第百四十六話 改めて目標設定
ケンネルにはもう一人転移者がいる可能性が高い。その情報にボクは思わず言葉を失う。
だが、別の情報に食いついた人もいた。
「待って……今の話、それが本当なら、私も作られた存在って事になるの?」
「センリさん?」
「私、覚えてるわよ? 父さんも、母さんも……学校の事だって……」
「では、ここに来た時の記憶はどうだ?」
震える声でうわ言のように呟く彼女に、トラキチは冷酷な言葉を返す。
それはまるで、震える彼女にトドメを刺すかのような鋭さがあった。
「この中でこちらに来たときの事を覚えている奴はいるか? みんな『いつの間にか』ここに来ていたんじゃ無いか?」
「それは……確かに」
ボクもここに来た時の記憶はない。
自宅のドアを開けたら、『いつの間にか』草原に居た。
「それはつまり、『向こうでの記憶』があるところまでコピーされて、こちらで転写され、生を受けたって事じゃないのか?」
「そんな……」
不自然に途切れた記憶。
それはその時点までを複写された影響なのかも知れない。
自分が作り物で、帰る場所は存在しなかった。
長い一人暮らしで帰る場所を半ば失い掛けていた『俺』よりも、家族と共に暮らしてきた学生の『彼女』の方が、ショックは大きいのだろう。
「もっともそんな推測を積み重ねるまでもない。呼び出した本人――コアから情報を引き出せる俺にとっては、周知の事実だった訳だが」
「嘘……嘘よ!」
「その逡巡も、困惑も、俺はすでに経験済みだ。信じられないかも知れんが、別にそれはどうでもいい」
「嘘だぁ!」
ガンとテーブル代わりの転移装置に拳を叩き付ける彼女。
これ以上は、年若い彼女には酷な話だ。彼女には少し時間を与えた方が良いだろう。
「センリさん、ここはボクが引き受けておきますから、少し休んでてください」
「ねぇ、ユミル……嘘だって言ってよ……私、作り物なんかじゃないわ」
「作り物かどうかは知りませんけど、ボク達が知っているのは『こっちの世界』でのセンリさんだけです。偽者なんかじゃないですよ」
震える彼女の肩を抱いて、部屋の外へ案内する。
冷静さを失った彼女がこの先の話を聞いても、まともな判断なんて付きはしない。
「トラキチさん。少し彼女を休ませてきます。話し合いは一時休憩ってことで良いですか?」
「構わん。その気持ちも、少しは判るからな」
「だったらもう少しソフトに伝えてあげてくださいよ。これだからコミュ障は――」
「うるさいよ!」
憤慨するトラキチを置いて、部屋を出る。
そこで待っていたカロン達は、悄然としたセンリさんの様子を見て、驚いた表情を浮かべる。
いつもクールで、姉御肌を見せていた彼女が、ここまで衰弱した姿を見せるのは初めてだからだ。
「ど、どうしたんですか!?」
「ちょっと、ショックな情報があってね。彼女を静かな場所でそっとして置いてあげて。ただし一人にしちゃ駄目」
「え? あ、はい。わかりました」
こういう状態で一人になると、衝動的な自殺とか考えるかも知れない。
だから目を離すのだけは駄目だ。
「ボクはまだ話し合いが残っているので戻るけど……彼女の事、お願いね」
「判りました。女性冒険者を付けて目を離さないようにします」
ここで自分が見張ると言い出さない辺りは、成長の後が見受けられるな。
ボクとしてもセンリさんの様子は心配なところだけれど、まだ彼には聞かねばならない事があるのだ。
ボクは部屋に戻って、一口水を口に含んでから、再び情報交換を始めることにした。
「一つ、聞いておかねばならない事があります」
「なんだ?」
「なぜ、アリューシャを戦わせたんですか?」
いまだ昏睡を続けるアリューシャに目をやって、詰問口調でトラキチに問う。
病気の彼女を戦わせたのは、間違いなく彼だろう。
薬が間に合い、事無きを得てはいるが、一歩間違えれば命の危険があったはずだ。
「それは……スマン、こちらの手違いなのだ」
「手違い?」
「俺は一層の全ユニットに、泉に陣取った侵入者の排除を命じておいた。その結果、一層で召喚された女神であるアリューシャにも、その命令が届いてしまったのだろう。彼女はあくまで、この迷宮に配置されたユニットなのだから」
「それじゃ、今後もこういう事が起こるという事ですか?」
ヒルさんがアリューシャの暴走を懸念して問い詰める。
アリューシャの人事不省は、そのままボクの暴走に繋がる。
今回の事件だって、敵を生け捕りにしておけば情報を得る事ができたのに、ボクが【狂化】を使用してハイテンションになったせいで皆殺しにしてしまったのだ。
「いや、彼女への指揮ラインを切断しておく事をここに約束する。俺としても彼女は相棒として召喚した訳だし、傷付ける意図は本当にないんだ」
「今まで散々狙っておいて、それを信じろと?」
「待て、俺は彼女を傷付けようとした事はないぞ。うっかり巻き込んでしまった事はあるが……」
「そこに付いても説明はしてもらわないといけませんね……まず、なぜ彼女は封印されていたのです?」
一連の謎の中でもっとも大きいのがアリューシャの存在だ。
なぜ封印されていたのか、なぜ桁外れのチートを持つのか、なぜ記憶がないのか。
それを説明してもらわなければならない。
「そうだな。彼女は女神と言うユニットであると同時に、キャラクターでもあるんだ。だからモンスターの襲撃対象に選ばれる可能性があった。実際女神というユニットにキャラクターを当てるという手段は試した事のない方法だったので、その安全を保障できなかったんだ。だからその安全確保のために、安全地帯を設定し、封印を掛けて自己防衛できるようになるまで居てもらうつもりだった」
「そこにボクがひょっこり現れたと……?」
「おそらく一度に二人プレイヤーを召喚してしまうのは、コアの共鳴現象みたいなものなのかもしれない。ましてや女神と同時に呼ばれたお前は波長的にはかなり似た物を持っている」
そういえば、初めてアリューシャを見つけたとき、泉の部屋には封印らしきものが掛かっていたけど、ボクが触れただけで解除されたっけ?
「あの封印はあくまで彼女の安全のために掛けたものだったんだ」
「でも六層のボス部屋では、大怪我を負いましたよ」
「それも手違いでな……まず俺はアリューシャを取り戻すためにお前の排除を試みた。その第一弾が通常より強力なボスを配置することだったんだ」
「そういえば六層のボスがボクの時は違ってましたっけ」
あれから何度か六層のボス討伐は行われたが、出現するのは全てオルトロスだった。
キングベヒモスが出て来た事は一度もない。
「召喚の際、ベヒモスが地面を踏み鳴らしたせいで迷宮が鳴動し、地崩れが起きた。その結果、彼女を危険に晒してしまった。あの時は俺も焦ったぞ」
「迂闊にも程があります!」
「そのために回復用の泉を設置し、すぐに地上に戻れるようにこの部屋――転移装置も設置したじゃないか」
やたらとユーザーフレンドリーな施設が揃っていると思ったら、ここはアリューシャの治療用に作られたものだったのか。
「お前のおかげで無駄に終わったが、女神を治療してくれた事は感謝しよう」
「ベヒモス戦で死ぬ可能性だってあったんですよ?」
「あくまで狙っていたのはお前だけだっただろう?」
そういえば、ベヒモスは真っ先にボク目掛けて突進を掛けてきた。
背後にはアリューシャも居たけど、あの魔獣はあくまでボクと戦っていたか。
だけど――
「ムーンゴーレムの時はどうなんです?」
あの時はヤージュさんを始め、大勢が瀕死の重傷を負った。
「俺が命じたのは女神を連れ去る人間を排除しろってことだけだ。後、女神には傷一つ付けるなとも命じておいた」
だから……奇襲を仕掛けておきながら、先手を打たなかったのか。
あの時、ボクの膝にはアリューシャが居た。だからゴーレムは攻撃する事ができなかった訳だ。
「では、大氾濫は? オークロードの召喚とか――」
「その一件には俺は一切関知していない。俺の知覚範囲はこの迷宮の周囲百キロまでだし、モンスターの配置もその中でしかできん」
「え?」
「つまり、オークロードの召喚を行ったのは俺以外にいるという事だ」
あの時期オックスが召喚され、センリさんが巻き込まれた。
召喚がケンネルで行われたとすれば、同時期に事を起こす事はできないはず。
「ケンネル以外にも、タルハンにちょっかい出してくる連中が居たってことですね……」
「ヒルさん、心当たりは?」
「北か南しかないでしょう。おそらくは南のラドタルトでは?」
「その心は?」
「北のコーウェルには他所に手を出すような余力はありませんから。後、可能性としては南方都市のモリアスとか」
確かにあの厳しい自然に囲まれた国では、他所にちょっかい出す余裕はない。
しかも北にはドラゴン達の生息地まで控えているのだ。
半端な手出しは自殺行為になる。
モリアスはキルミーラ王国の南半分に位置する大都市の名前だ。
こちらは首都やタルハンと仲が悪いらしい。
「なるほど、そこの処理は組合に任せましょう。では次、アリューシャのことだけど、なぜ彼女はあれほどのチートを持っているんです?」
「それは召喚した時の条件のせいだな。女神という役割を与えられる訳だから、より万能な能力を持つゲームを選んだのだろう」
「万能……過ぎですね。あんな能力を持つゲームはボクは知りません」
成長速度を加速させる能力、レベルキャップを解放させる能力、複数のゲームを融合させる能力、倉庫をどこでも開ける能力。
アリューシャの持つそれは、一般的なゲームではありえない物が多い。
「通常のゲームならば、な。彼女の行っていたゲームはシム系である事は判っている。問題は――それが製品版であるとは限らないことだ」
「製品版じゃない……?」
「聞いた事は無いか? デバッグモードって言葉を」
「まさか!?」
ゲーム開発段階でバグを発見するために様々な状況を押し通す必要が出る。
そう言う時のために、通常よりも早くレベルが上がったり、転職の制限が消えたり、倉庫をどこでも開けたりするモードがある。
それをデバッグモードと呼んで、通常は製品には入っていない。
「アリューシャってゲーム開発者なんですか……?」
「それは俺にも判らんよ。だが、関係者ではあるのだろうな」
確かにアリューシャの能力はそういう理由があるなら、納得できない事もない。
「じゃあ、彼女の記憶がないのは?」
「人格の複写が精密に行われなかったからだろう。ゲームの世界知識と、女神としての名前。それだけあれば、ユニットとしての仕事は果たせる」
アリューシャがこの世界の生態に詳しかったのも、そのせいか。
「記憶喪失は女神として召喚した悪影響と言う訳ですか」
「おそらくだがな」
「そんな相手を相棒にしようとしてたんですか?」
「お前も二十年ばかり監禁されて見れば、俺の気持ちが判るかもな」
「…………考えたくもないですね」
迷宮の最下層に召喚され、効率よく迷宮を運営するための部品として生かされ続ける。
トラキチは確かにアリューシャに酷い事をしたけど、その苦悩に関しては同情の余地が有る。
「で、孤独を癒すためにアリューシャが欲しいと?」
「そうだ」
「でも今ボク達とお話できてるじゃないですか?」
「最近になって、ようやく遠隔会話の機能を使うポイントが溜まったんだよ。お前のせいで盛大にポイントの無駄遣いをしてしまったからな」
「じゃあ、もうアリューシャにこだわらなくてもいいんじゃないですか?」
「…………おお!?」
ポンと手を打つトラキチ。
だがそこではたと我に返って、こちらへ乗り出してくる。
「いやいや、騙されんぞ。それだと好きな時に話ができないじゃないか」
「そもそも、あなたはどうやったら解放されるんですか?」
「それはこの迷宮をクリアしてもらった時だな」
「じゃあボクがクリアします。定期的にお話し相手にもなりましょう。だからアリューシャは諦めてください」
「む……」
「それだけじゃありません。この迷宮を発展させれば、もっと多くの冒険者がやってきます。それはコアの思惑にも合う事じゃないですか?」
アリューシャの自由と引き換えに、この村を発展させ、コアに力を与える。
同時にボクは迷宮をクリアしてトラキチを解放させる。
冒険者が多く訪れるようになれば、コアは管理者としてのトラキチを必要としない。
つまり彼は、名実共に自由になる訳だ。
「一考の余地がある、か?」
「あるでしょう」
「ふむ……いいだろう、その辺りで手を打とうじゃないか」
こうして、ボクは迷宮をクリアする目的を手に入れたのだった。
ムーンゴーレムが奇襲を掛けなかった理由も、ようやく出せましたw