第百八十三話 最後の一人
三層の探索も、多少のトラブルはあったが問題なく終了した。
ボクの実力を知ったザック達は、こちらの忠告を素直に受け取り、その経験を砂が水を吸うように吸収して成長していったのだ。
今の彼らは、おそらく数年を危険に費やした冒険者に匹敵する実力があるはず。
後は四層に降りて、不利な状況での戦闘に慣れれば、今後は独り立ちできるだろう。
「と言う所で今日はここまでかな?」
「え、もうですか?」
「迷宮に入ったのがお昼からだったからね。迷宮内だと時間が判らないけど、外じゃ結構暗くなってる時間だよ」
組合証には時間表示の機能もある。それによるとすでに午後四時を回っており、今から地上に戻るとなると結構遅くなってしまう時間だ。
六層の転移装置が使えない場合、帰還の時間も計算に入れないと、迷宮で夜を明かす事になってしまいかねない。
「でもなぜ夜は迷宮に入らない方がいいんです?」
「夜はモンスターが活発になる時間だからね。迷宮内は光苔やら太陽っぽいギミックやらで常に明るく保たれているけど、急に襲ってくるモンスターが強くなって敗走なんてことは結構あるんだよ?」
夜間の時間帯にモンスターが強くなるという設定は、トラキチが付与したものだ。
外だと、夜間はこちらの監視の目が甘くなり奇襲を受ける危険性が大きくなる。また、モンスターも活発に動き出すため、あまり刺激すると物量で押されてしまう……と言うのが本当の所だ。
そういえば、ヤージュさんと初めて会った時も、彼らは時間を忘れて迷宮に潜って窮地に陥っていたんだっけ。
「なまじ明るいから時間感覚が無くなっちゃうんだよね。常に時間を把握するって訓練もあるのかなぁ?」
三層から五層は自然をベースにしたフロアなので、疑似的な光源が設置されており、基本的に常時明るい。
一層から二層の薄暗いダンジョン風味のフロアとは一転して、この明るさが油断を誘うのだ。
突如、右脇からじゃれ付いてくる怪力熊の首を、視線すら向けずにバッサリ跳ね飛ばしながら、そんな思案をする。
「なんだか、凄いですね……ここ」
「ん? そだね。難易度は他所に比べて桁違いだよ。タルハンの迷宮とかだとここでも十層くらいの強さがある」
「いえ、そうじゃなくて。なんだか、各階層ごとに冒険者を育成するための意図が込められている気がして」
「あー、それはあるかもね。トラキチ、そういうの好きそうだし」
彼はダンジョンマスター系のゲームをやり込んでいただけあって、『お約束』の配置は徹底していた。
今ボクは五十九層まで降りているけど、もう少し下がれば謎掛けみたいなギミックも登場するかもしれない。その前にあのアンデッド塗れのフロアを突破しないといけないけど。
「トラキチ? 誰です?」
「はぁ、したくないなぁ……って、ん? あー、別に何でもないよー」
トラキチがここのダンジョンマスターで、迷宮構造を弄れることは秘密である。
そんな存在が確認されたら、欲深い者は必ず彼とこの迷宮を手に入れようと画策するだろう。なにせ、欲しい物を自在に生み出す事が出来てしまうのだから。
神の卵であるダンジョンコアを自在に操れるトラキチの存在は、ボク以上にトップシークレットなのだ。
……卵、変な感じに孵ってたけど。
「じゃ、明日は四層に降りるから、救命胴衣とかそういうの用意しておくように」
「はい!」
彼らは元気よく返事を返し、ボク達は地上に戻ったのである。
「この救命胴衣ください」
「はい、まいど!」
「って、ユミルさんの店じゃないですか、ここ!」
「見事なマッチポンプだと思うが、別におかしい所はないな」
などと言うやり取りが地上に行われたのは、内緒である。
翌日、ついに最終試験たる四層に突入した。
この階層で注意しなければならないのは、フロアの大半を占める『海』である。
「船を作って目的ポイントまで進むから。作業中、周囲には注意してね」
「はい!」
フロアの大半が海で占められるとは言え、陸地が無い訳ではない。外輪部には浜辺のような場所も存在し、そこには防風林のごとく松林まで存在するのだ。
松はまっすぐな木じゃないけど油分が多く、非常に浮きやすく燃えやすいのが特徴だ。
これを切って繋いで簡易な筏を作る。ある物を活用する冒険者の知恵である。
このフロアで注意しないといけないモンスターは、圧倒的に海の中に多い。
なので地上で作業する場合、あまり警戒する必要はないのかもしれないけど、念には念を入れた方がいい。
ボクが筏を作ってる間、ザック達には周囲の警戒をさせておいた。
ちなみに、この階層最強の敵は大顎鮫というモンスターだ。
これは通常の倍近い頭部を持った巨大な鮫で、まるで手足の無いワニの様な外見をしている。
その咬合力は桁違いで、たとえ重武装をしている戦士でも鎧ごと噛み千切られかねないほど強い。
なので、この階層では船を守りつつ、遠距離からの攻撃で敵を撃退する能力が問われるのだ。
そんな説明を行いつつ、ボクは筏を急ピッチで組み上げていく。
剣の一振りで木を斬り倒し、ロープでがっしりと結束していく。それらの作業を人間離れした筋力と敏捷度でこなす。
「うえぇ、なんだかあり得ない速度で船ができてるんですが……?」
「ユミルお姉ちゃんは例外だよ。普通だとここで一時間は時間を取られちゃうの」
「っていうか、私達ならもっと別の手段があるけどね」
センリさんの言う『別の手段』とは、現地で筏を組み上げる事ではなく、アイテムインベントリーに船を収納しておくという手段だ。
さすがにこれはインベントリーの能力を持つ転移者でしか使えないので、彼らの参考にはならない。
そんな話の間にも、松の木を組み合わせた筏は完成し、その上になめし皮を敷いて防水兼床を設置する。
松の木はねじれて成長する事が多いため、その材木を使って作る筏は、どうしても隙間だらけになってしまう。
アルドさんの所から安く購入した釘を使ってこのなめし皮を固定する事によって、隙間に足を取られる事も無くなるのだ。
「よし、完成。それじゃそろそろ……」
出発しようか、そう声を掛けようとしたところで、ボクは奇妙な違和感に勘付いた。
いや、違和感自体は全くない。それなのに……そこに一人の少年が立っていたのだ。
「やぁ、こんにちわ」
「――誰?」
気安く声を掛けてくる少年。だが、ボクは彼が接近するまで、まったく存在に気付かなかった。
危険感知の能力は、基本的に敵意によって反応する。
なので、彼が敵意を持ってなかったのならボクに察知する事は出来ない。だが、それはそれとして、足音や気配などを感じ取る能力は、この世界に来てから念入りに鍛え上げてきたのだ。
この七年、アリューシャを守り抜いてきたボクは、不意打ちには異常なほど警戒心を持っている。
その警戒網を、彼は潜り抜けてきたのだ。
「いつの間に……!」
「わたしも全然気づかなかったよ?」
センリさんとアリューシャも、その気配の無さに驚愕している。ザック達は言うに及ばず、だ。
「名乗る時は自分から、って言葉があるんじゃないかな? えっと、君がユミルさん?」
年の頃は十五、六だろうか? 見た目は若いけど、なぜか老成した雰囲気を感じさせる。
黒髪に白い制服のような服装と制帽を被った、平凡な容姿の少年だった。
腰に差している刀の様な武器が彼の武装だろうか。
「……そう、ボクがユミルだよ。こっちはアリューシャとセンリさん。後、ザック、ティルク、ルカ」
「はじめまして、だね。僕の名前は……こっちの世界ではタモンって名乗ってる」
「その名前!?」
聞いた事がある。確かキシンが口にしていた、最初の転移者の名前だ。
トラキチと同時に召喚された、最初の一人。
「ケンネルの転移者がなぜこんな所に……」
「君達と少し話をしてみたいと思ったからだよ。後、できれば勧誘も。少し時間、いいかな?」
「正直、うさん臭くて耳を貸したくないんですけど?」
「あはは、それは僕も思ってるよ。こんな胡散臭い奴の話なんて、普通は聞かない。でも君は聞くだろう?」
それは――肯定せざるを得ない。
彼はオックスやキシンと違って、今のところ敵対的ではない。それに転移者であるならどんな能力を持っているか判らないのだ。
無闇に手を出していい相手ではない。
「無駄に戦いを求める性格ではないですね」
「それは重畳。まず僕達がなぜユミル村を襲撃したのかについて説明させてほしい」
芝居がかった仕草で帽子を取って一利するタモン。そのまま身軽な仕草で近くの岩に腰を掛ける。
まるで警戒心という物を感じさせない。
「それについてはヒルさんも推測していましたけど……」
「へぇ? どんな感じか聞いていい?」
「組合とは違う、新しい経済組織を作ろうとしているって」
「……凄いな。どうやってその答えに辿り着いたのか、興味があるよ」
少数で攻め込んできた事、村では無く迷宮の確保を優先した事、組合との関係悪化すら物ともせず、後先を考えない侵攻を謀った事。
そういった点から、ケンネルが組合の力を必要としていない、新たな組織を作ろうとしていると見抜いた事を、ボクは説明してやった。
「うんうん。組合にも有能な人材がいるんだねぇ。ウチにも欲しいな、そのヒルって人」
「あげませんよ? 彼はユミル村の大事な村長代理なんですから」
そう話している間にもザック達は剣を構え、警戒を解いていない。
センリさんもそうだけど……ボクは剣を抜いていなかった。タモンに敵意が無いのももちろんだが、彼の力量が全く推測できないのだ。
そういった相手に無闇にケンカを売るのは拙い。
「村長がいるなら代理は要らないじゃない? 僕達は人材が不足してるんだよ。そんな事を言わずにちょっとだけ、ね?」
「代理がいないと、ボクがサボれないじゃないですか」
「……君は悪い村長だな」
呆れたように肩を竦めて見せるタモン。その彼に向かって、不意にルカが矢を放った。
「――食らえ!」
「ルカ!?」
驚愕に声を上げるボク。元から戦闘態勢に入っていたから、ボクも反応できなかった。
とっさに矢を切り落とそうと剣を抜くが、それも間に合わない。
だがタモンはギリギリで身体を捩って、その矢をやり過ごした。
「おおっと。いきなりかい? 危ないなぁ」
「うるさい! あんた達のせいで、私達がどれだけ苦労したと思ってるのよ!」
ルカは元々、この村に長く住んでいたらしい。それはつまり、あの侵攻の際、家を焼かれ村を追われた経験があると言う事だ。
彼女がケンネルに強い憎悪を持っていても、おかしくはない。
「それに関しては悪いと思ってるけどね。僕はあの作戦を止めようとはしたんだけど、あいつらももきちんと目的があって行動しててね。お互い譲れない面がカチ合えば、どちらかが押し通さないといけなくなるじゃない?」
「そんな理屈!」
続けざまに矢を放つルカ。その大半はボクが払い落としたけど、数本がタモンに向かって飛来する。
彼は落ち着いた仕草で腰の刀を引き抜き、最小限の動きで矢を叩き落とした。
ボクから見て、その動きは熟練した経験を感じさせるが、やはり鈍い。転移者ならば、もう少し鋭い動きをすると思ったんだけど。
「勘弁してよ。僕は接近戦は苦手なんだよ。それに今日は話し合いに来ただけだし」
「ルカ、これ以上無茶するなら、無理にでも取り押さえるからね!」
「ユミルさん――でも……」
「いいから。ここはボクに任せて」
とにかく彼がわざわざ顔を出してきたんだ。少しでも情報を集めたい。
それにザック達のレベルで奇襲してどうにかなるほど、転移者という存在は甘くないのだ。
まだぐずるルカをセンリさんが抑え込む。最悪アリューシャの【ポータルゲート】で地上に送り返せばいいけど、できるならコイツにこちらの手札を見せたくはない。
タモンは何事も無かったかのように再び腰を下ろし、語り始めた。
「僕はね、この世界の経済システムに不満があるんだ」
怒りすら込めて、タモンはそう宣言したのだった。
次の話で今章は終了となります。
続けてキーヤン主軸の番外編を5話ほど挟む予定です。
……野郎主役のトボけた話を書きたくなったんや!