第百六十七話 失踪者
夜、先生たちが緊急会議を開き、翌朝の出発が正式に決定された。
この会議が長引くようなら、どう強行させようか頭を悩ませていたので、これは朗報である。
表向きにはアリューシャが病気になり、帰還が早まった事になっているのだが、ここで患者にアリューシャが選ばれたのは、彼女が冒険者だからだ。
普通の子供をネタにするとボロが出てしまう可能性が高いが、彼女は正式な冒険者なので、こういった事情に関しても理解が早い。
アリューシャはそういう訳で、宿に戻ってからは部屋に閉じ篭もる羽目になってしまった。
これは申し訳ないと思うが、事情が事情なので納得してくれている。その代わり、ボクは彼女の看病として、公に客室に出入りできるようになった。
スラちゃんに厩舎の警備を頼んであるので、後は生徒達の方の心配である。
これはボクがアリューシャと共に泊まっていれば何も問題はないだろう。ロゥブディアも余計な生徒には手を出したりはすまい。
その辺の事情も考えて、病人役はアリューシャが適任だったとも言える。
いつもと違う要素があるとすれば、夜襲に備えて武器を常備しておく程度か。
「これ、すっごいですね、ユミルさん」
「こっちの剣も大きい。こんなの持てるなんて、実は怪力?」
「ユミルお姉ちゃんはこれを片手で振るんだよ!」
今夜のチョイスは、攻撃速度を重視したストームブレイドと、単体の攻撃魔法を発動できるスティックの二本立てだ。
スティックの能力である【フォーススラッシュ】の魔法は、詠唱が非常に短いのが特徴である。
アリューシャのように詠唱速度短縮のための器用値の能力をあまり上げていないボクは、基礎の詠唱速度がはやくない。そこでこう言う、出の速い魔法が非常に重要になってくるのだ。
「危ないから、触っちゃダメだよ。こう見えても手足がスッパリ斬れ飛ぶくらいには、切れ味がいいんだから」
ボクが忠告すると、おずおずと剣に手を伸ばしていた二人の手がびくりと止まる。
こういう素直な反応は実に可愛らしい。小動物的だ。
だが、ボクも脅しで言った訳ではない。この二つの武器は攻撃力を上げるために過剰な精錬が行われていて、実際に攻撃力はかなり上がっている。
子供の手なら斬り飛ばすくらいにはあるから、本当に危ないのだ。
今は鞘に納めてあるから平気だけど。
「こう見えてもプロだからね。道具にはこだわってるの。アリューシャの持ってるファイアブレードもそうだよ?」
「え、そうだったんだ!?」
「えっへん!」
アリューシャはアイテムに依らず攻撃魔法が使えるので、今夜は魔法攻撃力強化の両手杖を装備している。
この室内では少々大きすぎて、取り回しが難しくなるだろうけど、手に取ってさえいれば効果は得られる。
服もいつもの寝間着ではなく、薔薇模様のローブを着ている。これはかなりゆったりした造りなので、寝間着代わりにするには問題ない。
「問題はボクの方だけどね」
まるで学園の生徒のような、ブレザー姿。
過去、ムーンゴーレムに破壊され、センリさんに修復してもらった詠唱妨害を無効化する装備なのだが、これが制服のような外見なのだ。
ボクがこれを着ていると、生徒達と全く見分けが付かないレベルに見えてしまう。
「ユミルさんが同級生みたいに見える……」
「それはそれで……変なんだけど、全然違和感が無いのが怖い」
「ユミルお姉ちゃんは可愛いでしょ!」
「怖がるポイントってそこなの……?」
女の子四人が集まってキャイキャイと騒ぐ。この状況に違和感を感じなくなっている辺り、ボクもこの性別に慣れてきたと実感している。
こっそり買い込んできたフルーツやらお菓子を並べてポリポリ齧るのは、なんだかとても女の子っぽい。
これが男だったら、酒とツマミを並べてクダを巻いているところだ。あの空気も懐かしい。
そんな風に寛いでいると、急に扉がノックされた。
慌ててお菓子を隠す女の子たちと、慌てて腰の剣に手をやるボク。
なんだろう、とても理不尽ななにかを感じる……いや、怖がってないのはいいんだけどね。
「ユミルさん、いますか?」
「あ、先生ですか? どうぞ」
扉を開けて入ってきたのは担任の先生。
だがその表情は、暗く沈んでいる。
「どうかしたんです?」
「はい、実は……」
ちらりとソフィーちゃん達の姿を流し見る先生。どうやら生徒に聞かれたくない話のようだ。
ボクはその気配を察知して、場所を変えるように促した。それを聞いてあからさまに安堵している。
先生との会話にはアリューシャも付いてきた。
先生はさすがに少しこれに戸惑っていたが、彼女も一応この行動の中核にあたる人材なので、聞いてもらっても問題はないはずだ。
そう説明され、ようやく踏ん切りがついたのか、ポツリポツリと話し出す。
「実は生徒が一人……テッドと言う生徒が姿が見えないんです」
「はぃ? この時間にですか?」
「ええ、夕食時には姿を確認できていたのですが、先ほどの見回りでいない事が判明しまして」
聞いた話では、七時の夕食時はいつも通りのヤンチャな姿が見受けられていたが、十時の見回りの段階ではすでに姿が無かったそうだ。
ルームメイトの証言では、『女子の部屋に遊びに行ってくる』とか言って、窓から抜け出したらしい。
「ま、まぁ……それはそれで修学旅行の風物詩なんだけど、時と場合を考えてほしいよなぁ」
「もう、テッドってば、面倒ばかりかけるんだから!」
アリューシャは問題ばかり起こすテッドくんにプンスカと腹を立てている。
だが、こればかりはボクは責められない……彼の気持ちはよく判ってしまうのだ。
旅行中に気になる女の子の気を引きたくて、ちょっと無茶をしてしまうのは男ならよくある事である。
「まぁまぁ、とにかくそう言う事ならボクも捜索に加わります。監視も――ン、監視?」
そういえば、監視の気配が感じられない。
夕食からアリューシャの部屋にしけ込むまでは、鬱陶しいくらいにまとわり付かれていたのに。
「……これは、なにかあったか?」
「どうかなされましたか?」
「ボクに付いていた監視が解かれています。ひょっとすると、テッドは巻き込まれたのかもしれない」
「なんですって!?」
担任の先生は緊迫した声を上げた。
ボクに巻き込まれる――それはすなわち、騎士団との揉め事に顔を突っ込んだことになる。
そうなれば小さな子供一人、命の保証なんてない。
「マズイマズイマズイ……どうにかしないと、なんとかしないと……」
「先生、落ち着いてー」
「まだ大丈夫ですよ。多分」
「これがどうして落ち着いていられるんです!」
生徒を心配して取り乱すとか、ちょっと鬱陶しいけど、いい先生である。
だが、ボクが楽観視しているのには理由がある。
「この宿にはスラちゃんの監視を置いていました。厩舎の近辺ですけど、連絡がない以上、そこには異常はないはずです。宿にはボクがいて、戦闘の気配がすれば、察知できたはずです」
殺意を見逃すほど、気を抜いていた訳ではないのだ。
それに騎士たち程度の腕前ならば、ボクの察知範囲内で殺人を犯せるはずもない。
「ならばテッドくんは、ボクの知覚範囲外……つまり宿の外に出た可能性が高い。そこはまぁ、治安が悪いですけど、今のこの宿よりは安全な状態のはずだ」
揉め事に巻き込まれたとしても、それは宿や学園とは関係のない物のはずだ。
抜け出した生徒を攫って人質に取るという可能性はもちろんあるが、その場合は命の担保はされている事になる。
人質とは生きていないと価値が無いのだから。
「とにかく、まずはテッドくんの部屋を調べたい。案内してもらえますか?」
「わたしもー」
「判りました、こちらです」
こうしてボク達は深夜の捜索活動に従事する事になったのだ。
テッドの部屋は四人部屋で、他の班の男子生徒二人と相部屋だった。
他の三人は、状況を知って顔面蒼白になっており、カタカタ震えてすらいる。
「ここがテッド君の部屋です。彼はそっちの窓から出たとこの三人は言ってます」
「あの、僕達……止めればよかったとは思ってるんです」
「ああ、心配しなくていいよ。大丈夫」
ボクに叱られると思ったのか、そんな風に声を掛けてくる生徒を、片手を上げて制する。
今はそんな時間すらもったいない。
「ここから女子の部屋には……そこから降りて、厨房の裏口から入るのが近い……?」
窓を開いて宿の構造を確認する。
彼らの部屋は階段脇で、窓は夜は施錠されることになっている。
だが厨房だけは深夜も仕込み作業があるので、ゴミ出しの都合などから、そばの非常口は施錠されていない。
普通に廊下を出て女子の部屋に向かう場合は、教師の部屋の前を通らないといけないので、リスクは高い。隠密スキルの無い子供では、ここをすり抜けるのは難しいだろう。
「それは本人も理解しているから、窓から出た……と。半端に行動力があるなぁ」
窓の下にある桟には足跡が残されている。それは階段の窓のそばまで続き、途切れていた。
窓は施錠されているので、おそらくは雨樋を伝って下に降りたのだろう。
「それじゃ、先生方は見回りよろしく。残りの生徒をこれ以上ヤンチャさせないように」
「はい。テッドの事、よろしくお願いします」
「任せてください」
一言そう告げてから、窓から身を翻す。
桟の部分に手を掛け、二階からぶら下がって、地面に足跡が無いのを確認してから飛び降りた。
そのまま階段脇の非常口に向かい、足跡を調べてみた。
ここ数日は雨もなく乾燥した天気が続いているが、ここは厨房のそばの出入り口である。埃っぽさは天敵だから水撒きは頻繁に行われている。
案の定、テッドらしき足跡と、ゴミ捨てに向かう料理人の足跡が確認できた。
それは予想外にも、宿の外に続いている。
「なんで外に……?」
その時背後でドサリという音が響く。
とっさに剣に手をやり振り返ると、アリューシャが飛び降りてきていた。
「アリューシャ、別についてこなくても……」
「ヤ。わたしの班の子が行方不明なんだよ。わたしも探す」
「……まぁいっか。でもボクの言う事は聞いてね?」
「うん!」
正直言うと、ボクのウィークポイントは彼女である。
それを宿に残すのと、ボクのそばに置くのを天秤にかけた結果、ボクのそばにいてくれた方が安全と判断したのだ。
ロゥブディアは騎獣を欲しているので、リンちゃんやスレイプニール達の安全は確保されているも同然だし。
そんな訳でボクとアリューシャは夜の街に繰り出していったのである。
街に出てしばらく経ったが、やはり見張りの気配は存在しない。
完全にボクをフリーにしているのは、何かあった証拠である。
「まずは情報収集だね。そこらの食堂で話を聞いてみよう」
「はぁい」
十時くらいと言う事で、一般的な屋台は店を閉めているが、食堂などの料理屋はまだ開いていた。
二人で連れ立って店に入り、主人にテッドの外見を伝えて目撃情報を集めて回る。
すでに食事目当ての客は少なく、酔客がほとんどなので何人か絡んでくるバカもいたけど、ボクが力任せで丁重にお引き取り願ってもらった。
そんな感じで三件目の食堂に入ったところで、テッドの目撃情報があった。
どうやら病気に効く薬草を売ってくれる場所を探していたらしい。
「薬草?」
「なんでもクラスメイトが急病になって、薬草が欲しいって言ってたな」
「あー……」
つまり、この街を発つ口実に使ったアリューシャの病気を心配して、薬を買いに街に飛び出してしまったのか。
これはさすがに責められないな。ボクのミスかもしれない。
「むぅ……」
「ごめんね、アリューシャ。この展開はちょっとうっかりしてたな」
「わたしのせいでもあるし、ユミルお姉ちゃんが謝る事じゃないよ」
アリューシャも複雑な表情をしていた。
だが、目的がはっきりしたのなら、行き先も判る。薬草を売っているのは薬屋か組合だ。
特にこの時間に開いているとなると、組合しかない。方向も合致している。
そんな訳で、ボク達は組合に向かう事にしたのだった。