第百九十四話 世界樹の異変
翌日、橇レース二日目。
子供達と言うのは、非常にすんなり仲良くなる。
そしてこの村には今、レースの参加者の他に、観客として訪れた家族連れなども多く、いつもの倍以上人手がある。
つまり、それに比例して……むしろ、いつもよりも多くの子供がこの村に存在する事になるのだ。
で、結果的にどうなるかというと……
「あー、ユミルだー」
「あれやってー、影にニュルって入るやつー!」
「えー、剣見せてよ、剣ー」
「ユミルお姉ちゃん、おんぶー」
と、まぁ……いつも以上に村の子供たちに纏わり付かれている訳である。
あと、アリューシャ。君はもうボクより大きいのだから、おんぶはできません。でも胸の感触が気持ちいいのでしがみ付くのは止めない。
ホントに、この子はいつまで経ってもフワフワプニプニなんだからっ!
「ええぃ、たかるな、小僧共! ボクは今から空撮の準備があるのだっ」
「いーじゃん、けちー」
「ちびー」
「貧乳ー」
「死にたいのか、ガキどもー!?」
遠慮が無くなった子供たちは、容赦なくこちらの心を抉ってくる。
「わたしの嫁の悪口言うなー!」
「えー、女同士でおかしいじゃん、それ?」
アリューシャはボクの背中で抗議の声を上げてくれる。
ちょっと肩に乳が乗って重い……これが絶対的格差社会の重圧なのか……?
とは言え、その感触にいつまでも浸っている訳には行かない。今日もボクは空撮班の仕事があるのだ。
班と言ってもボクとリンちゃんだけだけど。
群がる子供達を蹴散らし、ひらりとドラゴンに騎乗する。
「あ、見えたー」
「今日はピンク!」
「甘いわね。白のストライプが入っているわよ!」
センリさん、アリューシャだけならともかく、なぜあなたまで知っているんですか!?
というか、ゲームだと乗りっぱなしだったドラゴンだけど、実際にミニスカートで騎乗するとなると、いろいろ気を付けねばならない。
この辺りはやはり現実の弊害と言える。
「とはいえ、この衣装で跨る以上、見られるのは避けられないんだよなぁ」
空に舞い上がりながら、そう愚痴を漏らす。
この魔導騎士の衣装は凛々しさと可愛らしさを兼ね備えた良いデザインなのだが、いささか無防備に過ぎるのだ。
いい加減、対処を考えた方がいいかもしれない。
その日のレースは準決勝と決勝の三レースのみである。
前日のレースの上位二頭がここに進んでおり、計八頭が四頭ずつに分かれて競争する事になっている。
今回のレース、ボクやアリューシャの参加は釘が刺されているので、もっぱら裏方がメインだ。
なので、あまり無茶をするお調子者は存在しない。
水鉄砲大会では、初回の無茶の影響で毎回それを期待されてる面もあり、引くに引けない状況になってしまった。
お陰で毎回、趣向を凝らした馬鹿をやる羽目になってしまっているが、今回は裏方。つまり毎度頭を捻ってウケに走る必要はない。
おかげで随分と気が楽ではあるが、それはそれで物足りなく感じてしまう辺り、ボクも毒されている。
ともあれ、今回の大会の趣向は子供達による運動会的趣旨である。
やがては大人向けのレースとして各町に広がっていくだろうが、今は無邪気な子供たちの姿を楽しめればいいのだ。
その大会を守るため、広めるための作業となれば、ボクもモチベーションは否応なく上がるという物である。
それに詳細は判らないが、馬券の売り上げもかなりのモノがあったようで、ヒルさんの機嫌が朝から上々なのだ。
正直言ってウキウキした彼の声は、非常に……その、裏がある様に聞こえて気持ち悪い。
いや、すごく失礼だとは思うけどね。
午前と午後、三つのレースはつつがなく終了した。
ボクもいつもだったら遮るものの無い直射日光に晒されて、汗をかく所なのだが、今この村は世界樹の木陰にある。
過ごしやすい日陰と、適度な湿気が非常に心地よく、何度か居眠りをして落竜しそうになったけど、かろうじて耐えた。
ヒルさんがカメラの揺れに気付いて声を掛けてくれなかったら、落っこちていた事だろう。
撮影を終え、地上に降りる前に喉を潤そうと思って、世界樹の実を一つもぎ取りに枝へ向かう。
すでに一番低い枝でも地上から百メートルくらいの高さがあるため、下を見るのが少し怖い。
ボクは枝に飛び移り、枝の先に成っていた三つほどの実の一つもぎ取って、しゃくりとかぶり付いてその果汁で喉を潤した。
世界樹の果汁は非常に濃度が高いため、さっぱりとは行かないが、それでもトロリとした果実独特の甘みが体に力を与えてくれる。
この柔らかな身が百メートル以上も下に落下しても崩れてないのが、実に不思議だ。
それはやはり不思議植物の生態の一つと言う事にして、深く考えないでおこう。
リンちゃんも枝に止まって翼を休め、一休みしている。
地上ではすでに今日のレースのハイライトなんかを再放送して、締めのプログラムに入っているのが見える。
こうしてここから村を俯瞰して撮影するのもまた粋な物で、ヒルさんがモニターにそれを映し出したりして、アドリブを加えていた。
その時、カサリと小さく葉がすれる音がした。
もちろんこの高度だ。風も相応にあるため、それはおかしな事じゃない。
だが、それだけではボクの危険感知には反応しないはずなのだ。
慌てて音の発生源――少し上空にある枝に視線をやると、そこには世界樹の葉を齧る、謎の芋虫が存在していた。
「げぇ、虫が湧いてる!?」
そういえば世界樹も植物である。寄生虫にたかられる事もあるだろう。
そして、世界樹なんて物を齧る以上、特異進化していてもおかしくない。
そこにいた芋虫は大きさにして、全長三メートルはあろうかという巨大な体躯をしていた。
しかも向こうもこちらに気付き、明らかに敵意ある視線を向けてくる。
彼我の距離が上下に十数メートルもあるので、気付かなかった。
そもそも虫程度に危険感知が反応しているようでは、ボクは夜も眠れなくなってしまう。
なのにここで反応したと言う事は、向こうがボクを先に見つけ、ナワバリを荒らす侵入者と認識して敵意を持った事が原因だろう。
だいたい攻撃意思があっても蚊なんかには反応しないんだから、この能力も謎である。
「キシャアアアァァァァァ!」
芋虫はそんな鳴き声――恐らくは声帯は無いだろうから、身体をこすり合わせて発生させる音だろうけど、それを発してこちらを威嚇してくる。
ボクも即座に枝の上に立ち上がり、剣を抜いて戦闘態勢を取った。
リンちゃんも翼を広げて飛び立ち、枝の下に回り込む。
これはボクが即座に飛び乗れるように配慮しての事だろう。
芋虫はこちらが戦闘態勢を取った事で、完全にやる気になってしまったようだ。
前半身を起こし、角度を取ってから、こちらに何かを吹きかけてきた。
ボクはそれをとっさに飛び退って躱す。枝の上での行動なので、あまり大きくは動けない。
もちろん世界樹の枝の上だ、普通の木の枝なんかよりよっぽど広く、ちょっとした丸太以上の太さがあるので、機動にはあまり不自由しない。
それでもいつものような縦横無尽な動きはできそうにないのだ。
吐きかけてきた白いモノは、粘着質な糸だった。
これで動きを止めてこちらを仕留めようと言う魂胆なのだろう。
「まったく、レディに白くてねばねばした物をぶっかけようとするなんて――実に正しい!」
脳裏には白い糸で絡め捕られたアリューシャの姿を思い浮かべてしまった。
もちろん、生命に危害を与えられるのならば、それは忌むべき事ではあるが……こう、服とかキュッと締め付けられて浮かぶ体のラインとか、興奮するじゃない?
そんな妄想をしている間も、芋虫は続け様に糸を吐きかけてくる。
前に後ろにと跳ねまわりながら、ボクはそれを躱す。
この糸で愉しむのは、また後の事だ。今は一刻も早くこれを排除しなければなるまい。
世界樹は、村の大事な収入源なのだから。
「【ソニックスラッシュ】!」
数少ない遠距離攻撃系の斬撃スキルで反撃に移る。
芋虫は生意気にも、前半身を下げて枝の陰に隠れ、攻撃をやり過ごした。
並みの木の枝ならば、枝ごと両断してのけるボクのスキルだが、盾にされたのが世界樹の枝となれば話は違う。
あっさりと真空刃が跳ね散らされ、霧散していく。
「おのれ、生意気な」
「シャシャシャシャシャ……」
まるで笑い声のような、奇怪な音を立てて威嚇する芋虫。
こうなったら【ドラゴンブレス】で焼き払ってしまおうかとも考えてしまうが、ここは木の上である。
火気はさすがに危険だろう。
冷気の【ドラゴンブレス】を放つスキルもあるにはあるが、ボクはそれを取得していなかったのだ。
それにリンちゃんは今カメラを咥えている。ブレスは吐けない。
リンちゃんに乗り移って近接攻撃……も、リンちゃんが糸に絡め捕られてしまうと、百メートル下に真っ逆さまになる。
むしろ身体の大きなリンちゃんは糸のいい的になるかもしれない。
それに彼女は回避があまり上手くないのだ。
両者ともに有効打を発揮する事が出来ず、【ソニックスラッシュ】と粘着糸を飛ばしあう膠着状態に陥った。
幸いボクは知力型。スキルを使うMPは豊富にあるし、使用する端から回復していく。
問題はここで長期戦をやる気がボクにない事である。
即座にボクはピアサーに持ち替え、その武器で【ソニックスラッシュ】を放った。
的が固ければ固いほど攻撃力を上げるピアサーでの【ソニックスラッシュ】。それは枝ごと斬り飛ばすに値する威力を持って飛翔した。
芋虫は枝ごと切り落とされ、百メートル下の草原へと落下していく。
この高度から落ちたのだ。いかに奇怪な生物とは言え、無事では済むまい。
足場を崩せば勝ち。その事実に先に気付いたボクの勝利である。
地上では案の定、芋虫がぺしゃんこになって死亡していた。
ただこの事実は、放置して良い物ではない。
ボクは芋虫の死骸をインベントリーに仕舞い込み、ヒルさんへ報告する事にしたのだ。
イベントが終了するまで待ってから、他の職員がいない時を見計らって話しかけた。
巨大芋虫の存在を聞いたヒルさんは、驚いた顔をしてボクの取り出した現物を見て、さらに驚愕する。
村の収入源に害虫が付いてしまったのだから、彼が慌てるのも無理はないだろう。
「これは不味い事になったかもしれませんね……」
「ええ、芋虫がこれ一匹とは限りません。むしろ、もっと多く……それこそ数百匹も居たりしたら、村の方にも被害が出るかも」
「実の回収にも弊害が出ますよ。あれは新人冒険者の担当ですから。彼等ではこれに太刀打ちする事は不可能でしょう」
「それは……困った事になりますよね?」
「大変困ります」
これを伏せておいたら、実と一緒に地上に降りてきた芋虫と冒険者がかち合うなんて事態も想定しうる。
そうなれば、新人達に勝ち目など存在しないだろう。
「この件は私達だけでどうにかなる物じゃないかも知れません。彼にも相談した方がいい」
「彼……トラキチですか?」
「ええ、元々世界樹はこの迷宮の三層に根を下ろしています。上手くいけば彼が対処法を考えてくれるかもしれません」
「なら、至急顔を出した方がいいですね」
「ぜひお願いします」
こうしてボク達は、久しぶりにトラキチと会議する事になったのである。