第百九十二話 ケンネルの追想
今回の視点はタモンです。
ユミルは出ないのでご注意ください。
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ケンネル王国の王都、そこにタモンの私邸は存在した。
彼の力はもはや王国の最後の砦であり、国土が他国に侵略されていないのは、組合の目がある事と彼の抑止力のおかげと言っても過言ではない。
それ故に彼は、大抵の我が儘は国が受け入れてくれる。
金も、屋敷も、女も、望めば国が用意してくれる。進んで望んだことは少ないが……
ただ一つ、自由を除いて全てを国が賄ってくれるのだ。
今も屋敷の窓際に立つ彼の視界には、門のそばに張り付いている見張りの姿が映っていた。
それを見て、タモンは重い溜息を漏らす。
「それほど俺が怖いなら、放り出してくれればいいのに」
彼の望みは組合の対抗組織を作り上げる事である。
今、ケンネル王国が窮地に立たされている通り、冒険者支援組合は大陸の四方を統べる大国すら超える権勢を誇っている。
その権威に他の国々は異を唱える事すら憚られる……それ程の威勢があるのだ。
「それは不可能と言うべきです。提督の力はこの国の生命線であり、驚異ですから。それを野放しになど、するはずがありません」
ポツリとつぶやいた独り言に、答えが返ってきた。
タモンはそれに驚く素振りすら見せない。彼女がこの部屋にいる事は、先刻承知だったからだ。
胡乱げに視線をやると、そこにはいつもの通りピシリと背筋を伸ばして立つ秘書の姿があった。
長い黒髪と異国の祭祀を思わせる服装が、彼女にミステリアスな雰囲気を漂わせている。
「ハルナか。判っていてもボヤきたくなる事はあるんだ」
「お気持ちは察します。ですが、誰がどこで耳をそばだてているか判りませんので……」
「叛意を疑われて処分される可能性? それこそありえないね」
ハルナと呼ばれた秘書が言う通り、彼の存在は今や国の要石である。それを排除する事は他国の侵略を呼び込むことに他ならない。
それを知っているからこそ、余計に恨み節が漏れだすという物だ。
「僕は別に、組合を潰そうと思ってる訳じゃないさ。ただ対抗組織を作りたいだけだ。それには組合に負けないほどの資金力が必要になる。それはブパルスの産出力では到底足りない」
ケンネル王国東部に存在する迷宮都市ブパルス。七年前に踏破されたばかりの迷宮で、未だ豊富な資材産出量を誇っている。
だがそれでも組合の足元にも及ばない。そもそもブパルスの迷宮自体が組合の監視下にあるのだ。
そこで目を付けたのが、大陸中部に新たに発見された迷宮、ユミルの迷宮である。
他の迷宮を圧倒するほどの難易度と、多種多様かつ豊富な産出力を持つそれは、ブパルスの比ではなかった。
「世界で確認されている迷宮は五つ。ブパルスと……他の倍の産出量を誇るユミルを手に入れれば、ラドタルト、タルハン、マクリームを押さえる組合に対抗できたはずなのに」
「キシンはいささか自信過剰に陥っていましたから」
「果心居士をもじって付けたという名が泣くねぇ」
「むしろお似合いの最期かと」
「僕も人の事は言えないけどね。先日はごくろうさま」
ユミル迷宮でその本人と対決した際の労を、今更のように労う。
おかげでユミルという少女の戦闘力を目にする事が出来た。
「なぜ私だったのです? イセでも良かったと思いますが」
「彼女に悟られないうちに離れてもらう必要があったからね。ある程度の火力と、なにより足の速さが必要だったのさ」
ユミルと接触する前に彼女を召喚し、三キロ以上離れた位置で待機させた。
それでもギリギリのタイミングだったのだ。それ程に、ユミルの察知能力は高かった。タモンとしてはもう少し様子を見たかった所ではあったのだが……それでも彼女は気付いたのだ。
「それにしても、至近弾なら彼女は死なないとは思っていたけど、まさか他の冒険者までも守って見せるとは思わなかった」
「あれはアリューシャと呼ばれる少女の力だと思いますけど?」
「完全に不意を突いたはずなのに、防御が間に合ったのは――ユミルの判断のおかげだ。そこは見損なっちゃいけない」
「はい」
あの時、ユミルにはいくつもの選択肢があったはずだ。
自分だけ逃げる道も、もろとも爆殺される可能性も……そしてタモンに斬りかかる事も出来た。
だが全員が生き延びるには、アリューシャに全力防御を命じるしかなかっただろう。その正解をこちらの攻撃前に察知してのけたのは、驚異と言うしかない。
「ミッドガルズ・オンライン……か。前衛で高知力型は強い部類の構成じゃないんだけど、知力が探知能力に影響を与えるこの世界では、限りなく正答に近いね」
「召喚したコアが最適解の人材を選んだ、と言う事でしょうか?」
「だとすれば、僕も最適な人材のはずなんだけどなぁ。ま、元々この泥船に彼女が乗ってくるとは思ってなかったけどね」
勧誘――とは言っても、すでにケンネルは死に体である。キシンが暴走気味に始めた侵攻でケンネル王国はすでに虫の息だ。
その前のオックスのちょっかいも痛かった。
彼等はアバターを持つが故に最初から強大な力を自由に使えた。その分、力に酔いしれやすかったと言える。
そこがアバターを持たず、この世界で子供から育って行ったタモンとの、大きな違いだろう。
勝者の側に立つユミルがタモンの提案に乗ってくる可能性は、元より少なかった。
だがそれでもタモンは彼女に会ってみたいと思ったのだ。同じ転移者である彼女に、先の見えない自分を覚えてもらうために。
そしていつか、彼女が自分の過去を調べてくれると期待しつつ。
タモンは目を閉じて、過去を――この世界に来てからの出来事を振り返った。
思い出すのは、過去の自分。
アリューシャと同じく、アバターの存在しないゲームから呼び出された彼は、五歳程度の姿で森の中を彷徨っていた。
自分の能力も理解できず、この世界の様相すら知らない彼がどうにか小さな山村に辿り着けたのは奇跡に近い幸運だった。
幸いアリューシャと違い元の世界の記憶はあったのだが、それでも五歳児の身体で何もできない。
そんな彼を、その山村では暖かく迎え入れてくれたのだ。
そして村で自らを鍛えながら、この世界について学んでいく。
彼が行っていたゲームはキシンと同じようなユニットを組み合わせて戦う物だった。
ただ戦国シミュレーションから転移したキシンと圧倒的に違うのは、本人に戦闘力が有るか無いか、だ。
ゲーム上、彼自身には戦闘力が存在しない。そして彼の呼び出すユニットは水辺、特に海でしか力を発揮できない。
だから彼は自分を鍛えるしかなかったのである。
この世界で生き抜くために。
それから十年、彼は順調に強くなっていった。
やがて自分の力を把握した彼は、その力を活かすためにケンネルへと出ていく。
彼の力……艦隊を運用する能力は海でないと効果を発揮できないのだから。
港町で、海棲生物相手に討伐の仕事をこなせば生きていける。そう考えての事だった。
そんな彼を村の住人たちは快く送り出してくれた。なけなしの餞別まで手渡してくれたほどである。
港町で順調に功績を積み、クラーケンという大物を討伐した賞金を持って、彼は久しぶりに山村へと帰還した。
それは故郷に錦を飾るような意識もあった行動で、特に深い意図などなかった。
だが、タイミングは最悪だった。
彼が村を出て故郷は疫病に侵されていたのだ。
たった二年、村を離れただけである。
その間に村に疫病が蔓延し、村人の半数が死滅していたのだ。
残った村人達も病に侵され、余命いくばくもない状況だった。
タモンは必死になって山野を駆け抜け、近隣の町で特効薬になるアンブロシアを買い求めようとした。
だが当時は生産数が規制され、値段も圧倒的に高かったため、村人を救う事が出来なかったのである。
結局、村人の七割ほどが死亡してしまう大惨事になり、生存者も近隣の町に散らばっていき、山村はあえなく消え去った。
彼にとって第二の故郷を失った瞬間であった。
「あの時、薬が安く手に入っていれば。生産数に制限が掛かっていなければ……組合がそんな指示を出していなければ、もっと多くの村人が助かっていたかもしれない」
「…………不可抗力です。貴方のせいじゃありません」
「そうさ、全部組合が悪い。独占した経済形態を取る、あの組織が悪い。だから僕は健全な状態に戻したいんだ」
不当な値上げや生産制限を撤廃し、競争経済を築く。
そうすれば助かる命も増えるはずだ。その思いで彼は組合に牙を剥いた。
そしてケンネル王国が、その尻馬に乗り……滅亡しかけているのである。
タモンにとっては強大な後ろ盾が崩壊している最中。つまり彼の現状は、すでに詰んでいるのである。
「敗因は戦力の出し惜しみだね。オックスがタルハンのコアを持ち帰れていれば……いや、彼に余計な事をさせず、キシンの護衛にでも付かせておけばもう少し状況は変わっていたはずだ」
「ですが、彼等の力を過剰評価した王は貴方の進言を却下しました」
「おかげで幽閉で済んでるけどね。もっともあの程度の見張りじゃ、抜け出すのは容易いけど」
山野で基礎能力を鍛えたタモンは、一般的な冒険者よりも隠密能力が高い。
身体能力ではなく、その技量の面において、だ。
騎士団での訓練しかしていない騎士を出し抜くことなど、朝飯前である。
そもそも彼はユミルと違って、圧倒的な身体能力がある訳ではない。
海に出ないとその力は発揮されないため、街中で身を守るには自身を鍛えるしかなかったのだ。
一般人程度の身体能力で荒事の世界を生き抜くためには、それこそ数え切れないほどの修羅場を潜り抜けてきている。
ユミルの感じた、タモンのアンバランスさは、実はこう言う所から来ていたのだ。
「とはいえ、いつまでもこの状況じゃ困るな。どうにか事態を動かさないと……ん?」
そこでタモンは私邸の門の前にやってきた馬車を目にした。
明らかに貴族が運用しているであろう豪奢な飾り付けをされた馬車。だが家紋を現す旗が、どこにも取り付けられていない。
どう考えても、不審な馬車なのに、門を見張る兵士たちは御者と二、三言葉を交わしただけで、あっさりと敷地内へ通した。
「紋章を出していないと言う事は、表沙汰にしたくない来客と言う事かな?」
「追い払いますか?」
「君達は陸上では戦力にならないだろ……」
「えと……その、中庭の噴水なら……」
「無理がありすぎ。それより僕の嫁は?」
「む……。えー、沿岸部の測量に出ています。後、海流の調査とか、無人島の配置とか」
「帰ってきたら報告するように」
「はい」
来客が来る前に最小限の情報のやり取りを済ませておく。
そうこうしている内に馬車は正面に乗り付け、中から一人の青年が下りてきた。
その男を見て、タモンは驚愕する。本来ならば、このような私邸に訪れるような身分の客ではなかったからだ。
「あれは……王太子殿下!?」
「ええっ!? どどど、どうしましょう、悪巧みバレちゃったのですか?」
「いや、まだ何もしてないだろ。せいぜい屋敷を抜け出したくらい」
慌てるハルナを置いて、タモンは玄関へと急いだ。
一国の王太子を玄関口で待たせる訳には行かないからだ。
「ハルナは一番いいお茶と茶菓子を用意しておいて。大至急!」
「は、はい! あの、お羊羹でもいいでしょうか?」
「どこから仕入れて……いや、こっちに無いお菓子だからいいんじゃないかな?」
バタバタと二人は部屋から駆け出し、王太子の出迎えに向かったのであった。
小なりとは言え国の要人の私邸である。タモンの屋敷にもそれなりの応接室はしつらえられていた。
王太子はその部屋に案内され、来賓用の少し豪華なソファに腰を掛けた。
向かいにタモンが座り、ドアの近くにハルナが侍る。
彼女が運んできた緑茶を一口啜ってから、タモンは王太子に用向きを尋ねた。
「当家にわざわざ足を運んでいただき、誠に恐悦至極です、ブライン殿下。この度はどのようなご用でしょう?」
「無理に丁寧に話す必要はないぞ、タモン。お主はもっと砕けた物言いなのは知っている。それに今日は私も内密に行動しているのだ。身分に関してとやかく口にはしない」
「……そうしていただけると気が楽ですね」
あっさりと王太子ブラインの要求を飲み、普段使いの言葉に戻すタモン。
だがその目はブラインの目を見据え、どのような心胆で訪れたのか見逃すまいとしている。
「そうだな……今日の用向きは一言で済む。む、この茶は変わった風味をしているな。少し渋い」
「僕の故郷の品です。その渋みがいいんですよ」
「ふむ? ああ、そうだ。今日の用向きだったな。先にそっちから済ませよう」
「はい、そうしていただけると助かりますね。どんな無茶振りが飛んでくるのかと警戒しなくて済む」
オックスのタルハン派遣も、キシンのユミル村遠征も、一応最古参の召喚者であるタモンの耳に入れてから行われている。
もちろんタモンも、その計略に是非を述べたのだが、それが受け入れられたことは少ない。
そして反対した分だけ、彼は疎まれ始めていたのである。
「うむ、そうだな。実はな……私は父王陛下に玉座を降りてもらおうと思うのだ」
平然とブラインは口にした。
それは、明確に簒奪を意味する言葉だったのだ。
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はい、彼の出自は艦○れです。
結構バレてた!