第百六十四話 領主の呼び出し
お待たせしました。今回よりユミル視点に戻ります。
アリューシャがお友達と買い物に行ってから、宿のオーナーにお説教を食らってしまった。
まぁ、強引に捻じ込んだ半宿泊客なので、ある程度は大目に見てもらっているけど、メイド服のまま客とお茶をしたのは拙かったらしい。
一目で従業員がサボっていると分かる光景は、他の客さんにも心象は良くないだろうから、これはボクの方が悪い。
その後はいつも通りの作業に戻る。
いつも通りと言ってもまだ二日目なのだが、まずは空いている部屋のベッドメイクからだ。
交換用シーツと清掃道具を持って、各部屋を回り、交換していく。
ふと窓の外を見ると、厩舎の所で多くのお客さんが群れになって集まっていた。
何が起きたのかよく観察していくと、単にリンちゃんとスレイプニール達を見学しに来ただけだったのだ。
あの子たちは物分かりがいいので、この街ではあまり出歩かないように遠慮しているらしい。
「ふむ、ちょっとはストレス発散に外に連れて行ってあげないといけないなぁ」
せっかくの異国の空――と言っても同じ国だけど、まぁ、珍しい光景なんだから伸び伸びと遊ばせてあげたい気持ちはある。
厩舎に閉じこもり、見知らぬ人に撫で回されたのならそのストレスは結構なモノになっているだろう。
こちらに気付いたリンちゃんに軽く手を振って挨拶を返してから、作業の続きを行っていく。
ざっと部屋の中を掃き掃除して、テーブルなどに残る汚れを拭きとる。
それからシーツを回収してから、新しい物と取り換えていく。
屋敷である程度掃除などを行っているので、こういう作業は比較的慣れている。
ビシッとメイキングの決まったベッドを見て、うんうんと満足していると、別の従業員からお呼び出しがかかった。
「ユミルさん、お客さんが見えてますよ」
「はい? お客さん……誰でしょう?」
「なんでも領主様の遣いだとか……鎧を着こんでいて、威圧感が凄くて。他のお客様にも迷惑になるので、別室で待ってもらってます」
「それはそれは。ご迷惑をおかけしました」
とはいえ、ボクは領主に面識なんてない。
正直面倒くさい臭いがプンプンしているので、できる事なら会いたくないのだが――
「仕事中なんで、断る事ってできませんかね?」
「無理です」
妙にきっぱりと返してくる。これは一度断りを入れたけど、却下されたんだな。
となると、面倒でも一度顔を合わせない限りは、帰ってくれそうにないか。
「えと、じゃあこの作業は――」
「私が代わりに引き継ぎますので、さっさと追い返してください」
「本音が漏れましたね?」
「何のことでしょう?」
上品に口元に手を当て、ホホホと笑って見せる仕草が白々しい。
ボクは溜息を吐いて、客人の元へ向かったのである。
この宿には来客用の応接室がいくつか設置されていて、そこは完全防音の個室になっている。
これは様々な商取引を行う場合を考慮しての事なのだが、今回はその一室が使われていた。
部屋に入ると板金鎧を着た騎士が二名、こちらに胡乱げな視線を送ってきた。
「あー、ボク――私がユミルです。何か御用がお有りだとか?」
「私は領主様付の近衛を務めている、クルーズだ。今日はよろしく頼む」
「エヴァンスだ」
瑕一つないピカピカの板金鎧を着た二人は、席を立ってそう自己紹介し、ボクに握手を求めてきた。
二人共体格がかなり良く、ハウエルよりも背が高いかもしれない。
だが手を握った感触では、それほど腕は立ちそうにない。まぁ、ボク基準だと世間の常識から外れるらしいけど。
仮にも騎士を立たせたまま、もてなしもしないままでは気分を害すかもしれない。
さっさと引き取ってもらうために、お茶を出して話だけでも済ませてしまおう。
「どうぞ」
「ああ、これは忝い」
口では殊勝なことを言ってはいるが、ようやく出したかと言わんばかりの態度だ。
エヴァンスに至っては礼すら言わない。
どうにもこの騎士達は、好きになれそうもないな。
「それで、本日はどのようなご用件でお越しになられたのでしょう?」
騎士たちが席に着き――鎧のまま座るな、椅子が傷む――とにかく、話だけでも聞く体勢を取るべく、向かいに座る。
足を揃えて斜めに流し、カップからお茶を一口含んでから、そう切り出した。
小さく小首をかしげて見せると、可愛らしく見えるらしいので、一応やっておく。どんな交渉にも、第一印象は大事だ。
「ああ、貴殿はタルハンでは名の通った剣士と伝え聞いたが……いや、それは本日の要件とは関係ないな。今日は領主様が貴殿との面会をご所望なのだ」
「ご領主様が? いったいどのような用で……?」
「それは我々には伝えられておらぬ。馬車を用意しているので、早急に準備を整えてもらいたい」
「いや、私にも仕事がありますので、そのように急に言われましても――」
「そちらもすでに話は通してある。今すぐ抜けても大丈夫だ」
すでに根回し済みで有能そうなアピールをしてくるが、それを押し付けられた支配人にとってはいい迷惑だろう。
仕事のローテーションをもう一度組み直さねばならないのだから。
だが、領主直々のお呼びか……これはさすがにお断りするのは難しそうだ。
仕事仲間からの情報では、この街の領主はあまりいい評判を聞かない。
強欲で我が儘。野心が強く、癇癪持ち。しかも極度の見栄っ張りで、歴史的経緯からタルハン大嫌い。
それでも代々受け継いだ、このモリアスの裕福さに助けられ、何とかやって行けているという話だ。
そんな相手が呼び出すのだから、断ったところでしつこく付き纏われるか、嫌がらせに発展する可能性だってある。
もしそうなれば、この宿にも、ひいては生徒達にも迷惑が掛かりかねない。
「……判りました。今から準備をしてきますので、少々お待ちを」
「では表に馬車を回しておこう。手早く頼む」
こうしてボクはモリアスの領主と面会する事になったのだった。
とりあえずメイド服のまま領主に会う訳にはいかないので、それなりに整えておくことにする。
と言っても、礼装なんて実は持っていないので、ここは魔導騎士の装束をメインにコーディネートしてみた。
さすがに両手剣を背に背負う訳にはいかないだろうから、片手剣を取り出して腰に吊るす。
それでも小柄なボクでは剣先が床に届きそうだった。
選んだ剣はファントムソードと言う武器を選んでおいた。
これは剣身が半物質で構成されており、霞のかかったような半透明な刃をしているのが特徴だ。
霊属性を持っていて、物理的なダメージは普通の剣より大きく下がる。だが鎧を素通ししてダメージを与えるため、重装備の騎士なんかには有効な武器である。
荒事にはならないと思うが、ここは念を入れて対騎士戦の想定で装備を整えておいた。
更に腰の後ろには恒例のピアサーを吊るしておく。
これも相手の防御力に応じて攻撃力が上がるタイプの武器なので、重装備相手に有効な武器だ。
後は髪形をいつも通りに整えて、姿見で身だしなみをチェックしておいた。
この宿は部屋に大きな姿見が用意されていて、全身のチェックができるのが便利だった。
大きな鏡は結構な値がするけど、屋敷にも一つ置いておきたいな。
メイド仕事には髪は邪魔になるので、後ろで縛ってまとめていた。これを解いて、いつものサイドテールに仕立てた所でホールへと向かう。
メイドからいかにも少女騎士然とした姿に変身したので、騎士達も目を瞠って驚いていた。
馬車の荷台部は、貴人を運ぶために完全に箱型になっているタイプで、領主を現す旗が掲げられている。
扉や細部にも細かく彫刻が刻まれているところを見ると、かなり高価な馬車のように見受けられた。
「お待たせしました。それでは参りましょう」
「あ、ああ。こちらだ」
まるで淑女に対する例の様にボクの手を取り、馬車へエスコートするクルーズ。
対するエヴァンスは御者席に乗り、馬に鞭を入れた。
まるで貴族が乗るような、装飾過多の室内だが、その揺れは激しかった。
これはタルハンで普及している馬車が、ダンパーやサスペンションと言う機構を組み込んでいるのに対し、それらが一切存在しない事を意味する。
振動を抑えるのは、尻の下のクッションのみの状況だ。
「……豪華な馬車ですね」
「領主様の持ち物だからな。粗雑な物を見せては、領主様の沽券に関わる」
「はぁ、さようで……」
レグルさんなどは役所に行くのにスクール馬車に便乗する有様なんだけど、ここの人はそうじゃないようだ。
正直馬車が重く、動きも鈍い。牽いている馬が苦しそうにも見える。
馬車の中で領主様に会うための作法をクルーズに教え込まれ、馬車は軽快に街中を疾走していく。
いや、軽快と言う描写は正しくないかな。馬を見る限り、死に物狂いで爆走しているといった方がいい。
「ちょ、止めて止めて! いや、止めなくてもいいけどスピードを緩めて!?」
もちろんそんなスピードで街中を駆け抜けたら、危険極まりない。
街の住人を何度も轢きかけ、ボクは思わず悲鳴のような声を上げた。
「それはできません。領主様がお待ちですので」
「でも、これじゃ危ないですよ!」
「ご心配なさらず。この時間、貴族の方々はゴールドケード卿の園遊会に参加しておられます」
「一般市民は!」
「気に掛ける必要などないでしょう?」
市民の命など、そこらの石ころと同程度だと言い放った。やはりこいつ等とは相容れない。
「とにかく、速度をもっと緩めてください! さもなくば、ボクは飛び降りますよ?」
「む……承知いたしました。レディには少々過激な速さだったようですね」
ふざけんな。この程度の速度でボクが怖がるとでも思っているのか?
それに、うっかり漏らした『ボク』と言う一人称に、厭味ったらしく『レディ』などと返してくる辺り、性格が悪い。
とにかくそんなやり取りの果てに、ようやく領主の屋敷に到着したのである。
想像通り、領主の屋敷は豪勢を極めた造りになっていた。
門に入ると、入り口すぐの所に騎士たちの詰め所が設置されている。
私邸の屋敷に騎士団の詰め所を置いているとか、公私混同じゃないのか?
門を潜って数分も走り、ようやく正門に到着する。
それまでに庭で放し飼いにされた犬の姿を散見する事が出来た。あれはどう見ても番犬だな。
馬車を降りると、執事らしき人物が僕を待っていた。
恭しく一礼し、武装の解除を申し出てくる。
これは要人と会うのだから、当然の申し出と言えるだろう。だがボクにとって武装解除っていうのはインベントリーごと封じねば意味はないけどね。
腰に下げたファントムソードとピアサーを執事に渡し、念を押す。
「それ、本当に貴重な剣ですから、無くさないでくださいね?」
「はい、命に代えましてもお守りいたしましょう」
「そこまで大袈裟じゃなくてもいいけど……」
案内され、屋敷の廊下を歩いているが、正直目が痛い。
原色を多量に使用したけばけばしい装飾品が、至る所に飾られているのだ。
これがいわゆる成金趣味という奴か……?
「こちらでお待ちください。只今ご領主様をお呼びしてまいりますので」
「あ、はい」
人を呼びつけておいて、準備すらしていなかったのか、ここの領主は。
続いて入ってきたメイドさんが紅茶を淹れてくれる。
これはさすがに良い葉を使っているのか、実に美味しかった。一礼して退室するメイドさんも美人揃いである。
だが、お茶を飲み干した頃になっても、領主は現れない。
頃合いを見計らってメイドさんがもう一度現れ、お茶のお替りを注いでくれる。
そんな時間を二度繰り返し、実に一時間以上待たされ、ようやく領主は姿を現したのだった。
「いや、待たせてしまったね、ユミル君だったか? 私がこのモリアスの領主、ロゥブディア=ダスケット=モリアスだ。今日はよろしく頼むよ」
そう口にして入ってきた男は、扉でつっかえそうな位、ブクブクと弛んでいた。
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