第百六十六話 対策
とりあえず、荒事には発展することなく宿に戻る事が出来た。
すぐにでも生徒達をこの町から避難させたいところだが、おそらく今のボクには見張りが付いているだろう。
現に今も、ボクの探知範囲内には不審な動きをする市民の反応がいくつかある。
あのやたらと体格のいい、髪色、肌のツヤツヤした平民風の服を着た男とか、すごく怪しい。もう少し工夫しろ。
髪や肌のつややかさと服装のボロ具合がまるで釣り合っていない。
おそらく、ボクが組合に駆け込もうとしたら、取り押さえるつもりなのだろう。タルハンと瞬時に連絡を取る方法と言えば、それが最も簡単な手段だ。
取り押さえるのは不可能だろうけど、それはボクだけに限った話だ。学園の生徒や教師に手が伸びては、事が厄介な展開になってしまう。
とにかく今先生と話をするのは、あまりにも軽率だろう。監視しているのは素人なんだから、この先、出し抜く隙はいくらでもある。
まずは引率の先生に話を付けるのは後回しにして、まずはできるところから話を付けて行こうと思う。
ボクは宿の部屋――間借りしている仮眠室に引き篭もり、懐から水晶球を一つ取りだした。
この部屋は仮眠室と言うだけあって、客間には適しておらず、窓も無ければ広くもない。だがそれだけに、外部の監視を遮るのにはちょうどいい。
「もしもーし、ガイエルさん、聞こえますかー?」
「おう!? なんだユミルか。驚かせるな」
そう、これはボク個人の連絡用水晶球である。ただし連絡先は北の果てにいるドラゴンに、だが。
「実はちょっとお願い事があるのですけど」
「そうか、どこを焼けばいい?」
「いや、焼かないでください」
暇を持て余したドラゴンと言う連中は、本当に血気盛んである。
その体内に溢れ出してダダ漏らすほどの破壊力を宿しているのだから、当然かもしれない。
有る力は使いたい。それは誰もが持つ衝動の一つである。
「た、たすけ……もう、ダメ……」
「ン、まだ言葉を発する元気があるか。もう一本行っとく?」
「やめてぇ!?」
水晶球の向こうから、息も絶え絶えな声が漏れ聞こえてくる。どこかで聞いた事があるような気もするんだけど……
「えと、誰か一緒にいるんです?」
「ウム、このあいだお主と一緒にいた男を鍛えておる。なかなか丈夫だから鍛え甲斐があってよいぞ」
一緒にいた……? ああ、キーヤンか。あの後、ドラゴンたちに捕まってたんだ?
最近噂を聞かないとは思っていたけど、僻地で修業とはなかなかヤるではないか。
「そうですか。キーヤンも頑張ってるんですね」
「頑張ってねーから! 半ば強制的な拉致からの、半ば拷問じみた鍛錬だから!」
「今度お主に会うまでには一角の戦士になっている事だろうな。期待していると良い」
「それで今回のお願いはですね――」
「流すなよぉ!」
背後が騒々しいけど、今はそれどころではない。
ボクはタルハンに迫る窮地をガイエルさんに伝え、それをタルハンの組合に連絡するようお願いしておいた。
空間を歪める能力を持つ彼ならば、北の果てに居ようとタルハンまで一っ飛びである。
ロゥブディアもボクにこのような知人がいるとは思うまい。
事が戦争とあって、ドラゴン達も驚愕を隠せなかった。
個体数の少ないドラゴン達は、お互いで殺し合うような真似はあまりしない。
人間はそれを平然と、かつ効率的に行うのである。
しかも戦いの中で開発される兵器や発明品には、彼らの強者と言う立場を揺るがしかねない物も現れるのだ。
魔法技術の発展などが、特にそうである。
「だがまぁ……力無き者が蹂躙されるという事態が最も心を痛めるな。判った。その伝令、喜んで引き受けようぞ」
「感謝します。このお礼は必ず」
「嫁になってくれるなら、礼などいらぬよ? 我、優しいよ? 優しくするよ?」
「それ以外で、必ず!」
古竜王ガイエル。
竜族の中で最も強く、威厳ある竜。
なお、未だ独身である。
続いてボクがやらねばならない事。
それは、学園の生徒をこの街から退去させることである。
現在アリューシャを含めた百名の生徒は、街中で自由行動中なのだ。
これはボクへの人質に、攫おうと思えばいつでも攫える状況にあるという事なのだ。
この状況はいささか良くない。とは言え、急に生徒を帰還させれば、こちらが動いている事を察知されてしまう。
ここは生徒が戻ってくる夜まで我慢して、明日の朝にでも予定を変更してもらい、この街を発ってもらう方が安全だろう。
私服に着替え、トイレに行く振りをして部屋を出る。
すると廊下の端でタバコを吹かせていた巨漢が、同じようにトイレへと移動を始めた。本当に実に分かりやすい。
そのまま女子トイレまで誘導し、トイレの衝立の影に入ったところで、【クローク】を発動し影に沈む。
トイレの影に潜むなんて、なんとなくヤな感じはしないでもないが、この際贅沢は言えない。
そのまま壁沿いに移動してトイレから脱出。
見張りの男はボクがトイレに入ったまま出てこないと思っている事だろう。
これで多少の時間を稼ぐことはできた。今の内に引率の先生に話を付けに行くとしよう。
何人かいる先生たちの中で、アリューシャの馬車を担当していた人が人目の付かない食堂の陰で食事していた。
こういう場所が好きな人ではなく、単にタバコを吸うため、生徒の目の無い席を選んだ結果、こういう場所になってしまったと言う所だろう。
だがこの際、これは好都合である。
「先生、ちょっといいですか?」
「ん? うぉわ!? な、なんだ……ユミルさんじゃないですか」
「いきなり驚かせてすみません。急遽お耳に入れたい情報がございまして」
「なんだか、悪役商人みたいなセリフですね。いいですよ」
そういって、そばの灰皿に紙巻きタバコを揉み消す。まだ結構な長さが残っていたと言うのに、ボクを気にしてくれたのだろう。
この先生はこういう気遣いができる人なので、結構気に入っているのだ。
「実はですね――」
お茶をカップに注いで、何気ない風を装ってロゥブディアから聞き出した情報を伝える。
先生は驚愕の声を上げようとしたけど、とっさにその口を塞ぐ事ができた。これは予想していた反応だからだ。
「今、大声は困りますって」
「す、済みません……ちょっと、いや、かなり驚いたもので……」
「気持ちは判りますけどね」
「それにしてもタルハンを――」
「はい。なので、このままこの街に長居するのは危険です。できれば明日中にも出発してもらいたい所ですけど」
「いきなり予定変更すれば、怪しまれますよね?」
「多分。ボクにも今、監視の目が付いるくらいですから」
「今ですか……!?」
先生はキョロキョロと周囲を見回すが、監視はすでに巻いているので、怪しい人影は存在しない。
「大丈夫ですよ、巻いてきましたから。でもあまり長くは居られないでしょう」
「そうなんですか……生徒から病人が出たと言えば、出発は誤魔化せると思います。タルハンでは最近アムリタが量産されてますし、それが必要な病気と言う事にすれば……なんとか」
「と言っても、この街にもその薬はあるんじゃないですか?」
「あるでしょうね。領主の人柄がお聞きした通りだとすれば、確実に自分の分はキープしているでしょう。ですが、それ以外は商売のネタに使われている可能性が高いと思います」
万病の薬と言われるだけあって、アムリタの取引価格はかなり高い。
コーウェル王国だけでなく、タルハンでも特産として作れるようになってからは大分落ち着いてはいるが、それでも一般人にはおいそれと手が出せない価格である。
それだけにロゥブディアが、自分の分以外の金蔓を手元に置いておくとは思えない。
あれだけの贅沢を行っているのだ、自由になる金はいくらあっても足りないだろう。
「とりあえず、組合に行って……いや、ダメか。ボクには監視が付いているし」
「では私が行ってきましょう。常備薬の確認とか、そんな感じの理由を付ければ怪しまれないでしょうし。もしアムリタが無ければ、先の理由で明日にでも出発します」
「お願いします。でも、あったら?」
「その時はリストを見て、無い薬を必要とする病気をでっちあげましょう。生徒に危険が迫ってるとあれば、早急にこの街を出た方がいいでしょうし」
「頼りになりますねぇ」
この決断の速さは、教師にしておくのは惜しい。
アリューシャみたいな、ある意味問題児を抱えているせいで、対処能力が鍛えられているのかもしれない。
「ですが、街を出たとしても……どこへ向かえばいいか……」
「あ、そうですね」
この街にいるのは危険だが、この街を出てタルハンに戻るのも危険だ。
そこは今から戦場になる場所である。
片道で一週間かかるので、戦いに巻き込まれる可能性は低いだろうけど、万が一タルハンが陥とされでもしたら、戦後の混乱の中に生徒達が戻る事になってしまう。
「……ではこうしましょう。この街を出るのは既定路線です。これはもう、絶対行ってほしい」
「はい、それは確かに」
「で、そのままタルハンに戻るのも危険……なので、この位置に向かってください」
ボクはお茶を一滴テーブルにこぼし、その水滴で地図を描く。
海岸沿い、特に切り立った崖のある場所。それは、海賊達が根城にしていた、あの洞窟がある場所だ。
「これは……確か四年前の……?」
アリューシャが入学してすぐの頃、バーベキューをやった海岸のそば……って訳じゃないけど、まぁ近くだ。
船を入れるドックもあり、寝床などに使える広場もある。
さすがに寝具は残っていないだろうけど、雨風を凌ぐことは可能だし、場所もおおっぴらには知られてはいない。
「ええ、ここならば多少の時間、隠れ住むことが可能です。ハウエル辺りには話を通せば理解してもらえると思うのですが」
護衛の冒険者にとって、戦争沙汰は寝耳に水のはずである。
半ば信用できないような状況で、怪しい洞窟に隠れ住めと言われれば、かなりの反発が予想される。
だが、彼等もまた、命のやり取りで生活を送る者でもある。戦場に足を突っ込みたくはないので、その危険があると聞けば、納得してもらえるはずだ。
ボクが直接話に行ければ問題ないのだが、組合に近付く事すらままならない現状では、そうもいかない。
「ハウエルには手紙を書いておきましょう。先生から彼に渡してもらえれば、多分納得してもらえるでしょう」
「そうですね。お願いします」
「今後の予定ですけど……」
「明日は本来なら市場の見学と、果樹園の見学があったのですが、これは切り上げます」
こうして、アリューシャの修学旅行は、あっさりと中止が決定したのである。
ロゥブディア……許すマジ……
夕刻、
生徒達はつつがなく宿に帰還し、その無事が確認された。
アリューシャも問題なく無事である。まぁアリューシャを拉致れる騎士なんて、あの屋敷にはいなかったけど。
先生も組合に行き、市場にアムリタが無い事を確認。
生徒達はこれで、明日の朝にもタルハンへ帰還する事が可能となった。
もちろん、そう言う口実で、だが。
つまりはこれがモリアス最後の夜。
ボクはリンちゃんの餌やりを兼ねて厩舎を訪れ、今夜は警戒を怠らぬよう指示しておいた。
ついでにスラちゃんを小瓶から解放し、見張りに配置しておく。
粘液生物のスラちゃんは基本的に睡眠を必要としていないので、こういう護衛には向いているのだ。
まさか交渉中に手を出すとは思えないけど、念のためである。
「ごめんね、リンちゃん。状況がこんなじゃなかったら、南国の空を満喫させてあげれたのに」
「がうぅ」
「セイコとウララも。今度は学校行事とは別にまた来ようね?」
「ヒィン……」
馬車を牽かされただけに終わった彼等こそ、今回の最大の被害者かもしれない。
今度来る時は、自由に動けるように配慮してあげよう。
「スラちゃん、今夜はよろしくね。怪しい人がいたら殺さずに捕獲」
この指示には触腕を伸ばしてサムアップサインを返してくる。
ボクも親指を立てて、これに返礼。
「ボクも今夜はアリューシャに付いておくから、何かあったら連絡ちょうだい」
これで、明日までの警戒網として打てる手は打ったはずだ。
後はガイエルさんからの連絡待ちである。
ロゥブディア……ろぶでぃあー……駄助っ人……
うっ、頭がっ!