第百五十三話 宿場町での異変
モリアスに着くまではアリューシャ視点が続きます。
ご容赦ください。
翌日の夕方には、中継地点の宿場町に到着した。
ここはモリアスへの中継点の最初のポイントになる場所なので、人通りはかなり多い。
わたし達は百人を超える大所帯なので、こういった宿場町で水や食料を補給してモリアスに向かうのが当初の予定なのだ。
馬車を牽く馬には一日に大量の水が必要になってくる。
そこでこういう場所で水を補給しつつ移動しないといけない。
少人数ならば近隣の水場を辿りながら旅することもできるが、今回は大人数の食料や水を積み込んでいるので、その余裕がないのだ。
担任の先生と御者のオジサンが宿に着くなり、買い出しに飛び出していく。
翌朝の出発までに二日分の水と食料を積み込まないといけないのだ。大人は大忙しなのだ。
「まー、その間わたし達はゆっくりできるんだけどねー」
「アーちゃんって時々地味に黒いよね?」
「そーかなー?」
二日間も狭い馬車の中に缶詰にされていたので、身体の節々が痛い。
宿の前に降り立ったわたし達は、それぞれのペースで身体をほぐしていた。
今は副担任の先生が宿のチェックインをしている。人数が多いので、四ヶ所の宿に分かれて泊まる事になっている。
「ま、わたしとウララ達なら困らないんだけどね?」
「ブルルル――」
護衛という名目なので、外で待ちぼうけの間はスレイプニールたちが周囲を監視してくれている。
ついでに勝手に抜け出そうとするイタズラ小僧も襟首を咥えられて吊り上げられていた。
やや乱暴に投げ出され、腰を痛打して悶絶している。
「ここは街じゃないんだから、勝手に出歩いたら危ないんだよ?」
「うっせー、ブース!」
「その評価は珍しいなぁ。もう一回言ってくれる?」
「いでででで!?」
悪態吐いたガキんちょにアイアンクローを決めて、にこやかに交渉する。
これはユミルお姉ちゃんの得意技だ。
まず最初に圧倒的力の差を見せてから交渉すると、楽に物事が運ぶのだ。
こめかみに指をめり込ませたまま、悪ガキを列に引きずって戻す。
先生のお仕事を増やしちゃ可哀想だもん。
「ぶええぇぇぇぇぇ!」
「あー! 先生、アリューシャちゃんがテッド君を泣かしたー」
少し力を入れすぎたのか、ついに悪ガキのテッド君が泣き出してしまった。
この程度で泣き出すなんて、ひどい虚弱体質だ。
ユミルお姉ちゃんなんて、わたしが全力のベアハッグをしても蕩けた様な笑顔をして抱きしめ返してくれるのに。
タイミング悪く、先生もチェックインを済ませて外に出てきたところだったので、なぜかわたしが先生のお説教を受けることになってしまった。
「またですか。アリューシャちゃんは力が強いから、手加減してあげなさいと言ったでしょ」
「そんなに力入れてないですー」
「一般人の倍くらいはあるんだから、気をつけなさい」
「はぁい」
あんまり気の入ってない声で返事をすると、セイコがやってきて鼻先を擦り付けてきた。
きっと落ち込むなと励ましてくれているんだ。優しい子達である。
「それじゃ宿は取れましたので、各自荷物を運び込んでください。部屋は五人用の大部屋で三階にある五つです。三○一号室は先生の部屋だから、そこ以外を各班で自由に割り振りなさい」
「はーい!」
出発前に一クラス二十五人を五人ずつに分けて、五つの班を作っている。
大体は男の子と女の子が別々だけど、わたしのいる班は男の子も二人混じっていた。
人数的な問題もあるけど、イタズラ者のテッドの手綱を握れるのがわたししかいないからだ。
「ほら、テッド君もいくよー?」
「ちくしょう、今に見てろ。お風呂とか覗いてやる!」
「ウララに蹴られてもいいならどうぞ? 言っとくけど、屋敷の警備を担当してるウララは鋭いよ」
「おぼえてろー!」
覗きを前もって宣言するバカは初めてみたかもしれない。
あれは要注意人物として、ウララに見張らせておいた方がいいだろう。
勝手に馬小屋に向かって寝床を整えるセイコに宿の人は目を白黒させている。その背中を叩いて、わたしはこの子達の扱いに注意をしておいた。
「ウラ――スレイプニールたちは非常に頭がいいので、できるだけ自由にしてあげてください。特に問題を起こしたりしませんから」
「し、しかし……」
「それにこの子達を攫うような命知らずな冒険者は、いないと思います」
「いや、そりゃ無理だろうけど……いいのかねぇ?」
「いいんです、世の中そんなもの、です」
このあたりの大雑把な説得はお姉ちゃん達もよくやっている。
そもそも幻獣であるスレイプニールの世話なんて、普通は経験がないので、厩舎の人もこちらの言う事を聞いてくれる場合が多いのだ。
わたし達にしてからも、この子達の扱いなんて、実はよく知らないし。
屋敷でも餌をあげて、運動させて、構ってあげてるだけである。
その後、荷物を宿に運び込んで、みんなで宿場町見学に出ることになった。
わたしはともかく、みんなはあまりタルハンから出たことがないので、こういう町並みはとても珍しいらしい。
行商人や、町を行きかう冒険者の姿に興味深々だった。
タルハンも冒険者の姿は多く見受けられるけど、その姿とここの冒険者の姿はやはり大きく違う。
最大の理由は、タルハンの冒険者は完全に気を抜いているのに対し、ここの冒険者は現在進行形で『冒険中』だからだろう。
ここは宿場町、一応防壁はあってもそれほど大きな物ではない。
宿に泊まって多少は気を抜くことはできても、いつモンスターの襲来があるかわからないのだ。
海沿いの街道は空を飛ぶモンスターもそれなりにいるので、少なくとも剣を手放すことはできないだろう。
テッドとカルロスの班の男子は別の班と一緒に行動するらしく、わたしは同じ班のソフィーちゃんとカルネちゃんの三人で見学することになった。
宿を出るとき、先生に『最低三人以上で行動すること、ここはタルハンのように安全じゃないんだから』と耳にタコができるほど注意された。
わたし達は三人なので、ぎりぎりセーフだ。
「あ、このリリンの実、なんだか変?」
「んぅ? あー、それは南の地方の特産だよ。少し青みが強いけど、独特の風味があっておいしいの」
「へぇ、そうなんだ。アーちゃんは物知りだね」
街路の露店を冷やかしながら、そこに出ている商品に説明を入れていく。
この街は南のラドタルトからの交易品も入ってきているらしく、珍しい果物とか置いていた。
タルハンからあまり出たことのないソフィーちゃんは、初めて見る品も多いのだろう。
「わたしはユミルお姉ちゃんとあちこち行ってるからねー」
「いいなぁ。わたしもあんなに可愛くて強い冒険者の家族が欲しいよ」
「でしょー! でも、最近は『可愛い』って言うより『綺麗』って言ってあげないと拗ねるんだよ?」
「えー、それはない、かなぁ?」
わたしから見れば完璧超人のユミルお姉ちゃんだが、背が低いことは少し気にしているらしい。
最近はわたしの方が高くなったので、特にそういう表現に敏感だ。
わたしがうっかり『ユミルお姉ちゃん可愛い』と口走った日には、『アリューシャのほうが可愛いんだからー!』と叫んで押し倒され、散々くすぐられてしまうのだ。
ユミルお姉ちゃんの抱き心地……というか、抱かれ心地? はフワフワしてとても気持ちいいので、時折わざと口走ってスキンシップしてもらっている。
「おじさん、これ一つください」
「あぃよー。お嬢ちゃん達はタルハンの学生さんかい?」
「はい、しゅーがくりょこーです」
「はっはっは、そりゃ楽しみだね。三人いるみたいだけど、一個でいいのかい?」
「ええ、この後すぐ晩ご飯があるので!」
「そうかい、じゃあこっそりうちの売り上げに貢献してくれたお嬢ちゃんに、これはサービスだ!」
そういっておじさんは三個のリリンの実を包んでくれた。
わたし達は歓声を上げながらそれを受け取って……そこでふと違和感を覚えた。
このお店、なにか足りない――?
「……あ、保存食がないんだ」
「ん?」
「ね、オジサン。こういうお店って干し果物とか置いてると思ったんだけど?」
「あー、それねぇ」
わたしの指摘に、露店のおじさんはイタズラが見つかった子供みたいに頭を掻いて見せた。
こういう宿場町では、保存食の補充などは重要事である。
長い旅の疲れを抜くのと同じくらい、水や食料の補給は大事だ。
そういった保存食にもってこいの干し肉や干し果物と言うアイテムは、宿場町の必需品といっていい。
その必需品が、この店では置いていない。
わたしはそこに違和感を覚えたのである。
「何でも南の方で大規模な不作があったらしくてね。おかげで国境付近の兵士が飢えてるってんで、軒並み持っていかれちまったんだよ。参ったよ、本当に」
「不作……珍しいね」
「本当だね。そういう話最近聞いたことなかったけど」
「ああ、この辺りは気候が安定してるからね。作物もそれだけ安定して採れてたんだけど……嵐でも起きたのかねぇ?」
この大陸ではあまり大雨は降らない。
その代わり、網の目のように張り巡らされた地下水脈が、土地を潤しているのだ。
それは、この大陸には大雨などによる作物被害が少ないことを意味している。
地下水脈の水量は安定していて、大雨はほとんど降らないとなれば、作物はほぼ計算どおりに収穫できる。
もちろん虫の被害や竜巻などによる被害も発生するが、最近ではそういう噂は聞いたことがない。
それに多少の不作があったとしても、大草原の育成力を使えば、かなりのリカバリーをかけることができるのだ。
少し内陸部に行って種籾や種芋を撒けば、一夜にして作物が実る。それには気候の影響をほとんど受ける事がない。
ただ安定的に収穫するには、水や土なんかの循環を管理しないといけないため、手間隙が桁外れにかかってしまうだけである。
不作を補うために一度だけ収穫するだけならばそれほど手間はかからないし、餓死のかかった状況ならば国が総出で対策に出る。
なのでこの大陸では不作と言う話はあまり聞かないのだ。
「モリアスの騎士が総出で買い占めていったから、よほどの災害が起きたんだろうね」
「珍しいねぇ」
「本当にね」
この大陸は食料的には非常に恵まれている。
だからこそ、各都市間の戦争が少ないのかもしれない。
人は食が足りれば、基本的に理性を持って対話できるのである。
ユミルお姉ちゃんが妙に食にこだわるのも、実はそういう所があるからかもしれないと、ここで初めて気がついた。
「うん、やっぱりユミルお姉ちゃんはすごかったんだ」
「なんでそうなるのか、わたしにはぜんぜん判らないよ、アーちゃん……」
ぐっと握りこぶしを作って、保護者の偉大さを主張してみたけど、ソフィーちゃんには伝わらなかったようだ。
カルネちゃんはすでにリリンにかぶりついている。無口な子だけど、悪い子じゃない。
現にその威勢のいい食事っぷりに、おじさんから頭を撫でてもらっている。
前に『偉人の思考は理解されない』とも、ユミルお姉ちゃんは言っていた。これが――そうなんだ。
ちなみにそう言っていたのは、水鉄砲大会で敗退した時である。
「どうして売ってくれないんですか!」
「そんな事を言われても、品が無いんだよ」
そこに聞こえてきたのは、担任の先生の金切り声だった。