第十五話 特産品を作ろう
監査官ヒルさんを送り出して、翌日。
ここは迷宮と認められ、ボクは迷宮の権利者になる事は、ほぼ確実だろう。
そしてここが迷宮と認められると、大勢の人がやってくると予想される。
なので宿泊用の小屋をもう一つ建てておく必要がある。
もちろん、ボクにそんな義理はないのだが、人間『貧ずれば鈍する』という格言もある。
宿泊用の建物が無く野宿してる人たちの前で、ボクたちが小屋を利用して温かい食事を饗していたとしたら、どう思われるだろう。
まず間違いなく悪感情を抱かれる。それだけならいい、悪意を持った行動――例えば強盗などに及ばれると困る。
そこで、そういった事態を回避するため……まぁ、多少の不都合には目を瞑ってもらうとしても、ある程度の住環境を整えておく必要があるのだ。
それにアーヴィンさん達が警邏として駐留する事になっているので、その宿になる場所も確保しなければならない。
前回建てた来客用の小屋はアーヴィンさんに提供するとして、冒険者達が宿泊する小屋を増設しておく必要がある。
今回は、アーヴィンさんに支給してもらった工具類や釘があるので、テンポ良く建てる事が出来るだろう。
そしてもう一つ。
トイレと同サイズの小さな小屋を自宅横に作り上げる事にした。
これは、この地の産業の一環を目論み、保存食を作るための小屋にするのだ。
永遠にここで暮らすならお金は必要ないけど、そうでないならいつかは必要になる時が来る。
お金が無くて病気になった時に医者に掛かれないとか、目も当てられない事態すらありうる。故に即金になる収入源は必要だ。
この迷宮では、あまり稼げそうに無いとヒルさんも言っていたし。
まず、アーヴィンさんの保存食を分けて貰った結果、この世界の保存食は非常に塩辛いという事が判った。
香辛料の類が未発達な事もあるのだろう。風味が非常に乏しいのだ。
それは干し肉などにも影響が出ていて……干し肉は、本当に干からびた塩漬け肉という代物だったのだ。
なので、今回の目標は美味しい干し肉作りを目標に掲げる事にした。
まず小屋の下半分を石組みで作り、耐火性を持たせておく。
小屋の上半分は木で作り、隙間を革や藁で埋めて密閉性を強化しておいた。
ただし完全に密閉してしまうと中の火が消えるので、石壁と木の隙間に通気口を開けておく事にする。
次に大き目の樽を作り、ここに水と果物の汁を混ぜ合わせ、塩を大量にぶち込んで保存性を高めた。
この漬け汁に牛肉――ルディスさんはモラクスという魔神と言っていたが――を漬け込んで下味を付ける。
本来数日は漬けねばならない所だが、この世界では過程をすっ飛ばす事ができる。
せいぜい一晩も漬ければ、いい感じに味が染み込んだ。
次の工程はこの肉に香辛料を塗し、擦り込む作業を行う。
アリューシャの指示で食用に適し、味の良いものを組み合わせたスパイスを収集する。
これは草原に自生してる物や、迷宮内で入手した香辛料と混ぜ合わせて、自作した。
そこらの野草で某大手フライドチキンショップのような風味のスパイスが完成してしまったのだから、驚きだ。
アリューシャの知識チート半端無い。
これを漬け込んだ肉に丁寧に塗りこんでいく。
しっかりと塗りこんだところで、小屋の中に肉を吊るし、石組みの中で香りのいい木材を燻す。
そう、ただの干し肉ではなく、燻製を作ろうというのだ。
幸いリリンと呼ばれる、リンゴに似た樹が甘酸っぱい香りを放ち、燻製に合いそうな感じだったので、それを利用する。
一時間だけ燻した、ローストビーフの様になった料理用。二時間燻した、ややしっとり感を残した短期保存用。
そして四時間かけて燻して、ほぼ完全に水分を飛ばした長期保存用。
この三種類を作って、アリューシャと試食してみたら、かなり美味しくできていた。
ボクは元々料理は好きだったが、こうも失敗が無いというのは、少しおかしい気もする。
ひょっとすると味付けなどに、ユミルの知識や器用度といった能力値の補正が入っているのかも知れない。
多少本道から外れた処理をしても、高能力値が失敗をリカバーしている可能性がある。
まぁ、この際どっちでもいいか……アリューシャが美味しそうにしてるから。
「あんまり食べると、顎が痛くなるよ? 味を付けたって言っても干し肉なんだから」
「うん、でももう少し……」
アリューシャはフルーツの風味のする干し肉というのが珍しいのか、子供の顎には辛い食材にも拘わらず、いつまでもあぐあぐと干し肉を齧っていた。
そろそろやめさせないと歯茎にもよくないかもしれない。それに塩分があまりにも多い。
「あんまり同じのばかりだと体に悪いよ。ほら、今度はこっちのを食べてみて?」
「うん、これはくだもの?」
代わりに差し出したのは、燻製小屋で軽く燻したリリンの実。
本来果物の燻製というのは、香りがぶつかり合うのであまりされる事は無い。
普通に干した方が純粋な果物の風味を損なわずにすむからだ。
しかし、このリリンの実をリリンの木で燻すというのは、悪くない考えのような気がしたのだ。
実際やってみると、軽く火を通す事で果肉が柔らかくなり、しかも糖分が凝縮されて甘さが更に際立っていた。
ここまでは干し果物と同じなのだが、その上に燻製独特の香りも加算され、より複雑な風味を醸し出している。
「あまい! おいしい!」
「良かった、うまくできたみたいだね」
「む……ゆーね、わたしを『じっけんだい』にした?」
「あはは、まさか」
笑って答えるも、視線は斜め上に逸らす。
あからさまに嘘の返事にアリューシャは憤慨してぽかぽかと殴りかかってきた。
「ずるい! もー!」
「わぁ! ちょっと、手を拭いて!? 涎まみれじゃない」
「しかえしなの!」
この夜、美幼女に押し倒されるという、なかなかに刺激的な経験を積む事ができた。
今後もこういった方向に誘導しようと思う。やりすぎると嫌われるので適当に。
二週間で小屋を完成させ、一週間で燻製小屋を作り上げ、次の一週間で燻製の実用化に成功した。
アーヴィンさん達が再度訪れるまで、残り数日というところか。
この期間にもう少し『商品』の品数を増やしておきたい。
「そこで、今日はチーズ作りに挑戦しようと思います」
「わーい!」
チーズというのは冷燻法の代表格のような物だ。つまり一週間程度では作れる代物じゃない。
だから非発酵チーズのカッテージチーズの作成に挑戦してみよう。
小さめの桶にモラクスの乳を用意し、塩を少々。
これを温めて、そこにレモンに似たリモーナという果実の汁をだばだばと絞り入れる。
すると乳脂肪分が分離し、固形化するのだ。
これを布(これもアーヴィンさんから支給してもらった)で漉して絞り、そのまま水に晒してレモンの成分を落とす。
たったこれだけで俗に言うカッテージチーズが完成するのだ。
「卵とか砂糖があればチーズケーキとか出来たんだけどね」
「けーき? ほしい」
「残念、砂糖がありません」
「ちぇー」
レアチーズケーキなら作れるかもしれない。それにお菓子を作り出すと、バターも作りたくなってくるし……
確か加熱殺菌して遠心分離させたクリームに塩とか入れて味を調えるんだっけ?
「まぁミルクはたくさん余ってるし、今度試してみてもいいかな?」
「やった!」
「でも砂糖が無いから期待は薄いかもね」
「むぅ……」
やはり、いくらかの物資を補充してもらえると言っても限界はあるようだ。
ここで現地調達する材料も、種別が限られている。
果物は豊富に取れるから、そこからジャムを作って代用するのもいいかも知れない。
この日の晩はローストビーフに野菜のサラダ、これにチーズを乗せたものが食卓に上がった。
翌日、がっかりしたアリューシャの顔が忘れられなかったので、チーズケーキの作成に挑戦する事にした。
小麦粉が無いので、布を皿に敷いておく。
カッテージチーズに、ミルクを振りたくって作ったクリームを加え、根気良く混ぜ合わせて、皿に載せる。
これを冷やして完成なのだが、こちらの世界に来て二ヶ月。外の気温はすでに真夏だ。
そこで敵を凍結させる魔法を使用できる、蒼霜剣と呼ばれる片手剣を装備し、木箱の中に【フリーズブラスト】という凍結属性を持った魔法をぶち込みまくる。
内部をしっかり凍らせた所で密封すれば、簡易の冷蔵庫になるだろう。
この木箱に作ったチーズケーキを入れて冷やせば完成だ。
次にリリンの実を煮潰してジャムを作る。
チーズケーキ自体はレモンを使用して分離したチーズを使っているので、爽やかな風味が残っているが、お子様のアリューシャには少し物足りないだろう。
そこでトッピングするジャムを作るのだ。
砂糖はないけど、この迷宮から採れる果実は糖分が非常に高い。単品でも高級品に分類されるのでなかろうか?
とにかく、そんな木の実を煮潰して作るのだから、充分砂糖の代用になる甘さがある。
ジャムは多めに作って、商品にする分を避けておく。
乾パンに塗って食べるだけでも、一味違う味を堪能できるだろう。
そしてジャムを水で溶いてとろとろにし、ソース状にしておく。
これを冷やし固めたチーズケーキに掛ければ、アリューシャも喜ぶだろう。
で、当のアリューシャはというと……
「ダメだよ、つまみ食いしちゃ」
「し、してないもん」
「その箱、開けようとしてたでしょ?」
「えと、ようすを見たかっただけで……」
もはや気が気ではない様だった。
やはり女の子は甘味に弱いみたいだ。こんな小さな子供でも、その性は受け継いでいる様だ。
かく言うボクも、少し落ち着かない。
料理は好きだし、甘いものも好きだったけど、特に今回はワクワク感が激しい。
ここに住み着いてからは果物を定期的に食べていて、甘味には飢えてないはずなのに、待ち遠しくて仕方ない。
二人してソワソワしてるのも馬鹿らしいので、残ったクリームをホイップして、スーリの実に掛ける。
スーリの実とはイチゴのような実で、野草から採れる。
「あっちは夕食後くらいには固まるだろうから、今はこれで誤魔化そう。ね?」
「うん!」
イチゴに似てるがイチゴよりも甘い果実にクリームを掛けて、二人でケーキが完成するまでの時間を潰す。
こういうのを本末転倒って言うのだろうか?
夕食を食べ終わる頃には、二人ともお腹がパンパンに膨れ上がっていた。
結局チーズケーキは翌朝に朝食代わりに食べる事になったのだった。
翌日は久しぶりに迷宮に篭る事にした。
もちろん、それまでだって迷宮に入らなかった訳じゃない。
材料や資材が足りない度に迷宮に調達に行っていたし、毎朝毎晩、風呂と洗顔に噴水の小部屋にも通っている。
だが、今日の目的はそういったものじゃない。
「いい、アリューシャ。こういう感じの……L字になってる頑丈そうな木を探すんだよ。後、絶対ボクから離れないように」
「わかってるー、ゆーねは『しんぱいしょー』なんだから」
「アリューシャは熱中すると周りが見えなくなるから心配なんだよ。それに可愛いから攫われちゃうかも」
「えー、やだー!」
軽く脅すと、全身でボクに抱きついてくる。
もちろんアリューシャもボクが冗談半分でこんな事を言っているのは理解している。この子は本当に賢い子だから。
でも、このキュッと締め付けてくる感触は癖になりそうだ……思わず抱き返して頬擦りしてしまう。
男のままだったら通報間違い無しの行動だけど、今のボクなら問題ない。多分。
ぷにぷにしたほっぺが、とても気持ちいい。
それはともかく……今日の目的は背負子の作成である。
アリューシャの体力では、最短距離でも五階を踏破するのが限界なのだ。
これ以上深くまで潜ろうとするなら、彼女の持久力の問題を克服しなければならない。
もちろん彼女自身が体力を付けるのが最良だけど、そこまで待っていられないかもしれない。
――草原を渡らないといけなくなるかも知れないしね。
迷宮にやってくる人間が善人だけとは限らない。
場合によっては、逃げるように立ち去らないといけない状況というのも、あるかも知れない。
だからいつでも旅立てるように……その為には、彼女の体力を維持できるように工夫しないとダメだ。
背負子を使ってボクが彼女を運べば、迷宮のもっと深い所までいけるし、草原を渡る最終手段になる。
もちろん、迷宮内で戦闘が起これば彼女を背負ってなんていられない。
未踏破地帯を行くには彼女自身に歩いてもらわないと、不測の事態に対処できない。
でも、すでに踏破済みの所なら、背負っても問題ないだろう。戦闘になれば飛び降りてもらえばいい、
釘や金属部品なども入手できたし、堅牢な背負子を作れば行動範囲が広がる。
その為にも、目的の形に適した木が欲しかったのだ。
今日も2本投稿する予定です。