスだから、これはアリューシャ贔屓なボクも擁護できない。
そんな姿を後ろに見ながら、ボクは一人、騎士学科試験場へと向かったのだ。
こちらは建物の外の運動場で行われており、基礎体力測定と実戦での実力を測る実技試験が行われている。
すでに他の受験者は体力測定を終えており、計測場はボク一人だけでやる事になった。
実に侘しい……
「ではまず垂直飛びから。この石灰の粉をこちらの板に叩き付けてください。直立状態との高さの差で跳躍力を測ります」
ボクの案内についてくれたのは、新人らしい若いお姉さんだった。男性教諭が多いこの高等学園では珍しい。
スラリとした肢体の、美人という程ではないにしても愛嬌のある顔立ちで、第一印象の好感度は高い。
測定器具の入ったカバンを肩から斜めに下げており、それが胸の谷間を圧迫してバストラインを強調している。これがパイスラッシュという奴か。
ボブカットの黒髪も素朴な感じだし、意外とモテそうな人だ。
「はぃはぃ。んじゃ行きますよー」
「どうぞ」
まずは壁に寄り添って立ち、基礎の高さを調整する。
測定版を少し……いや、かなり下に下げてボクの指先が起点になるように調整してもらった後、ボクは軽くジャンプして――板の上部にぶら下がった。
「お姉さん。こっから先、板が有りません」
「………………この板、二メートルはあるんですけど」
「助走無しでも五メートルはイケますよ、ボク」
「……測定不能っと。次は反復横飛びです。私が数えますので、こちらの三本の先を跨ぐ様に往復してください」
こちらもボクがシュバババッと残像が残るほど高速で往復した結果、試験官のお姉さんが泣きながらギブアップを申し出た。
砲丸投げでも百メートルを超えて校舎まで投擲し壁を破壊、腕立てはいつまで経っても終わらない。
ちなみに三千メートル走は一分で終わった。
そんな感じで測定不能の文字を延々と並べつつ、ボクがようやく武技試験が行われている屋内体育館の武道場にやってきた時は、すでに半数の受験者が試合を終えていた頃だった。
受験者の試合を監督していた、年嵩の男性試験官がこちらに気付いて、気さくに声を掛けてくる。
短く髪を刈り上げた、いかにも爽やか系スポーツマンっぽい人だ。きっと夏は浜辺でブーメランパンツを履いているに違いない。
「おう、アリスン。特枠の測定はもう終わったのか?」
「先輩、この人むちゃくちゃですよぅ!」
なんだか急に舌っ足らずな感じの口調になって、涙目で先輩試験官に詰め寄るお姉さん。
先輩の人はお姉さんからボクの測定結果を受け取り、一通り目を通した直後、スパンとお姉さんの頭を叩いた。
「なんだこれは! きちんと測定したのか?」
「しましたってぇ! 測定してそれなんですよ、この人!」
「走り幅跳びは――」
「砂場を飛び越えました」
「十メートルはあるだろ、あそこ……握力は?」
「これが測定器です」
お姉さんは肩にかけたカバンから、ボクが握り潰した測定器を取り出す。
それは小さな手の形に無残にひしゃげていた。
「……………………怪獣?」
「失礼な。握力は剣士の生命線ですよ! 武器が飛ばされたら致命的な隙になるじゃないですか」
岩より堅いモンスターを殴ったり、真空刃を発生させるほど高速で剣を振るのだ。
貧弱な握力では剣の方がすっ飛んで行ってしまう。
「それは判るが……この小さな手が、かぁ?」
ボクの手を無遠慮に取って、にぎにぎとその感触を確かめる先輩試験官。
なんだか微妙にセクハラ受けてないかな、ボク?
「先輩、先輩! それより試験の続きが、ですね――」
アリスンと呼ばれたお姉さんが、慌てたように試験の続きを促す。
なんだか顔が赤くなってる辺り、微妙なラブ臭がする。だが、先輩試験官は全く気付いてない様子だった。
「ん? ああ、そうだったな。それじゃあ、次の対戦に割り込ませるか。えぇっと……テマ君だったか、君が彼女の相手しろ」
「死ぬわあぁぁぁぁぁ!?」
唐突に指名された次の受験者が、偶然にもテマだったようだ。
彼はボクを容赦なく指差し、悲鳴を上げる。
「なに、テマ。ボクが相手だと不満?」
「不満とかそういう問題じゃない! せめて勝てる勝てない以前に、実力を見せる機会のある相手を選んでもらいたい! 切実に!」
「どういうことだ? 彼女だと実力を発揮できないのか?」
テマの絶叫に先輩試験官が首を傾げて疑問を呈する。
彼が言った意味があまり理解できなかったのだろう。
「実力を発揮する前に蹂躙されるんです。俺の実力じゃ、持って数秒。三秒後には確実に気絶させられてる」
パワーレベリングの合間にも、彼等とは何度となく手合わせをしていた。
その時の結果が、攻撃役のテマで三秒、防御役のジョッシュですら五秒が限界だったのである。
ちなみにスキル・魔刻石無しで。
「そこまでか……?」
「あの身体能力なら、さもありなんです」
試験官二人が冷や汗を流して納得する。
だがその数値を知らない別の生徒は、冷ややかな視線をテマに送っていた。
「あんなチビッ子に三秒しか持たないような奴が騎士学科に?」
「出直してきた方がいいんじゃないかな?」
「戦いを前に怖気付くなど、騎士の風上にも置けないだろう」
その陰口はボクの耳にも届いていた。
というか、ボクの耳だからこそ、聞き付ける事が出来たというべきか。
後、ボクをチビッ子呼ばわりしたあいつは絶対許さん。
「じゃあ、試験官……ええっと……」
「ン、俺か? 俺はファリアスだ」
「ではファリアス教官。あそこの人達が自信有り気なので、あの人達と戦わせてください」
「あいつ等か?」
すでに試験を済ませていたのだろう。ファリアス教官はファイルに記載されたデータに目を通し、一考する。
「まぁ、いいだろう。ではテマ君は引き続きジョッシュ君と対戦。その前にユミル君とカルバート君の模擬戦を行う」
「えっ、ユミル?」
ボクの名をようやく聞きつけたのか、対戦相手のカルバート君が、慌てたような声を上げる。
この近辺でも、ボクの名前は知れ渡っている。
実はボクは表立っては大きな功績を立ててはいなかったりする。タルハンでの大氾濫ではセンリさんが表に出たし、モリアスの騒動は極秘裏に処理されている。
ユミル村での戦闘はヒルさんの指揮によるものとされているので、その戦功にボクの名は無い。
なにせ、ボクが町を飛び出した一時間後での壊滅劇だ。本来ならボクが間に合うと思うはずもないのだ。
ではなぜボクの名が知れ渡っているのか? それは、かつての強豪であるレグルさんより強いという噂のおかげである。
それほど、彼は英雄としてこの国で名を馳せていたのだ。
そしてボクはそのレグルさんに勝てる。その事実だけで、ボクは脅威の対象として看做されている。
「模擬剣はそこにある。他にも斧や槍もあるから、好きな物を使ってくれていい」
「実剣は使用不可ですか?」
「さすがに死者を出すのはマズイ」
「スキルやアイテムの使用は?」
「それは構わない。スキルを使用する事で真価を発揮できる戦闘スタイルもあるからな」
ボクが模擬剣を適当に選び試合の場に立つと、対戦相手のカルバート君が膝をがくがくと震わせながら対面にやって来た。
名前からして恐らく貴族の子息。この場に立ったのも、ほとんどその意地に支えられての事だろう。
育ちのよさそうな顔をあまりにも蒼白に染めて、見ていて可哀想になるくらいだ。
あまり意地が悪そうには見えないので、さっきの一言は口を滑らせただけかもしれない。
「だがチビッ子といった恨みは忘れん」
「――ヒィッ!?」
ドスの利いた声でそう呟くと、引き攣ったような声を漏らす。
こうしてボクの対面に立ち、相対する事でようやく実力を実感する事が出来たのだろう。
実力差を見抜くことができるのだから、それなりに腕は立つ方なんじゃなかろうか?
「それでは模擬戦、始め」
ファリアス教官の淡々とした開始の合図。しかしカルバート君は一歩も動くことができなかった。
完全に足がすくんでいる。
実力差を計れるならば、おそらく彼は合格枠に入っているのだろう。
そんな受験生を一蹴してしまっては、彼が可哀想である。
陰口の恨みは晴らすとしても、それなりに彼の見せ場は作ってやった方がいい。そう判断してボクも待ちの姿勢に入る。
お互い睨み合ったまま、数十秒。
ファリアス教官が警告を発しようとした、その時――ようやくカルバート君がこちらに動いた。
「う、うわあぁぁぁぁぁぁ!」
悲鳴とも気合とも付かない、奇妙な叫び。
その一声から突き出される、意外と鋭い突き。
ボクはこれを剣で絡めとる様にして逸らし、鍔競り合いの状況に持っていく。
その体勢でカルバート君にだけ聞こえるように、小さく囁いた。
「最初の一分は攻めさせてあげる。その間にいいところを見せないと……不合格になっちゃうよ?」
「――――!?」
この一言でようやくここが試験会場である事を思い出したのか、意外と強い力でボクを突き放し、がむしゃらとも言える勢いで攻めだした。
その攻撃は、やや技の鋭さには欠けるが力強く、初心者というレベルは充分に上回っている。
「ふむ、テマの方が少し強いかな?」
その攻撃をまるでそよ風のように往なしながら、ボクは相手の力量を測り終えた。
パワーレベリングを終えたテマとジョッシュは、すでに中堅冒険者を軽々と超える程度の実力を持っている。
カルバート君はテマには及ばないが、冒険者としてなら充分にやって行ける程度の力量はあるだろう。
その腕前を充分にファリアス教官に見せつけた所で、ボクは反撃に出る事にした。
軽く模擬剣を一振り。
それだけでカルバート君の持つ模擬剣の先が、スパンと切り落とされる。
もちろん、ボクの模擬剣には、刃は付いていない。と言うか木刀だ。
「は? え……?」
「ほら次、行くよー」
いきなり数センチ短くなった剣に、唖然とした表情をするカルバート君を無視して、ブンブンと剣を振り回す。
その度に彼の持つ剣は数センチずつ短くなり、やがて短剣程度の刀身を残して細切れになってしまった。
もはや戦えない。それを見せつけた状態で彼の喉元に剣を突き付ける。
その刀身は彼の模擬剣と同じ、まごう事なき木製である。
「ファリアス教官、これで勝負あった、ですよね?」
「えぅ? あ、うん……」
木で木を斬ると言う非常識な技を見せつけられ、言葉を完全になくしていたファリアス教官は、慌てて試合を止めた。
まぁ、ここまでやれば不合格にはならないだろう。
少なくとも、アリューシャが侮られるような事態は避けられたはずだ。
もしアリューシャがイジメなんか受けたら、ボクという後ろ盾がやってくる。そう見せつけられただけでも、今回の価値は充分にある。
「えー、勝者ユミル君。だがカルバート君も攻撃の気勢はなかなか良かったぞ。お前達が未熟なのは当たり前だ。それを伸ばすために俺達がいる。あまり気を落とすな」
「は、はい」
「それから人を外見で判断する危険も、学べただろう?」
「聞こえてたんですか!?」
「教官だからな。耳はいいんだ。特に悪口は聞き逃さないぞ?」
無表情ではあるが、少しばかり胸が反り返っている。耳のよさが自慢なのかもしれない。
だが、ボクとしては一言あって欲しかったところだ。
「さすが先輩です!」
「いや、聞こえてたんなら止めなよ……」
問答無用で称賛するアリスン試験官にツッコミを入れつつ、ボクは受験生の列に戻ろうとした。
そこへ届いた、愛らしい声。もちろんアリューシャのそれである。
「あ、いたいた。ユミルお姉ちゃん、応援に来たよ!」
「おー、いらっしゃいアリューシャ。でもボクの試験は今終わっちゃって……」
「え、間に合わなかった? 残念ー。あ、でもテマとジョッシュの試験が残ってるよね?」
「うん。あ、そうだ! こうなったらボクが二人の試験の相手を――」
「こら、勝手に試験を仕切るな!?」
せっかくアリューシャにいいところを見せる機会なのに、無粋なツッコミを入れてくるファリアス教官。
結局ボクはアリューシャと並んで、テマとジョッシュの試合を眺めるしかなかったのである。
ちなみに攻撃型のテマと防御型のジョッシュの戦いは、お互いが似通ったレベルと言う事もあり、非常に白熱した一戦となった。
これは受験での名勝負として、後に語り継がれる事になった程である。