第百四十二話 迷宮内での攻防
クラヴァンがようやく一息吐いたのは、泉の部屋に陣地を構築し終えてからだった。
十メートルそこそこの部屋に百人を超える兵を入れる事はできないので、部屋の中に十人程度を入れ、残りは部屋の前の通路で休憩させている。
スペースに余裕を置いているのは、キシンが召喚するユニットを配置するためだ。
召喚用の資金は村で多少補充出来ている。
彼がいる限り、兵員不足に陥る事は無いだろうと判断していた。
外に待機する兵たちは安全が確保されていないが、それでも百人単位の部隊である。
交代で見張りに付けば、不意の襲撃はありえまい。
「くそ、村ごと焼き払うとは……これだから、辺境の蛮族は――」
「捨て鉢になるのも計算しておくべきだったな」
「こちらでは後で取り返せばいい領地を守るために、わざわざ火を放つなど、有り得ん話だ」
「俺の故郷では茶道具を守るために爆薬を抱えて死んだ武将がいる。価値観は人それぞれという所だろう」
「なんだ、それは……」
有名な戦国武将の逸話だが、こちらの世界ではそういう話は無かったようだ。
初の長距離遠征となるキシンはすでに疲労困憊の体で、疑問符を浮かべるクラヴァンに詳細を答えず身体を横たえる。
夜襲から消火活動、そして行軍と退避。
睡眠時間があまりにも足りていないのだ。
だがそのまどろみも長くは続かない。
突如、部屋の外で激しい戦闘音が響き始めたのだ。
「何事だ!?」
「て、敵襲です! それも今までの襲撃とは数が――」
この地に辿り着くまでに、敵襲が無かった訳ではない。
何度もチャージバードやシャドウウルフの攻撃を受け、少なくない兵士が怪我を負う羽目になった。
だが死者は出ていないし、対応できる範囲内だったはず。
それが今になってこの騒動である。
訝しみ、扉の外を覗いたクラヴァンの視界に、無数のモンスター達の襲撃が飛び込んできた。
「な、なんだこれは! 一体何が起こっている!?」
そこには百に迫るモンスターと死闘を繰り広げる部下達の姿。
チャージバードやシャドウウルフが群れを成して襲いかかってきていたのだ。
「キシン、起きろ! モンスターの襲撃だ!」
「あぁ? それくらい兵士だけでも対応できるだろう」
身体能力は高いが、体力の無い彼は、基本的に寝起きが悪い。
短い遠征でも真っ先に睡眠を摂り、手間を掛けさせていた。
おそらくは徹夜などの強行軍に慣れていないのだろう。
「そんな問題じゃない、規模が違う!」
「まったく……な、なんだこれ!?」
のそりと起き出し、クラヴァンの横に来て、ようやく彼は事態の重要性を認識した。
数で言うなら、せいぜいが八十匹を超える程度。
倍以上の兵力があるので対応できない数ではないが、本来連携を取らないモンスター達が群れを成して襲いかかって来る段階で異常事態だ。
これではまるで――
「大氾濫ではないか……」
「バカな、迷宮内だぞ!」
「そんな事は判っている! キシン、兵を召喚して対処させるぞ!」
「お、おう」
クラヴァンの指示でようやく具体的な対応を取り始めるキシン。
すでに乱戦状態の前線では、鉄砲隊は味方ごと撃ち抜いてしまうため、利用できない。
騎兵も小回りという点では迷宮内の運用には向いていないだろう。
「となると……足軽部隊か」
残る資金では大軍の召喚は不可能。
だが、この迷宮と言う舞台では、大部隊の運用こそ意味を失いかねない。
四層や五層のような広いエリアならともかく、こういう通路主体の迷路では軍は機能しないのだ。
「足軽を出す。前線は召喚と同時に位置を入れ替え、体勢を建て直せ!」
クラヴァンにそう叫んで召喚に入る。
部屋の片隅に積み上げた銀貨が見る間に消えて無くなり、かわりに百名程度の足軽が出現した。
「よし、足軽部隊前進! 交戦中の者は入れ替わり後ろに下がれ!」
足軽の突入により、前線が一気に渋滞を起こす。
それに呼応するように、敵を食い止めていた兵士たちは後ろに下がり、戦況は一端落ち着いたかに見えた。
だがその時、クラヴァンは乱戦の中でたなびく、金の光を目にした。
「あれは――まさか……?」
◇◆◇◆◇
ボクはヤージュさんの話を腰を据えて聞く事にした。
村が襲われていると言うだけならばともかく、それが他国の軍隊だなんて、はっきり言ってありえない。
この世界ではきわめて微妙な政治的都合の上で均衡が取れている。
ボクの村も、その均衡の上で重要な一因になっていたはずだ。
「組合の庇護の元、安全は保障されているはずですけど……」
「そのはずだったんだ。だがブパルス……いや、ケンネル王国そのものが攻めて来た。センリはスレイプニールに乗って先行している」
「センリさんが、一人で!?」
「そうだ」
彼女一人先行した程度で……と思ったが、よく考えて見るとあの人は一人でオークを殲滅した実績がある。
ならば任せておいても大丈夫かもしれない。
「――けど……だからといって、放置する訳にも行かないですね」
「ああ、組合としてはケンネル側に制裁を加える事は決定している。だが、それもこれも村を守りきってからの話だ」
「現在の状況は?」
「不明だ。戦端が開かれれば、通信魔法の妨害を含め、様々な要因が絡んで連絡が取れなくなる事が多い。今も、そうだ」
「ヒルさん、大丈夫でしょうか……」
非戦闘員でありながら最高責任者のヒルさんは、おそらく最後まで逃げる事はできないだろう。
アルドさん達ドワーフや冒険者が付いているとはいえ、心配である事には代わりない。
「今向こうにはカロン達もいるし、そう厄介な事にはならんと思うが」
「余計不安になりました」
「あいつもマシにはなってきてるんだがなぁ」
その他、ヤージュさんから救援部隊の編成などの話を聞いて、気持ちを落ち着かせる。
草原が各国の国境を隔てているこの大陸では、あまり凄惨な戦いは起きていない。
今回の事件も、結局はそういうオチになるのでは無いかと推測する。
「ただし、それは普通の国ならと言う話でな――」
問題なのは攻めて来たのがブパルス……ケンネル王国だと言う事。
これまで執拗にタルハンやユミル村に手を出してきただけに、何か裏があるのでは無いかと言う予感がある。
それはヤージュさんも同じだったので、できる限り大規模に部隊を編成しているらしい。
「問題は大規模になればなるほど、草原を渡るのに時間が掛かると言うことだな」
部隊運用の速さは規模と反比例する。
大勢の戦力を集めれば集めるほどに、その進軍は遅くなる。
事が起きてからでは、手遅れになるかも知れない。
「そんな訳で多少無茶かも知れんがセンリに先行してもらった訳だ」
「それは確かに……」
彼女なら多少多くの相手を敵に回しても、戦いようはある。
彼の判断に同意の声を漏らそうとしたその時、上の階から大きな声が聞こえてきた。
それはアリューシャの様子を見ていた先生の物だった。
「な、なに?」
「上の階からだな。様子を見てこよう」
ヤージュさんと連れ立って上階へ向かう。
もし、このアリューシャの不調に乗じて、また拉致を働こうとしているのなら、容赦はしない。
「アリューシャちゃん、ダメです! まだ寝ていないと――」
漏れてくる声からアリューシャが無理をしているだけと知って、少しだけ安心した。
だけど、無理をするのは良くない。
ボクもいって言い聞かせた方がいいだろう。
「行かないと……いず――の―屋……」
「アリューシャ、無茶したらダメでしょ!」
「【ポータルゲート】」
「なっ!?」
扉を開けた瞬間、目に入ってきたのは【ポータルゲート】の白い光の柱。
「ダメだ、アリューシャ!」
そこに入られたら、止めようがない。
ボクは一目散にアリューシャを取り押さえるべく、一歩を踏み出す。
その足は床板を踏み砕き、ボクの身体を一気に全速へ持って行く。
だが、最速ではない。
踏み抜いた床がその勢いを吸収していた。
その分、アリューシャの方が早くゲートへと到達していた。
ボクの目の前で消え失せるゲート。
それを呆然と見つめる。
「なんてことだ……まだ体調が戻っていないと言うのに」
「せ、先生……アリューシャは、どこに……」
「判りません、『泉の部屋』とだけ――」
「迷宮か!」
その言葉を聞いて、ボクは窓から一気に地上へと飛び降りる。
「ユミルさん!?」
ボクの行動に泡を食った先生の声が聞こえてくるが、それ所ではない。
ボクは裏のリンちゃんの元へ駆けつけ、行き先を告げる。
「リンちゃん、草原の迷宮に行くよ! 後から着いて来て!」
「が、がぅ?」
正直に言うと、最高速ならばリンちゃんよりもボクの方が早い。
疲労を感じない身体で草原を一気に駆け抜けるならば、実はリンちゃんに乗るよりも走った方が早いのだ。
そのまま町の外へ一気に駆けだす。
「お、おい、ユミル!」
「迷宮に行ってきます。後の事はよろしく!」
「よろしくってなぁ!?」
壁を蹴り、屋根を走り、建て物を飛び越える。
その動きはすでに人間と言う枠を超えている。
瞬く間に街壁に辿り着き、高さ二十メートルのそれを三歩壁面を蹴って飛び越える。
日が昇りつつあったため、何人かがボクの姿を見咎めたようだが、知ったことではない。今はアリューシャの行方が先決なのだ。
敏捷力三百に到達したボクの最高速度は時速三百二十キロを超える。
これはリンちゃんでも到底追い付けない領域だ。
アリューシャの上限解放チートのおかげだが、まだ限界は見えない。
おそらく上げようと思えばまだ上がるのだろう。
その力で地面を踏み抜き、絡む草を引きちぎりながら村へと駆ける。
今のボクなら、一時間少々で村まで走り抜ける事ができるはずだ。
◇◆◇◆◇
乱戦の中にたなびく金髪。
その大元となる小さな少女。
彼女は杖で召喚兵を打ち据え、雨のように火弾を叩き付けていた。
「あれは……アリューシャとか言う少女か?」
クラヴァンも話だけは聞いている。
タルハンに現れた、おそらくは転移者と思われる少女。
以前、オックスが確保しようとして失敗し、返り討ちにあった標的だ。
「アリューシャ? あれが、か?」
「ああ、総員、あの少女を捕らえろ! 場合によっては殺しても構わん!」
ケンネル王国としては、できるならば仲間に引き入れたい。転移者には特異な能力を持つ者が多いからだ。
今の彼女を見るだけでも、その能力は歳相応の少女を超える。
だがそれが敵に回るのは困る。
手に入らないのなら殺してしまえ。それが如何に有効か、今回の敵が教えてくれたのだ。
アリューシャは瞬く間に召喚兵を蹂躙していく。
杖で打ち、オートキャストで【ファイアボルト】を落とす。その【ファイアボルト】が落ち切らないうちに次の敵へ攻撃を加える。
まるで彼女の周囲に火の雨が降り注ぐかのような光景だった。
「なんだ、あれは……あの攻撃力は子供が持っていいモノじゃない!」
「だが単体攻撃なのが救いだな。このまま数で押し切れば――」
そう口にした直後、アリューシャが攻撃を受けた訳でも無いのに崩れ落ちた。
まるで電池が切れた人形のように。
「なんだ? 勝手に倒れたぞ?」
「判らん、が結果良ければと言う奴だな。よし、確保しろ」
クラヴァンが部下にアリューシャの確保を命じる。
周囲の部下もほぼ敵の掃討に成功している。
少女をロープで手荒く拘束し終えた時、そこに新たな脅威が登場した。
「……お前等、アリューシャに何をしてやがる?」
草原の開拓村管理者、ユミルが駆けつけたのである。
クラヴァン「\(^o^)/オワタ」