第百七十話 愚者の追撃
宿に戻るまでに、テッドくんの傷はアリューシャに治してもらった。
彼の話では、宿を出る時に藪に潜む騎士を発見したのがきっかけだそうだ。
その時は怪しいとは思ったが、それよりもアリューシャの病気という情報が気に掛かったため、その場は無視して組合へ急いだらしい。
ところがそれを見られた騎士――エヴァンスは、目撃者の口を封じるべくテッドの尾行を開始。
夜道を急ぐ彼を力尽くで路地に引き込み、顔面を殴打して気絶させ、屋敷に連れ帰ったそうだ。
テッドくんとしては怪しい人物にいきなり殴りつけられ、気が付けば目の前に豚のごとき領主がいたため、混乱し、ただ泣き続けるしかなかったらしい。
アリューシャも夜中に抜け出したテッドを叱ろうとしていたが、その原因が自分、引いてはボクの発案である偽情報とあっては、強く出る事も出来なかった。
「もう、夜中に出歩いちゃダメだよ?」
「うん。でも病気って聞いたから……」
「それでも。今回はユミルお姉ちゃんが居たからよかったものの、そうじゃなかったら、死んでたかもしれないんだから」
「う……判ったよ」
さすがのヤンチャ小僧も今回の騒動は堪えたのか、比較的素直に言う事を聞いてくれた。
街中はガイエルさんの顕現で、騎士は元より、やじ馬まで街路に飛び出し、お祭り騒ぎになっている。
おかげで子供二人連れという目立つ組み合わせが埋没し、絡まれる事なく宿まで辿り着く事ができた。
テッドくんを先生に返し、状況を報告し、明日の朝一にでも街を出た方がいい事を提案する。
現在は領主が行方不明なのだ。この状態でトップを失った騎士団がどう動くかはボクも判らない。エヴァンスはボクの華麗なる変装を見抜いていたようだし、目を覚ましたら揉め事に巻き込まれる可能性が高いのだ。
それに、ロゥブディアの身柄を確保する事は絶対条件だったので仕方ない所だが、暴走した騎士団が『ドラゴンにはドラゴンを』と言い出して、リンちゃんを強奪しに来ないとも限らない。
ただし、権力が絡まない横暴なら、ボクが強引にねじ伏せても問題はないけど。
アリューシャを部屋に戻し、先生達と相談している所へガイエルさんが戻ってきた。
空間歪曲魔法の応用でテレポートしまくれる彼は、非常に便利だ。
「おかえりなさい、ガイエルさん。豚はどうしました?」
「豚……ああ、あの人間か。おぬしに教えられた洞穴に放り込んできておいたぞ。エルダーレイスを見張りに残し、周辺の空間を捻じ曲げて抜け出せなくしておいてやったわ」
あの、ボクが彼から逃げられなくなった魔法か。
あれって、本当にどこに向かっても元の位置に戻されるから、気味が悪いんだよね。
「あの、この方は?」
「今回の事件の収拾を手伝ってくれた知人です。そして領主誘拐の主犯」
「あれはお主が『やれ』と提案した事だろう? できれば『殺れ』と命じて欲しかったところだが」
「それこそ大事件になるので、やめてください!?」
つまり、ドラゴン本人と聞いて、先生方は目を丸くする。証拠にガイエルさんは腕だけドラゴンの形に戻して見せたりしたので、さらに驚愕した。
「それで、これから私達はどうすればよいのでしょう? 当初の予定通り、洞窟に隠れますか?」
「いえ、今では身を隠す意味も無くなったので、そのままタルハンに戻っても構わないと思います。むしろ一刻も早くタルハンの庇護下に入った方がいい」
今の所、ボク達が首謀者だとはバレていない――いや、エヴァンスは除くけど。
とにかく、ボク関連から学園に迷惑がかかる可能性はある。できれば今すぐにでも街を出て欲しいところだ。
だが百人を超える団体なので、それほどすぐに動く事ができない。だから当初の予定通り、明朝に出発してもらうしかない。
それまで騎士団がこちらにやってこない事を祈るのみである。
まぁ、唯一の証人であるエヴァンスは強めに引っ叩いておいたので、そう簡単に目は覚まさないだろう。
こうして予定の相談を終了させ、警戒のためにボクはアリューシャの部屋にしけ込んだのである。
決して下心などないのだ。
翌朝。予定通り、旅団はモリアスの街を出た。
騎士団が追いかけてくるかもしれないので、ボクも帰りの護衛を引き受けている。
ボクは途中で海賊のアジトに向かうので離脱する事になるけど、そこはハウエルがいるので心配はない。一般人を相手にする分には、彼の腕は充分に高いのだ。
ハウエルも当初は片道だけの予定だったのだが、この騒ぎでは旅団を放り出す訳にもいかず、結局往復の依頼を受けていた。
この男、なんだかんだで人が良いのだ。
街中は昨夜のドラゴンの襲来に怯え、また興奮し、そのテンションが冷めやらない様子だった。
領主がドラゴンに攫われたという話は瞬く間に街中に広がり、やがて街の外――タルハンやラドタルトにまで広がっていくだろう。
領主が不在となったからといって、反乱の罪が消える訳でもない。
これでキルミーラ王国がロゥブディアに罰を与えるだけの時間は稼げるようになったはずだ。
身柄を押さえているので、逃亡や反乱軍の編成などもできない。正式な処分が決定してから解放してやれば、大きな問題にはならないだろう。
「それにしても、元凶を拉致とか……思い切った判断をしたな。下手すりゃテロリストだぞ」
「バレなきゃいいんです、バレなきゃ。まぁ、約一名、気付いてそうなのはいますが……」
「大丈夫なのかよ?」
街を難なく脱出し、街道を馬車四台並べて歩きながら、ハウエルと密談する。
昨夜の事は、他の冒険者には話していない。
「なに、先に拉致したのはあっちですし、証拠も残してませんので。仮にボクを糾弾しても、『自分の失態を女子供に擦り付けようとしてる』と言われるのがオチですよ」
「そりゃそうなんだけどよ……忘れてねぇか?」
「何をです?」
「相手はお前を、ただの子供と思っているんだぞ」
そういえば、クルーズもエヴァンスも、ボクの実力に関しては懐疑的だった。
そして昨夜、エヴァンスは何が起きたかすら理解できないうちに殴り倒されている。
いまだにボクが『剣の力で成り上がった小娘』的認識のままだったとしても、おかしくはない。
「いやでも……さすがにそれは……あ?」
無いはず、と言いかけた所で、ボクの感知範囲に何者かが入ってきた。
街中と違って、今は平原。猛スピードで追いついてくる集団というのは、さすがに怪しい。
「結構な集団が追いかけて来てます。数は八十くらいでしょうか」
「おいおい、まさか――」
「ちょうど馬に乗った騎兵がこれくらいの速度でしょうかね。少し見てきます」
「気を付けろよ!」
「了解。ハウエルは馬の足を急がせてください」
追ってきているのが騎士団だとしたら、否応なく荒事になる。それに子供たちを巻き込む訳にはいかない。
リンちゃんに乗って上空から後方を監視していると、土煙を上げて迫る一団が見えてきた。
堂々と団旗を掲げているので判明したが、やはりモリアスの騎士団のようだった。
これはどうにかして足止め――というか、お引き取り願わねばならない。
リンちゃんを地上に降ろし、迎え撃つ体勢を取る事にする。このままでは旅団に追い付かれてしまうからだ。
そこへ旅団から二騎、走り寄ってくる者がいた。
「アリューシャ、それにハウエルも?」
「どうせこういう事になってるだろうと思ってみれば……一人で足止めする気かよ?」
「リンちゃんが目当てなのか、ボクを追ってきたのか。どちらにしてもこの街の騎士団はボクにいい印象を持ってませんので」
「やれやれ。敵は騎兵八十騎ほどか? お前一人でどうにかなるのかよ?」
「殺していいなら、余裕。でもさすがに子供連れなのに虐殺するのは、体面が悪いかなぁ?」
「まさか余裕と返されるとは思わなかったよ。それよりこの嬢ちゃんを説得してくれ。来ると言って聞かなかったんだ」
後ろを指差すのはウララに乗ったアリューシャだ。
ちなみにハウエルはセイコに乗っている。
アリューシャは頬をぷっくり膨らませ、ボクに対して不満を表明していた。
「ユミルお姉ちゃん、また一人で解決しようとしてるぅ」
「あ、いや。これくらいなら、そんなに危険でもないんだよ? ホントホント」
「知ってるけど」
だが手加減しながらとなると、難易度は格段に跳ね上がる。下手をすれば人を殺すかもしれないのだ。
もちろん今更人殺しに後ろめたさを感じる様なボクではない。だがアリューシャの手を汚すのは、極力避けたい。
アリューシャだって、経験が無い訳ではないのだけど。ここは保護者の微妙な機微である。
「まぁ、一人よりは楽でいいか。でも危なくなったら逃げるんだよ?」
「うん!」
「我も参加してよいか?」
「うぉわ!?」
そこへ背後から掛かる声。もう慣れたけど、ガイエルさんだ。
「いきなり背後から声を掛けるのはやめ――あれ、キーヤン?」
「お願い、帰して……」
ガイエルさんに首根っこを掴まれて、キーヤンがぶら下げられていた。
なんだかやつれたような表情。体格は幾分がっしりとして来てるかな? ガイエルさんの鍛錬の成果だろう。
「え、こいつが北の英雄?」
そう言えば、ハウエルはキーヤンと戦うのが目的だったか。
ここで鉢合わせるのは良くなかったかも?
「ええ、まぁ。最近はガイエルさんに弟子入りしてるそうだけど」
「古竜王に稽古付けてもらってるとか、すごくね?」
「代わりたければ代わってくれよ。マジで!」
「そうはいかん。久方ぶりにいじめ甲斐のある弟子を持ったのだ。もう少し付き合え。そっちのお前も、望むなら弟子にしてやるぞ?」
「おお、そりゃいいな。ぜひ頼む!」
「おいよせ、やめろ!?」
なんだかボクを置いて、勝手にガイエルさんの弟子が増えたようだけど、まぁいいか。
それより、多人数戦をやるのなら、まずやっておかないといけない事がある。
「アリューシャ、この三人をパーティ登録して」
「ん、わかったー」
パーティ登録する事で、アリューシャの範囲支援を受ける事ができるようになる。
それに【ヒール】などのタイミングも計りやすくなるのだそうだ。
「アリューシャは後方から支援。ウララ、アリューシャをお願いね」
「ブルル――!」
任せろとばかりに首を縦に振るウララ。
そしてこの中で最もひ弱と思われるハウエルに、念のための防護策を講じておく。
「スラちゃん解放。『武装粘菌』モード」
小瓶からスラちゃんを解放し、水袋の水を大量に吸収させ、体積を急激に増やす。
そのままスラちゃんをハウエルの全身にまとわりつかせ、鎧の様に装着させた。
「うわぁ!? なんだ、これ! おい、ちょっと、マジで気持ち悪いんだが!?」
「失礼ですね、うちの子に向かって。これはスラちゃんを全身に纏わせる事で、スラちゃんの物理攻撃減少効果をあなたに付与したんですよ」
「そりゃ凄いんだが――」
「しかも各関節部のパワーアシスト機能付きです! 攻撃力激増!」
「そりゃすげぇな!?」
これでハウエルも、ちょっとやそっとでは怪我しなくなっただろう。
あとはキーヤンにやや不安があるところだが……彼も、仮にも転移者。一般人には後れを取らないだろうと信じたい。
「こいつならば大丈夫だ。そこらの兵士など、指先一つであしらえる様になっておる」
「そりゃ凄い。どんな修業をしたんです?」
「思い出したくない――」
ボクにそう答え、カタカタ震えだすキーヤン。よっぽど酷い目にあったようだ。
「ところであの者達は――」
「焼いちゃダメです。それにできる限り殺しちゃダメですよ。一応、正規の騎士団ですので」
「そうか。では手足の五、六本で済ませておくか」
「……人間に手足は五本も無いです」
そんなやり取りとほぼ同時にボク達の元に辿り着く騎士団。
先頭にいたエヴァンスはボクに向かって、怒声を上げて糾弾してくる。
だがボク達の側にそれに耳を貸すような人材なんていなかった。むしろ逆に挑発を始める始末である。
「貴様、昨夜はよくも不意を突いてくれたな! 汚い手段で俺に勝ったなどと思うなよ!」
「ああ、そういうのいいから。口上は要らんからさっさと掛かってこい。我も久しぶりに剣を振るいたくて、うずうずしておるのだ」
「このスライム装甲の力を試すいい機会だな」
「俺、帰っていい?」
「ダメだよ♪」
言いたい放題、好き放題のボク達に、逆上した騎士団が襲い掛かかってきたのである。