第百六十九話 カチ込み
まず、何よりも優先せねばならない事はテッドくんの確保である。
そのためには、屋敷内に侵入しなければならないのだが、この屋敷は予想以上に難敵だったりするのだ。
街路に面した塀は高さ一メートルの石垣。それだけなら子供だって飛び越えられるのだが、その石垣の上にさらに二メートルの鉄柵が付いていて、これには侵入者防止用の穂先と返しまで付いている。
計三メートルの高さを乗り越えるのは、一般人ではなかなか骨の折れる作業だろう。
ボクなら余裕で飛び越えられるけど。
続いて庭には警備の番犬が放たれている。
獰猛な番犬は侵入者に問答無用で攻撃を仕掛けるよう躾けられている。
一般市民なら、その場で噛み殺されてもおかしくない。
ボクなら、ニラミ一発でお腹見せて降伏してくれるけど。
さらに内部には騎士団を私物化して詰め所を設置してある。
この巡回の目を掻い潜って屋敷に侵入するのは、そこらの泥棒にも難しいだろう。
ボクなら【クローク】で余裕だけど。
「なんだ、結局ボクが侵入しないといけないんじゃないか……」
「わたしも――」
「アリューシャは侵入用のスキル持ってないでしょ。むしろ他にやってほしい事があるから、そっち手伝ってくれる?」
「……うん」
ボクを心配してくれているのはよく判るが、彼女だってプロの冒険者である。
適材適所の配置について、理解を示してくれた。
ボクはその額に軽く口付けてから、ガイエルさんにもう一つの提案をする。
「ガイエルさん、タルハンから人を連れてくるにはどれくらい時間が掛かります?」
「タルハンから? 相手が大人しくついてきてくれるなら、一分もかからんぞ」
「では、ボクの家……判るかな?」
「知っておる」
「何で知ってるんですか……?」
彼にはボクの屋敷の場所は知らせていなかったはずなんだけど……いや、この際それはどうでもいい。
とにかく、この屋敷は無駄に豪華で広い。
ボク一人が侵入しても、内部の検索に時間が掛かっては手遅れになってしまう可能性だってある。
ならばやる事は一つ。人手を確保するのである。
三メートルの塀を物ともせず、番犬を吠える事無く無力化でき、巡回の騎士の目を掻い潜れる存在。
「とにかく、屋敷に行ってイゴールという幽霊執事がいるので、彼を連れてきてください」
イゴールさんなら塀をすり抜け、番犬を威圧し、騎士の目にも止まらないで済む。
こういった侵入工作にもってこいの存在である。
「ボクからだって言えば判ってもら――」
「判った、しばし待て」
そう一言告げた後、唐突に掻き消えた。
そうして三分ほど経った頃だろうか。再び唐突にその姿を現す。
その右手にはなぜかボロボロになってカクカク震えるイゴールさんの姿があった。
「すまん、ちょっと抵抗したので、制圧に時間が掛かってしまった」
「え……あの……」
「ゆ、ユミル様、申し訳ありません、ドラゴンの侵入を許し――許、ひぃ!?」
「……荒事にしすぎです!」
イゴールさんは混乱の極みにあったので、アリューシャの状態回復魔法で強引に正気に戻ってもらった。
力尽くな行為に及んだガイエルさんを、少しばかりお説教した後、状況を説明する。
とにかく今は時間が惜しいのだ。
「という訳で内部に潜入した後、少年を一人見つけ出して欲しいんです。この広さだから、ボクと手分けして」
「なるほど、了解しました。ところでお屋敷では、センリ様が毎夜涙で枕を濡らしているのですが……」
そう言えばセンリさんは村に放置したままこっちに来たんだっけ。
彼女には世界樹の果実をポーション化する仕事があったので置いてきたんだけど、やはり悲しまれたらしい。
これはボクからも機嫌取りのお土産でも用意しておかないと、困った事になりそうだ。
「それは帰ってから、ボクが対応します。今は少年の救出に全力を尽くしてください」
「心得ましてございます」
こうしてボク達の救出ミッションが始まったのである。
まずイゴールさんが塀をすり抜け、内部の様子を探ってくる。
そのまま彼は騎士団の詰め所の方に向かってもらった。捕らえたものは地下室に入れるのが定石。そして地下室とくれば騎士団である。
対してボクはヒポグリフマスクをかぶって塀を飛び越える。ボクにとっては三メートルなんて、ハードル程度の高さでしかない。
敷地内に着地すると、周囲から番犬の気配が近付いてきた。さすがワンコは目ざとい。
このままでは騒ぎが起きてしまうので、ここはボクもちょっとだけ戦意を開放し、番犬たちを威圧してあげた。
すでに三百レベルを大幅に超えたボクの戦闘力は、少しでも野性を持つものならば簡単に把握する事ができる。
これに気付けないのは、野性からかけ離れた理性の持ち主――すなわち人間だけだ。
悠々と中庭で歩を進めると、遠巻きにボクを見る番犬の姿があった。その尻尾は可哀想な位きつく丸まり、後ろ脚に挟まれている。
ボクは番犬を意に介さず、これを無視して、屋敷に近付いて中に潜入した。
目標は二つ。テッド少年の確保と、ロゥブディアの居場所を知る事である。
ロゥブディアの居場所を知る必要があるのは、この後乱入予定のガイエルさんの作業をしやすくするため。それとテッドを拉致した連中が暴走したのなら、必ず報告に向かっているはずだと判断したからだ。
報告、連絡、相談。組織を運営する基本である。
屋敷内は騎士が数名巡回しているようだったが、基本的に人目は少ない。
夜と言う事で明かりも落とし気味だったので、ボクの【クローク】が見破られる可能性は少ないだろう。
いくつかの部屋に手早く聞き耳を立て、内部の音を聞き取って目標の有無を調べていく。
やはり一階は空室が多く、厨房と使用人の私室以外に人の気配は存在しなかった。
そのまま二階、三階と調査を進め、最上階の三階の一室でボクはロゥブディアの声を聞きつけたのである。
「バカ者! そのような子供一人連れ帰ってどうしようというのだ!」
「ハッ。ですが、我々の姿を見られてしまい、とっさに身柄を確保すべく動いてしまったので――」
「そのためにあの女の監視網を解いたというのか? バカか、貴様!」
「申し訳ありません。ですが監視も人員が足りておらず、二名ではやはり無理があるかと……」
「現場での不都合をどうにか処理するのが貴様たちの役目だろうが!」
声を荒げるロゥブディアと、必死に弁解する騎士の声。その合間に子供の泣き声も混じっていた。
どうやら、この部屋にロゥブディアと騎士、それにテッドがいるようだ。
ボクは廊下の窓から通りに待機しているガイエルへと合図を送る。
本来だとこの夜中に合図を送っても見れるものではないのだろうけど、受け取る側はドラゴンである。夜目だって利くのだ。
この合図を送って五分後にガイエルさんは突入する事になっている。もちろん目標は合図を送ったボクの場所だ。
それまでにボクはテッドを回収しなければならない。
ボクはインベントリーから、攻撃速度を重視したムラマサとストームブレードを用意し、扉の隙間に刃を走らせた。
カキンという済んだ音を立てて、留め金が斬り落とされ、ゆっくりと扉が開いていく。
「な、何者だ!?」
突如開き始めた扉に、騎士はとっさに腰の剣に手をやった。
内部で報告を行っていたのは、エヴァンスという、昼間にボクを送迎した騎士の一人だった。
あの無口な御者の男である。街中を暴走してくれた恨みは忘れない。
そしてその脇にはテッドくんの姿。彼は顔を殴られたのか、口元と鼻から血を流している。
未だに血が止まっていないところを見ると、鼻が折れているのかもしれない。
ロゥブディアは呆れた事に、指をこちらに向け、言葉をなくして震えていた。
ベルを鳴らそうとすれば、槍でも投げてやろうと思ったのに。
「何者かと聞かれれば、名乗らざるを得まい。我は弱者の嘆きに応えし者。正義の義賊。その名を――」
調子に乗って格好つけて名乗りを上げようとして気付いた。名乗っちゃダメじゃん。
この際偽名で……えーっと……
「その名を?」
「……ひ、ヒポグリ仮面だ!」
「ハァ? ユミルだろう、貴様。一体何を言っている?」
ちなみにこの時のボクの姿はヒポグリフのマスクにいつもの騎士装束である。
マスクには髪が入りきらなかったので、背中の半ばまで、金髪がたなびいていた。
「うん、バレバレやな」
「どういうつもりか知らんが、知ってはならぬことを知って――ぐは!」
長々と口上を聞いてやる気はないので、ボクは一息に間合いを詰めて剣の腹でエヴァンスの横っ面を張り倒してやった。
こいつは昼間、街中を暴走した時にボクが慌てていたのを見て、小心者と決めつけてくれたので、少し気分がいい。
この時になってようやくロゥブディアは人を呼ぶためのベルに手を伸ばした。
その指の少し先にボクは剣を突き立て、止める。
「ボクは騒々しい事が苦手なんだ。人を呼ぶのは遠慮してもらえるかな? さもないと、少し痛い目を見せる事になる」
「こ、こんな真似をしてタダで済むと思うな!」
「それはこっちのセリフ。学園に……いや、タルハンに手を出してただで済むと思っていたのかな?」
「なんだと……!?」
瞬閃、剣を振り抜き、ベルを音もたてずに両断して見せる。
「ボクはお飾りの『最強』じゃないんだよ。その気になれば貴様もろともこの屋敷の住人全てを鏖殺する事だってできる。だが貴様は仮にも一地方の領主だ。裁くにはそれなりの手順を踏む必要がある……そこで――」
そこで前庭の方が騒がしくなった。窓の向こうでは騎士団の詰め所が怪しい覆面男と覆面美少女によって襲撃されている。
対応するために騎士たちが装備を整え詰所からワラワラと飛び出して来ていた。
いいタイミングで仕掛けるな。さすがアリューシャ。
「な、なんだ――!?」
「あなたにはしばらく休暇を取ってもらう事にした。なお、これは強制である」
騎士達が庭に出尽くした頃合いを計って、巨大なドラゴンが前庭に降臨した。
その全長は五十メートルを遥かに超える。一目でただのドラゴンではないと判る威容。
更に街中に響き渡らんばかりの咆哮。
これに騎士たちの半数以上が、腰を抜かしてその場にへたり込んだ。残る半数は小便を漏らして失神している。
「ひぃ! 何が、何が起こって……うわぁあぁぁああああぁぁぁぁぁ!?」
充分にその姿を晒したところで、ガイエルさんはこちらに手を伸ばす。
爪の一掻きで屋敷の壁面を抉り取り、中にいたロゥブディアを優しく摘まみ上げた。そうでもしないと、捻り潰してしまうから。
「たすけ――たすけて! 誰か!? ワシを助けろ!!」
声の限りに助けを求めるが、この街の騎士団にドラゴンと戦う気概なんて存在しない。
そもそもガイエルさんを倒そうと思ったら、人類が一致団結して軍を整える必要だってあるだろう。
そんな、まさに災害クラスの幻獣の王である。
ぐるりと首を巡らせ街を睥睨するガイエルさん。
その手には肥え太った豚のごとき領主の姿。
それを存分に見せつけ、アピールしたところで翼を一打ちし、街の外へと飛び出していった。
彼はこのまま例の海賊のアジトで待機してもらう事になっている。
屋敷も、街も、混乱を極めている。
ボク達はその隙をついて、テッドくんを連れ出し、宿へと帰還したのだった。




