第百六十二話 動物園見学
翌朝、妙に重い感触がすると思ったら、胸の上にユミルお姉ちゃんが眠っていた。
手はしっかりと胸の上に置かれ、無造作に握りしめられている。たまにムニムニ動いてて、ちょっと痛きもちいい。
「うぇへへへへ」
寝言なのかどうか知らないが、今まで見た事もないほど蕩けた表情をしていた。
できれば、涎を垂らすのはやめてほしい。昔はわたしもやってたけど。
「ユミルお姉ちゃん、起きてー」
ソフィーちゃんたちが目を覚ます前に追い出そうと、ゆさゆさ揺さぶって起こそうとしてみるが、起きる気配は全くない。
いや……
「んぅ~、アリューシャがねっちょりチューしてくれたら起きるぅ」
「なに言ってるのー!?」
実は起きてるんじゃないかってくらい、欲望ダダ漏れの寝言を漏らしていたので、思わずツッコミを入れた。
その大声でソフィーちゃんたちが目を覚ます。当たり前か。
「んー、なぁに~?」
「アーちゃん、どうした――ごめん、空気読んでなかったね」
カルネちゃんはそう言って再び目を閉じた。あまりにもあからさまな寝た振りだ。
よく考えてみたら、今のわたしはユミルお姉ちゃんに圧し掛かられ、胸を揉みしだかれているのだ。
しかもチュー云々の流れで、口元を大きく顔に寄せられている。
「ち、ちが!? 違うの、これはユミルお姉ちゃんが寝ぼけて――」
「きこえませーん、わたしは寝てまーす」
「聞いてぇ!!」
強引に身体を起こしたせいで、胸元を引っ張られパジャマの前が肌蹴てしまう。
それを見て、ユミルお姉ちゃんはくわっと目を見開いた。
「おお、また育っておられる……これはけしからん」
「まったくケシカランですぅ」
「けしからんですなー」
ユミルお姉ちゃんの奇行に、ソフィーちゃんとカルネちゃんが乗っかった。
「でもわたしは、ユミルさんの胸も興味がありまーす」
「わたしもー」
「へ? あ、ちょ、きゃあぁぁぁ!?」
直後、野獣と化した二人がユミルお姉ちゃんに襲い掛かった。
旅行中、散々お風呂で見たはずなのに。
ユミルお姉ちゃんはある意味とても弄りやすい人なので、こうなるのは必然だったかもしれない。
結局、朝から騒々しいじゃれあいは、先生が起こしにやってくるまで続いたのだった。
扉を開けた先生は、パジャマが肌蹴て肌も露わなユミルお姉ちゃんを見て、静かに扉を閉めた。
よく見ると、顔もなんだか紅潮して、寝起きの涎とかも付いているので、とても誤解されやすい表情をしていたのだ。
しかもびくんびくん痙攣してたりするのが、芸が細かい。
「違います、先生! 誤解しないで!?」
「まぁ、ユミルさんだから別にいいけど、責任はちゃんと取りなさいね?」
「はーい!」
「ソフィーちゃんとカルネちゃんも返事しないで!?」
朝からわたしの評価が駄々下がりな事案が起こっていたのだった。
朝食を終えて、午前中の見学に出かける事になる。
今日のイベントはお待ちかねの動物園見学である。
この街の動物園は幻獣を始めとした、モンスターも結構多く飼育されていて、迷宮を内包するタルハンの生徒にとっては非常に勉強になる施設なのだ。
今回の見学も、ただ見学するだけでなく、一種類以上のモンスターに関してレポートを提出する必要があるのだ。
「おい、グリフォンとかいるんだってよ! 見に行こうぜ」
「わたしはヒポグリフがいいな。モフモフできるっていうし」
「そっちかよ!」
「だってグリフォンなら見た事あるしぃ」
テッドが例によってテンション高く騒ぎ立てる。
グリフォンは、ユミルお姉ちゃんが北に行った時に一度戦ったって言っていたので、その後一度連れて行ってもらったのだ。
こちらを見つけると甲高い鳴き声を上げて襲い掛かってきたので、実はあまり好きではない。
逆にヒポグリフはグリフォンの近親種なのに、大人しい性質をしていて、触らせてくれるので大好きだ。
「あっ、見ろよ。あのでっかいネコ!」
「あれはトラだよ。幻獣じゃなくて普通の動物だけど、結構強いの。肉食だからテッドなんて一飲みだよ」
「げ、マジか!?」
「でもユミルお姉ちゃんは、なぜか334って呼ぶの」
わたしはシム系のゲーム出身なので、この世界の生物や道具の知識が元からインストールされている。
ユミルお姉ちゃんと初めて会ったとき、水袋の作り方や獣の捌き方を知っていたのは、この恩恵なのだ。
モンスターの知識に関しても、基本的には熟知しているのである。
「でも全然機敏じゃないぞ。あれで獲物を狩れるのかよ?」
「夜行性なんだよ。お昼は眠いんだよ」
「なんかアーちゃんがいればレポートって楽勝なんじゃない?」
実際、レポートだけなら別に見に行かなくても問題はないだろう。
でも、それじゃ面白くないのだ。せっかくの動物園、楽しまなければ損である。
「なにあの蛇、尻尾にも首があるよ?」
「あれはアンフィスバエナだね。火を吐くから近づくと危ないよ」
「だから檻がガラス張りになってるんだぁ」
「あっちの鳥、おっきぃ!」
「あれはバルチャーだね。ハゲワシだから幻獣じゃないんだよ」
「あの猫、襟巻してるね」
「あれはライオン。ネコよりも犬に近い性質してるんだよ」
「モンスター博士だな、アリューシャ」
いつもは披露できない知識を見せびらかせて、少しだけ気分がいい。
自然と胸を張って、顔がにやけてくる。
結局、わたし達はケラトスという、直立歩行するトカゲのようなモンスターの生態をレポートする事にした。
大きさは二メートルを遥かに超えるので、近くで見ると結構迫力はある。
肉食で危険な生物ではあるが、お腹がいっぱいならば無理に襲い掛かってくるような生物でもない。
飼いならされて、お腹を上にして眠る姿は、少しだけ可愛い。
檻の前に設置されたプレートの解説文をメモに取り、その姿を軽くスケッチする。
ひっくり返ったトカゲの姿はなんだか砂浴びしてるリンちゃんに見えなくもない。
わたしはあまり絵が上手じゃないので、その区別を付けるのは難しいのだ。
その点、カルネちゃんは実は絵が上手い。
ざざっと描いただけなのに、ケラトスの特徴がしっかりと捉えられた、デフォルメされた絵がスケッチブックに描かれていた。
わたし達はカルネちゃんに絵を添削してもらい、わたしがレポートの内容を修正したりして、それぞれ課題を完成させたのだった。
課題を終えた所で、わたしのお待ちかねの時間だ。
この動物園にはふれあい広場と言う、実際に動物をモフり放題できるパラダイスが存在する。
ここに突撃しないなんて、あり得ないのだ。
「よし、それじゃふれあい広場に行こう! すぐ行こう! 早く行こう!」
「アーちゃん、気合入りすぎ」
「でも触れるモンスターなんて大人しい奴ばっかりだからカッコよくないしなぁ」
「そんな事は大した問題じゃない。重要じゃないんだ」
きりっと表情を引き締め、難癖付けてきたテッドに詰め寄る。
「アーちゃんちはモンスターいっぱい居るのに、まだ触り足りないんだね」
「世の中にはとても大切な言葉があります。ユミルお姉ちゃんも頻繁に使用している言葉です。『それはそれ、これはこれ』」
「うん、なんとなくわかってた」
呆れたような表情をするソフィーちゃんの手を引っ張って、わたし達はめったにないモンスターとの『ふれあい』を堪能しに行くのだった。
その広場では前もって聞いていた通り、ヒツジやヤギなどの動物たちと一緒に、ヒポグリフの雛が放し飼いにされていた。
もちろんきちんと飼育員さんが付いているが、ピーピー鳴いて餌をねだる様は実に愛らしい。
うちの子たちはお腹が空くと、勝手に迷宮に潜ってモンスターを食べてくるから、あまり見ない光景である。
「ふあぁぁ……かぁいい」
「アーちゃん、鼻血」
「おおっと」
うっかりいろいろなリビドーが駄々漏れになってしまったので、これは反省する。
ヒポグリフの雛も、わたしを見て少しおびえているじゃないか。
おずおずと手を伸ばすと、指先の匂いを嗅ぎに来る。その仕草はまるで子猫のようだ。
「ああ、これはユミルお姉ちゃんも連れてこないと……」
最愛のユミルお姉ちゃんが雛と戯れる光景を想像して、また頭に血が上ってしまいそうになった。
こういう施設はタルハンにも欲しいと思うけど、気候的にここよりも寒いので、難しいかもしれない。
一度レグルおじさんに聞いてみようと心に決めて、午前の課題を終えたのである。
宿に戻ってお昼ご飯を済ませ、わたしはロビーでくつろいでいた。
今日の午後からは自由時間になっていて、皆買い物なんかに出かける準備で忙しいのだ。
わたしはあまり身なりには気を使わない性質なので、皆より早くロビーに出て来てしまったのである。
ソフィーちゃんとカルネちゃんは現在おしゃれ中なのだ。男子たちはすでに別行動で街に繰り出している。
そして、わたしの前にはユミルお姉ちゃんが堂々とサボっていた。
「ねえ、お仕事は?」
「メイドのお仕事はお客様のお世話をすることです。アリューシャはお客様で、ボクはその相手をしているから、何の問題もないね」
「それ、支配人さんに言ったら怒られるからね?」
「うん、怒られた」
どうやら、わたしの警告は遅かったようだ。
それでも懲りないユミルお姉ちゃんは、不屈の人である。
「アリューシャはこれからお買い物?」
「うん。お土産、買ってくるね。あ、でもお姉ちゃんは現地に来ているから、要らないかな?」
「そんなぁ!」
わたしの意地悪に、本気で泣きそうな表情をしてくる。
ユミルお姉ちゃんは日ごろから、わたしから貰えるものは例えそれが罵倒の言葉でもご褒美ですと言い放っているくらいの人だ。
お土産を貰えないとなると、悲しい顔をするのはもちろん理解している。
でもそれが判っていてもやってしまう程、反応がいいのだ。
「冗談だよ。ちゃんと買ってくるから」
「もう、アリューシャは最近いじわるだ……ハッ、これはひょっとして、新しいプレイ?」
「なんだか知らないけど、たぶん違うと思う」
「付いてっちゃダメ?」
「それはダメ!」
プレゼントは中身が判らないから、わくわくするのだ。
一緒に買い物したい気持ちはもちろんあるが、それでは何を買ったか判ってしまって、後のお楽しみが薄くなってしまう。
今回はソフィーちゃんたちと買い物する事で我慢して、ユミルお姉ちゃんをびっくりさせてやるつもりなのだ。
「むぅ、残念。じゃあ、今度一緒にお買い物行こうね?」
「旅行前にも一緒に行ったじゃない」
「あの時はハウエルが邪魔したから」
「あはは、それもそっか」
メイド姿のままカップに紅茶を注ぎ、口に運ぶユミルお姉ちゃん。
その姿はすごく上品で、武骨な冒険者になんてとても見えないのだけど……
「そのお茶、お客様に出す物じゃなかったっけ?」
「でもアリューシャ一人でお茶を飲んでいたら心苦しいでしょ? 気楽に安心してお茶を飲むために、まずはボクから率先して口にするのです」
「それも、支配人さんに言っちゃダメだからね?」
「もちろん、怒られたよ」
やはり遅かったのか……ユミルお姉ちゃんはすごく頭がいいのに、ときおりとっても無警戒になる。
考えてやっているのか、そうでないのかはわたしには判らないけど、必要のない相手には全く警戒しないのだ。
これが無防備な雰囲気や、人懐っこさを演出するのだから、ずるいと思う。
そんなことを頭に浮かべた時、ソフィーちゃん達がようやく降りてきたのだ。
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