第十九話 加入試験
「粘土……ですか?」
その日の朝はその一言から始まった。
早朝から強襲してきたアルドさんは、建築用の粘土をボクに要求してきたのだ。
「そうだ、建築に以外にも、色々使い道はあるだろう? 煉瓦も作れるし、陶器だっていける」
「そりゃ、壷とか作れるなら便利かなぁとは思いますけど」
水瓶に水筒、使い捨てられる水漏れの無い陶器の瓶。
何度、作りたいと思った事か判らない。
「迷宮には海も森もあるんだろう? だったら探せば粘土くれぇ見つかるんじゃないのか」
「うーん、今のところはまだ見つかってないんですよねぇ」
「じゃあよ、組合に依頼出すからお前さんが受けちゃくれないか?」
「ボク、組合員じゃありませんよ?」
組合員になるには試験を受けて、支部長の面接を切り抜けないといけない。
ボクは試験も面接も受けていないので、組合には加入していないのだ。
「だが、いつかは加入するんだろ? 俺が口を利いてやる。迷宮から粘土を探し出す、それを試験にするんだ」
「そんな無茶な」
ヒルさんの話によると、試験の内容は支部長の判断に委ねられている。
ただ、あまり簡単なものだと不公平だと意見が出るので、不満の出ない範囲の難易度に統一されているらしい。
この迷宮で粘土を探し出すというのがどれぐらいの難易度か判らないが、迷宮に潜って土を漁ってくる程度なんだからそう難しいものじゃないだろう。
確かに粘土はまだ見つかっていないが、森も海も草原もあって、土自体は豊富なのだ。目的を定めて探せば、そう難しいことじゃないはず。
「でも、そんな簡単に決めていいものじゃ……」
「ま、普通はそうなんだがよ。この迷宮から物を持って来いってのは、結構な試練だと思うだがな」
「まぁ、探す事には不満は無いんですけどね。ボクも欲しいし」
「じゃ決まりだな。ヒルの旦那に話通してくるぜ」
スキップでも踏みそうな軽やかな足取りでアルドさんは出て行った。
踊るドワーフなんて珍しい……
「まぁ、そういう事になったから、今日はアリューシャはお留守番してくれるかな?」
「やだ!」
「は? あのね、今日は試験なの。一人で受けないといけないから――」
「一人はやだ!」
あ……そうか、この子は迷宮の中でずっと一人でいたんだ。
だから、怖がっているんだ。一人になるのを。
ボクが戻ってこない事を恐れているんじゃない。アリューシャはボクを最強の剣士だと思っている。
だから、たとえ思い込みであっても、その点に関しては心配していないはずだ。
それよりも、一人で放置される自分を、迷宮で危険に晒されるよりも恐れているのだ。
「……判った。じゃあヒルさんに話してみよう」
「うん……ありがと、ゆーね」
自分が無茶を通した事を理解しているのか、いつもの元気な返事ではない。
しおらしく目を伏せる様はまるでどこかのお姫様のようだ。
ボクとしては無理に組合に加入する必要は無い。だから、アリューシャが嫌がるなら、試験を受ける必要なんて無いのだ。
そう、覚悟を決めて組合事務所(仮)へ向かうことにした。
引越し支度の終わっていない事務所に押しかけて、ヒルさんに事情を話す。
すでにアルドさんから話は通っていたらしく、粘土採取を試験に代用するのは、特に問題ないとの事だった。
「試験を代用するのは構いませんが……アリューシャさんも一緒ですか?」
「この子はボクと離れるのを嫌がるんで……ほら、迷宮にずっと一人でいたから――」
「それはまぁ、判らなくも無いですが。でもあんな危険な場所に、しかも採取となると、ずっと彼女に意識を向け続ける訳には行かなくなるでしょう?」
その懸念は確かにある。
採取を目的とするという事は、その目標のアイテムに集中する事でもある。
今までの様に大雑把に『こんなの』と探すのではない。ましてや今度の対象は土の中だ。
付いてくるアリューシャの安全に、気を向け続けるのは難しい。
「確かに危険はあるでしょうが……でも、今までも彼女と一緒にやってきたんです。それに彼女だって一端の冒険者になれると思います。だからボクの助手として連れて行きたいんです」
「フム。ですが、それは……いや、悪くない考えですね」
「――は?」
急に肯定の言葉を返してきた。ボクとしては、その真意が測りかねる。
「どういう事です?」
「彼女も冒険者にするという話ですよ。さっきあなたが言ったでしょう?」
「それは助手って意味で……」
でもよく考えてみよう。
ボクにしても、いつまでアリューシャと一緒にいられるか判らない。元の世界に戻る、そういう大目的があるのだから。
だとすれば、この世界で彼女が一人で生きていく手段を持っておくに越したことは無いのだ。
迷宮の権利は、ボクが消えればアリューシャが受け継ぐように、ヒルさんには話してある。
資金的に困る事は無いだろうが、生活的……技術的な物に関してはまだまだ子供に過ぎない。
だから組合に加入して、後ろ盾になってもらうというのは悪くない話だ。
「ヒルさん……もし、アリューシャが組合に加入したら、あなたが彼女の後ろ盾になってくれますか?」
「私が、ですか?」
「ええ、あなたが……いえ、この『組合草原支部長』が彼女の後ろ盾になってくれるか、ですね」
ヒルさんは組合の支部長になっているので、それなりの発言力はある。
もちろん、こんなちっぽけな支部なので、支部長同士の間では発言権は無いも同然だろう。だが、一般の冒険者や、組合の外の権力に対しては支部長という括りで言葉を発することが出来る。
それは、ボクよりも影響力があるに違いない。
「そうですね、構いません。私としてもあなたという戦力の他に、彼女にも興味がありますから」
「えっ、まさか……ヒルさん幼女趣味?」
「違いますっ!」
もちろん冗談だ。ちょっとシリアスっぽい流れになったので、茶化しただけである。
だが、これで言質は取った。アリューシャが加入すれば、ボクが居なくなったとしても彼女の面倒は彼が見てくれる。
その為には、この試験を是が非でも合格せねばならない。
「それで粘土の採取、期限はいつまでとかありますか?」
「そうですね……この迷宮の難易度と、未発見の物資の発見ですから一ヶ月というところですか」
「長っ!?」
一ヶ月とか、小屋二つ作ってお釣りが来る期間である。
「長くは無いですよ。いいですか、未発見の資源を見つけるんです。そもそも有るかどうかさえ不明なんですから、試験としては難易度は最高と言ってもいい。正直これが基準になると、今後は誰も冒険者になれません」
「そこまでとは思わないんだけどね……」
「はぁ、あなたは自分が規格外だと知った方がいいですよ」
規格外に強いのは武器の話だと、いい加減バラしてやりたい気分だ……ダメージを決定する筋力に関して、ユミル自身は本当に平均的な剣士のそれしか無いのだから。
とにかく、試験に関しては了解を取ることはできた。これさえクリアしてしまえば面接は問題ないだろう。
ボク達は意気揚々と迷宮へ足を運ぶのだった。
石造りの典型的迷宮の構造である一層は、足早に踏破する。
最短距離を歩くとはいえ、数百メートルもの距離はアリューシャにとってはきつい。
彼女のスタミナは少しでも温存しなければならないので、背負子に背負って踏破していった。
二層も石造りではないとはいえ、固い地面だ。粘土を掘り出すのは望み薄だろうからここもスルーする。
途中で何度かエルダートレントが襲撃してきたが、アリューシャを下ろしてあっさりと斬り伏せる。
この際、緊急行動のコンビネーションを試してみたけど、アリューシャは飲み込みが早いので、戦闘になるとすぐさま飛び降りて支援に走ってくれた。
「ねぇ、アリューシャ。ボクって戦闘中は動き速いの?」
「うん、すっごく」
「じゃあ、何でアリューシャはボクに的確に支援できるのかな?」
「え……うーん? わかんない」
そう、彼女は戦闘時に先制の【ファイアボール】を撃ち込んだり、攻撃の邪魔にならない位置に移動したりと、実によく動く。
他の人が言う通り、ボクが『目にも留まらぬ速さ』で動いているのなら、その正確な支援は無理な話だ。
それに彼女はその知識量も性格の成熟度も、並の五歳児とは思えない。
滑舌も怪しい所はあるが、この年頃だったらもっと発音に難があるはずだ。
早熟、というにはあまりにも完成しすぎている。そう思えた。
「ボクだけじゃなくて、アリューシャにも秘密があるのかもなぁ」
「わたしも? ゆーねみたいに、どかーんってできる?」
「それはきっと無理」
スタミナがある方とはいえ、彼女自身の筋力は平均的なのだ。
ボクのように、物理的な破壊力を求めるのは間違っているだろう。
三層の森林地帯に到達して、土の柔らかな場所を探す。
粘土といっても様々な種類があり、主に肌理の細かい土に水分が混じり、粘性を持った物がそう呼ばれる。
この三層は木々が繁っており、植物の根で適度に土が掻き混ぜられ続けていると見ていい。
更に落ち葉などの堆積物で水分の保持も出来ている。
粘土が有る可能性は高い。
「いいかい、アリューシャ。冒険は役割分担が大事だ。戦闘と同じ」
「うん、『わたしがしえん。ゆーねがこーげき』みたいなのだね」
「そう。採取に関しても同じ事が言える。ボクが粘土を探すから、アリューシャは周囲の警戒をお願い」
「けーかい?」
「敵が来ないか見張る事。敵が来たら真っ先にボクに知らせる事」
「わかった」
「いい? ボクの安全にもかかわることだから、絶対にそばを離れちゃダメ」
「ゆーねのため? うん、がんばる」
こういう場所で、一番怖いのは迷子だ。
ボクはマップ機能があるので、迷うことなく下層、または上層に向かうことができる。
階段の位置まで表示されているからだ。
だが、このマップ機能にはキャラクターの表示機能は無い。つまりアリューシャとはぐれてしまえば、自力で見つけ出さないといけないのだ。
この直径数キロという広大な迷宮の中で。
「はぐれたら怖いからね? それに一人の時に襲われたりしたら危ないでしょ。だから絶対、ぜーったいだよ!」
「もう、わかったから、ゆーねはおしごとするの!」
なんだか毎回恒例になっている気がしないでも無いけど、念には念を、だ。
こうしてアリューシャが警戒に当たり、ボクが探索するという役割分担で粘土探しが始まった。
あれから三日が経った。
粘土探しは予想以上に難航している。
三層、四層、五層と一日一層ペースで調べ回ってはいるが、建築や工芸に適した粘土というのは発見できていない。
毎日迷宮に潜り、余計な素材が増える一方で、目的の物は見つからない。
「悪循環だなぁ……こういうときは気分転換に他所に狩りに行くのが通例だったんだけど」
「ゆーね、どっかあそびにいくの?」
「遊びには行きません。でもやっぱりこれはもう一層下に潜るべきなんだろうか……?」
ここまで降りてきてなんだけど、五層の敵となると意外と手数が必要で、なかなかに手強い。
まだ秒殺できる範囲だが、下に降りれば降りるほど強くなるというのは、多少なりとも実感できている。
アリューシャを連れた状態で更に下というのは、正直怖い。
これ以上強くなったら……もしかしたら劇的に強い敵が出るかも知れないと思うと、やはり踏ん切りがつかないのだ。
「ゆーね。どーする、もどる?」
「うーん……」
期間は一ヶ月。そもそも有るかどうかも判らないとはヒルさんの言葉だ。
万が一アリューシャがはぐれたとしても、彼女が単独で地上まで戻れるだけの体力は欲しい。
これより下の階層じゃ、今のアリューシャでは途中で力尽きてしまう。
噴水の小部屋のようなセーフティゾーンがあればいいのだけど。
「やはり、下に降りるのはまだ早――ん?」
微妙に地面の揺れる感覚。
日本人としては慣れ親しんだ……とまではいかないが、これは記憶にある。
「地震……か?」
そうこうしているうちに、揺れはドンドン大きくなっていく。地下である迷宮では、地震の影響がダイレクトで伝わってくるようだ。
「まず……アリューシャ、手を離さないで!」
「ゆーね! ゆーねぇ!」
手を離すどころか、身体全体でしがみついてくるアリューシャ。
そしてフワリとした感覚――
――足元、崩れる!?
咄嗟にアリューシャを抱えて飛び退こうとするが、ここは二層のような隧道ではない。
蹴れる壁も、通路もすでになくなっていた。
「う、わあぁぁぁぁぁ!」
「きゃああぁぁぁぁぁ!」
叫びとともに、ボク達は崩れた床に飲み込まれていったのだった。
最初の山場がやってきました。長かった……
今日中で何とか十万字突破を目指します。