第百六十話 ユミルだし
百人の非戦闘員を守りながら、半包囲された状態から十五の敵をたった十秒で殲滅する。
ユミルお姉ちゃんは、そんな桁外れの戦果を事も無げに披露して、手をひらひら振りながら帰ってきた。
「ただいまー、ざっとこんなもんよ!」
肩幅よりも広めに足を開いて仁王立ちになり、腰に手を当てて小さな胸を張って、顔を斜め四五度を向くほど反り返してドヤ顔を決めている。
なんだろう……ちょっとイラッとするけど、その仕草が可愛いと思えるので、ものすごく微妙な気分になる。
だが、返事をするべき冒険者の人達も先生も、そしてもちろん生徒達も……今まで見た事の無いような一方的な蹂躙劇に、言葉を無くしていた。
「す……すっげぇぇぇぇぇぇ!?」
最初に叫びをあげたのは、比較的順応性の高いイタズラ小僧のテッドだった。
その感動がまるで波のように伝達し、旅団全体が歓声に包まれていく。
「何あれ! なんだよ、あれ! ユミル、本当はすっげー強かったんだな!?」
「おい、こら。ボクは強いのを隠していた覚えはないぞ。オートキャストは隠してたけど」
「で、でもさっき馬車を飛び越えたよね? バッタみたいにぴょーんって――」
「冒険者の跳躍力なら、できなくもないよ」
「いや、できねーから!?」
確かに垂直飛びで十メートル近く跳ねる冒険者の逸話とかは、残っていないこともない。
それは英雄レベルまでレベルを上げ、鍛え抜いた者がどうにか到達できる領域の話だ。
ユミルお姉ちゃんのさっきの跳躍は、それを軽々と追い抜いている。
それをさも簡単そうに言ってのけたので、ハウエルは頭を掻き毟って否定していた。
「あんまり頭掻くと、禿げるよ?」
「うるせーよ! もうこっちはストレスで剥げそうだよ!」
木の枝を削りだしただけの仮想『木の槍』でワイバーンを撃ち抜いたり、ロープ無しで崖を駆け下りたりと、ハウエルは最近私たちの突拍子もない行動を目撃している。
一般的にはあり得ない行為なのだが、それを平然とやってのけるのがユミルお姉ちゃんなのだ。
わたしも何度か関与していたような気もするけど、そこは気にしない。
立ち尽くし、ブルブルと震えるハウエルの肩にポンと手を置き、わたしは厳かに告げた。
「おしえてやろう、ハウエル……わたしは四天王の中でも最弱……」
「それは知ってる。それにしても非常識すぎるだろ! 今どれだけの速さで走ったよ!?」
「ボク、タルハン、開拓村間を四時間あれば駆け抜けれるよ?」
「……………………もういい」
かなり控えめなユミルお姉ちゃんの主張にハウエルの目の光が消えた。
本当は一時間で駆け抜けると知ったら、どういう顔するんだろう?
四時間はセンリお姉ちゃん基準なのだ。
冒険者の人たちはユミルお姉ちゃんを取り囲み、そのとんでもない運動能力を探ろうと体中をペタペタと触っている。
中にはスカートをめくろうとしていた人がいたので、わたしが頭を叩いておいた。
何してるんですか、スリングのお姉さん……
「いや、ごめん。ついどんな下着着けてるのかなぁって」
「それ、全然関係ないよ!」
「安心してください、履いてませんよ」
「マジで!」
目に歓喜の光を宿し、再び手を伸ばすお姉さんをもう一度叩く。
「もう、ユミルお姉ちゃんも冗談言わない!」
「ごめん、ごめん……普通に白だから」
「バラさないのー!」
両手を上げてお説教モードに突入するわたし。
だけど、そこへ他の生徒たちが駆けつけてきて、揉みくちゃにされた。
「うわぁ! ちょっと、驚かさない――ひゃあぅ!?」
子供というのは、こういう時遠慮しない。ソフィーちゃんが首に飛びついたり、カルネちゃんが腰に抱き着いたりして感激を現している。
ついでにテッドは背後から抱き着いて胸に手を当てていた。
「てぇい!」
ずびし、と頭部にチョップを叩きこんでKOしておいた。
テッドは何か幸せそうな表情で気絶したのだ。
こいつは最近、妙に女子に絡むことが多い。せくはら要注意人物だ。
「このわたしを差し置いて、ユミルお姉ちゃんに手を出すなんて……万死に値するのだ!」
「アーちゃん、テッド君の頭歪んでるよ?」
「え、マジ? ちょっとやりすぎたかな? まぁ、テッドだから別にいっか」
「そーだね。テッド君だしね」
最近イタズラが度を過ぎている印象があるので、ソフィーちゃんもテッドには冷淡である。
女の子はこう言う所はシビアなのだ。
「そうだ、ロックウルフの素材とか剥ぎ取ります? あの皮とか結構いい防具の素材になりそうですけど」
ユミルお姉ちゃんは先ほど倒したロックウルフの剥ぎ取りを冒険者達に申し出た。
だが冒険者達は顔を見合わせて、首を振る。
「あれはユミルが倒した奴だろ。俺たちが横取りする訳にはいかない」
「別に気にしないのに」
「そうも行かん。信義に反するんだ」
ハウエルの頑なな主張で、ロックウルフの剥ぎ取りはしない事になった。
冒険者達は信義に反すると受け取りを拒否し、ユミルお姉ちゃんも面倒くさいからと早々に埋葬することを主張したためだ。
そもそもロックウルフは、肉は臭みがあって食用には適さず、牙や皮もそれほど鋭くないので応用し難い。
革もかさぶたの様に硬く、柔軟性に乏しいので、革鎧に向かない。
せいぜいが盾の表に張り付けるくらいしか利用用途がないのだ。
すでにワイバーンの素材を大量に入手しているわたし達には、まさに誤差の範囲の収益しか与えない。
それならば余計な時間を掛けるより焼いてしまった方が面倒がないというのも、理解できる。
そんな訳で、死体を一か所に集め、わたしの魔法で一気に焼き払うことにした。
わたしは広範囲の火炎系魔法は【ファイアボール】しか使えない。
そこでユミルお姉ちゃんに紅蓮剣を借り受け、【メテオクラッシュ】で一気に焼き払うことにした。
ちょっとクレーターもできてしまったのはご愛敬である。
それから数日の旅程は、ほぼ平穏かつ順調に旅程をこなしていくことができた。
なぜ『ほぼ』なのかというと、その間にモンスターの襲撃が二回と、野盗の襲撃が一回存在したからだ。
すべてハウエル達冒険者や、ユミルお姉ちゃんの手によって、迅速かつ無慈悲に排除された訳だが、これが少しおかしい。
街道沿いは治安が維持されていることが多いので、この襲撃回数は異常とも言えるのだ。
そもそも街道というのは、交易路の限定されるこの大陸に置いて、生命線ともいえる存在である。
それだけに商人の往来も多く、それを護衛する冒険者も頻繁に行き来する。
ここにモンスターや野盗が出現するというのは、襲う側にとって非常にリスクの高い選択肢になるはずなのだ。
「そもそもつい最近、騎士団が食料の調達に来たんですよね? だったらむしろ街道沿いなんて避けるんじゃないですか?」
「言われてみりゃ、そうだよな。この頻度は確かにおかしいが……ワイバーンのせいで生活圏が変わったのかもしれない」
護衛による周辺監視は、交代で警戒に当たるため、今はハウエルとユミルお姉ちゃんが担当している。
もともとソロ活動のハウエルと、一人で何役もこなせる過剰戦力のユミルお姉ちゃんは二人で一パーティ扱いされることが多い。
もっとも監視するまでもなく、ユミルお姉ちゃんの知覚領域を出し抜くことなど不可能に近いのだが……
以前ムーンゴーレムというトラキチおじさんのゴーレムが、知覚範囲外からの強襲という手段でこれを出し抜いたことがあるけど、その手は今は通用しないらしい。
それは、ユミルお姉ちゃんの知力値が桁外れに上昇し、その範囲が大幅に広がったせいだ。
以前は五十メートル程度だったが、今は三百近い距離をフォローできるらしい。
ここまで広いと、ユミルお姉ちゃん並みの足でもない限り不意打ちなんてできない。
「モンスターのような知能の低い敵なら判りますけど、野盗も移動してますよ?」
「むしろそういう連中の方が、危険からは率先して逃げないか?」
「そういうモノです?」
そう言いつつもユミルお姉ちゃんは木を削っただけの木槍を、無造作に投擲する。
槍は一直線に飛翔して、その先に隠れ潜んでいたドゥドゥという鳥を射抜いて止まった。
普通の木でこれほどの威力が出るはずがない。これは【スピアスロウワー】の効果だ。
この大きな黒いアヒルのような鳥はドゥドゥという鳥で、モンスターではなく、食用に適していて淡泊ながらも味わい深い。
大きさも鶏よりかなり大きいので、肉の回収率も悪くない。
ただし陸上に適応して進化した分、逃げ足が非常に素早く、また臆病なので警戒心も強い。
なので捕獲はそれなりに難しく、肉は結構高値で取引されるのだ。
最近はワイバーン肉のステーキだのバーベキューだのばっかりだったので、こういうあっさり系の肉が手に入ったのは素直にうれしい。
「ドゥドゥ鳥、げっと。おかずが増えるよ!」
「やったね、ユミルお姉ちゃん」
「その言葉、なんだかエッチな虐めに合いそうなフレーズだね、アリューシャ……」
「そうなの?」
ユミルお姉ちゃんはいろんなことを知っているので、妙なところから突拍子もない事象へを話が繋がる事が頻繁にある。
これもそういう流れでたどり着いた言葉なんだろう。
でもユミルお姉ちゃんをエッチな目に合わせるとか、どうやったらできるんだろう……少しだけ想像してみた。
「――くふ」
「変な笑いしないでよ。今、ちょっと背筋が寒くなったよ、ぞわってしたよ、ボク!」
「他意はないのよ?」
「最近アリューシャが怖いです。可愛いからいいけど」
肩を抱いて身を震わせるユミルお姉ちゃんの姿はすごく庇護欲と嗜虐心を同時に刺激する。
いじめっ子の心境が少しだけ判ったかもしれない。
「いや、あの鳥をそんな簡単に……いや、もういいけど」
「あいつ、逃げ足だけなら馬に匹敵するほど早かったわよね……?」
「ってか、ただの木の棒だろ、あれ。なんで百メートルも飛んでくんだよ?」
「しかも貫通してるぞ。どういう威力だよ」
「タルハンの連中が『ユミルだから』っていう理由が判った。あれは理解しちゃいけない存在だ」
ユミルお姉ちゃんが合流して、もう数日。
冒険者達もそろそろユミルお姉ちゃんに慣れてきた頃合いだ。だけど、定着したのは、やっぱり『ユミルだし』という評価。
一応一目置かれる存在にはなっているようだけど、どうにも納得できないモノがある。
「うーん……?」
「どーしたの?」
「なぜユミルお姉ちゃんは評価されないのかって点を悩んでたの」
「評価はされてるみたいだけど?」
「尊敬はされてないよね?」
「アリューシャ、地味にヒドイ事言ってない?」
わたしの減らず口に頭をぐしゃぐしゃ撫でまわして報復するユミルお姉ちゃん。
わたしはそれから、キャーキャー言いながら逃げ回ったのだ。
鳥の巣みたいな頭になっちゃったけど、これは後でお姉ちゃん本人に梳かしてもらおう。公然と甘えられるチャンスである。
こういうのをマッチポンプっていうのかな?
こんな感じで残り四日。
大きなトラブルもなく、順調に旅程をこなして、わたし達はモリアスに到着したのである。
章の前半分と言う所ですが、切りがいいので一旦ここで停止してポンコツ魔神の連載に入ります。
そちらは1話が少し短めなので、週3回くらいの更新を目指したいと思ってます。
10話くらいの予定なので、再開は3週間後くらいですね。