第百六十一話 モリアスの歴史
再開します。
しばらくはアリューシャ視点が続きますので、ご了承ください。
モリアスに到着して、真っ先にすることは宿にチェックインする事である。
これはすでに予約してあるので、スムーズに事を進めることができた。
問題はユミルお姉ちゃんの存在だ。
飛び込みで護衛に入ったユミルお姉ちゃんには、予約などあろうはずもない。
そして今の時期は北への交易路が渋滞している最中なので、どこの宿もごった返している状況なのだ。
「部屋は――え、無い? そこをなんとか。いやむしろ相部屋でも構いません。アリューシャと同じ部屋で、ダメ?」
「お客様、そう言われましても……」
「じゃあ馬小屋とかでもいいです」
「当宿にそのようなサービスは――」
「じゃあ仮眠室でもいいです。むしろ短期の従業員としてどうですか? メイド服とか着たりしますよ!」
「あの……」
「アリューシャと一緒にメイド服でご奉仕、ありだと思います!」
「ないと思います」
カウンターで激戦を繰り広げているユミルお姉ちゃんを置いて、わたし達は次の目的地へ向かうことになった。
今日は夕食までの時間にモリアスの歴史博物館を見学して、お話を聞いてくる行事が入っているのだ。
到着して早々、そういう固い場所に行くので、みんな気乗りしていない。
というか、慣れない長旅で疲労困憊している状態なので、早く休みたがっているのだ。
現に横を歩いているソフィーちゃんの挙動がかなり怪しい。
「ソフィーちゃん、大丈夫?」
「んー、だーいじょーぶだぁよ」
「全然大丈夫に聞こえない!」
「アーちゃんは元気だね」
カルネちゃんも、いつも眠そうな目をさらに閉じ気味にしてそう言ってくる。
飄々とした彼女にしては、珍しい表情だ。
「うん、わたしは旅とか慣れてるし。ほら、ユミル村とか往復してるから」
「そっかぁ、土日にスレイプニールに乗って往復だっけ? タフだねぇ」
肉体的には疲労しない体質なので、実はそれほどでもない。
むしろ馬車に押し込められた、精神的疲労の方が激しい。
それでも他の生徒よりはずいぶん元気な方なのだ。先生達も、少し元気がなさそうに見える。
「エロい事はダメですよ。いやちょっとだけなら構いませんが。むしろ見えそうなくらい短いスカートとかをアリューシャに――」
「誰かこの人止めてー!?」
カウンターの激戦を聞きながら、わたし達は宿を出たのである。
モリアスは何百年か前にキルミーラ王国に編入された、南部の大都市である。
北側の王都キルマルを中心とした北部の勢力と幾度となく戦争を繰り返し、大陸東部の戦乱の立役者でもあった都市だ。
ある時、いつものように草原を戦場に両軍がぶつかっていると、側面から中立を保っていたタルハン軍が攻撃を仕掛けてきた。
これによって、モリアスの時の領主――この時は王を名乗っていたが――が戦死。
そのままキルマル軍はモリアスに雪崩れ込み、これを制圧。
こうして東部の鎮圧に成功したキルマルはキルミーラ王国を名乗り、今に至るのである。
こうした経緯が存在するが故に、タルハンとモリアスは非常に微妙な関係にある。
これを緩和するために、タルハン側はモリアスへ学園の生徒たちを旅行に向かわせ、偏見などの無い生のモリアスを知る機会を設けているのだ。
これはレグルおじさんが組合支部長に就任した頃から始まった行事で、少しずつタルハンのモリアスへの偏見は減りつつある。
だがモリアス側は未だタルハンへの警戒を解いてはいない。
モリアスがこの行事を受け入れているのは、学園の旅行で大きな収益が上がるからだと言われている。
「こうしてタルハンとの友好は現在も紡がれ、皆さんもまた両市の絆として巣立って行く事を切に願っている次第であります」
スライドによる南北の戦争の経緯、それによる被害を解説していた博物館のおじさんがそう締めくくった。
だが見渡す限り、生徒のおよそ七割は顔を伏せっている。
これはスライドがつまらなかったからではない。
長旅で疲れていたところへ、椅子に座らされ、明かりを落として薄暗くした室内。
これで寝るなと言う方が無茶なのだ。まだまだ余裕のあるわたしですら、首がカクッてなったんだもの。よだれが落ちるのは何とか防いだ。セーフだ。
そんな事情を解説の人も知っているのか、眠っている生徒を咎めたりしない。むしろ予定より二十分も早く終わらせてくれたのである。
その後は博物館を順路通りに見学して回る。
多くは南北の戦争に関するものが多かったが、それ以外にも興味を惹かれるものがあった。
大陸南部地方に近いこのモリアスは、食べ物や動物などの交流があり、郊外には動物園なんかも設立されている。
その時のスケッチや、動物が描かれた絵があったのだ。
この動物園の見学は明日予定されている。
中には幻獣であるグリフォンやヒポグリフの姿もあって、期待が高まっている。ふれあいコーナーとかもあるらしい。
モフモフは正義なのだ。
うちの子、毛が短い種類ばっかりだし。と言うか、リンちゃんとスラちゃんには毛すらない。
思う存分ふわふわに身を委ねることができるのが、今から楽しみである。
「やはり女の子はこういう動物が好きなのですね」
わたしが食い入るようにヒポグリフのスケッチに見入っていると、博物館の人が話しかけてきた。
「あ、こんにちは」
「はい、こんにちは。さすが学園の生徒さんはお行儀がいい」
「いえ、そんな」
「ヒポグリフがお気に入りですかな?」
壁にはヒポグリフの雛が飼育員に抱かれている絵が掛けられている。
よほど腕のいい絵師が書いたのか、ふわふわ感がよく出ていて……涎が出そうだ。
「うちも幻獣を飼ってますけど、こういうフワフワの子は居ないので」
「ああ、生徒の所有するスレイプニールがいると聞いていましたが、あなたの?」
「はい、正確にはユミルお姉ちゃんのですけど」
街に入るにはやはり幻獣の存在がネックになる。
一応、モンスターの一種として認識されているので、前もって連絡や許可証などが必要になったのだ。
だからわたし達の行く先では、セイコとウララの事は知られていると思っていい。
「タルハン最強の新鋭剣士ですね。ご高名はここまで響いていますよ」
「おはずかしい」
その最強新鋭剣士は今、宿のカウンターでメイド服について熱く語っています。主にエロ方面を。
お屋敷で着てあげるのだったらいつでもいいのだけど、それで人前に出るのは少し恥ずかしい。
「今年はヒポグリフの卵が上手く孵りましてね。動物園に行けば、雛と触れ合えるはずです」
「ホント!?」
思わず敬語も忘れて、拳を握り締めてしまった。
絵を見る限り、かなり前の様だったので大人のモフモフしか堪能できないのかと思っていた分、興奮してしまった。
「本当に動物がお好きなのですね」
「うん――はい、スレイプニールのほかにもドラゴンとかいますし、スライムもいます」
「す、スライム……?」
スライムは一般的に知性がないと思われている。
実際、スラちゃんのような高位種になるまでは、意思疎通すらできないのだ。
「ドラゴンは宿の厩舎に入ってますから、見に来てくれていいですよ。基本的に大人しい子なので、触っても大丈夫です」
「それは興味深い。ぜひ伺わせてもらいましょう」
大人しくなったのは最近の話で、生まれたばかりの頃は物凄くヤンチャだったのだけど、ユミルお姉ちゃんの『しつけ』の結果、とても大人しくなったのである。
今では旅の途中、男子がその背中で滑り台をして遊ぶほど温和になっているのだ。
わたし達は展示物の見学中なので、あまり長話はできない。
足を止めていると、後ろの人がつっかえてしまうからだ。
だからその場は、簡単に会話を交わしただけで別れてしまった。正直言うと、動物園のお話はもう少し聞きたかったけど。
その後も展示物を見て回ったけど、南方に近い分タルハンとはずいぶん違う生態系の話とか出てきて、非常に興味深かった。
これはもう一度ゆっくりと訪れなければなるまい。
そう思ってしまう段階で、レグルおじさんの策略に嵌まってしまっているのだろう。平和的にもてなされれば、反感を抱くのは難しくなるのだ。
その後ようやく宿に戻ることになった。
わたしは空いた時間を見計らって、リンちゃんに見学者が来ることを伝えておく。
一応希少種なので、さらったりする悪者の存在も無い訳ではない。
その辺り言い含めてあったので、前もって言っておかないと、博物館の人を悪者と勘違いしてしまう可能性があるのだ。
「という訳で見学のおじさんが来るかもしれません。リンちゃんは快くもてなしてあげてください」
「がぅ?」
「こんな感じのバッジをつけた人です。これを付けている人を噛んじゃダメだよ?」
「がぅ!」
博物館の入館証っぽいものを見せて、リンちゃんに言い含めておく。
これでおじさんが訪れても大丈夫なはずだ。
それが終わってようやく夕食の時間になった。
大人数を収納できるパーティホールに長テーブルを並べて席を作り、皆で食べれるようにしてくれたのである。
この準備だけで結構な労力が掛かっているのを見ると、ずいぶん歓迎してくれていると実感できた。
テーブルの合間を、ワゴンを押したメイドさんが往来し、飲み物やスープのおかわりなどを注いでくれている。
パンなどもバスケットに入れて運んでいるので、これもおかわり自由なのだ。
「お客さん、パンのおかわりどうですかぁー」
「ユミルお姉ちゃん、なにしてるの?」
「メイドさん!」
特にやたら丈の短いメイド服を着た、これまたやたら幼い風貌のメイドさんは、わたしのテーブルの周りをぐるぐる回っている。
中が見えるのもかまわず、裾をもってくるくる回っているので、男子の目とか釘付けになっていた。
「何で一人だけスカートが短いの?」
「ボクの熱い要望によるところが大きいのだよ。アリューシャの分もあるから、あとで一緒に着ようね?」
「なんでわたしの分まで持っているのか、そこがしりたい」
結局パンとスープをおかわりして、夕食を終えた。
その後はお風呂の時間帯である。
この宿はかなり大きな宿なので、お風呂の設備も完備してある。
タルハンでは行水程度の習慣が大半なのだが、時折わたしの様に入浴の習慣がある者もいるので大浴場も用意していたらしい。
汗臭くても気にしない男子と違って、女の子は身だしなみが大事である。眠い目をこすりながら、わたし達はお風呂へ向かってたのだ。
「お客さーん、お背中流しましょーかっ!」
「だから、なぜユミルお姉ちゃんがやってくるの!?」
案の定、乱入してきたユミルお姉ちゃんにツッコミを入れておく。
いつもなら相手してもらう所なのだが、今はそれどころではないのだ。
ソフィーちゃんとカルネちゃんは、今にも撃沈寸前なのだ。手早く体を流して引き上げないと、湯船で溺れてしまうかもしれない。
「おおっと、そっちのお客様は疲労困憊という様子」
「うん、だから早く上がらないと――」
「そんなあなたにスラちゃん’sマッサージ!」
「ええっ!?」
小瓶から這い出たスラちゃんは、湯船のお湯を吸って見る見るその体積を増していく。
そして問答無用でソフィーちゃんとカルネちゃんに襲い掛かり、マッサージを敢行したのである。
突如として乱入したスライムに、学園の生徒はともかく、他のお客さんは大混乱に陥った。
そして風呂場にいた全員がマッサージを(強制的に)受ける羽目になり、ちょっと怪しい雰囲気を漂わせる羽目になったのである。
なお、その後ユミルお姉ちゃんは宿の支配人から盛大なお説教を受ける事になった。
これもいつもの光景なのである。