第百六十八話 悪巧みvs悪巧み
監視の目が無い以上、ボクは気軽に組合に向かう事ができる。
万が一、ボクに気付かれないレベルの監視網を引いていたとしても、組合に向かえば向こうから出て来てくれるはずだ。
そうなったら力尽くでテッドの話を聞き出せばいい。
そんな淡い期待も持ってはいたが、結局のところ、何の妨害もなく組合に辿り着くことができた。
ボクのような、一見小娘な冒険者が夜中にやってきたとあって、好奇心に駆られたバカが数名絡んできたけど、これは偶然居合わせたハウエルが追い払ってくれた。
「で、なんでお前はこんなところに来たんだ? 子連れで」
「ボクはまだ子連れじゃないし! アリューシャは嫁です」
「あ、そう……?」
とにかく彼には夕方に先生から手紙が届いているはずだ。
さっき口にした『こんなところに』と言う発言も、本来なら現れるはずのないボクへの疑問から、漏れ出た本音なのだろう。
「事情は把握しています?」
「ああ、無茶な事を企んだもんだ」
「それに絡んでかどうか判りませんが、学園の生徒が一人行方不明になりました。この組合を目指して抜け出したようなのですが……」
「俺はここのロビーで夕方から軽く酒を引っ掛けていたけど、来た子供はお前らが初めてだぞ」
「それは不健康な生活してますね」
「うるさいよ!」
念のため、カウンターで職員に話を聞いてみたが、そんな子供は訪ねてきていないとの事だった。
という事は、あの食堂からここまでの道中で攫われたと言う事か。
「仮に事件絡みとして、そのガキを攫って何の意味がある?」
「少なくとも、タルハン側への人質にはなりますね。後、ボクへの脅迫条件にも」
「子供の命が惜しくばドラゴンをよこせ、か?」
「はい」
だがテッドとリンちゃんでは、ボクの中での重要度があまりにも違う。
もしそんな交渉を申し出た場合、あっさりと席を立ち、交渉を終わらせるだろう。
そして、テッド救出の名目の元、ロゥブディアを断罪しに屋敷に暴れ込むこと請け合いである。
しかし、これはできるなら選びたくない一手だ。
領主である以上、彼を裁く権利は国王にある。
タルハンの後ろ盾があるとはいえ、ボクはキルミーラの国民ではない。そんなボクが領主を勝手に断罪したとあっては、国際問題に発展してしまうのだ。
「それに、実際領主が手を出したという確証も無いしな。今は下手に動かない方がいい」
「ハウエルのクセに、的確に状況を読みますね」
「クセにとは何だよ!」
「でもユミルお姉ちゃん、急がないとテッドの身が危ないかもしれないんだよ?」
アリューシャがボクの袖を引いて、脱線した話題を修正する。彼女の心配も、また判らないではないのだ。
これが領主の命による拉致ならば安全は確保されているのだろうが、現場の勝手な暴走ならば、彼の命の保証はない。
一言、『そんなガキの命など知らん、さっさと処分しろ』と言われれば、彼の命はなくなるだろう。
そもそも、夕刻まで生徒をフリーにしておいて、今更彼を拉致する意味は無いはずなのだ。
「まさか別件……?」
「判らん。とにかく現場を調べるしかないな」
ハウエルは酒を置いて席を立つ。
なんだかんだ言っても、彼は首を突っ込む気でいるのだ。依頼を受けている訳でもないのに。このお人好しめ。
それを見つけたのはアリューシャだった。
大通りから少し外れた狭い路地。その路地の壁――およそ一メートルの高さの場所に、数滴の血痕を発見した。
「ユミルお姉ちゃん、これ……血だよ」
「え、ホント? ちょっと見せて!」
「まだ乾いてねぇ。この量だとすぐ乾くから、まだそれほど時間は経ってないな」
ハウエルは血痕に指を這わせ、固まり具合を確認していた。
「なんでこんなところに血の跡があるんだろ?」
「高さ的に、腰位かな?」
「屈んでた可能性もあるさ。これがそのガキの物とも限らないし」
「足跡は……さすがに無理か。石畳の上に路地とは言え街中だし」
「じゃが、血の臭いは向こうに続いておるの」
「うひゃぅ!?」
そう言ってボクの肩越しから延びる腕。
気配すら感じさせない第三者の登場に、ボクは思わす悲鳴を上げた。
「誰だ!」
とっさに飛びのくアリューシャ。剣を抜くハウエル。ボクは悲鳴を上げてしまったが、声の調子から、誰が背後に現れたのか気付いていた。
声の主は飄々と――ハウエルに剣を突き付けられているにも拘らず、気楽な声でそれに答える。
「せっかく報告に訪れたというのに、ずいぶんな対応だな」
「……脅かさないでくださいよ、ガイエルさん」
そこにいたのは人型を取った古竜王のガイエルさんだったのだ。
「知り合いか?」
「ええ、今回の切り札です」
「こいつが? なんか頼りない感じの兄ちゃんなんだが……」
「こう見えても彼、ドラゴンですよ。しかも神話級の」
「ふぉ!?」
ボクの発言に、慌てて剣を後ろ手に隠すハウエル。もう遅いと思うけど。
ガイエルさんは気にした風でもなく、話を続ける。
「取り込み中か?」
「ええ、まぁ。この血痕の持ち主を探しているんです」
「ふむ、十代前半の男と言う所かな。まだ若いわ」
壁の血を指で掬って口元に運び、味を確かめるガイエルさん。
「判るんですか?」
「吸血鬼共ができる程度の事を、我が出来ぬはずもなかろう? さすがに吸血の趣味は好みに合わんかったがな」
暇に飽かせて何をやっているんだ、この人は。いや、人じゃないけど。
とにかく、ボクですら理解できない術の数々をマスターしている彼がこの場にいるのはありがたい。
早速彼の指示の元、追跡を再開する。
その道すがら、タルハンでの報告を聞く事にした。
「それが妙な事になっていてな。タルハンを襲撃する連中とやらは存在しなかったらしい」
「え?」
「ルイザという娘が飛行魔法を使い周辺を捜索した結果、そういう勢力は存在しなかったそうだ。これは確かな事だ」
「でも……なら、どうしてロゥブディアは……?」
つまらなさそうに鼻を鳴らすガイエルさん。だがボクはその情報に混乱を隠せない。
ロゥブディアは自信満々に、凱旋入城までするつもりでいた。それなのに、その援軍が存在しない?
「どうやらその領主とやら、踊らされているようだな」
「踊らされている?」
「代わりに盗賊の一団が見つかってな。そいつらが引き連れていた人質の一人が書状を持っておった。そこにモリアスの領主がドルーズの不穏分子を雇い入れ、反乱を企んでいると記されておったそうだ」
「どういうことだ?」
ハウエルは首を傾げる。
ボクも同じような気分だが……いや、よく考えてみよう。今ある事実だけを繋ぎ合わせた場合、どういう結果になる?
今回の事件では、ラドタルト――ドルーズ共和国は何をしたか。
答え、なにもしていない。モリアスから食料をせしめただけだ。無料で軍を動かせるほどの支援を、モリアスから引き出した。
そして国内の不穏分子――つまり野盗の類をキルミーラに押し付け、一連の情報を持たせておく。それだけでロゥブディアの失脚は免れない。
ではモリアスは?
反乱が露見し、食料をドルーズに奪われた事になる。
タルハンに戦を仕掛けようと画策し、キルミーラからの離反が明確になった訳だ。結果として、ロゥブディアはおそらく極刑に処される事になる。
なぜドルーズはそんな真似を?
これも結果を見れば、明らかに判る。
「ロゥブディアは利用されて……売られたのか」
「いや、さっぱり判らん」
「今回の話をロゥブディアに持ち掛ければ、食料支援と犯罪者の処分が格安で行える訳です。そして、ついでにモリアスの領主を殺害する事ができる。これはキルミーラ南部の勢力を削ぎ落とす事に繋がる」
「まさか……内乱を誘発しようと?」
「そこまで行かなくてもいいんですよ。領主の反乱未遂でモリアスは混乱に陥る。いや、キルミーラの南部が混乱に陥る訳です」
そうなると、南部における貿易や、国防でドルーズが優勢に立つことができる。
ケンネルが行った直截的な侵略ではなく、こちらの地盤を崩すような、相対的優位を保つ策略。
それが本当の狙いか。
「嫌らしい策略だな……」
「もしこのままなら、ロゥブディアは攻められてもいないタルハンに少数の軍を率いて攻め上がる事になります。本人はタルハン解放を筋立ててはいても、前もって反乱の情報が届けられていたら……」
「モリアスに対し半信半疑なタルハンに、解放軍と称したモリアス軍が押し掛ける事になる。待っているのは同士討ちか」
「おそらくはキルミーラを引っ掻き回す事だけが目的の策略ですね。それどころかモリアスの反乱を知らせたという恩を売る事すらできる。自作自演ですけど」
ガイエルさんを伝令に出すまでもなく、ドルーズ共和国はタルハン側に知らせる気だったんだ。
後は意気揚々とロゥブディアがタルハンに向かえば、作戦が完了していたはず。
だけど想定外だったのは、ロゥブディアが予想をはるかに超えてバカだった事だ。
ボクに当初の計画を自信満々で語った事で、彼が嵌められている事が判明した。
そこからドルーズの企みにまで辿り着くことができたのだから、なにが幸いするのか判らない。
「じゃあ、どうすればいい?」
「ロゥブディアを放置するのは得策じゃないですね。このままだとタルハンに向かって、結局は同士討ちになってしまう」
「取り押さえるか……? だがお前も俺もこの国の国民じゃない。下手に手を出すとこっちの立場が拙くなる」
「…………」
速足で歩きながら、ボクは顎に手を当て考える。
その視線の先に――あ、ちょうどいい人材が。
「なんだ、ボク等がダメならガイエルさんがいるじゃないですか」
「は?」
そうだ、今ここにはガイエルさんがいる。人の常識を遥かに超えた超存在、古竜王が。
「ドラゴンがなぜか領主を拉致してしまったのなら、仕方ないですよね?」
「おいおい! いくらなんでも――」
「焼いていいのか?」
「ダメです」
なぜ焼こうとする……まぁ、ボクの提案も大概だけどね。
「まずはテッドくんの確保。これは正体を隠してやった方がいいでしょう。そしてなぜかタイミングよく飛来したドラゴンが、領主を拉致。これで国際問題にはなりません」
「いや、それでいいのか……? いや問題ない、か? え?」
テッドくんを奪還するのは『謎の義賊』の仕業に見せかければいいだろう。
問題はロゥブディアの身柄をどう抑えるかである。放置すればリンちゃんに危害を加えるか、下手すれば騎士団率いてタルハンに向かいかねない。
処遇が確認されるまでは、身柄をキープしておいた方がいい。
これはドラゴンという、人の法の外側にある存在が介入する事でごまかしてしまおう。
そして連絡がキルミーラ本国に届き、ロゥブディアの解任が決定されれば、身柄を解放すればいい。
下手に権力を持たせたまま解任の報が届けば、そのまま反乱に直結しかねないが、本人不在ならばそんな事態には発展しないだろう。
それまでボク達の正体を知られないようにしないといけないけど、幸いガイエルさんはあの豚と面識が無い。流れのドラゴンの気紛れを装えない事はないはずだ。
「ドラゴンが領主を攫うシーンを、多くの人が目撃すればどうしようもないでしょう。後はその前に押し入る謎の義賊をどうでっち上げるかです」
「あ、それならいいのがあるよ!」
アリューシャはそう言って、肩掛けカバンの中から怪しいマスクを取り出した。
「なにこれ?」
「ヒポグリフのマスクだって! ユミルお姉ちゃんにお土産だよ」
「あ、うん。ありがと……」
とてもありがたい……んだけど、なぜか素直に喜べない。
うん、見てる分には可愛いかも?
マスクはちょうど三人分あるため、ハウエルも強盗組に編入する事ができる。
そんな大雑把な計画を立てていると、ロゥブディアの屋敷が見えてきた。
「ここで間違いないんです?」
「血の臭いを追ってきた。間違いはないぞ」
どうやら、テッドくんはロウブディアに攫われたと言う事で間違いはなさそうだった。
後は細かい部分を詰めて、実行するだけである。
ちょっとガイエルを便利扱いしすぎましたかね……
この世界でユミルに対抗しうる存在なので、いろいろな能力を持っているのは確かなのですが。