第百五十四話 困った食糧事情
それは少し先の街路にある、大きな商店の入り口で騒いでいる担任の先生の声でした。
「保存食を売ってくれる契約だったじゃないですか。百人分を二日分!」
「そんなに大声出さなくても聞こえてますよ。私共としてもお売りしたいのは山々なのですが……」
「だったら――」
「ですが、騎士団が根こそぎ持って行っちまったんですよ。売りたくても品がないんじゃ、どうしようもない」
漏れ聞こえてくる声から、どうやら旅に使う保存食を売って貰えなくなったようだと判った。
わたし達は百人を超える大所帯なので、水や保存食を旅程分まとめて運ぶことは不可能だ。
それこそ倍の馬車を用意しないといけなくなる。
そこで途中二箇所ある宿場町で、水と保存食を補給しながら旅をする形式を取っている。
いわば現地調達だ。これは行き当たりばったりに聞こえるが、大人数で移動する際は身軽に動けるようになるため、実際の商隊でも使用されている手法である。
身軽に動けるようになる分、こういった現地の都合で身動き取れなくなってしまうこともまた、よくある事なのだが……
「一応、冒険者組合に保存食の緊急増産を発注してあるから、数日もあれば追加が届くはずだが……それだって別の商人達の予約が入っててね。たぶんそっちに回るのは十日くらい掛かるんじゃないかな?」
「そんな! 困ります、こっちは子供達を連れているんですよ。十日も足止めなんて!」
「言いたい事は判るが、こっちも無い袖は振れんよ。災害に巻き込まれたと思っておとなしく待っててくれんかね」
「そんな無茶な――」
「なんだったら他所の店に話を持って行ってもかまわん。反故にしちまったのはこちらだから、そうされても文句は言えん。だが、多分ウチより早く品を揃えられる所は無いと思う」
身体の大きな、商人のおじさんは本当に申し訳なさそうな顔をして、丁寧に先生に事情を説明していた。
先生も、どうしようもない理由だったと理解したのか、手を上げてそれを遮る。
「いえ、理由は理解しました。こちらも無茶を言ってすみませんでした」
「いや、元はといえば約束を守れなかったこちらのミスだ……いや、ミスといっていいのか、とにかくスマン事をした。お詫びと言っちゃ何だが、宿代の方はうちで持たせてもらうよ」
「それはありがたいですが……」
大部屋とはいえ百人分の宿泊費だ。それを持ってくれると言うのはかなりの痛手になるはずなのに、太っ腹である。
「毎年そちらに水と食料を卸させてもらってるからね。今年はこんな事があったが、これからもうちを贔屓にして貰えれば助かる」
「はは、それを決める権限は私にはありませんが、口添えはしておきます」
「じゃあ、商談成立だな。幸い持っていかれたのは保存食ばかりで、生モノは残されている。食うに困ることは無いだろう」
先生とおじさんは溜息を吐きながら、最近の情報を交換し始めた。
どうやらわたし達は、この町で足止めをされる事になったようだ。
「どうしよ。なんだか十日くらい足止めだって」
「でも宿代はあのお店で持ってくれるって言ってたじゃない。大丈夫だよ」
心配そうなソフィーちゃんと対照的に、カルネちゃんは楽天的だ。
彼女は食べていれば幸せなタイプなので、旅程の遅れとかはまったく気にしていない。
「わたしが心配してるのは、旅程が遅れちゃったらママが心配するって事かなぁ」
「でも、それならタルハンに救援を求めればいいのに。ここからなら往復で四日だし、街で食糧を買って戻ってきても十日よりは早く出発できるよ」
わたしはそう提案してみる。
スレイプニールたちの足を使えば、さらに片道分の時間は省略できる。三日から四日もあれば、出発できるはずだし、【ポータルゲート】の魔法を使えば、いつでもタルハンかユミル村に帰還できる。
もっとも、それだって遅れが出る事には違いないけど。
露店のおじさんに振り返って、保存食の徴収はいつされたのか、尋ねてみる事にした。
おじさんは妙な質問にも拘らず、嫌な顔一つしないで答えてくれた。
「おじさん、保存食の徴収っていつだった?」
「ん? ありゃあ確か……五日前に騎士がやってきて、三日前出て行ったかな」
「すっごく急な命令だったんだね」
「ああ、あれには参ったなぁ……大赤字だけど、この辺は持ちつ持たれつだからね」
この近辺の町は海岸沿いに細い糸のような交易路で繋がっている。
どこかの町が危機に陥れば、次は自分達の町という意識がとても強いのだ。
だからどこかが危なくなったら、全力で支援の手を差し伸べる。
二年前、わたしが病気になった時もそういった事情があるから、お薬を気安く援助してもらえたのだ。
「まぁ、お嬢ちゃん達が言った手段だって商人達が考えないはずは無いさ。十日って言うのは最大で延長してもって見積もりだろうな」
「それはそーなんだけどねー」
わたしは顎に手を当てて、『ふむん』と考え込んだ。
別に無理に急ぐ旅じゃない。ゆっくり数日も待てば出発できるようになる。
でも、旅程が三日遅れれば、帰還も三日遅れることになる。その間、ユミルお姉ちゃんはとても心配してしまうだろう。
センリお姉ちゃんはそうでもないかもしれないけど、ユミルお姉ちゃんは優しいから、すごく心配するはずだ。
学園に早馬が行って、遅れる理由は説明してもらえるはずだけど、ひょっとしたらこっちに乗り込んでくるかもしれない。
それはわたしを心配してのことだろうから、別に嫌なことじゃないんだけど……いや、やっぱり嫌だ。
その事態は、わたしに問題解決能力がないとユミルお姉ちゃんに宣言しちゃう事になるんじゃないかな?
ユミルお姉ちゃんがこの世界に来たのは十三歳の時。今のわたしは十二歳である。
七年前のあの状況に比べれば、ここで食料を調達するなんて楽勝なのだ。
これくらいの問題は自力で解決して、わたしもお姉ちゃん達のように『デキる女』であることを証明してもいい頃合だろう。
「よし、わたし少し組合に寄っていくね」
「組合って……冒険者組合?」
「うん」
さっきの商人のおじさんは、『組合に依頼を出した』と言っていた。
つまり、今頃は冒険者組合で食料調達の依頼が出ているはずである。
わたし一人だと無茶かもしれないけど、他のパーティに混ぜて貰えれば、一人前の働きをしてみせる自信はある。
ともあれ、三人行動が原則である以上、組合によると言ってこの二人を放り出す訳にも行かない。
それに先生にも事情を説明しておかないと、心配をかけてしまう。
素直に『食料調達に行ってきます』なんて言ったら絶対止められるけど、『冒険者組合に行って状況を確認してきます』と言えば、心配も掛けないだろう。
先生達も組合側の動きは知りたいはずだし、先生は組合のメンバーじゃないので立ち入りが憚られる場所だ。
わたしが様子を見に行くのは、先生にとってもありがたいはず。
そうと決めたら、早く宿に戻らないといけない。
わたし達は珍しげな果物をクラスメイトのお土産に買って、宿へ取って返したのである。
やはり、と言うべきか。先生はわたしの提案にはあまりいい顔をしなかった。
それは当然の事で、先生にとってはわたしは預かった大事な生徒である。
冒険者組合と言う荒くれ者が出入りする場所に向かうと言うのは、心配の種が尽きないのだ。
だけど食料と言う、生活の基点を押さえられていることもあり、他の生徒も不安そうな表情をしていたため、危ない事はしないという約束で組合に向かうことを許可してくれた。
着替える時間も惜しいので、制服のまま冒険者組合に向かう。
タルハンに比べると格段に粗末な建物に入ると、そこは人でごった返していた。
「おい、この仕事俺に回せ!」
「ワイルドボア討伐、参加者募集してまーす!」
「落ち、盾戦士。パーティ希望」
「求む、火力要員。治癒術師も募集中」
「西でワイバーンが出たってよ。行ってみねぇか?」
「……うわぁ」
まるで祭の準備のように、活気と喧騒に満ちた状況に、思わず感嘆の息が漏れてしまう。
タルハンの組合はこの辺りがとてもシステマチックにできているため、ここまで雑然とした喧騒はあまり起きないし、ユミル村では、そもそもここまで人がいない。
これは交易路の宿場町という立地だからこその賑やかさだ。
「おいガキ、邪魔だからボーっと立ってんじゃねぇ」
「あ、はい。ごめんなさい」
これは通行を妨げたわたしが悪いので、素直に謝っておく。
冒険者のおじさんはわたしの横をすり抜けようとして……足を止めた。
「おい、その格好――タルハンの学生か?」
「え? あ、はい。修学旅行できました」
「ああ、なるほど。食糧不足で足止め食ったんだな。ご愁傷様だ。組合には様子を見に来たってところか?」
「あはは、その通りです」
わたしの服装から事情を察したおじさんは、同情した視線を送ってくれた。
でも服装だけでそこまで理解するんだから、このおじさんはなかなかデキる人だ。
「見ての通り、組合も大混乱でな。ここ数日は食糧確保の依頼と買取で大混乱だ。下手な奴に絡まれないうちにおとなしく宿に戻った方がいいぞ」
「ありがとうございます。でもわたしも依頼を受けようと思ってきたので」
「依頼を?」
「はい、冒険者なんですよ、わたしも!」
ユミルお姉ちゃんがよくやるように、えへんと胸を張ってみせる。
ついでにスカートのポケットから組合証を出して、冒険者であることも証明してみせた。
おじさんは呆れた顔をしながらも、組合証を確認してぼやく様に言葉を漏らす。
「まったく、こんな子供に組合証を出すなんて、どこの田舎支部だ……って、ユミル村!?」
おじさんの驚愕の声に、組合内の喧騒がぴたりと止まる。
ユミル村は高難度ダンジョンで有名な超ド田舎村である。そこで冒険者証を取得したという事は、将来有望な腕利きという証拠なのだ。
「しかも――魔術師、治癒術までも扱えるのか……」
「基礎級の発展魔法しか使えませんけど。どちらかというと治癒系の方が得意だよ」
「そりゃ……すげぇ」
言葉もないとばかりに手を広げて見せるおじさん。
それを合図にわたしの周りにはあっという間に人垣ができてしまった。
「なぁ、攻撃魔法が使えるなら俺達とワイルドボアを狩りに行こうぜ!」
「バカ、お前ん所なんか効率でねぇだろ! 俺達とバッファロー狩りに行こう!」
「ぼ、僕達とホーンラビットを――」
「帰れ、ルーキー!」
いきなり沸きあがった勧誘合戦に目を白黒していると、一人の剣士が人垣を掻き分けてきた。
「なんだ、誰かと思ったら、アリューシャ嬢ちゃんじゃないか」
「あ、ハウエル」
「呼び捨てかよ」
そこには自慢の両手剣を背負ったハウエルの姿があった。
そう言えば、宿では見かけなかったっけ?
「ハウエルも食料調達?」
「ああ、どうせ足止め食らうんだったら、ここで食料調達の依頼を受けりゃ一石二鳥だと思ってな」
「そっか、意外と頭いい」
「意外とって何だよ。失礼なガキだな!」
確かにどうせ食料が手に入るまで動けないなら、食料を手に入れる依頼を受けてしまえば時間が無駄にならない。
彼の剣力ならば、ソロでも十分モンスターの討伐をこなせるはずだ。
「そうだ、アリューシャもよかったら俺達とパーティを組まないか?」
「パーティ?」
「ああ、西の方にワイバーンが出るって話があってな。そいつを退治すりゃ、肉も手に入って討伐報酬もがっぽりって寸法だ」
「むぅ、ワイバーンかぁ」
ワイバーンは、いうなれば空飛ぶトカゲだ。ただし尻尾にはけっこう強力な毒を持っている。
飛行速度もかなり速いため、討伐の難易度は上級に位置する難敵である。
ユミルお姉ちゃんなら鎧袖一触で真っ二つなんだけど、ハウエルではそこまではできないだろうな。
「倒すのは俺でも大丈夫なんだが、毒がな。アリューシャは治癒術も収めてたよな?」
「うん。そっちは最上級まで」
「なんだか、変な言葉が聞こえたような気がするけど……最上級?」
「こー見えても、大司教なのだ!」
「マジすか……剣使ってたじゃん?」
「今は賢者系の最上級職の精霊使いだよ」
「スマン、訳わかんねーから、それ」
今はユミルお姉ちゃんの補助が無いので『死ぬまで【ファイアーボルト】』はできないけど、攻撃魔法の威力には少しばかり自信がある。
それに解毒系の魔法も今はちゃんと取得している。
ワイバーンを相手にするなら、充分戦力になれるはずだ。
「でもハウエルだけじゃなぁ」
「ばっか、俺独りで行く訳ねーだろ。そんな真似できるのはお前の保護者だけだっての」
「ユミルお姉ちゃんなら、わたしのお手伝いすら必要ないよ」
「ワイバーンってグリフォンに並ぶ強敵のはずなんだがな……」
そういう訳で、わたしはハウエル達と一緒にワイバーン退治に行く事になったのだった。