第百四十三話 圧倒的蹂躙
突如現れた、金髪の少女。
小さな体躯にしなやかな手足は将来を期待させるに充分な美しさを持っていた。
だがその華奢な手が一振りされると、紙くずのように兵士が吹き飛んで行く。
両手で持つべきであろう巨大なカタナと呼ばれる武器を二本、片手でそれぞれを軽々と振り回し、問答無用で蹂躙を開始していた。
「貴様等! アリューシャを、何処へ、連れていくつもりだああぁぁぁぁ!」
叫びと共に、兵が飛び、壁に叩き付けられ、赤い染みを残して潰れ消えていく。
盾をかざしても盾ごと斬り裂かれ、鎧で弾こうとしても、紙のように叩き潰される。
仲間の死体を盾にしようとする者もいたが、二人分の体が四つに切り裂かれて終わっただけだった。
「な、なんだあいつは! バケモノか!?」
「あれは……ミッドガルズ・オンラインの魔導騎士?」
「知っているのか、キシン!?」
MMO業界最古参のゲームである、ミッドガルズ・オンラインの存在はキシンも承知している。
特に魔導騎士は、主役級の外見的派手さでWEBサイトのトップ画面を飾ることも何度かあった。
その扱いの良さ故に、地雷職とは知らず最初にこれを選ぶ初心者も多かったのだ。
「確か、ファンタジー――この世界に似た舞台のゲームだ」
「なら、弱点も知っているのだろう」
「有名だったからな。前衛としては攻撃も防御も半端な近接職だ。足止めして距離を取れば怖くはない」
両手に武器を持つという事は、盾が装備できないと言うことだ。
そして前衛職に求められる役目は敵の足止め。つまりは、防御力と持久力。
それ故に、魔導騎士は立ち位置に見合わぬ性能を持ち、結果として半端な職業となっていた。
これは多少ゲームをやった人間ならば知っている事だし、そのサービス期間の長さから魔導騎士=半端職というのは、他のゲーマーでも知られていたりする。
「俺もあのゲームは手を出した事がある。見た目は派手だが、遠距離攻撃の回転が遅く、耐久力も特筆するべき点がない職業だ。距離を取ればなんとでも料理できる――ユニット召喚、鉄砲隊。数三百、指揮官にクラヴァン」
「よし、お前達、そいつをそこで足止めしろ!」
瞬く間に数を減らした百の足軽に代わり、三百の鉄砲隊を召喚するキシン。
通路一杯に埋め尽くされた銃兵達の砲口が三段。
前衛の兵士にユミルの進撃を止めるよう指示を出し――
「鉄砲隊、構え!」
「え――?」
「し、将軍!?」
「撃てぇ!」
彼等ごと、銃弾の雨に晒したのである。
「ぎゃああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
「そんな、後ろから!」
「待て、俺たちは味方――ぐあああああぁぁぁぁ!」
ぼろきれのようになって崩れ落ちる兵士達。
だが、その中でユミルだけが平然と立ちはだかっていた。
「な、なぜ倒れん!?」
「バカな……あの職業がそんなにタフなはずはない――!」
驚きの声を上げるクラヴァンとキシン。
だが、彼等はユミルの能力を知らなかったのだ。
レベルの限界を超えた、十万を超えるHPは銃弾を数発受けたところで物ともしない。
更に当たるはずだった弾丸の半数は【ソードパリィ】で受け流されていた。
ダメージがない訳ではない。
だが、倒れるまでには、まるで至らない。
その事実が、まるで不死のバケモノを相手しているかのような戦慄を呼び起こす。
「ひ……」
「不死身か――!」
「お前等が指揮官だな――」
一歩、歩を進めるユミル。
その圧力にクラヴァンは後ずさり、キシンはその場にへたり込んだ。
「と、止めろ! その女を止めろおぉぉ!」
狂ったように甲高い命令を下すクラヴァン。
同時に、ユミルも獲物を見つけ、最高の付与を自身に施していく。
「【エンチャントブレイド】、【オーラウェポン】、【ソードパリィ】、【コンセントレイト】、【パワーアーム】、【ポゼッション:英霊騎士召喚】、【ワンハンドアクセル】、【デッドリーヴェノムウェポン】、t、th、z起動……」
雪崩を打って殺到する兵士達、雨のように降り注ぐ銃弾。
その全てを――
「――【狂化】!」
――たった一振りで跳ね返した。
竜巻がそこに具現化したかのような剣風。
今までの剣撃がそよ風に思えるほど、それは破壊的な力を秘めていた。
それは、斬られてふっ飛ぶなどと言う、生易しいレベルではない。
斬り飛ばされ、剣風が起こした衝撃波で更に擂り潰され、壁を抉り、土砂と混ざって赤い土と化し、吹き飛んで行く。
まるで人体と土をミキサーに入れて攪拌したかのような、凄惨な光景。
「あ、ありえねぇ!?」
悲鳴のような絶叫を放つキシン。
彼の知る魔導騎士は、このような破壊的な力なんて持っていない。
そもそも魔導騎士とは違うスキルも使用していた。
「なんだ……なんなんだ、お前はぁ!」
腰を抜かしたまま、ユミルを指差し、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で喚き散らす。
戦略シミュレーションと言うゲームゆえに、彼は直接戦ったことが少ない。
ましてや、指揮すらも他者に任せていた彼が、命の危険に晒されたことなど、今まで一度もなかった。
だからこそ、窮地にあって危機を打開する行動が取れなかった。
理不尽を喚き、糾弾し、泣いて疑問を叩き付けるだけだった。
一直線に、まるで木の葉を踏み潰して進む戦車のように、ユミルはキシンへと向かう。
クラヴァンに指示されたまま、鉄砲隊は彼女を撃ち続けるが、【ソードパリィ】が受け流し、thの光壁が受け止め、zで強化された皮膚が弾く。
並の兵ならば一発で戦闘不能になるその銃弾を、まるで意に介さず、キシンへ迫る。
「よせ、来るな、撃つな!? ぎゃああああぁぁぁぁぁぁ!!」
だが、召喚兵は命じられた言葉を実行するだけの存在だった。
結果的にユミルと一緒に銃弾の雨に巻き込まれ、ずたずたに引き裂かれ、その身体はボロ雑巾に成り果てた。
「か、かひゅ……たひゅ、け――」
それでも持ち前の身体能力の高さで、即死は免れる。
だがそれは、死の苦痛を長引かせるだけの物に過ぎなかった。
ユミルとて無傷ではなかったが、十万を超えるHPは、【狂化】によって更に倍増されてている。
一般人が即死するようなダメージでも、今のユミルにとっては掠り傷程度の認識しかなかった。
「いや、だ……死にたくない……俺は、ここで……自由に生きて……」
半ば潰れた顔で、うわ言のように口走るキシン。
その目はすでに焦点が合わず、助かる見込みがない事を現していた。
ユミルは無言でキシンに近付き、容赦無くその頭蓋を踏み潰す。
「死にた――べぎゅ」
キシンの死と同時に、生き延びていた鉄砲隊が姿を消す。
実際に生き延びていた兵士達も、腰を抜かしてへたり込み、絶望の表情を浮かべていた。
「ひ……キシン!?」
その死に思わず声を漏らしたのは、クラヴァンだった。
彼の栄達の足がかりが、今この瞬間に踏み潰されたのだ。
「き、きさ……ま……来るな! この娘がどうなってもいいのか!」
がくがくと震える足で、意識を失ったアリューシャを抱き上げる。
その首元に剣を突きつけ、ユミルの戦意を挫こうとするが――【狂化】したユミルは高揚感に包まれ、その仕打ちにますます戦意を増していった。
殺意と狂騒に支配された彼女に、脅迫など下策極まる。
「大人しく降伏するなら、この娘――げびゃ!?」
時速三百キロ超と言う速度で間合いを詰められ、クラヴァンは反応する事すらできず、柄で頭を叩き潰されたのだった。
崩れ落ちるクラヴァンを放置し、アリューシャだけを抱き留めるユミル。
たった一人で数百という兵士と、鉄砲隊という切り札を問答無用で蹂躙してのけたその姿に、生き残ったケンネル兵たちは完全に心を折られた。
「あ、ああ……」
「あぅあ――ば、化け、物……」
「勝てる訳がねぇ――なんだよ、それ……勝てる訳ないじゃないか!」
「逃げろぉ! ここにいたら、殺されるぞ!」
その一言で完全に士気が崩壊した。
武器を捨て、盾を放り出し、我先にその場から逃げ出していく兵士。
だが、この迷宮の悪意はそんな兵士に容赦無く襲いかかった。
兵士の逃げる先に沸き出た、通路一杯に聳え立つ全長二十メートルはあろうかという骸骨の竜。
骸骨だというのに呼気を吐き出し、その息は致命的な毒素を孕んで、通路を満たす。
「ああぁぁぁ……いや、いやだ……もういやだ……」
「ウソだ、こんな――嘘に決まって――」
完全に逃げ道を塞がれた状態の兵士に、骸骨の竜――アジ・ダカーハが襲いかかった。
武器を捨て、盾を投げ出した彼等には、ろくな武装がない。
その大鎌のような爪が容赦無く肉を引き裂き、首を刈る。
小さな骨が本体から外れ、更に小さな竜になって兵士に襲いかかる。
咆哮の一つで稲妻が走り、爆炎が巻きあがる。
それはすでに、戦闘などと呼べる物ではなかった。
いや、元よりユミルによって戦意を挫かれていたので、戦いの場にすら立っていなかったのだ。
「ぎゃああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「助け、タスケテ!?」
「いやだ、お母さん! ママァ!?」
泣き喚き反転しようとしても、通路に満ちた毒が体の自由を奪う。
身動きすら取れない兵士達を、まるで雑草を刈るかのような気軽さで擂り潰していく。
迷宮に逃げ込んだケンネル兵、百七十名は、こうして土に帰ったのである。
◇◆◇◆◇
ボクはアリューシャを確保して、ようやく安堵の息を漏らした。
だが、一息吐く間もなく、巨大な骸骨の龍が現れた。
「あれは確か――アジ・ダカーハ?」
強敵の出現に、即座に【狂化】を解除し、体勢を建て直す。
このスキルは回避や防御力が落ちてしまうので、ボスと最初からやりあうのに使用するのはキツイ。
ましてや相手はほぼ無限に骨竜を呼び出し、取り巻きにするタイプのボスだ。
特筆する魔法はないが、その種別は多い。
確実に削り合いになる。そんな相手に回復不能な【狂化】状態というのは分が悪すぎる。
急激な衰弱がスキルの解除とHPが1になった事を知らせてくるが、骨竜は今、敗残兵の処理を行っている。
今のうちに回復して、戦闘の準備を済ませないといけない。
インベントリーから虎の子の回復アイテム、世界樹の種を取り出す。
これはHPとMPを最大値の半分ずつ回復させるアイテムだが、効果のわりに流通量も多く、価格も手頃だったので、結構な量をストックしていた。
この世界では補充の利かないアイテムなので、もったいなくはあるが現状では仕方ない。
二粒を口の中に放り込み、噛み砕いて回復効果を得る。
「アリューシャ……しばらくじっとしててね?」
縛られていた縄を斬り飛ばし、泉の奥の像の影に横たえておく。
ここならば戦闘の余波の被害も及ばないはずだ。
いくつかの魔刻石が減ったままだけど、アリューシャの能力の恩恵が預かれない現状では、補充の目処が立たない。
残数で遣り繰りするしかないが、ムーンゴーレムと戦った時よりは余裕がある。
こちらが準備を済ませると同時期に、アジ・ダカーハも蹂躙を終えていた。
「さて……次はボクの番かな?」
そう呟き、剣を構える。
だが、骨竜は首を傾げるだけで、こちらへと攻め入ってはこない。
「ここが安全エリアだから? にしては、鳥や狼達は攻め込んでいたけど――」
周囲には未だモンスター達の残骸が飛び散ったままだ。
それにこの仕草はどこかで見た事がある。
「確か、ムーンゴーレムも同じような仕草をしてた、か?」
アリューシャを膝枕していたあの時、不意を打てたはずのムーンゴーレムは攻撃を仕掛けず、ただ首を傾げていた。
その仕草が、この骨竜と被る。
「なんにせよ、先手を譲ってくれるというのなら――」
「――待て」
そこに聞き覚えのない声が響いたのは、その時だった。
「誰だ!?」
ボクと骨竜以外、この近辺に影はない。
気配感知だって、反応はなかった。
それなのに声だけが空間に響き渡る。
「俺はこの迷宮の主だ、名をトラ……いや、黒の迷宮主と呼べ」
「じゃあトラで」
「お前な!?」
軽くおちょくって狼狽させ、気配を読もうとしたが、全く読み取れなかった。
「まぁいい。とりあえず今回の事について、いくつか話し合う場を設けたいと思ってな」
「話し合いィ?」
胡散臭いこと、この上ない。
この迷宮の主とやらがいるというのも初耳なら、姿を現さないのも気に入らない。
「外部侵入者に俺は干渉する事ができない。何度も話をするのは面倒なので、面子が揃うまではしばらく待っていて欲しいのだが」
「面子って、誰です?」
「一人はもうすぐやって来る」
その言葉と共に、通路の奥から光が見えた。
アジ・ダカーハは道を譲るために、部屋の隅に移動し、香箱座りで待機している。
とりあえず戦う気配はなさそうなので、剣をしまっておく。
通路をやってきたのは、三日ぶりに見るセンリさんだった。
「ユミル、血相を変えてどうしたのよ! 追いつくの大変だった――なにこれ!?」
「ケンネル兵の残骸です。全部終わらせましたよ」
「マジか……二百近い兵を一人で……」
センリさんと一緒に来ていた冒険者達が引き攣った顔で周囲を見渡す。
「って、そこの! アジ・ダカーハじゃない!?」
「あ、これは敵じゃないみたいですよ。まだ」
猫みたいなポーズでちょこんと座る巨大な骨の竜。
それを見て敵意はないと言われても、まぁ普通はビビるわね。
「余計な者もいるようだが、とりあえずは揃ったな。後は六層に飛んでくれるとありがたい」
「え、誰!」
「この迷宮の主らしいですよ。いわば、大ボス」
「そんなのが――いえ、もはや何も言うまい」
姿を見せないトラにセンリさんが驚くけど、『ボクのやる事を追求してもしようがない』と言う諦めの境地でうなだれてみせた。
「六層まで飛ばせてなにしようっての?」
「言っただろう。『話し合い』だと」
こうして、ボク達は迷宮の主、トラと出会ったのである。
章のイベント自体はこれで終了なのですが、蛇足的にいくつかのエピソードを入れたいので、もう少し続きます。
それと、年内の更新はこれで終了となります。
次回は帰省を挟むので、1月の半ば以降になると思います。
申し訳ありませんが、しばらくお待ちください。
それでは、良いお年を。