第百八十六話 番外編2 依頼
びしょ濡れのボロボロの服を纏ったまま、キーヤンとハウエルは少し離れた場所にある人里に辿り着く。
ドラゴン達の生息域に近いこの場所は、あまり町は多くないため、三番目に近い町とは言え結構な距離があったのだ。
「さ、さみぃ……凍え死ぬ」
「さすがに川の中を行軍するのは、無理があったな……」
二人が自分の身体を擦りながら街中に入っていくと、さすがに往来の人達が胡散臭げな視線を向けてくる。
大らかな性格の者が多いこの北の地でも、彼らの姿はさすがに怪しすぎたのだ。
「どうするよ? 武器も金も無いんだぞ。ガイエルに見つかるまで英気を養うったって、先立つ物がなけりゃそれもできねぇ」
「それなら問題ない。まずは冒険者組合に行こう。途中で倒したモンスターがいたろ? あれの素材を売るんだ」
「なるほど、そういえば俺達は冒険者だったな!」
「忘れんなよ」
ハウエルは最近、気を失うまでガイエルに鍛えられていた。
その過酷な生活の中に、冒険者と言う要素は欠片も無かったのである。忘れていても責められはしまい。
「あの爺ィ、鼻はいいからな。おそらく見つかるまで精々二、三日ってところだろう」
「なら、その間に次の町に行くか?」
「恐らく無理。逃げ回った所で確実に追いつかれる。ならばその二、三日を堪能しようぜ」
「ガイエルの力は認めてるんだよな、お前」
「当たり前だろ、古竜王だぞ!?」
とんでもなく人間臭い性格をしているが、ガイエルは神話に属するレベルの幻想生物なのだ。
事実、空間を捻じ曲げるような馬鹿げた魔法を、買い物がてらに使うような超存在である。
キーヤンとて、その実力は認めない訳には行かないのだ。
「とにかく、逃げ切るのもこの辺が限界だろう。おそらくは次の街に行く前に捕捉される。だからここでのんびりする事にするぞ」
「あれだけ嫌がってたのに、逃げきろうとは思わないのな」
「一応、強くなるために鍛えてくれてんのは、俺だって感謝してんだよ」
少し照れくさそうに頬を掻きながら、キーヤンはそっぽを向いた。
いわゆるツンデレだった。男がやっても全然うれしくない仕草である。
そのまま足早に組合に向かうので、ハウエルは何も言わずに付いて行く。
組合に行けば、素材を売るだけでなく、彼らの預けた預金も利用できるからだ。
ベテラン冒険者であるハウエルはもちろん、ドラゴン退治の英雄であるキーヤンも、結構な額を預金していた。
武器も金も持ってきてはいないが、身分証明書の代わりにある組合証だけは、肌身離さず持っていたのだ。
通りにある組合の紋章を掲げた看板を見つけ、躊躇い無く中に入る。
と言うか、外にいると凍えてしまうのだ。早く温まりたい二人であった。
組合の中は例によって大柄な、妖鬼と見紛うばかりの冒険者達で溢れかえっていた。
時期的には冒険者は出払っているはずの秋口なのだが、夕方と言う時間帯があまりよろしくなかったらしい。
キーヤンは足早にカウンターに進み、素材の買い取りに待ちの冒険者の列に並んだ。
「んだ? 兄ちゃん達、ここは冒険者の店だぞ。物乞いなら表でやってくれ」
二人の格好を見て、勘違いした冒険者が話しかけ、表を指差す。
ハウエルはその物言いにイラついたようだが、キーヤンがそれを制した。
「俺達も冒険者だよ。事情があってこんな格好をしてるけどな。ここへは素材を売りに来たんだから、列に並ぶくらいは良いだろ?」
そう言って服の内側に手を突っ込み、そこでインベントリーを操作。
逃亡途中で襲って来た狼の毛皮をこっそり取り出して、男に見せる。
「へぇ、素材を服の下に仕込んで防寒具の代わりにしてたのか。頭いいじゃねぇか」
「しまった、その手があったか」
「ぁん?」
「いや、なんでもないぞ、なんでも」
この狼は逃亡途中、彼らに襲い掛かってきた動物だ。
本来ならば武器も鎧も無い状態だから危険なはずなのだが、武器も鎧も関係ないレベルで危険な相手と毎日死線を潜っている二人には、じゃれ付いてくる子犬程の脅威すらない。
「武装してる風でもないのに、どうやって倒したんだ?」
「ん、そりゃ、この程度の雑魚なら、殴れば死ぬだろ?」
男の問いにハウエルは軽々と答えているが、本来この狼――森狼と言う大型の狼は、素手で倒せるようなモンスターじゃなかったりする。
それを聞いて、男はハウエルの言葉を、真実ではなく粋がった虚勢だと判断した。
「ま、言いたくないならいいけどな。ほら、寒いだろ、俺の前に入れ」
「お、悪ぃな」
「恩に着るよ」
まだ四、五人は並んでいる列を一つ前に割り込ませてくれた男に、キーヤンとハウエルは礼を言う。
夕刻に逃げ出し、数時間かけて川の中を強行軍してきた彼らは寒さの他にも体力をかなり消耗していた。男の気遣いは正直にありがたいと思えるのだ。
「それにしてもずぶ濡れじゃねぇか。川にでも落ちたのか?」
「あ、ああ。コイツを仕留める時に、少しな」
「溺れさせて仕留めたってところか? 皮に傷も無いし」
「内緒だ」
解体のためのナイフも持ってなかったので、近くの尖った石を使って乱暴に剥いだ毛皮だ。
正直それほど値がつくようには見えない。だが剣で戦った場合より傷が無く、石で裂いた縁の部分を加工すれば上物に仕上がるはず。
そう思って順番が回ってきたカウンターに差し出す。
ついでにハウエルが組合証を出そうとしたところを、キーヤンに止められる。
「なんだよ?」
「よく考えたら……お前はともかく俺はヤバイ」
「はぁ?」
キーヤンは良くも悪くもこの地方の有名人である。
ここで組合証を出せば、彼が『ドラゴンスレイヤー』にして『アンブロシアの製法を発見した』キーヤンである事がバレてしまう。
そうなると、周囲が大騒ぎになり、その騒動はより早くガイエルの耳に届く。
それをキーヤンは危惧したのである。
「なるほど……そういう意味では俺もヤバイかもしれないな。こっちじゃまだそれほど有名になってないとは思うが……」
ハウエルとて、キルミーラ王国では有数の冒険者だ。
その実力はアーヴィンと並び、ヤージュにまで迫るとすら言われている。
そんな彼の組合証は、腕利きの証である大物の討伐記録が山と残されていた。
「あの……早く組合証を……?」
そんな二人を見て、受付嬢が不審な表情を見せる。
ここで出せば騒動になり、出さないと報酬を受け取れない。そんな板挟みに陥ってしまった。
そこでハウエルは自身の組合証を操作し、無難な画面に移行させる。
「済まないが、少し見せたくない情報もあるので、これで……」
「見せたくない、ですか? 当組合では情報は厳守いたしますが?」
「いや、この組合証が怪しいという訳じゃないんだ。本当に!」
「……済みませんが、精査させていただいても?」
「アホか、お前は!」
余計に不審な態度になってしまったハウエルの後頭部を叩き、キーヤンが彼をカウンターから引き剥がす。
だが、だからと言ってキーヤンが組合証を出す訳にも行かない。
「ここはお前の名が知られていない事に期待して普通に出せばよかったんだよ!」
「いや、俺も結構有名人で……それに俺達の組合証、見たか? 討伐は付いてないが、戦闘記録にガイエルの名前が入ってるんだぞ」
「え、マジ!?」
「マジだ」
古竜王との戦闘記録がある組合証など、人に見せれるものではない。
ユミル辺りならば平気で見せるかもしれないが、それはもはや常軌を逸した存在との戦闘履歴である。生きて帰れる方がおかしい。
「さらに言うと、ちょいと遡れば、モリアスの騎士の名前も出て来る」
「半殺しにしちまったからなぁ……」
「という訳で見せられない情報が結構入ってんだよ、俺達」
「やべぇ、どうするよ? 組合証の提示が無ければ、これ売れないぞ?」
二人で額を突き合わせてうんうん唸っていると、列を譲ってくれた男が代わりに組合証を出してくれた。
「わりぃな。俺が代わりに出すから、査定してくれねぇか?」
「え、ですがそれは……」
「こいつらと共同で倒したって事にしてくれれば、問題はないだろ」
「はぁ、まぁ……ルール的には。では、しばらくお待ちください」
男はこの組合でも結構な顔なのか、彼の保証であっさりと査定に入る受付嬢。
何から何まで世話になったキーヤンとハウエルは、男に感謝する事しきりである。
「スマン、世話になりっぱなしだな」
「なに。儲けの二割ほど譲ってくれれば、問題ないさ。俺だって冒険者だ、タダでは動かんぞ」
「ちゃっかりしてやがる……と言えた義理じゃないか。二割ならば良心的な位だ」
査定の結果、森狼の毛皮は銀貨八十枚で買い取ってもらえた。
そのうち二割と言う事は銀貨十六枚――千六百ギルである。ちょっとした食事を二週間は楽しめる額だ。
キーヤンとハウエルにしても、銀貨で六十四枚と言う金額を手に入れる事が出来た。
宿に三日は泊まれるだろうか。
男は銀貨十六枚を受け取りホクホク顔で組合から出て行った。この臨時収入で一杯ひっかける気なのかもしれない。
「当座の資金にはなるが、これだけじゃさすがに足りないな」
「そうだな。他に売れるものはあるか?」
「えーと、ワイバーンの――」
「うん、ちょっと黙れ」
ワイバーンと言えば中級以上の強敵である。
その素材ともなれば、出所は結構厳しく詮索される事になるだろう。
「インべントリーに肉はある、だが酒がない」
「こいつじゃ宿代が精々か。少しばかり手早く済む仕事を受けるしかないか――本末転倒な気もするが……」
「一日でカタを付ければ、後一日くらいは遊べるはずだ。それに期待しよう」
ハウエルがそんな提案にキーヤンが同意を示した時、背後から甲高い声が掛かった。
「じゃあわたしの依頼を受けてよ、お兄ちゃんたち!」
二人が振り向くと、そこには十をいくつか過ぎたばかりに見える少女の姿があった。
長い、緑がかった不思議な色合いの黒髪をした、愛らしい少女だ。やや吊り気味の目が勝気な印象を与える。
見た目は無力そうな少女だが、彼らはユミルとアリューシャと言うバケモノを知っている。
決して油断したりはしない。
「お嬢ちゃん、俺達は今大事な事を話してるから、向こうに行っててねー」
だがハウエルはモノの見事に見た目で判断して油断していた。学ばない男である。
すげなく追い払おうとするハウエルに、少女は執拗に食い下がった。
「わたしも大事な話があるんだよ! だからお仕事受けてよぉ」
「えぇ、面倒くせぇ……」
「まぁいいじゃないか。どうせ何らかの依頼は受けなきゃならなかったんだ。ところでお嬢ちゃん、依頼料って知ってるかな?」
「え、うん――これだけ」
少女は胸元から小さな袋を取り出し、中身を二人に見せた。
ちなみに服の中身もちらりと見えたが、二人には何のアピールポイントにもならない。
袋の中身は小さな翡翠で、純度が高そうな物だった。二人は売ればそこそこの値が付くだろうと判断する。
「これなら……銀貨で五十枚は行けるか?」
「少々安いが、酒代にはなるよな?」
「お母さんの形見なの。困った時はこれで冒険者を雇いなさいって」
「……………………」
それを聞いてキーヤンたちは微妙な表情をして見せた。
そんな大事な物を受け取るほど、無慈悲な性格はしていないのだ。
「はぁ……まぁいい。で、何が頼みなんだ?」
「受けてくれるの? やった!」
ぴょこんと飛び跳ねる少女は将来有望そうな愛らしさがあった。今はひたすらに守備範囲外ではあるが。
そんな仕草ののち、彼女は二人に爆弾発言をしてのけたのだ。
「あのね? ドラゴンを倒して欲しいの!」