第二百四話 試験勉強
その日の夕刻。
三人とアリューシャは客室の部屋に籠って受験勉強をしていた。
勉強の必要があるのはアリューシャとジョッシュだけなのだが、なぜかテマとラキも一緒に勉強する事になったのだ。
タルハンの屋敷の風呂で軽く汗を流し、パジャマ姿になってちゃぶ台のような小さなテーブルに車座になって座り、教材の本を開く。
すると前のめりになって問題を解くアリューシャの胸元に三人の視線は釘付けになった。いや、四人か。ボクも釘付けになったから。
「コラ、見る所が違うでしょ」
思わず生唾を飲む三人の後ろ頭を、監督役のボクがはたいた。
一番生唾飲んだのはボクだった気がしないでもないが、それはそれ、これはこれである。
「というか、アリューシャも気を付けなさい。そろそろ谷間が凶器になるお年頃なんだから」
「んぅ?」
いつもの鳴き声を上げて首をカクンと傾げる様は、子供の頃のままである。
だがその無防備さがそろそろ危険だ。これは目を離す訳には行くまい。
「というか、なんでテマとラキが一緒にいるのよ?」
「え? だってジョッシュと二人っきりにする訳には行かない……じゃなくて、階位の上昇でどれだけ知力が上がったか、僕達も興味があるんです」
「だよなぁ。俺もいつまでも先輩に馬鹿扱いされて、ムカッ腹が立ってきてるし」
ラキは本音をポロリと、テマは乱暴に勉強会に参加した理由を述べた。
確かに子供の頃から暴れん坊だったテマは、先輩から侮られる事が多い。
人間では多少腕力が強い程度では、モンスターに対してアドバンテージになり得ない。
筋力がボク並みに桁外れになっていない限りは、大してダメージ量に差は出ないのだ。
では、筋力は何に関係するのか? それが最も顕著に現れるのは運搬量だろう。
より多くの荷物を運べることは戦況の選択肢を増やす。
そしてより頑強な装備を、より大きな武器を装備する事は生存性や基礎的な攻撃力の向上につながる。
だから、冒険者は身体が資本である。だからと言って筋力任せでは生き延びられない。
そういう判断が蔓延しているのである。
テマ程度の筋力では、モンスターに対してアドバンテージにはならず、より大きな装備を身に付けられるほど強くも無い。
そんな微妙なラインを行き来しているのだ。
「ラキは魔術が使えるんだっけ?」
「簡単な【ファイアボルト】だけですけど。まだまだ覚える事が多くて……」
彼はテマの一つ年下だ。そして冒険者になったのも、一昨年学園を卒業して、しばらくしてからである。
あの放火事件の時、彼の頭の良さは理解していたが、それでも一年と少しで魔法を覚えたと言うのは、実は驚異的な速さなのかもしれない。彼は元々、一般市民なのだから。
正式な魔術師の門下に入った訳ではなく、先輩冒険者から盗んで学んでいる訳だから、実に将来有望である。
「もー、それはいいから勉強しないとダメでしょ!」
三人にボクが話を聞いていたら、アリューシャがじれて机をパムパム叩き始めてしまった。腕に挟まれて凶器がより凶悪になり、揺れる。
確かにここで無駄話するのはあまりよろしくないだろう。ボクの理性的に。
「じゃあ、僭越ながらボクが教師役で。最初の問題、まずは自力で解いてみて? それからどこで引っかかってるのか分析して行こう」
こうしてボクは何気ない振りをしつつ、勉強会に乱入する事に成功したのである。
勉強会の結果は予想外にいい結果が出たと言えた。
悪い面は、知力が増えても知識が増える訳ではなかった点だ。
どうやら知力と言う能力値は、知識量ではなく記憶力という点を現していた物らしい。
考えてみれば、知り得ない情報をいきなり知る事ができるようになるとか、おかしいに決まっている。
知力のパラメータは物事を記憶する能力と、違和感を感じ取る能力に影響を与えている様子だった。
現に問題を解く事はできなかったジョッシュ達三人だが、その問題の解き方を教えてあげると、今度はスラスラと解き明かして見せたのだ。
これは逆に考えれば良い面でもある。いま記憶力に余裕がある段階で解法や魔術を記憶させれば、それを柔軟に吸収できると言う事になるからだ。
ボクは心を鬼にして、彼らにその知識を流し込んだのであった。
「ほら、ラキ。火の術式は△をベースにした魔法陣から、装飾文を追加する事によって発動時間と効果範囲のオプションが――聞いてる?」
「は、はいィ!?」
視線がアリューシャに行きがちなラキの頭を小脇に抱え、強引に教科書に向かせる。
すると彼は顔を真っ赤にして視線を落とす。
「……なんだか覚えちゃいけない事を覚えようとしてない?」
「そんな事は! 胸の感触とか、忘れました!」
「今すぐ忘れろ! それを覚えていいのはアリューシャだけだ!」
どうやらガードが甘いのはアリューシャだけでなく、ボクもだった模様。
というか、それはこの世界に来た時からの問題ではあるけどね。
とにかく今は時間との勝負である。
彼らは階位が上がったばかりで多くの事が記憶できる状態にある。
その時間を利用して、徹底的に英才教育を施すのだ。
夜更けまでスパルタ式に詰め込んでから、ボクとアリューシャは部屋を出た。
今日詰め込んだことが明日の朝、そして一週間後に試験しても覚えているようならば、合格の目途が立つ。
とりあえずは今日の所は順調に推移していると言える。
「このまま行けば、ジョッシュも合格できそうだよね。ユミルお姉ちゃん」
スキップを踏むような足取りで、跳ねるように歩くアリューシャ。
ボクもその後ろに付いて部屋に戻りながら、同意する。
「そうだね――っていうか、このまま行くとジョッシュだけでなく、テマとラキも合格できるんじゃなかろうか?」
「あ、それいい! 今度校長先生に推薦状貰ってみよ?」
「一週間後も今日の成果を維持できてたらね」
ぎゅ、と胸元で拳を握って詰め寄ってくるアリューシャ。
その腕の動きに挟まれて、胸の谷間が深くなる。挟まれたい。
ちなみにアリューシャはブラをもう着けているが、寝る時は着けない派である。
ボクが強硬に反対した影響もあるのだ。抱かれる時の感触が違うから。いや、それはいい。
「そうなるとあの三人とアリューシャがついに同級生かぁ……」
地味に三人とも年齢が微妙にずれているので、それぞれが同級生と言う事は今まで無かった事だ。
高等学園はその入学金の高さや入試の難易度の高さから、様々な年齢の者が同じ学年になる事がある。
つまり彼らが同学年になっても、それはおかしな事じゃないのだ。
「そっかぁ、みんなと同じクラス……エヘヘ、楽しみ。あ、そうだ」
「ん? 何か思いついたの?」
「ううん、やっぱり何でもない」
これは何か悪戯を思いついたときの顔だ。
確か水鉄砲の射撃大会の時も、こんな顔をしていた記憶がある。
あの時は学園行事でこっそり参加して、ボクを驚かそうとしていたんだっけ?
「それは何か悪いこと考えてる顔だなー?」
「えー、そんな事ないもん!」
逃げるアリューシャを背後から抱きすくめ――ち、ボクの身長よりもやっぱり高くなってるや――そのまま持ち上げてボクの部屋まで連行する。
今日は危険人物の狼さんが三匹も宿泊しているので、ボクとアリューシャは一緒に寝るのだ。
いや、宿泊していなくても一緒に寝てるけど。
「ちょっと、ユミルお姉ちゃん。胸触ってる」
「罰デス。後でボクのも触らせてあげるから」
「ならいいや」
「え、いいの?」
「うん。センリお姉ちゃんに教えてもらった『禁断のてくにっく』を教えてあげる」
「ゴメン、やめるからさっきのは無しで!」
センリさん、あなたはアリューシャに何を教えているのか……そう言うのはボクが教えたいのに!
「もしやセンリさんに揉まれたりとか……もしそうなら彼女には死を覚悟してもらう必要が――」
「ちがうよ? わたしが揉んだの!」
「それなら……いいのかな?」
なんにせよ、センリさんの教育方針は今後要注意である。
悪い人ではないのだが……エロい人ではあるけど。
翌朝、食堂にやってきた三人は少し動きがぎこちなかった。
おそらく急激なレベルアップによって、体のバランスが崩れているのだろう。
「おはよう。今日は休暇にするから、庭を駆け回って今の身体の状況に慣れておいてね?」
「あ、おはようございます、ユミルさん」
「おはよ、ユミル」
「おはようございます。その、二人は元気なんですか?」
ラキは持ち前の好奇心でボク達の状況について尋ねてくる。
確かにジャイアントアントやサンドリザードは数は多かったが、ボク達にとってはそれほど美味しい敵ではない。
あの程度ではボクのレベルは上昇しないのだ。
「んー、あの程度じゃまだまだ。君達にはかなり美味しい敵だっただろうけどね」
朝食の準備をしながら、そんな風に答えておく。
実際、低レベルの彼等にとってはかなり美味しい敵だっただろう。
例えるなら、彼等のレベルアップまで百の経験値が必要だとして、ジャイアントアントは一匹十の経験値を持つと考えればいい。
あの数を一気に倒したので、彼らはそれこそユミル村のザック達と同等レベルまで上昇していてもおかしくない。
対してボク達はと言うと、レベルアップまで百万程必要なくらいと例えればわかるだろうか?
あの程度の敵では千匹倒してもレベルは上がらないのだ。とても巣の三つやそこらでは届かない。
「ま、ゲーム的に考えるなら億でも足りないくらいだけどね……」
「え、なにか?」
「なんでもないよー。朝ごはん、食べれるかい?」
急激な体調の変化について行けず、食欲が減衰する事はよくある事だ。
今の彼等の食欲がそうなっていたとしても不思議ではない。そんな状況でも無理して詰め込んだ方がいいのだけれど……
「あ、それは大丈夫です。むしろ身体の方がエネルギーを欲しているくらいで」
「だよなー、明け方から腹が鳴って仕方なかった」
「あ、僕の分、大盛でお願いします」
ちゃっかりジョッシュは大盛要求してくる。この子は……子と言うにはかなり背が伸びたけど……結構目端が利く印象があるな。
ラキは頭の良さで状況の判断力がいいし、テマはみんなを引っ張るリーダーシップがある。
やはり三人揃ってこそ、いいチームになる感じだ。
「安心しなさい。みんな大盛にしてあげるから」
このタルハンの街では米が気軽に入手できる。
ユミル村でも高速育成で特産にしようと頑張っているが、やはり元の作地面積の差はいかんともしがたい。
そういう訳でお安く入手した米を使って、今朝はドンブリ物に挑戦してみたのだ。
海の近いタルハンならではの魚の豊富さ。それを活かして天丼風に仕上げてみた。
今のボクからしたらもはや洗面器と言っていいドンブリにご飯を大量にぶち込む。そして新鮮なアジやサバ、サンマといった魚を揚げた物をドカドカと乗っけて、醤油ベースのタレを掛けてテーブルへ並べていく。
魚だけでは臭みが出るので、シソや香の物を添えるのも忘れない。
アリューシャの分はそれより少しだけ小さめである。
彼女も女子としてはかなりの大食漢だが、さすがにこの量は無理だろう。
ちなみにボクの身体は非常にエネルギー効率が良いので、お茶碗一杯で限界なのだ。
「うー、ゆーねぇ、おはよぉ」
「おはよう、アリューシャ。子供の時の喋り方に戻ってるね」
「う……ユミルお姉ちゃん、おはよう!」
「はい、おはよう」
三人がそろった事もあって彼女も少し幼児退行してしまったのだろうか。ボクとしては少しだけ残念な気持ちもある。
あの頃のアリューシャは本当にボクにベッタリで愛らしかった。
今はどっちかと言うと、絶世の美女一歩手前という感じなのだ。子供っぽさは、かなり抜けてきている。
「今日はボクとアリューシャはキルマルでおウチ探しね。君達三人は……そうだね、セイコとウララ相手に外を駆け回ってなさい」
「え、今日もパワーレベリングするんじゃないんですか?」
「体に慣れる方が先決だよ。それから、昨夜の勉強の成果を夕方に試験するからね?」
試験と聞いて、テマは露骨に嫌な顔をしていた。
まぁ肉体派の彼としては、そういう反応をする事は想定内だ。
そう言いおいてボクは目の前の食事を攻略しにかかったのである。
年下の少年の手前、ボクが食べ残す訳には行かないのだ。
あと5話、第209話でこの章は終わる予定です。
予想より長引いてしまった……