第二十話 第六層
随分長い間落下してた気がする。
気が付けばボクは床に倒れ伏していた。少しの間、気を失っていたのかも知れない。
周囲には光源がなく、ボクやアリューシャのかぶっていた天使の光輪や聖火王の冠がなければ、完全に闇に閉ざされていた事だろう。
「――っ! そうだ、アリューシャは……!?」
幸い、彼女も聖火王の冠を装備していたので、この闇の中でもすぐに見つける事が出来た。
だが、ボクと同じように気を失っているのか、ぐったりとして動きが無い。
「アリューシャ、大丈夫――ぁ……」
慌てて抱き上げようとしたその手に、ぬるりとした感触。
白い光源の中で手が赤く染まっていた。
「血……怪我して――あ、医者! いや、ヒールポーション!?」
アイテムインベントリーから高位の治療薬を取り出して飲ませようとするが、手が震えてなかなか上手くいかない。
口元から零れ落ちる液体を見るに、あまり効果は出ていない様子だった。
「ダメだ、飲まない……これは口移しとかで無理矢――あ!」
そうだ、薬に頼らなくても【ヒール】というスキルがある。
これは聖職者系初期職の侍祭が所持するスキルで、魔法攻撃力に応じたHPを回復させることが出来るスキルだ。
もちろん本来なら魔導騎士には使えないスキルで、例え使えたとしても効果は微々たる物だ。
だが、詠唱用装備を掻き集めていたボクは、ブリューナクという【ヒール】を使用できる様になる武器を持っていた。
しかもユミルは魔法攻撃に特化している分、効果もそこらの聖職者に引けを取らないくらい高い。
早速インベントリーを操作し、白く輝く槍を取り出し、装備する。
スキルウィンドウを操作し、【ヒール】を呼び出して使用。
「頼む――【ヒール】!」
ゲームではこれで千二百程度のHP数値は回復できたはずだ。ユミルの最大HPからしたら微々たる物だけど、初期クラスだと鼻血が出るほどの回復量になる。
問題はこの世界で、その千二百という回復量がどの程度の効果を持つのかという事だ。
実はアリューシャのHPが十万を超えてましたとか言わない限りは、充分効果があるはず……
目を覚まさないので、続け様に【ヒール】詠唱する。
高い魔法攻撃力は豊富なMPにも直結するので、ユミルなら何十回も使用できる。
二度、三度と使用し続けたところで、抱き上げたアリューシャがピクリと反応した。
「……ん、んぅ……あぅ、ゆーね?」
「あ、アリューシャ! ねぇ、大丈夫?」
「うん、でもちょっといたい」
「待って、もっと【ヒール】掛けてあげるから」
もう一度【ヒール】を掛けると出血は完全に止まったようだった。
痛みが引いて身体を起こしたアリューシャを見て、ホッと一息吐いた。
「よかった、本当に心配したんだよ」
大事にならなかったので安心して、アリューシャをぎゅっと抱きしめる。
小さく柔らかな感触の中に微かに鼓動の響きが感じ取れて、頭の真にこびりつく様に存在した焦燥感がジワリと溶けていく。
「ゆーね、いたい」
「ゴメン、でももうちょっと――」
子供特有の高い体温と柔らかな感触に癒されているのだ。出来ればもう少し堪能したい。
抱きしめたままコロンと横になり、頬擦りをしてアリューシャの感触を楽しむ。
「ん~、至福の感触。このほっぺは人をダメにするね」
「んぅー! ゆーね、もうはなしてぇ」
流石にしつこすぎたのか、バタバタとアリューシャが暴れだしたので、解放……残念。
「それより、ここどこ?」
「ん、ちょっと待ってね」
マップウィンドウを開いて、最大限に表示する。
なにやら奇妙な部屋で、中央に大きな広場があり、その東西南北に小部屋が隣接している。
ボク達は今、南の小部屋にあたる場所に居る事になっている。そしてその部屋の南端に、青い輝点が表示されていた。
「あ、階段があるね、この部屋」
「……え?」
ボクが指差した先は……土砂で埋もれていた。
「さっきの地震か……困ったなぁ」
さほど困った風でもなく、頭を掻いてみせる。
本当は狼狽するほど困った状況なのだけど、あまり慌てるとアリューシャを不安にさせてしまう。
「ゆーね……」
「ま、そんな必要もなく不安になるか。大丈夫だよ、アリューシャ。食料はたくさんあるし、穴掘りの道具だって持って来ているもの」
「でも――」
「万が一出られなかったとしても、住む場所が迷宮の外から中に変わっただけの事だよ」
崩れた場所を根気よく掘れば、いずれは外に出れるだろう。
それに迷宮には『現状を維持する能力』がある。地震で迷宮が崩れたのなら、それを復元しようとするはずだ。
今までの経験からするなら、一日も経たずにこの土砂は元の場所に戻るだろう。
「――だから、すぐに上に戻れるようになるよ?」
「でもゆーね。めーきゅーって、そのばしょに人がいると『へんか』しないんだよ?」
「へ?」
アリューシャの話によると、迷宮は『現状を維持』しようとするけど、その場に人がいる場合、その復元力が働かないらしい。
それもそのはずで、考えてみればその場に人がいても復元するなら、ポップ待ちの様な対応が取られてしまう。
ポップ待ちとはゲーム用語で、一定の時間、同じ場所でモンスターが再配置される場合、そこで待ち構えることで効率を上げるプレイの事だ。
この迷宮の場合、一例だが……木を切り倒し、その場で復元されるのを待ち、復元されたら木を切る。そんな事だって出来てしまう様になる。
逆に大きな岩を削り取ろうとしたら、一日かけて岩を削り、睡眠を摂ったら翌朝には元の木阿弥に、なんて事も起こるかも知れない。
この世界の神様もそんな都合のいいシステムは嫌ったのか、それとも迷宮の防衛本能なのか判らないが、そういった『復元』は外部の存在が居る場所では、起こらない様になっているらしい。
「つまり、ボクらがここに居る限り、この階段は……」
「うん、つかえない」
「ダメじゃん!?」
いや、もちろん穴を掘る作業は可能だ。
ここに居る限り『復元』しないのなら、そのうち掘り抜いて上に向かう事もできるだろう。
だが、それなら別の場所に向かう方がよっぽど効率がいい。
水やミルク、食料はインベントリーに収められているけど、そこまで長く居座りたい場所ではないのだ。真っ暗闇だし。
「しかたない、復元を邪魔しない場所まで移動しよう」
「うん、あなほりはしんどいし」
「む、子供が労働を嫌っちゃいけないなぁ」
「えへへ」
ボクが子供の頃はは祖父の畑仕事とか、喜んで手伝ったものだ。
アリューシャも冗談だったのか、悪戯っぽい笑顔を向けてくる。
とにかく、ボクらがここに居ると復元を阻害してしまうのならば、一刻も早く立ち去った方がいい。
アリューシャの体調を確認し、念のため回復剤を一本飲ませておいてから、北の通路に足を踏み入れた。
この階層は……六層になるのだろうか? この通路は一層の通路を思い起こさせる。
真っ暗な通路は幅が広く、五メートルはあろうかという広さだ。
ただし一層と違って周囲に物音はなく、背筋が寒くなるほどの静寂が辺りを支配している。
アリューシャには辛いだろうけど、背負子は使用しないで歩いて付いてきてもらった。緊急事態に備えるためだ。
「しずか……だね」
「うん、敵の気配が全く無いね。こんな階層は初めてだ」
「なんだか、こわい」
怯えるアリューシャを見て、ふと思った。
彼女の攻撃手段はたった一つ、聖火王の冠による【ファイアボール】のみだ。
もし火属性攻撃に強い敵が出たのなら、無力化すると言っていい。
別属性の攻撃用武器も持たせておいた方がいいかも知れない。
「ちょっと待ってね……」
ボクはインベントリーを操作し、内部にある装備を検索する。
ふと目に付いた装備を手に取り、首を傾げた。
「今、アリューシャのレベルってどうなってるんだろう?」
「……れべる?」
「うーん……これ、持てる?」
取り出したのはスティックと呼ばれる武器だ。
一見杖のように見えるが、こう見えても剣の一種で、レイピアの様に突いて使用する。
ただし、この武器の真価はその付加能力にある。
鍛えれば鍛えるほどに魔法攻撃力が上がり、さらには【フォーススラッシュ】と呼ばれる霊的攻撃魔法が使用できる。しかも最大レベルで。
ボクが持っているものは、かなり高位の精錬を積んでいるので、これで魔法を使用すればかなりの威力が出るはずだ。
しかもこれは、スティック以外の魔法にも効果があるので、聖火王の冠の【ファイアボール】の威力も上がる事になる。
初心者クラスでも使用できるのだが、要求レベルがかなり高いため、使いこなすのは難しいアイテムと言える。
「アリューシャはボクと三ヶ月この迷宮に潜り続けた訳だし、単独で敵を倒した事も結構あるし……ひょっとしたら装備できるかも知れない」
この三ヶ月間、難易度が高いと言われる迷宮に潜り続けてきたのだ。
しかも速いボクの動きについてきて、的確な支援を飛ばせるだけの経験を積んでいる。
ゲームならばレベルが上がっていないはずが無い。
アリューシャはおずおずとスティックに手を伸ばし、普通に持つことができた。
そのまま、ブンブンと何度か素振りしてみせる。
「どう?」
「うん、もてる」
「これも聖火王みたいに魔法が撃てるんだけど……使えるかな?」
「ちょっとまってね……【ふぉーすすらっしゅ】?」
「そう、それ!」
試しに壁に向かって撃ち出してもらう。
【フォーススラッシュ】の詠唱はかなり短いため、物凄い速さで魔法陣が描き出される。
ほんの一秒未満の時間で完成した魔法陣は、魔法を起動。
すると白い光が杖先から拡散するように広がり射出された。そして壁の一点に向かって再度集束する。
ゴガン! と、凄まじい衝撃音が響き渡り、壁の一部が破裂した様に抉られた。
「うわぁ……」
「すごーい」
今までアリューシャが使用していた【ファイアボール】は範囲攻撃に重点を置いていたため、攻撃力自体はそれほど高い魔法ではなかった。
だが【フォーススラッシュ】は単体に素早く強い攻撃を撃ち込む事に特化している魔法だ。
その魔法陣の展開速度は【ファイアボール】よりも早く、威力に至っては3倍ほども出ていた。
「これ、威力は凄いけど消耗が激しいから、使い所は間違えないでね?」
「うん!」
やはりアリューシャもこの迷宮でレベルアップしていたらしい。しかも大幅に。
これだけの威力が出せる魔法があるなら、充分後衛を任せることが出来る。
新しい武器と力を得て不安を一掃したらしいアリューシャを連れて、さらに奥へと進む事にした。
その通路の先は、巨大な扉によって封じられていた。
高さ五メートルはある扉は、アリューシャを封じていた部屋の扉にも似通っている。
ひょっとすると、彼女以外にも捕らえられている誰かがいるのかも知れない。
「アリューシャ、行くよ」
「うん」
もちろん、出てくるのはそういった被害者だけとは限らない。
そして開かれた扉の先にいたのは――被害者ではなかった。
巨大な角、太く逞しい足、十メートルを遥かに超える巨体。
狼の様に長い鼻の下には相応の口があり、そこに並ぶ牙はそれぞれが短剣の様な鋭さと大きさを持っていた。
「――ベヒモス、なのか……」
ミッドガルズ・オンラインで何度か戦った事のあるエリアボス。
それが今、ボクの前に立ち塞がっていた。
今日はもう一話行きます。
次回ガチバトルになります。