第百七十三話 オシオキの危険度
お待たせしました。新章開始します。
最後の山のとっかかり編ですね。
事件から一か月が経った。
アリューシャ達はもうすでに、いつも通りの生活を送っている。
いや、さすがにいつも通りとは行かない。その証拠に……
「どーもサーセンっしたぁ!」
「さーせんしたー!」
ボクとアリューシャはセンリさんの前で華麗に土下座を決めていた。
彼女はこの一か月、草原の村に籠って新しい回復薬の開発に携わっていたのだ。本来ならばその作業はボクも手伝う予定だった。
それを放り出してアリューシャの後を追ったのだから、彼女が怒り狂うのは仕方ない事なのだ。
アリューシャがボクと一緒にDOGEZAしているのは、お土産がピポグリマスクとドリアンっぽい果物だけだったからだ。
一般市民なセンリさんは珍しい果物をそういう物と知らず、無警戒にぶった切り、大惨事を引き起こしたのである。
「こっちのマスクはともかく……っていうか、なぜこんなに血塗れなの?」
「それはハウエルが被って騎士団詰め所に突入したから」
「修学旅行についてっただけなのに、どうして騎士団にカチ込んでるワケ?」
「いや、いろいろあってね?」
一応、例の事件については、高度な政治的判断とやらで箝口令が引かれている。
あの一件にはラドタルトの支援がきっかけと言う事実が含まれているため、ドルーズ共和国としても体面が悪いのだ。
そして国家間の交渉の場において、この体面や引け目と言うのは、大きなマイナス要因になる。
キルミーラ王国側が口を封じているだけで、ドルーズに恩を売る事ができるという訳だ。
「まぁ、このヒポグリフのマスクはスラちゃん洗浄に送るとして。どうです? 世界樹の実を利用した回復アイテムの開発具合は?」
「一応、試作品は完成したわ」
センリさんはインベントリーからガラス製の小瓶を取り出し、テーブルの上に置いて見せた。
ボクは正座して痺れる足を押さえながら、ヘコヘコと立ち上がり、その商品を手に取る。
細長い小瓶で、大きさは小さめの試験管程度。中には白い、少しドロッとした液体が詰まっている。
「傷口にかけても、飲んでも、どっちでも効果はあるんだけど、粘性が高くてね。どちらにしても扱いはちょっと難しくなっちゃった。それで割れやすい瓶に入れて、かけて使うようにしたんだけど」
「水を加えたりしてもダメですか?」
「水とは完全に分離しちゃうのよ。しかも果汁の方が比重が重いから、先に水を飲む羽目になっちゃう」
粘性が高いため、緊急を要する戦闘中などは飲用には適さない。だが瓶ごと傷口に叩き付ける事で割る事ができ、手早く塗布する事ができるという訳か。
割れたガラスが傷口やら皮膚やらを傷付けてしまうが、それは結局すぐに薬で治されてしまうため、意味は無い。
思い切った発想では、ある。
「回復量は元の半分。およそ最大値の五十パーセントほどね」
「ボクにとっては、それだって大きな効果です」
口が小さく食欲の少ないボクの身体では、世界樹の木の実をいくつも食べる事ができない。
そもそも戦闘中に果物を頬張る事だって難しいのだ。
最大HPの五十パーセントというと、世界樹の種と同じ効果だが、口に入れて噛み砕く手間がいらない分、こちらの方が扱いやすいと言える。
それにボクのHPの半分と言うと、アリューシャの最大HP並みかそれ以上の回復量である。戦闘で使用するには充分な効果だ。
「でもこの少し黄味がかった白い粘液は……」
「ダマレ、年頃の乙女がそれ以上言っちゃいけない」
「ア、ハイ」
まぁ、不満点はやや残るが、実用できるようになったのは大きい。これを一人で開発したセンリさんには感謝の念しかない。
果実の回収システムを構築できれば、回復アイテム不足を解消できるだろう。
と言うか回収しないと、世界樹の大密林になってしまうのだ。
「これは実の回収システム構築のために、一度村の方に行ってみないといけないかな?」
「そうね。村の新しい名物にもなる訳だし、顔くらい出しておいた方がいいわね。ユミルはすぐにいなくなっちゃったし」
「その件に関しましては、大変申し訳なく――」
「そう思っているなら、誠意ある謝罪とオシオキを実行しないとね」
「え……?」
ニタリと悪意ある笑顔を向けてくるセンリさん。
その表情に背筋に戦慄が走る。主に貞操的な意味で。
「そう言えば、アリューシャってキーヤンとパーティ組んだのよね? 何か新しいスキル覚えた?」
「うん。女神の泉ってのを作れるようになったよ」
「ほほぅ! それは確か、『願いをかなえる』事ができる地形効果のはず」
「いや、なんで知ってるんですか、センリさん……」
キーヤンが彼の最強兵器たる『空気嫁』を手に入れた場所。それを作り出す能力。
それをアリューシャが手に入れたのは判るが、センリさんがそのシステムを熟知しているのが判らない。
「あのゲームは有名だったし、その中でも有数の『ネタ』を知らない訳がないじゃない」
「あ、そですか……」
「で、確かあのゲームって……………………性転換、できたわよね?」
その言葉を聞いた直後、ボクはセンリさんの前から逃亡した。
もちろん、アリューシャを連れて、だ。
センリさんはボク達三人の中で、最も敏捷値が低い。これは彼女が製造製薬を行うために、器用度や幸運値、知力などに振り分けているからである。
つまり、本気で逃げるボクには、彼女は追いつけないのだ。
屋敷から数百メートル離れた西門のそばで、ようやく一息ついた。
小脇に抱えたアリューシャはキョトンとした表情をしている。
「これはしばらく、屋敷には帰れないな……」
「え、どうして?」
「センリさんがアリューシャを使って不埒な真似をしようとしてるから」
「そうかなぁ? わたしも考えていた事だしー?」
「アリューシャはそんな事考えちゃダメー!」
最近アリューシャが色んな意味で成長してきていて、ボクの身が危険でピンチだ。
もう少ししたらボク自ら手取り足取り、腰まで取って教えるつもりだったのに! これでは立場がまるで逆ではないか。
そんな事を考えていると、顔見知りの門番さんが気安く声を掛けてきた。
「よぅ、ユミルじゃないか。またアリューシャ嬢ちゃんを拉致って逃げてきたのか?」
「こんにちわ。でも拉致って来た訳じゃありません。逃げてきたのは合ってますけど」
この門は村との最短距離にある。
村への往復にはアリューシャの転移魔法を利用しているのだが、それを個人が持っていると言う事がバレるのは少々拙い。
そこで一旦街から出てから転移するようにしている。つまりここは週に一度通る場所でもあるのだ。
なので、ここの門番さんとは顔馴染みなのである。
「今日は村に行く日じゃないんだろ? 確か明日だったはず」
「そうなんですけど、アリューシャの学校が休みだし、今日行っても別に問題はないんですよね」
あの事件の後、一週間の時間を掛けて街まで戻り、事後処理やら事情聴取やら報復依頼などで三週間の時間が経過している。
その後、ようやくアリューシャは休みを取る事ができていたのだ。
通常の生徒は旅行から戻ってきてすぐに一週間の休みがある。
この休みは通常の感覚では長いと感じるかもしれないが、慣れない旅を一週間、それも往復続けた後では、体調を崩す生徒も多い。
そのため修学旅行を終えた後に、長めの休みを入れて、体調を整える期間を学園が設けているのだ。
アリューシャの場合、その間もなく働き詰めだったので、長期休暇の時期をずらしてもらっている。
このまま村まで逃げてしまおうか? 真剣にそう考え始めた時、ボクを追いかけてきたセンリさんが姿を現した。
しっかりセイコに乗って追っかけてきている辺り、準備がいい。
「もう、冗談だったのに本気で逃げる事ないじゃない! 少し傷ついちゃったわよ、お姉さんは!」
「すみません、冗談に聞こえませんでした」
「うん、半分以上本気だったし」
「逃げていいですか?」
「ダメだよ♪」
流れるような否定の言葉に、ボクは溜息と吐いて肩を落とした。
そこへ援護射撃をしてくれたのは、アリューシャだった。
「それはダメよ、センリお姉ちゃん。ユミルお姉ちゃんの『まく』を破るのは、わたしなんだから!」
「アリューシャあああぁぁぁぁぁ!? 誰だ! 純真なアリューシャにそんな下劣な言葉を吹き込んだのは誰だぁ!?」
「えと、ハウエルさん」
「――よし、ちょっとボクは北へ行ってくる」
「やめなさいって」
ハウエルはあの後、ガイエルさんに連れられて、北の竜の聖地へと旅立って行った。
もちろんキーヤンも引き連れて、である。
時折連絡を入れて様子を聞いているのだが、助けを求める呻き声が二つに増えている辺り、修業は順調に進んでいるのだろう。
「それで、少し早いけど村に行くの?」
「ええ、それもいいかと思ってます。今日はアリューシャもボクも手が空いてますし」
とはいえ、この街にいる間のボクは、基本的にニートも同然である。
迷宮の権利収入があるので、あくせく働く必要もないのだ。
ないのだが……なぜかいろいろ開発して、いつも働いている気がするな……?
「仕方ないので、屋敷に戻って準備してきます」
「わたしもー」
ボク達は大半の旅の必需品はインベントリーに収納している。
それ以外の物も、アリューシャがいれば倉庫に放り込んでおけるので、旅支度自体はすぐ終わる。と言うか、今すぐにでも旅立てる。
それでも、水や食料など、収納していない物も多いため、多少の準備は必要になるのだ。
こうしてボク達は、久しぶりにユミル村へ長期帰省する事になったのである。
準備を整え、門を潜り、人目が少なくなったところでアリューシャが【ポータルゲート】を開く。
リンちゃんとセイコ、ウララ。それにボク達三人にスラちゃん。
これだけの大人数を一気に運べるこの魔法は、前もってのマーキングが必要とは言えとても便利だ。
あっという間にユミル村の自宅に戻り、懐かしの我が家を見渡した。
ここ三週間は帰還する暇がなかったため、少々埃っぽくなっている。急いで窓を開けて換気をしていると、玄関先でお弁当販売していた組合の女性職員さんが、こちらに気付いた。
「あら、もう戻ってこられたんですか?」
「あ、はい。いつもありがとうございます。お弁当販売」
「いえいえ、これはこれで組合の収益に貢献してますから、お気になさらず」
テーブルの上を見ると、イモと薫製肉、パンにチーズに干し果物と、メニューもボクがいた頃よりずいぶんと増えている。
これは彼女達が日々研究した成果でもある。もはや、このお仕事は彼女達の物と言っても過言ではないだろう。
玄関から見える景色もかなり変わっている。
まず大きく変わったのは世界樹が近くにそそり立っている事。おかげで日当たりが悪くて仕方ないが、これはこれで風情があるとも言える。
村の人口も大きく増え、行き交う商人の数も多くなった。
柵の向こうには水耕栽培の畑がさらに増え、自給自足の目途も立ちつつある。
こまめに家畜を運び込んでいるので、酪農も発展しているようだ。
人口の増加、商業の発展、農業の安定。
一週間おきの来訪では実感できなかったが、最早ユミル村は、村と呼ぶより町に近いほどに発展していたのだった。
この章は火・木曜辺りの更新を目指していこうと思ってます。
ポンコツ魔神の方が少し忙しくなってますので、遅れて申し訳ありません。