第百六十五話 領主の野望
ノシノシと、まるで石造りの床が軋むような足音を立てて男はボクに近付いてきた。
ここの床、踝まで埋まりそうな毛足の長い絨毯が敷き詰められているのに、なんという重量感か。
「いや、待たせて済まなかったな。君が預けたあの剣、アレに見とれてしまってね。なるほどなるほど、あれだけの剣を持つからこそ、タルハンで最強になれたという訳か」
「は? え、あ、はい」
圧し掛かるような贅肉の圧力に、ボクは仰け反りながらも、かろうじて返事を返す。
差し出された手の指一本にまでしっかりと肉が乗っているところが、ある意味凄い。ぶよんぶよんである。
一応は友好的に差し出されたその手を握り返し、握手を済ませておく。
「一体何でできているのかね、あの剣は? 実に興味深い。私も一本欲しくなるくらいだ」
「あ、えっと、あれは迷宮で入手した剣ですので、詳しくは――」
「そうか、やはり迷宮か。あのような名剣まで産み落とすとは、侮れんな」
バンバンとボクの肩を一度叩いてから、自分の席へ歩いていく。
椅子に勢いよく腰を下ろした拍子に、メシッと嫌な音が響いた。見た所、オーク材の非常に頑丈そうな椅子なのに。
「んー、この椅子ももう寿命かね? やれやれ、この街には腕のいい職人がおらん」
「あの、今日のお召しの理由は……?」
馴れ馴れしい挨拶に、勝手に人の剣を検分するほど、図々しい態度。
外見的嫌悪感も相俟って、この男の評価は駄々下がりだ。
それにボクは剣の力だけで強い訳じゃないのだ。こいつも、送迎役の騎士も、ボクの力を簡単に見誤っている。
それがどうにも気に食わない。レグルさんもアーヴィンさんも、ハウエルですら実際に剣を交わして、自分の目で力を測ったのに。
「ああ、そうだったね。今日の目的。うん、そうだ」
勿体振りながら、机の上のベルを鳴らす。
するとメイドさんが入ってきてお茶と茶菓子をテーブルの上に並べていった。
おい、ボクには茶菓子は出なかったぞ……?
「ユミル君だったね? 君は今、ドラゴンに乗ってこの街に来ている。違うかね?」
「はい、そうですけど?」
「それとタルハンの学園が乗ってきたスレイプニール。あれも君の所有物だとか?」
「物と言うか、家族です」
セイコとウララはもう五年以上一緒に生活している。
アリューシャもよく懐いているし、いろいろと役立ってくれている。感謝してもしたりないくらい、ありがたい存在なのだ。
だからこそボクは、あの子達に家族並の信頼をもって接している。
「ふん……そこでだ。私にそのドラゴンを譲ってくれないかね?」
「はぁ!?」
「なに、強引に事を進めても私は構わなかったのだがね。組合が煩いからこうして直接交渉しているという訳だよ。そうだな……二千万ギルほど用意させよう」
そういい捨てて、テーブルの上に二十枚の白金貨を積み上げる。
一枚が金貨百枚分あるという、あれだ。ボクも実際に見るのは初めてである。
だが、この申し出には、ボクは顎を落とさざるを得ない。
リンちゃんは冒険者組合に騎獣登録をしてある。他者が勝手に強奪できないようにするためだ。
この世界における冒険者組合の権威をもってすれば、これを無視して騎獣を奪う事のリスクを理解できるはずだ。
それを理解したうえで、この男はボクにリンちゃんを譲れと迫っている。
たとえ二千万……金貨二千枚を積まれたとしても、受け入れられるものではない。
考えるまでもなく断るべき。そう判断して、ボクは口を開く。
「それは――」
お断りします、そう言葉を繋ごうとした時、ボクの気配感知に引っかかる存在があった。
部屋の外、応接室の左右にある控え室。
そこに十人程度の気配が雪崩れ込んできている。断れば力尽くで事を運ぼうというのか?
こちらが女一人と甘く見て、脅しを掛ければいう事を聞くと判断したのかもしれない。
もちろん、事の正当性としてはボクの方に分がある。ここで襲われても、騎士達をまとめて叩き伏せる事は充分可能だ。それだけの力を、ボクは持っている。
だが、それはそれで困った事になるのではないか? そんな考えが脳裏によぎる。
相手は仮にもこの街、いや地方を治める大領主だ。
こいつを今ぶちのめし、殺したとしても、その後公権力に追われる展開になるかもしれない。
この事情を組合に通達し、こいつが処理されるまでは多少時間がかかる。
領主である以上、このロゥブディア=ダスケット=モリアスを裁く権利はキルミーラ国王にしかないのだ。
それに、ここで騒ぎを起こせば、アリューシャ達にも迷惑がかかるかもしれない。
この豚の興味はすでにスレイプニールにまで及んでいた。
「……長年、苦楽を一緒にしてきた友でもあります。少し、考える時間をください」
時間を稼ぎ、アリューシャ達を街の外へ逃がす。
この後でゆっくりとこいつを料理してやればいい。いや、ボクが直接手を出すまでもないかもしれない。
組合の権益を冒すと言う事は、それほどのリスクなのである。
「ふむ、市井の者が見た事も無い額を積まれて戸惑っていると見えるな。まぁよい。宿に戻ってゆっくりと考えるがいい。だが忘れるな? ここは私の街だ。ここでは私こそが王なのだ」
「……心得ましてございます」
暴れ出したくなる衝動をかろうじて抑え込む。
この大金を見た事も無い訳ではない。これでもボクは迷宮権利者である。この程度の額ならば組合の口座に入っている。
それにこの男、ボクと言う部外者を前にして、王権に盾突くようなセリフを平然と吐き捨てているのだ。
この世界の王国にボクだって忠誠を持っている訳ではないが、それでも騒動を起こそうという気はない。
こいつは、騒ぎを起こして巻き込まれる市民の事すら、気にかけていないという事になる。
「それより、なぜドラゴンを欲するのでしょう? よろしければ、お聞かせ頂いてもよろしいでしょうか?」
「ん? それは――まぁ、よいか。なに凱旋には見栄えの良い騎獣が必須であろう?」
「凱旋……と申しますと? 戦のご予定でも?」
「ふむ……竜の足でももはや間に合わぬかな? ならばよいか。なに、ラドタルトの別動隊がタルハンを攻める。それだけの事よ」
「なっ!?」
ラドタルトは南方のドルーズ共和国の北端にある迷宮都市だ。
タルハンと同じく攻略済みの迷宮ではあるが、その資源は未だ豊富で、鉱脈として充分な量を誇っている。
だが南のドルーズは積極的に侵略を謀るような国柄ではなかったはずだ。
「これまで糧食をかき集めている噂は聞いたことが無いかね?」
「あります……それが?」
「ラドタルトで不作が発生してな。我々はそれに援助を申し出たという訳だ。もちろん、援助が行き渡るまでには時間がかかる。その間に一部の暴徒が北上し、タルハンを攻めるなどと言う事もあるかもしれん」
「そんな無茶な! モリアス近辺には警邏もいるでしょう?」
「それが偶然、配置換えを行っておってなぁ。その隙を偶然突かれる事もあるやもしれんなぁ」
ニヤニヤと、嫌らしい笑みを浮かべるロゥブディア。
無茶苦茶だ、この男……そんな言い訳がキルミーラ本国に通るはずもない。タルハンを陥とされれば、その軍を見落としたロゥブディアは、極刑にすらなり得るというのに。
そもそもラドタルトで不作と言う話すら、聞いたことが無い。
おそらくは出征用の糧食をモリアスが負担しているのだろう。
「キルミーラが私の責任を追及すると思うか?」
「はい、必ず」
「できぬよ。タルハンが陥ちると言う事はキルミーラの南半分を私が握ると言う事だ。つまり、北の本国と私は同格、いや、タルハンを押さえている分、私が上かな?」
「そんな……」
「この大陸東部に、モリアスという国が新しくできるのだ。その初代国王こそ、この私という訳だ」
「タルハンは難攻不落の城塞都市です。秘密裏に行動する軍程度では、簡単には陥とせません」
隠密行動の軍隊では、大人数を動かせない。その程度の数では、タルハンを落とすことは難しいはず。
「人間の軍ではな。そう言えば、タルハンは五年前、大氾濫にあったのだったか?」
五年前の大氾濫。未だ原因不明の現象。
あの騒動では、オークジェネラルを始めとした、ミッドガルズ・オンラインのモンスターまで参加していた。
ボクはあれもトラキチの仕業かと思っていたのだが、本人は否定していた。それ以来、ボクの脳裏には疑問にすら上がっていなかったのだが……確かに謎は残っている。
「まさか、あれも……」
「モンスターだけでは、無理だったようだな。しょせんは獣並の知性しか持たぬ存在よ」
今、理解した。
あの一件はこの男が裏で糸を引いていたのだ。ラドタルトと協力して。
「モンスターと人の混成軍。それに襲われれば、さしものタルハンとてただでは済むまい? そこへ私が英雄として颯爽と乗り込んでいく訳だ。そのためにはドラゴン程度の見栄えは必要だろう」
「そのために、リンちゃ――ドラゴンを?」
「スレイプニールでも別に良いがな。それにこの度の謁見で、見落としがある事にも気付いた」
「……見落としとは?」
いい加減、この男と会話していると爆発しそうになる。
ここまで計画を進めていると言う事は、この町の騎士団を完全に掌握していると言う事か……
「剣だよ。英雄には見栄えのする剣も必要だろう。それに妻も」
ぞわりと背筋に寒気が走った。
この男は、クーデターにボクも取り込もうとしているのだ。
「ご冗談を……」
「まぁ、妻は今更間に合わんがな。今日明日にも、タルハンは襲撃を受け、陥ちる。そこのところをよく考え、どっちに付くか決めておくといい」
そこまで語ったところで、ロゥブディアはパンと一つ手を打った。打った手の脂肪がぶるんと波打つ。
その合図で隣室に控えてきた騎士が入室してくる。手にはボクの渡したファントムソードも握られていた。
「剣、返してもらえますか?」
「……………………」
ボクの住むタルハンを陥とす。
そう宣言しただけあって、ボクの機嫌は最低まで落ちている。
さすがに図々しいロゥブディアもその気配は感じ取れるのか、こちらを警戒する雰囲気が流れていた。
「今日の所はこれにて失礼させていただきます。ドラゴンの件も後程ご返答を」
「いい返事を期待している」
平坦なボクの声にそう返し、顎をしゃくって指示を出す。
騎士に向かって手を伸ばしたボクに、騎士は不承不承という態で剣を返してきた。
扉に向かって歩く途中、振り返って一つ確認しておく。
「街中に兵士の姿が多かったのは――」
「タルハンを襲ったのは、あくまでラドタルトだ。そういう建前は必要でね。私は『兵を出していない』というアピールが必要なのだよ」
この街の兵はモリアスを離れていない。
そしてタルハンはラドタルトに襲撃される。そこへロゥブディアが乗り込み、ラドタルトと講和して南方を手中に収める。その上で再び、南北で争おうという魂胆か。
代々の領主が自制してきた反乱を、こいつは我慢できなかったという訳だ。
だが、こいつは理解していない。
このキルミーラ王国で、最も話してはならない相手に鼻高々で語ってしまったという事実を。
宿に戻ったら、大急ぎで行動を開始しないといけないようだった。
大変お待たせしました。
またいつものペースで再開します。