第百九十三話 橇レース開幕
ポンポンと、魔法の弾ける音が響いてくる。
花火代わりの【火球】の魔法である。
いつもより更に賑わっているユミル村。そう、今日は少年橇レース大会の開催日なのだ!
子供たちの技量が安定してレースを行える程度には上達したので、ヒルさんがついに開催に踏み切る事にしたのだ。
彼の提示した日程に合わせて客席や撮影用の機材を用意し、宣伝を打ち、スタッフを鍛える。
怪我をした時に備え、複数の治癒術師も待機している万全振りだ。
レースは直線の千メートル。競馬としたらやや短いかもしれないけど、橇を引くので速度が落ち、その分長く楽しめる。
参加人数は二十人。
五人ずつレースを行い、初日は四レース、上位二名が準決勝進出となり、翌日に二レース。
最後はさらに上位二名ずつによる決勝レースを最終日に行う予定だ。
馬にとってはかなり厳しい日程だが、元が農耕馬なので、きっと耐えきってくれると信じている。
というか、怪我しても【ヒール】一発で治っちゃうんだけどね。
撮影班としてボクがリンちゃんに乗って空撮を担当し、センリさんがレース場横に設置されたコースをセイコの橇で走りながら、撮影。
アリューシャも反対側で橇を走らせ、トップ以外の集団を撮影する手はずになっている。
更に子供達には筋力強化を禁じた武装粘菌モードのスラちゃんを纏わせ、安全に配慮するほどの至れり尽くせりである。
ヒルさんだって暇なわけじゃない。
ケンネルは内乱状態に陥り、こちらへのちょっかいは小康状態に落ち着いているとは言え、油断はならない。
ケンネル王国方面、もしくはラドタルト方面の客には厳しく目を光らせている。
さらにモリアスにいるロゥブディアの係累はまだ健在だ。
本来ならば親類縁者に到るまで処罰されてもおかしくない所だが、あまり厳しく罰すると他の貴族の反発すら起こりうる。
そこで本人のみ厳罰と処し、他の親戚は謹慎などの軽度の罰で済ませていた。
そういう訳であの豚の親戚はまだ健在なのである。
これが後任のリビさんの頭を悩ませている所なのだが、それはともかくとしてボクは彼らに個人的な恨みを買っている。
もちろん、それは逆恨み以外の何物でもないのだが、復讐を企む不逞の輩が存在しても全くおかしくない状況なのだ。
なので南方からの旅行者には特に厳しい監査が設定されているのだ。
「えー、第一回橇競馬大会の開催をここにしぇん――宣言します」
「アーヴィン、しっかりしゃべれ!」
「噛んだわ、実はかわいいのね、彼!」
「やめろ、わざわざ失敗を囃し立てるな!」
めちゃくちゃ緊張した面持ちのアーヴィンさんが、台上に上がってコメントしている。
ヤジに敏感に反応した彼は、観客のいいオモチャになっていた。
彼はこの村における顔とも言える実力派冒険者なので、ボクの代わりに司会をさせてみたのだ。
日頃、凄腕イケメンと名高い彼が、言葉を詰まらせ、他の冒険者から冷やかされているのを見ると、胸がすく思いである。
ちなみになぜボクが司会を引き受けないのかというと、空撮の準備があるからだ。
リンちゃんに乗れるのは僕だけなので、空撮担当は必然的にボクになったのだ。
もちろん【飛行】を使えるルイザさんも空撮に参加できるのだが、MP的な問題もあり、ボクにお鉢が回ってきたのである。
リンちゃんに乗るのに、MP使わないからね。
「それでは三十分後に第一レースを開催するので、参加者はパ――パドック? の方へ移動してください」
パドックとは、言うなれば競走馬の待機所の事である。
ここにも観客が見物しに行くことができ、馬の状態をチェックする事が出来るのだ。
馬にしても、観客に慣れると言う意味で、大きな意味がある。
このレース、競馬というだけあって、組合が賭けを行っている。
大人から子供までお小遣い程度の額から参加できるので、応援にも熱が入るという物である。
「それじゃボクは空撮の準備に入りますので」
「お願いします。ついでに周辺の監視もしてきてください。この祭を狙って何か仕掛けようと言う輩もいるかもしれません」
ヒルさんから通話用のマジックアイテムを受け取ってからリンちゃんにヒラリと跨り、ボクは空へと舞い上がった。
「白だった?」
「ううん、今日は薄い水色」
「デザインはいつもの子供パンツよね。色気が無いわ」
「むしろ、それがいいと思うの」
リンちゃんにまたがる時、背後からそんな声が聞こえてきた。
センリさん、アリューシャに変な事仕込まないでください!
後、アリューシャ。ボクのパンツの色をばらすな。確かに彼女の前で着替えてたから、知っているのは判るけど!
センリさんとアリューシャは偵察の役割を引き受けていないので、最初のレースに参加する子供たちに、武装粘菌を装着させる役目がある。
スライムを纏う事によって関節各所が保護され、衝撃からも身を守ってくれるようになるのだ。
初めて行う『スライムを纏う』と言う行為に、子供たちはキャーキャー悲鳴を上げて喜んでいる。
ついでに身体の汚れも捕食してもらえるので、清潔になるのだ。
パン、と弾ける音と同時に、子供達を乗せた橇が一斉にスタートする。
必死の形相で鞭を振るい、手綱を扱く必死さは見ていて微笑ましい。
中にはうまく走ってもらえず立ち往生して、泣き出す子供までいて観客からは笑いを誘っている。
これは言うなれば、一種の運動会なのだ。
参加する子供達だけでなく、見ている大人も愉しんでもらえたなら、成功と言えるだろう。
「フフフ、愉悦愉悦」
「ユミルさん、泣いてる女の子の表情ばかり撮ってないで、先頭を映してください、先頭を」
立ち往生して泣いてる少女の表情をアップで撮影していると、ヒルさんからビシビシチェックが入ってきた。
地上ではわざわざ実況の為に呼びつけたアーヴィンさんの元同僚、お調子者のクラヴィスさんが声を荒げて解説している。
水鉄砲大会の時も顔を出したけど、お祭りの時になると現れるな、彼。
冒険者やめても、お祭り男として生きていけるのではなかろうか?
「なに、ユミルお姉ちゃん、浮気?」
「どこから覚えてきたの、その言葉!?」
通信アイテムを介して、アリューシャの少しトゲのある言葉が聞こえてくる。
決して浮気なんかじゃありません。女の子が好きなだけです。
「ユミルはロリコンだから仕方ないのよ。アリューシャもそれ以上成長したら危ないかも」
「な、なんだってー!」
「アリューシャは別枠だから! 後、ロリコンでもないから! 訴訟も辞さない!」
センリさんによる、謂れなき精神攻撃に耐えつつ、先頭の橇を撮影する。
速度は圧倒的にリンちゃんの方が早いので、どこを撮るかは自由自在である。
側面からセンリさんが先頭を固定で、アリューシャが後方から先頭までを追い抜きつつ撮影している。
この撮影指示はヒルさんによって行われており、先頭だけでなく後方の子供達もモニターに映し出されるよう配慮されているのだ。
ちなみにレースを撮影しに右往左往するリンちゃん……つまりドラゴンを鑑賞するのも、今回のお祭りの楽しみの一つである。
そうやって最初のレースを順調に撮影し、次のレースも終える。
そしてお昼を挟んで第三レースの最中、それは起こった。
「――お?」
ボクは上空からレース場の脇に迫る岩狼の集団を発見する。
その集団は橇に四苦八苦している、最後尾の馬をロックオンしているように見えた。
「ヒルさん、会場脇に接近する岩狼を発見しました。撮影を中断して排除に向かいます」
「了解しました。手早く済ませてください」
「はいはい。じゃあ、リンちゃん。ボクの代わりに撮影しててね」
許可を取ってリンちゃんに撮影機材を咥えさせ、空撮を続行させる。
ボクはその背中から地上へと飛び降り、岩狼の排除に向かった。
高度は二十メートルくらいあったけど、ボクの能力値ならば着地でダメージを受ける事も無い。
身をひそめ、立ち往生する橇に迫る岩狼。
一応レース場の脇に柵は設けられているが、それはコースを示すための物で、敵を排除するための物ではない。
隙間が大きいため、いつでも侵入する事は出来るのだ。
大きく迂回しつつ、岩狼の更に背後に回り込み、奇襲を掛ける事にする。
馬というのは元来臆病な生き物なのだ。それが背後から猛獣に迫られていると知ったとしたら、子供を乗せたまま暴走しかねない。
ここでボクがやらなければならない事は、すなわち隠密行動で岩狼を排除する事である。
このまま逆に背後から忍び寄り、狼たちに声も上げる暇も無く駆逐していかねばならない。
本来なら岩狼と言うのは、そういう戦闘で相手をするには最悪の相手だ。
岩のように硬い皮膚は、強さ以上のタフネスを発揮して、『静かに排除』するにはしぶと過ぎるからだ。
だがボクならば、その皮膚を紙のように引き裂ける。そして隠密行動も可能である。
偵察の兼任もしていたため、今のボクは元から剣を帯びていた。魔導騎士に剣。すなわち無敵なのだ。
暴徒のスキル【クローク】で気配を消しつつ、最後尾の一体に忍び寄り、剣を一閃。
首元に一撃を受けた狼は悲鳴すら上げる事無く息絶えた。
そして流れ出る血液の匂いは、風に流されて、狼の群れとは反対方向……即ち風下に向かって流される。
「ククク、風上を取ったがウヌの不覚よ」
小さくボソリと口にして、さらに次の獲物に迫る。これもまた、他の群れに気付かれる事なく排除。
結局岩狼は、最後の一匹になるまでボクの接近に気付くことはできなかった。
そしてボクも気付かなかったのだ。そんなボクを見る視線がある事に。
初日のレースはつつがなく終了し、ボクはヒルさんから直接日当を受け取って食堂へ向かった。
アリューシャとセンリさんも同額貰っている。
これは正当な報酬なので、引け目を感じる必要はないのだ。
実際組合の儲けはかなり出ており、観光収入の他に賭けの利益がかなり入ったらしい。
実際の競馬と違って、個人ごとに賭け金の上限が設定されているため、それほど大きな問題も起きていない。
やはり金がかかると理性を失う人も出て来るため、上限の設定は必要なのだ。
賭けはあくまで副次的効果であり、目的は橇レースによる観光客誘致なのだから。
ボク達が食堂に入ると、いつにない喝采が出迎えてくれた。
「え、なに? なに?」
「ユミル、見てたぞ! すっげーな、お前」
「いや、腕利きだって噂は聞いてたけど、実際に目にすると圧巻だわ。岩狼の首が一刀両断なんて、初めて見た!」
「知ってましたけど、ユミルさん、すごいです!」
ザックまで参加して、ボクに賛辞を贈る。その歓迎振りにボクは混乱した。
話の内容から、昼間の岩狼討伐の事なんだろうと言う事は判るけど。
「ちょっと待って、【クローク】まで使ってたのに、なんで見られてるの!?」
「え、リンちゃんが撮影してくれてたんだよ? ユミルお姉ちゃん、気付かなかったの?」
「なん……だと……」
ボクの危険感知に引っかかるのは、主に敵意である。
騎獣であるリンちゃんに殺意はないし、既に存在は感知していたから、まったく注意を払っていなかった。
「そういえばボクは『撮影しててね』って言ったけど、『何を』って指示してなかったっけ?」
「必殺仕事人のユミルもカッコよかったわよ?」
センリさんの言葉に、ボクの行動が逐一撮影されていた事をようやく悟った。
危ない……人にバレたら危険なスキルとか、使ってなくてよかった……
「っていうか、主役は子供達でしょ! ボクを撮影してどうするんですかぁ!?」
自宅裏の竜舎で晩御飯を食べてるリンちゃんに、ボクは恨みがましい言葉を送ったのであった。