第百五十一話 イグドラシル
「うう、アリューシャが……アリューシャが行ってしまったぁ」
「不吉なこと言わないの。修学旅行に出かけただけでしょ!」
セイコとウララの馬車を見送りながら、ボクはハラハラと涙を流す。
今日はアリューシャの修学旅行出発日である。
スレイプニール達二頭は馬車兼護衛として学園にレンタルすることになっている。
おまけにスラちゃんも小瓶に入れて持たせておいたので、よほどの危機じゃない限りはどうにかなるだろう。
スレイプニールとメルトスライムたちの戦闘力も然る事ながら、アリューシャ本人の戦闘力も大幅に成長しているのだ。
そのレベルはすでに二百五十に到達し、この世界に来た頃のボクを超越してしまっている。
学園ではその力ゆえに少々浮き気味ではあるが、友達と遊ぶ分には何も問題は無い。むしろ物怖じしない子供たちだからこそ、なのかもしれないけど。
そんなアリューシャだが、わりとボク達とあちこち回っているのに、クラスメイトと行く旅行と言うのはまた違うのか、ボクと別れるというのにニコニコとした表情で出かけていった。
対してボクはと言うと、やる事が増えてしまって別口で後をつけて行く事すらできなくなってしまったのだ。
「ボクもイクぅ」
「そういうセリフはベッドで言ってちょうだい。今からでも……」
「センリさん、最近セクハラきついですよ?」
二年前のあの一件以来、センリさんは猛獣と化している。
もっともからかい混じりなのはボクも理解しているので、それほど嫌な気分でもない。
綺麗系の女性にセクハラされるとか、ある意味ではご褒美だし?
とにかく、この屋敷からアリューシャが消えるという事態は大きな意味がある。それは――
「この屋敷の美少女度が五十パーセントも下がってしまったんですよ? 寂しいじゃないですか!」
「待って、この屋敷には女性は三人いるのに五十パーセントなの?」
「センリさんとアリューシャです」
「自分は入れないのね……」
「自分は鏡がないと見れないので」
最初の頃はそれも楽しかったんだけどね。
この世界に来て早七年。自分に悪戯したり着飾らせたりするのも、すっかり慣れてしまった。
そんな訳でスレンダー美人のセンリさんや、日々成長するアリューシャを眺めるのが最近の楽しみだったのだ。
「まぁ、美少女枠に入れてくれるのは嬉しいけどね。それじゃ、今夜にでもじっくり――」
「それは遠慮します。ボクの貞操はアリューシャ一筋なので!」
「あ、そう……まぁいいわ。ほら、今日は村の方に行って新しいアイテム作るんでしょ?」
そうだった。
最近は交易も盛んになり、ちょっかいを出す国も世界的に締め上げられているので平穏極まりない。
だからこそボクが新たに何かを作り出す必要も無くなって、しばらくはのんびりニートまがいの生活を送っていたのだが、最近村では、別口で問題が発生しているのだ。
それは平穏かつ順風満帆だからこその問題ではあったが。
「そうですね。ヒルさんやトラキチを待たせるのも可哀想ですし、少し早めに出ましょうか」
「こっちの準備はできてるわよ」
「じゃあ、ボクはリンちゃんを連れてきますね」
アリューシャを無事送り出した事だし、ボク達もやる事をやらねばならない。
この世界で、アリューシャが一番な状況には変わらないけど、ボク達にもしがらみがいろいろ増えたのだ。
ましてやボク達はコアによって生み出された存在。
微妙に人と違うからこそ、できるだけ恩を売り、貸しを作って社会に受け入れてもらわねばならない。
無論、人と関わらずに生きていくことは可能ではあるが……
またサバイバル生活を送るのは、勘弁してほしいところである。
リンちゃんを駆って村まで三時間程度で到着する。
全力だともっと短縮できるのだが、今回はそれほど急ぎでもないし、帰りもあるのでゆっくり目の行程である。
他にも、その間に背中にしがみついたセンリさんが何度も悪戯を仕掛けてきたので、二度ほど蹴り落とした分、遅くなってしまったも……まぁ、ある。
「もう、最近センリさんは変態チックですよ!」
「ごめん、つい……」
「私としてはもう少し遅くても良かったですけどね。今日は何の用事でしょう?」
出迎えてくれたヒルさんが、痴話喧嘩じみたやり取りをするボクらを見て溜息を漏らす。
昼前にドラゴンが飛来したと、大騒ぎになってしまったのだ。
もちろん、この村に長く住んでいる者ならボクの事はよく知っているので、騒ぐことは無い。
だが、交易が発展して外部の商人も多く出入りすようになって、ボクを知らない人間も多くなってきているのだ。
「そうそう、それです。今日は新しい回復アイテムについてトラと話をしようと思ってたんですよ」
「新しい回復アイテム?」
最近、ユミル村では回復アイテムの不足が目立ってきている。
難易度が高い割りに各所に休憩所があるなど、ユーザーフレンドリーな発展をしてきたおかげで、冒険者たちの力量は加速度的に上昇している。
それに応じて、効力の高いポーションの必要性もうなぎ登りに跳ね上がり、センリさん一人では生産が追いつかなくなってきているのだ。
もちろん、村を離れる前に仕込んでいた弟子たちもすでに一人前になっていて、基礎級のポーションくらいは問題なく作れるのだが……それでは物足りないと言う冒険者も、ちらほら出てきている。
これが順風満帆すぎる影響で出てきた問題である。
「とりあえず時間ができたらトラとミーティングに出かけるので、ヒルさんもご一緒してもらえますか?」
「私もですか? いつもなら勝手に作って勝手に売るユミルさんが許可を求めるなんて、珍しい」
「ひっどい事言われてる気がします……」
確かにジャンルを問わず、好き勝手にいろいろ手を広げてたけどさ。
そんな訳でヒルさんはすぐに暇を作ってくれて、昼過ぎにはトラの元へ出かけることができた。
彼を護衛しながら、途中に出てくるモンスターをばっさばっさと斬り伏せながら、一層の安全地帯――泉の部屋まで訪れる。
そこから二十四層のボス部屋まで飛ぶ。ここならば第三者がやってくることは無い。
「トラちゃん、いるかいー?」
「いるが……今日は訪問する日じゃなかったはずだが?」
半透明の虚像が唐突に目の前に現れた。
相変わらずの色白がりがりの姿は、間違いなくトラキチだ。
彼は迷宮内を完全に網羅しているわけではないが、迷宮内ならば視界を自由に飛ばすことができる。
ボクしか到達していない領域に訪れたものがいるならば、真っ先に監視に来ることは想定内だった。
「今日は回復アイテムについて議論しようと思ってね」
「回復アイテム? 薬草なら充分量配置してあるはずだが?」
「それを加工する人材の手が不足してきているんですよ」
「ああ、そっちの手間があったか」
スキルを使用すると加工時間を短縮できるのだが、事あるごとにMPを消耗してしまう。
センリさんのMPの桁はかなりのものがあるのだが、それでも到底足りるものではない。
人が増えてきた弊害、そして実力が上昇した弊害がここに出てきている。
「そこで考えたのですよ。加工しないと回復しないアイテムではなく、そのまま口にして効果を得られるアイテムを配置できませんかね?」
「なるほど、確かにそれ系なら手間はかからんが……うーん、効果の高いものはあまり無いな」
「やはり加工は必須なのよねぇ」
トラキチの話によると、そのままでも高い効果を得ることのできる薬草や木の実は存在するが、配置するには結構な高ポイントが必要になるため、一般冒険者が回収できる階層には配置できないとのことだった。
彼の力では安全地帯を配置するのが、妥協の限界点らしい。
そうなると、やはり最終手段に訴えるしかないか。
「やはり仕方ない状況ですね。冒険者の成長に村の発展が追いついてない状況と言うところですか。ならば最後の手段です」
「何か打開策が?」
「実はボクがやっていたゲームにはこういう回復アイテムがありまして」
ここにいるメンバーはボク達がゲーム出身の転生者であることを知っているので、こういうことも口に出せる。
アイテムインベントリーから取り出したのは、胡桃を少し小さくしたような種。
手に持っているだけで、溢れる様な生命力を感じ取ることができる。
「これはなんでしょう?」
「世界樹の種と言うアイテムでして、HPとMPを最大値の半分回復させる効果があります」
「本当ですか!? それは凄い!」
効果を聞いて、ヒルさんは驚愕の表情を浮かべる。
こちらの世界でも、そういったアイテムは存在するらしいが、かなり高価なシロモノらしい。
「確かにそれだと加工の手間は必要ないけど……数に限りがあるでしょ?」
「そこでヒルさんにお願いですが、これ栽培できませんかね?」
「これを……ですか?」
世界樹を一本栽培すれば、そこから実と種と葉が採れる。
実は全快アイテムになるし、種は半回復アイテムとなる。葉も気付け薬として利用できる。
そして種を根こそぎ回収して回復アイテムに回せば、樹海化の危険もないはずだ……多分。
「種は回復アイテムとして流通させるとして、実はセンリさんの研究用にボクが買い取ってもいいです。実を加工してうまくポーションを開発できれば、今の人手不足を解消する打開策になるかもしれませんし」
「実を売っても中の種を返してやれば、回復アイテムを手に入れつつお金を稼ぐ事ができるという訳ですね」
「それともう一つ、この大草原は迷宮の魔力が駄々漏れになった結果生まれたものですので、世界樹を植えてその魔力を吸い上げてやれば、草原は小さくなるかもしれませんよ」
「それはありがたいですね。草原にも使い道はあるのですが、他の町が遠いのはあまりにも辛いですから」
草原は草原で便利な面は非常に多い。
だがやはり街同士の連携を考えると、近隣にもう一つ二つは存在してもらいたい。
資源の関係で草原内にはユミル村以外には開拓村は存在しないが、草原の規模が小さくなれば、中継都市の誕生だって夢じゃない。
人の流れが経済を活発化させれば、村の発展も加速度的に上昇し、人手不足も解消されるかもしれない。
「ですが、世界樹……ですか。神話では天にも届かんばかりの巨木として描かれていますが……」
この世界にも世界樹と言う言葉は存在する。
ボク達の世界でも北欧神話やハンガリーの民話に巨木の逸話が出てくるように、各地にその痕跡が存在する。
この世界でもやはり巨大な木が生命の基点となる逸話は存在していて、ボク達の物とは少し違うようだが、やはり世界樹と呼ばれていた。
「正直これは生態系を破壊しかねない手段です。だから最終手段だったのですが……このままでは回復アイテム不足で、不要な死者が出かねません」
「それはありますね。なまじ迷宮の難易度が高めですので、現状の安定は紙一重の物かもしれません。もし回復剤不足でそのバランスが崩れたら……ぞっとしますね」
「はい、だからヒルさんにも一緒に来てもらったんです。栽培するとなったら厳重な管理をお願いする事になるでしょうから」
「数十、数百メートルクラスの大樹に囲まれてしまっては、村どころではありませんからね。現在地面を掘れば水が出ると言う環境も、世界樹が根こそぎ吸い上げてしまうかもしれない」
「うわぁ……この世界って雨が少ないから、そうなったら人類滅びそうね」
センリさんは世界樹を植えることによる環境の変化を一瞬で見通して、最悪の結果を提示して見せた。
彼女、本当に頭いいなぁ。ボクは何か悪いことがおきたら……程度しか考えてなかったのに。
「ふむ……ならいっそ、三層でそれを植えてみないか?」
急に割り込んできたのはトラキチだった。
迷宮に外部の植物を植えるのはありなのか?
「迷宮内ならば余計な干渉は俺によって制御できるし……三層から一層までぶち抜きの吹き抜けを作って、そこに世界樹を配置してしまえば、三層へのショートカットも作れる」
「そこにエレベーターを設置すると?」
「木材を得るために、三層までが遠いと言う意見をヒルからもらってたからな。もっとも世界樹一本栽培すれば、枝一つ折ってくればそんな問題は吹っ飛びそうだが」
「いや、ですが三層まで十キロ近い距離を短縮できるのは我々としてもありがたいですよ! 樵の方が護衛を雇わずに伐採できる様になるかもしれない」
「いや、そこは雇っとけ。三層にもモンスターはいるんだから」
そういった訳で、ユミルの迷宮第三層に世界樹を植えて、その実を回収するミッションが始まったのである。
さっさと済ませて、アリューシャの後を追っかけたいなぁ……
こうして破戒眼の世界に繋がり――ませんw
ブックマーク8000、総合評価2万を超えました。
いつも読んでいただいて、ありがとうございます。




