第百七十四話 また始まる悪だくみ
外の弁当売りの声を聴きながら、とりあえず昼食の支度を始める。
一日早くやってきてしまった上に、まだ昼前なのだ。朝から無駄に暴走したのでお腹が空いている。
懐かしの台所に立ち、アリューシャの倉庫の能力から食材を取り出して、調理する。
ミッドガルズ・オンラインには料理アイテムとかあるのだが、その品揃えはあからさまに美味しそうじゃないのだ。
触手のグラタンとか、イチゴのおにぎりとか、現実にあっても食べたいとは思わない。
「クマ肉はまだあるね。野菜は……」
「あー、わたしもお手伝いする!」
「じゃあ、私は新聞でも読んでいるわね」
両手を上げてお手伝いを宣言してくれるアリューシャと、休日のダメお父さんよろしくクッションに身を沈めるセンリさん。
いや、あなたの家事能力には期待していないけどね。鍛冶能力には期待しているけど。
「この世界に新聞なんてありませんよ。瓦版ならあるかもしれないけど」
「それなのよね。せっかく印刷の技術があるんだから、新聞システムでも構築する?」
「それは……ヒルさんにでも提案しておきましょう」
元の世界のシステムで、こちらでも再現できそうな物はまだまだある。
それらを広めて行けば、ボク達の生活を豊かにする手段は、まだたくさん残っているのだ。
テレビは無理でも、通信石を改良して携帯くらいは再現してみたい。
「ヨモギー、クマ肉ー、モヤシー!」
センリさんとそんなお話をしている間に、アリューシャが適当な材料を使って野菜炒めを作り始めていた。
もっとも材料は迷宮産の物ばかりである。特にそのモヤシは確か、食人蔦の触手だったはずだぞ?
「あ、こら! こっそりピーマンを食材から抜くんじゃありません」
「えー、あれニガイから苦手なの」
「ヨモギも苦いでしょ。っていうか、好き嫌いしてると、大きくなれないんだからね」
「もうユミルお姉ちゃんより大きいよ。関係各所を含めて」
「どこでそんな言葉を覚えてきたのかしらっ!」
むきーっとなってボクはアリューシャのオッパイを背後からワシ掴みにする。その手の平に返ってくる感触は、先日よりもさらにボリューミィだった。
「また……育っている、だと……!?」
「成長期だもん。もっと大きくなるよ! だからピーマンは抜きね」
「偉い人は言いました。『それはそれ、これはこれ』と」
「えー!」
手早くピーマンを千切りに刻んで、鍋に投入。ついでにタケノコっぽい食材も一緒に放り込む。
タルハンで仕入れたオイスターソースに似た風味の調味料と絡めて火を通し、青椒肉絲風味に仕立て上げる。
牛肉の代わりにクマ肉、モヤシの代わりに触手な辺り、ボク達もミッドガルズ・オンラインの料理をバカにできないかも知れない。
後はお茶の葉と骨髄のゼラチンをお湯に溶かして、スープを一品。コンソメパウダーとかないので、簡単に一品と行かないのが悲しい所だ。
水に放り込むと酒になる謎の丸薬はあるというのに……
更にクマ肉を玉ねぎと一緒に炒めたものを一皿追加し、昼食の準備は完了。
このタイミングでドアがノックされた。
「ン、誰だろ?」
「ユミルさん、戻ってきていらっしゃるんですか?」
「あ、ヒルおじさんだ!」
アリューシャが厨房から飛び出してお出迎えに出る。
この辺りはボクの教育の賜物である。来訪者は、まず歓迎するのだ。友好的な限りは。
「ああ、やはり。厨房から煙が上がっていたので、そうじゃないかと」
「また休み時間に村内を徘徊していたんですか?」
「そんな痴呆老人みたいに言わないでくださいよ!」
「食事時を狙ってきたのが、実に怪しいですね」
言いながらも食卓に勧め、クッションを取り出す。
用意していたのが大皿料理ばかりだから、取り皿を用意すればいいだけなので、一緒に食卓を囲むことになった。
彼も昼食休みを利用しての見回りなので、都合がいいだろう。
「申し訳ありませんね、ごちそうになってしまって」
「まぁ、食事は賑やかな方が楽しいですし」
「報告事項もあるから、ちょうどいいタイミングだったわよね?」
「美少女三人と食卓を囲むなんて、他の人が聞いたら嫉妬しますよ?」
「ハハ、カロンが聞いたら命が危なかったかもしれませんね。まぁ彼は今遠い空の下ですが」
確かにカロンが聞いたら暴れそうだけど、遠い場所?
「どこか行ってるんですか?」
「リビさんに拉致られてモリアスに。新領主のサポート役に引っ張っていかれました」
「あらまぁ。じゃあ、あのパーティはまた分裂か」
「いや、パーティごと拠点を引っ越したようですよ。なにせ騎士団丸ごと寝返った街ですから」
金回りの良かったロゥブディアに付いていた連中はそれぞれ罰を受けている。だからこそ、その後釜であるリビさんを恨む輩も多いだろう。
護衛としてカロンたち仲間を連れて行ったのは、さすがの慎重さと言える。
思い思いに手を合わせて、食事を貪りながら近況を報告しあう。
うむ、少し塩気が強いメニューだったけど、朝から動き回ったので、これはこれで。
ふと見るとアリューシャは必死にピーマンの排除作業を繰り返していた。
「アリューシャ?」
「だってぇ」
「もう、仕方ないなぁ」
本気で泣きそうなアリューシャを見て、ボクは溜息を吐き、皿の縁に避けられたピーマンをボクの皿へと移す。
彼女がいくら大人びていると言っても、まだ十二歳。好き嫌いは残っていて当然だろう。
そんなボクを見て、アリューシャは脇腹に抱き着いてきてくれる。最近はこれを支えるのも一苦労なのだ。主に質量的に。筋力値が低かったらそのまま押し倒されていた事だろう。
「それで……例の薬は?」
「試作品は完成したみたいですよ」
「うん、これね」
センリさんが世界樹の実から精製した回復薬をテーブルに置く。
その効果を彼女が説明している間に、ボクはピーマンをもっちゃもっちゃと口に運んでいた。
「最大HPの半分……それって凄い薬じゃないですか?」
「うん、凄いね。高レベルの冒険者になればなるほど、恩恵は高くなる仕組みだよ」
「ボクだとちょっと口に出せない位、回復しちゃいます」
「わたしもー!」
アリューシャも、生命力に割り振ってはいないとはいえ、一般の者とは比較にならない位高レベルの冒険者だ。
そのHPの高さも、他の冒険者をぶっちぎって高い。
「量産の目途は付きそうですか?」
「それはここの術者次第よね。あとは素材の供給量かしら?」
「実の回収はどんな感じです?」
「新人冒険者や手隙の人間に依頼を出す事で賄ってます。いい小遣い稼ぎになってますよ」
この村の最大の難点。それは新人には辛い迷宮難易度だった。
だが、この実の回収で生計を立てる事ができ、近隣のモンスター退治で堅実に実力を上げていけば、迷宮に潜れるようになるだろう。
つまり、この村だけで冒険者の育成が成り立つようになる訳だ。
「それは朗報ですね。新人を受け入れる事が出来ないと、どうしても冒険者の増加に繋がりにくいですから」
「組合としても、冒険者のバリエーションは用意しておきたい所ですし。それに特産品ができた意義も大きい」
「それと、新兵器も開発したのよ! これ見て、これ!」
そう言ってセンリさんがテーブルに置いたのは、やたらメカメカしい金属製の籠手だった。
「なずけてパワーアーム。肘から先限定だけど、通常の十倍の筋力を発揮できるのよ! これで武器を振れば、モンスターなんて一撃なんだから!」
「おお、それは凄い」
この説明に目を輝かせたのはヒルさんだ。
二年前の侵攻は彼にとっても痛恨事だった。防衛戦力の増強には常に腐心している。
ボクはその場に居合わせなかったけど、転生者相手に一般人が奮戦したのは奇跡だと思っている。相手があまりにも舐めプした結果でもあったけど。
テーブルの上に置かれた籠手を手に取り、装着しようとしたところで気が付いた。
「センリさん、この籠手、腕を入れる所が無いですよ?」
「ああ、これを装着するにはちょっとコツがあってね?」
「コツ?」
「うん。まず腕を切り落とします」
「却下だ!?」
つまりあれか、この籠手はフルメタルなアルケミストっぽく、腕を『持っていかれ』ないと装着できないと言う事か!?
部位再生すら可能にする魔法が存在するこの世界で、そんな酔狂な真似をする人はあまりいない。
治療費が無くて再生できない人くらいだろう。
「ちなみに予定価格はいかほどで?」
「えっとね……」
センリさんが提示した価格は、再生魔術を掛けてもらう価格の倍くらいだった。
「その価格でこれを付けるくらいなら、腕を再生させる方が先でしょうね……」
呆れたように溜息を吐くヒルさん。その気持ち、実によく判る。
「うう、いい出来だと思ったのに……」
「まず発想が間違っている」
「でもでも、切り落としてこれを付けて、要らなくなったらわたしが再生してあげれば……」
「アリューシャは優しーねー。でも、これはさすがにフォローしなくていいんだよ?」
「はぁい」
「見捨てるの早!?」
「甘いですよセンリさん。アリューシャはボクの言う事『だけ』をよく聞くいい子なんです!」
「それっていわゆる洗脳……」
「そんな戯言、聞きたくありません!」
派手に耳を押さえて首を振って見せるボク。悲惨な真実を突き付けられたヒロイン風なその仕草には、センリさんも口を閉ざさざるを得なかった。
……呆れて物も言えなくなっただけとも言えるけど。
「それはともかくとしてですね――」
だが先ほどのヒルさんの発言には、都合のいい単語が含まれていたので、これには乗る事にする。すなわち、特産品だ。
「タルハンでは水鉄砲が特産になりましたけど、この村にも、もう一つ何か欲しいと思いませんか?」
「もう一つ――ですか? 何かいいアイデアでも?」
「ええ、あるにはあります。ただしこれには組合の協力が不可欠で……」
「と、いうと?」
「ズバリ、競馬です!」
海に面したタルハンで水鉄砲と言う遊具が流行り、それがポンプ器具へと発展したのは、地理的な要因を含めれば当然の帰結と言えた。
水に親しみ、水を豊富に使い捨てられるあの街ならではの展開と言える。
だがこの草原では、そうはいかない。
一応共用井戸がいくつか存在し、ボク達が転移した直後のような水不足に陥る危険はなくなったとはいえ、いまだこの村での水は貴重品なのだ。
そんな村で水を使い捨てる遊具が流行る訳が無い。
つまりこの村には子供向けの遊具や玩具が存在しないのだ。
一応、ボクが作り捨てていった滑り台やブランコ、ハンモックなどは時折使われているようだったが、それでも数が足りなさすぎる。
ここは土地が有り余った草原ならではの娯楽を考えなければと思っていた所だったのだ。
「競馬、ですか? 一応この世界にもあるにはあるのですが……」
この世界にも馬はいる。
馬がいれば自然とより良い馬を、より速い馬を求めて競い合わせる行為が発生する。
そして、そういう行為が大きくなれば、競馬と言う競技が生まれる事は必然と言えた。
「もちろんそれは判っています。ですが、参加者が子供限定、となればどうでしょう?」
「子供限定……危険じゃないですか?」
この世界で、競馬の存在はボクも各所で目にしたことはある。
だが、それを子供達だけでやるというのは見た事が無い。
もちろん馬に乗るという危険性も考えれば、大人が眉をひそめるのは当然だ。
「そこで橇の出番です!」
この村とタルハンの特産品。その一つである草原用橇に乗れば、落馬の危険性は大きく減衰できるのだ。
「幸い、競技に利用できる土地は腐るほどあります。そして万が一落馬しても草原ならば柔らかく受け止めてくれる。さらに橇ならば、固定する事で落馬を防ぐことも可能……ふむ、できるかもしれませんね」
草原用の橇が開発されて早六年。その性能もかなり向上している。
そろそろこういう娯楽に使われる時期に来ていてもおかしくないはずだった。
「という訳で、第一回、チキチキ草原橇レース開催してみませんか?」
「――考慮してみましょう」
こうして草原の運動会の幕が上がったのである。