第百八十七話 番外編3 出発
最初二人は、少女が何を言っているのか理解できなかった。
マジマジと少女を眺め、その言葉を反芻する。
目の前に立つ少女は十をいくつか超えたばかりであろうか? 見かけの歳だけならば、ユミルとそう変わらないだろう。
だがその異常例を知っているだけに、二人は彼女に対して警戒を解いていない。
武装は無くとも、いつでも反撃できるように態勢を整えていた。それも周囲からは判らないように、自然に。
「ゴメン、なにを言ったか理解できなかったから、もう一度お願いできる?」
「ん? 声が小さかったのかな?」
カクンと小首を傾げると、肩口までのさらさらした柔らかそうな黒髪が頬に流れる。
その仕草を見る限り、ユミルのように歳不相応な駆け引きは必要なさそうに感じた。
「あのね、わたしの村のそばにドラゴンさんがやってきたの。だから、それを倒して欲しいの」
一見無邪気な少女の他愛もないお願いの風だが、その内容は無茶が極まる。
ドラゴンを退治すると言う事は、一国の軍を動員すると言う事だ。それを個人に依頼すると言う事自体が、まずありえない。
それを知っているハウエルが、少女に噛んで含めるように説明していく。
「あー、その……そういうのは国に報告して、だな――」
「うん、そっちはもう村長さんが出してるの。でもヴィーのおウチは村の外れだから、軍隊の派遣が間に合わないかも知れないの。あ、ヴィーはヴィーっていうんだよ?」
「あー、そうか。俺はハウ――ハウザーだ。こっちはキー……ス?」
「なんで疑問形……いや、まぁ、よろしくな」
「うん、よろしく」
名前を出すと危ないのでハウエルは咄嗟に偽名を名乗った。
ここはまだ組合のロビーである。周囲には冒険者も多い。特にキーヤンの名前は騒動の元になるだろう。
その元凶たるキーヤンはヴィーと気楽に握手を交わし、暢気に挨拶をしている。思わず後頭部を張り倒したくなる衝動を抑え、ハウエルは思考する。
彼は少女の行動に疑問を覚えていたのだ。
「なぜ俺達に声を掛けた? ここには他にも、強そうな奴が沢山いるだろう?」
ここは冒険者組合のロビー、その入り口付近である。
ざっと見渡すだけで武装した冒険者がゴロゴロ存在している。先ほど出て行った世話焼きな男など、かなりの腕に見えたはずだ。
それなのに、非武装の、ここでは小柄な部類の男二人にわざわざ声を掛けてきたのだ。この少女は。
「んー、他の人には既に断られてるの。もうお兄さん達しか残ってないの。他に頼れる人はいないから、請けてくれるなら、ヴィー何でもするよ?」
どこか幼児のような口調で、少女は切々と訴える。
キーヤンが背後をチラリと窺うと、こちらの様子を観察している冒険者が何名も見えた。おそらく先に断った冒険者達だろう。
だがそれは非難されるべき事柄ではない。そもそも彼女の主張が既におかしいのだ。
ドラゴンは個人で対応していい相手ではない。
「あのな、お嬢ちゃん。こういう事はまず両親に――」
「両親は死んじゃったの」
「……あー、そういえば形見って言ってたか?」
「うん」
少し悲しそうに目を伏せる少女。その仕草は歳に似合わぬ色香を感じさせる。
そんな事を考えて、キーヤンは少しばかりうろたえた。自分は幼女趣味は無かったはずなのだ。
狼狽する自分をごまかすように、少女の依頼を吟味し始める。
「……まずはドラゴンって言ってもピンキリだろう? どんな奴なんだ?」
そこら辺を飛んでいる、知性の低い野良から、古竜王まで目にしてきたキーヤンだ。
相手次第では、打つ手はあるかもしれないと考えていた。
「えっとね、古竜王くらい?」
「さようなら。俺達は旅に出る」
有無を言わさず背を向けて、その場を立ち去ろうとするハウエルとキーヤン。
「あっ、あっ! ウソウソ、ウソだよ。ホントはドレイクっていう種類なの。翼が無くて、茶色くて、おっきいの」
「たちの悪い冗談言うなよ。マジで」
「うん、ごめんなさい」
ドレイク。それは地上生活に適応し、翼を無くした下位竜種である。
飛行する事はもはや適わないが、柔軟かつ強靭な皮膚には、生半可な攻撃など通じない。
しかもその体力は他の竜種を上回り、非常にしぶとい事で有名である。
もちろんブレスと呼ばれる炎の吐息も常備している。
「だが……勝てない相手じゃない、よな?」
「あ? まー、そりゃ……」
ここ数週間の修行の日々を思い出す。
ガイエルと過ごしたその地獄の修行では、魔力で攻撃力を増強する技を習得する機会があったのだ。
それはユミルが得意とする【エンチャントブレイド】と同様のスキルだった。端的に言うと、ガイエルがパクったのである。
そこまで計算して、キーヤンは決断する。
「あの技ならば、ドレイクの外皮もどうにか突破できるだろう。ドレイク自体の知能は低いし、動きも鈍い。あの爺ィの修行よりはよっぽど楽な仕事だ」
「おい、まさか受けるつもりか? 俺達にゃ剣も無いんだぞ」
「それは今から買いに行けばいいさ。さいわい、報酬で剣を買うだけの額は手に入れた」
ハウエルは渋り気味だったが、キーヤンはやれると判断した。
先ほど手に入れた収入だと、剣と革鎧を仕入れるくらいはできそうだったからだ。
「お前なぁ……お人好しにも程があるぞ。俺達は骨休めにここに来たんだ」
「まぁ、ドレイク相手なら骨休めって言えるだろ。あの爺ィの修行に比べれば」
「……ハァ、たまには雑魚退治で憂さを晴らすのもいいか」
お人好しなキーヤンと、元から世話焼きな気質のあるハウエル。
この二人が一緒にいる段階で、少女の依頼を断ると言う可能性は限りなく低かったのだろう。
二人は近くの武器屋を訪れ、適当な革鎧と剣を大量に購入した。
剣を大量に購入したのは、ガイエルが開発した『【エンチャントブレイド】もどき』では剣への負担が大きいため、数回使用すれば砕けてしまうと言う難点を抱えていたからである。
これはこの世界の武器の精度が、ユミルやガイエルのそれには遠く及ばない影響なのだが、そこにはガイエルの思考は到っていない。
日頃名剣ばかり使っている人種の、思考の落とし穴であった。
「ま、これだけあれば何とか足りるだろう」
背負った剣の束を揺らしながら、ハウエルは上機嫌で歩を進める。
すでに三人は町を出て、少女の生家のある村へと向かっていた。
日はすでに落ち、周囲は明かりが無ければ足元すら怪しいほどに翳っている。
夜間の行動はこの北の大地でも危険ではあるのだが、そこはキーヤンもハウエルもすでに一般から遥かにかけ離れた常識の中にいる存在だ。
彼らにとってはドラゴンレベルの敵でも出ない限りは、モンスターの襲撃など、羽虫を払う程度の労力でしかない。
「ほんとにこんな夜中に出歩いて大丈夫なの?」
「ん? ああ、こう見えても俺はわりと強いから、そんなに心配するな」
トンと胸を叩いてヴィーを安心させるべく笑顔を浮かべるキーヤン。
そこにはドラゴンスレイヤーの名から逃げ回っていた頃の面影はすでに無い。
彼とて過去幾多の修羅場を潜り抜けてきた猛者になったのである。主に修羅場を用意するのが師であるガイエルだっただけで。
それに便乗するように、ハウエルも主張する。
「俺もキルミーラ王国ではそこそこ名が通ってるからな。ドレイク程度なら安心して任せてくれていい」
そうは言っているが、数週間前の彼ならば、そんな簡単な相手ではなかっただろう。
今こうして余裕を持っているのは、日頃からガイエルと言う規格外生命体を相手にしている経験からだ。
つまり、彼も常識が抜け落ちてきているのである。
そこでキーヤンが急に足を止めた。
ヴィーの行動に気が付いたからだ。少し頭をカクリと落とし、再び前を見て歩き始めては、目をこする。
「とは言え、彼女の体力が限界に近いかもな。やはり夜間に強行軍は無理か」
「ん、ヴィーはまだ頑張れるよ?」
「無理すんな。歩きながら船漕いでいただろう、さっき」
そう言ってキーヤンは周囲を見渡し、風雨を凌げそうなところを見繕う。
ハウエルはその間に雑草を刈り取り、寝床に使えそうな草を集め始めていた。
森の際にある岩の陰に緊急の野営地を構え、そこで夜を明かす事にする。この辺りの作業は、非常に息が合っている。
ヴィーは草でクッションを作ってるハウエルを見て、少し驚いたような表情をした。
「二人共、手際がいいんだね?」
「んー? できなきゃ、死ぬからな」
「あの爺ィ、こっちの命をなんだと思ってるんだか……」
「いや、あいつなら俺達が死んでも甦らしそうだ。時間とか操作して」
「できそうだから困る」
「ひ、酷い言われ様なの」
示し合わせた様に畳みかける二人に、ヴィーは脂汗を流してドン引きしていた。
その後、キーヤンが猟に出て、獲物を取って――来た振りをしつつ、インベントリーから食材を出す。
狼の肉は臭みが強いが、食えないほどではない。採取した香草で臭みを消し、丁寧に加工しつつ夕食を取った。
ヴィーには一足先に休ませ、キーヤンとハウエルが交代で夜番につき、周囲を警戒する。
明け方前に一度ヴィーが起き出して用足しに向かったが、それ以外は平穏に時間が過ぎていった。
変化が起きたのは、明け方前の、一番油断しやすい時間帯。ヴィーが用足しから戻ってしばらく経った頃だ。
――ギュルルルォォォォォ!
どこか遠くで、獣の雄叫びが響いた。
距離はまだあるようだが、明らかにこちらに近付いてきている。
当番だったキーヤンが即座にハウエルを蹴り飛ばし、叩き起こす。
「ってぇ!? なんだよ、起こすならもう少し穏当に――」
「ハウエル、敵」
「……距離は?」
文句を言いながらも、キーヤンの警告に即座に戦闘態勢に入るハウエル。
この辺りの切り替えの早さは、さすがベテランである。
「もう来る……来た!」
その声と同時に、森の木々を薙ぎ倒しながら二匹の蛇が姿を現す。
いや、頭が二つあるだけで、実際は一匹だった。
その異形にキーヤンは声を上げる。
「インシルペルス! ブレスを吐くぞ、気を付けろ」
ゲームの知識とは言え、彼の脳内には豊富なモンスターの知識が詰まっている。
的確に敵の種別を読み取るキーヤンの知識は、やや脳筋に寄るハウエルにとっては貴重なサポートと言えた。
「ヴィーはそこの岩の陰に。ブレスに気を付けろよ? 俺は正面に立って注意を引く!」
ハウエルが剣を振ってインシルペルスの注意を引き、その隙にキーヤンが脇に回り込む。
頭が二つあるインシルペルスだが、それぞれの頭で一人ずつを相手にするような知恵は無かったらしい。
露骨なハウエルの挑発に乗って、彼に向けて矢継ぎ早にブレスを吐きかけていった。
だが、その隙をキーヤンが逃すはずもない。
背後まで回り込み、頭の一つに向かって剣を振り下ろす。その剣にはガイエルの開発した【エンチャントブレイド】もどきの魔力が乗せられていた。
「【マギブレイド】!」
いまだユミルの【エンチャントブレイド】のように、常時展開する能力はキーヤンには無い。
だが、攻撃する一瞬だけ魔力を纏わせる戦い方は、すでに習得していた。
これがガイエルの生み出した【マギブレイド】と言う技である。
魔力を帯びた剣撃はインシルペルスの固い皮を、まるで紙のように斬り裂いていく。
一瞬後には、インシルペルスは片方の頭を失い、タダのデカい蛇に成り下がっていた。まだブレスを吐くことは可能だが。
「キュルルルルル!?」
突如首を落とされた苦痛に、インシルペルスが苦悶の声を上げてのたうち回る。
鳴き声を上げる――それはブレスが途切れたという証拠でもあった。
攻撃が途切れたのならば、ハウエルも反撃に出る事ができる。即座に間合いを詰めて、ブレスを放てないほど至近に潜り込む。
「【マギ――ブレイド、ツヴァイ】!」
彼は両手に長剣を持ち、同時に魔力を纏わせる。
そのまま十字を描くように、インシルペルスの残る頭を絶ち割ったのだった。
瞬く間に始末され地響きを立てて地に沈む巨蛇。
その姿を見て、ヴィーは驚いたように目を丸くした。
「うっそ……本当に強いんだ……」
巨大な双頭の蛇を瞬殺してのけた二人に、ヴィーは感嘆の声を漏らすしかなかった。