第百九十六話 除虫作業
およそ一時間かけて世界樹を探索しつつ、休憩を挟む。
ボクやアリューシャに関しては時間はあまり気にならないのだけれど、センリさんは別だ。
彼女の飛行ユニットには一時間おきの燃料交換が必要になる。
その都度枝に腰を下ろし、休憩がてら燃料の琥珀を交換するのである。
「それにしてもセンリさんはどこに向かっているのだろう?」
いそいそと背面の装甲を展開して交換作業を行う彼女を見て、ボクはつくづくそう思った。
いかにクリエイターとしての情熱が高いとはいえ、まさかファンタジーにロボットを持ち込むとは想定外もいい所である。
「んー、錬金術とか、美少年の操縦するロボットとか、萌えじゃない」
「センリさん、実は元の世界では腐ってました?」
「腐るっていうな。耽美趣味なだけよ!」
どうやらそっち系の趣味もフォローしていたようだ。まぁ、これは予想の範囲内。
問題はこの発言に好奇心旺盛な天使が食いついた事である。
「ユミルお姉ちゃん、『腐る』ってなぁに?」
「アリューシャは気にしなくていい事だよー。むしろセンリさんの教えは受けちゃダメだよー」
「しっつれいね! 私だって純粋な子に特殊な趣味を仕込むなんて外道な真似――」
そこでセンリさんは不意に黙り込んだ。
しばらく顎に指を当てて黙考する。
「……………………悪くないわね」
「悪いわ!?」
隣に座るアリューシャを体全体でガードしつつ、センリさんに怒鳴る。
思わず平時の丁寧語が消し飛ぶくらいのツッコミだった。
アリューシャの部屋の書棚にBL本が並ぶ事態なんて、決して起こってはならないのだ。
「冗談よ。交換、済んだわよ」
「じゃあ、もう少し休憩を挟んでから続き行きましょう」
世界樹の捜索範囲は広いが、今日一日で済ます理由も特にない。
今回は早さより丁寧さが求められるのだ。集中力を切らさないように、こまめな休息を挟んでおくべきだろう。
インベントリーからティーセットを取り出して、お茶を用意する。
珍しくミッドガルト・オンライン産の付加効果のあるものだ。
このゲームでは料理はゲーム内クエストとアイテムがあれば、誰でも作る事ができるようになる。
ボクもこのクエストをクリアしているので、一応補充は利くのだ。
料理の素材となるアイテムが手に入らない事が多いけど。
休憩を挟んで、捜索を再開する。
その後も何度か休憩を入れたが、他の芋虫は発見できなかった。
昼食を終え、さらに二時間が経過した頃、世界樹のかなり頂上付近で、ようやく別の芋虫を発見した。
しかも一匹ではなく、十匹程度のコロニーである。
「うげ、結構いるなぁ……なんでこんな上の方に……?」
「ひょっとしたら急成長期に枝に引っかかったのかもしれないわね」
「急成長期、ですか?」
リンちゃんが上空を旋回しながら芋虫を威嚇する。
その横に並走しながら、センリさんがそんな事を言ってきた。
この草原は一夜にして植物を生育させる能力がある。世界樹もその恩恵を受け、一夜にして巨木へと育ち、今は巨木のまま安定している。
「ええ、この世界樹は、言うなれば一晩でできた即席品よ。その成長期に枝の先に虫が付いてたとしたら……」
「……植物は先端の枝葉が成長して大きくなっていく。先の方に引っ付いた虫は、その成長に伴って上へ上へと押し上げられる?」
「そう言う事になる、かもしれないわね」
「ふむ……」
若木の頃に付いた虫が、急成長に伴ってとてつもなく上空に押し上げられる。
行き場を失った虫は、その先端部でコロニーをつくり、その場に適応した生体へと進化する。
そして進化を促すための力は、世界樹の果実によって得られるのだ。
だが、すでに世界樹の高さは五千メートルを遥かに超える。
この高さになれば、空気や気温という問題が発生するはずである。
特に気温は、昆虫にとっては死活問題になるはずだ。
しかしここまでの調査で――実はこれらの難問は、すでに解決されている事を、ボク達は知っていた。
ここまでの高高度になると周辺の空気はかなり薄くなっている。だが、世界樹の葉が光合成によって酸素を吐き出すため、世界樹の近辺だけは呼吸が楽になる。
周辺を長く飛んでいると、そんな実感を得る事が出来た。
つまり樹のそばにいる限り、呼吸に関しては問題が無いのだ。そして残る唯一の問題は寒さである。
これも実は問題は解決されていた。
原因は簡単。トラキチによる温水プール計画である。
つまり、迷宮の溶岩地帯に根を通した事により、世界樹には高温の水分が吸い上げられている事になる。
これが世界樹そのものを温めているため、樹に生息している虫達を寒さから守っていたのだった。
要するにこの昆虫が繁殖できたのは……
「ボクらが原因って事かい!?」
「条件は整っている……と見ていいわね。放置はできないけど。それにしてもうまく条件が重なったモノよね」
「まさか冬に備えた温水計画が、虫の繁殖のトリガーになっていたなんて……」
「でも、下から這い上がれる高度じゃない以上、ここのコロニーを壊滅させれば、もう虫が増える事は無いわ」
原因は成長途中に虫が付いた事である。
世界樹の成長はほぼ止まりつつあるため、新たに虫を拾ってくる可能性はすでに無い。
そしてこの高さまで虫や獣が上がってくることはかなり難しいのだ。
ここの敵を叩けば、今後害虫に悩まされる事は無いだろう。
「よし、そうとなったら、さっそく駆除しちゃいましょう……っと、その前に」
ボクは駆除に移る前に、スキルウィンドウを開いて新たにスキルを取得した。
ここまでアリューシャの限界突破チートで、ボクのレベルはすでに五百に到達している。その分、スキルポイントも溢れ返っていたのだ。
そのポイントを使って、あまり使わないと思われていたスキルを取得する。
「【コールド・ドラゴンブレス】、取得っと」
あまりにも規格外とは言え、ここは木の上である。
いつもの【ドラゴンブレス】では世界樹が燃えてしまう可能性も有るのだ。
そしてこれだけの大木が延々と燃え続けるとなると、その類焼被害は……考えるに恐ろしい。
「準備は終わった? それじゃ先に行くわよ」
「待ってください。相手は空を飛べない訳ですから、近距離戦を挑む必要はないです」
「遠距離から? 私はいいけどユミルが……ああ、そのために【コールド・ドラゴンブレス】を?」
「はい。アリューシャも、遠距離戦はできるよね?」
「うん! 滅多に使わないから楽しみ♪」
アリューシャは探究者のさらに上位、最高位職の精霊使いを経由している。
既存魔法を応用する探究者と違い、精霊使いには独自の高威力攻撃魔法も多い。
そして彼女もまた、スキルポイントが溢れ返っていたのである。
まぁ、ボクと一緒に冒険している訳だから当然ではあるが。
「それじゃ、みんなで遠距離から蹂躙しちゃいましょう。人目が無いのにオートキャストを堪能できないのは残念ですが……」
「最後のそれ、かなり本音よね?」
「もちろんです、オートキャストはボクの趣味ですから」
この世界では、自動詠唱装備の概念が無いので、オートキャストはあまり人目のある場所では使う事ができない。
裏事情を知るヒルさんやレグルさんの前なら問題はないのだが、彼らが冒険に出るような事態はほとんどないのだ。
現状、オートキャストを楽しめるのは、アリューシャたちと深層域へ出かけている時だけと言える。
このような気持ちのいい空の下で使う機会はあまりないと言うのに……無念。
「と、とにかく、行きますよ。アリューシャも準備して。吐きかけてくる糸には注意する事。リンちゃん、お願いね」
「がぅ!」
今回はカメラを咥えていないので、リンちゃんも実力を発揮できる。
ただし、センリさんの射撃管制が飛行状態だと不安定になると言う事なので、コロニーから離れた場所にある枝に着地してから射撃する事にした。
枝に降り立ったボク達に芋虫が糸を吐きかけ、動きを封じようと攻撃してくる。
しかし距離があるため、糸はこちらまで届いていない。だがボク達の攻撃はそこそこ遠距離でも効果があるので、一方的に攻撃できるのだ。
アリューシャが詠唱状態に入り、ボクも魔力をリンちゃんに注ぎ込む。
センリさんも隣で射撃管制モードに入っていた。背中にあるノズルが伸長し、前方の芋虫に向けられる。
「バスターキャノンモードヘ移行。発射まで最短二十。エネルギーライン、全段直結。ランドバーニア、ロック――」
「待てやぁ!? それ以上はいけない!」
「うん、私もダメだと思う。じゃ、先に撃つわね」
そう言い捨てて、あっさりとトリガーを絞るセンリさん。
背面から延びるノズルが前方へ向き、そこから巨大な魔力が放射される。これが彼女のパワードスーツの切り札らしい。
その魔力はコロニーの三分の一を焼き払い、後ろの枝を吹き飛ばす。
さらに続いてアリューシャの風属性範囲魔法が炸裂した。
「【ヴォルテックランス】!」
これは風属性を付与する魔法の上位に位置する、最高位の風属性攻撃魔法だ。
彼女もここで火属性魔法を使うほど、見境が無い訳ではないのだ。
上空から雷が降り注ぎ、広範囲の敵に風属性のダメージを与える。威力の程は彼女の知力をもってしても、それほど高い物ではない。
だがこの攻撃の最大の特徴は、その高い気絶発生率にある。雷を受けた芋虫達は、一斉に麻痺したように動きを止める。
それはほんの数秒の隙に過ぎない。だがボクにとっては充分な援護だった。
【ドラゴンブレス】系のスキルは詠唱時間が桁外れに長い。そしてボクはそれを素早く唱えるための器用さがあまり高くはない。
つまり、ボクの攻撃は最も遅く発生するのだ。その時間を稼ぐために、アリューシャは威力よりもスタンさせる特性の有る魔法を使ったのだ。
「行け、リンちゃん! 【コールド・ドラゴンブレス】!」
満を持して、ボクの魔力を注ぎ込まれたリンちゃんのブレスが放たれた。
キーヤンと出会った頃ですら、山を削った驚異の一撃。
あれからさらに修業を積んだボクは、さらに最大HPを上昇させている。
そのHPをダメージに変換して放たれた一撃は、遥か上空にあって大地を揺るがすほどの大音響を発生させた。
ビリビリと振動すらともなって響く轟音。
肌を刺すほどの冷気。
呼気すらも凍る、極寒の嵐が収まった後には、芋虫の形をした氷像が残されるのみだった。
「うっわぁ……」
「さむっ! さむっ!? ユミル、ちょっとやり過ぎよ?」
「ユミルお姉ちゃん、寒い」
ボクのマントに潜り込もうとするアリューシャを見て、やりすぎだったかと後悔する。
あの程度の敵なら、遠距離から【サンダーストーム】程度を連射しても良かったかもしれない。
ビキビキと音を立てて裂け始めた枝を見て、ボクはそんな事を思った。
「あー……ちょっと、ゴメン」
「まぁ、いいわ。目的の殲滅は達成したんだもの」
「ほら、アリューシャ。お詫びに焼き芋あげるから」
「ホント? やったぁ!」
「ちょっと、私にはないの!?」
縦に裂けた枝が砕け散り、やがて音を立てて地表へと落下していく。
もちろんそれに乗っていた芋虫達も、墜落していった。
この高さでは、たとえ息があったとしても、地面との衝突で粉々になるだろう。
その後、さらに調査をした結果、二つのコロニーを発見したが、これも順当に駆除していく。
今度はある程度手加減しておいたので、枝が折れると言う事態には発展しなかった。
こうして世界樹の保全は完了したのだった。