第百四十話 村での蹂躙劇
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魔術の灯に照らされた居心地の良さそうな部屋で、男は小躍りしながら感情を表現していた。
「くふ、ふはははは! ヒルと言ったか? いいぞ、こいつ面白いじゃないか。冒険者じゃないのがもったいないくらいだ。敵の意図を見抜いて、形振り構わず妨害に走る思考は俺の好みだ」
中空に浮かび上がったスクリーンには、地上の様子が浮かび上がっている。
そこには消火活動に励む召喚兵の姿や、迷宮に避難する正規兵の姿が映し出されていた。
「そしてこいつは、兵をユニットとして配置できるって事は、こいつはシミュレーション系のゲームからの転移者か。しかも装備が陣笠と言う事は戦国物だな」
愉快そうな笑みを浮かべながら、顎に手を当て敵の素性を推測し始める。
彼の探知範囲は迷宮の周辺百キロ全土まで及ぶが、全てを見通せるという訳ではない。
見たい場所に意識して視点を飛ばして、初めて外界の情報を得る事ができるのだ。
しかも、音声を運べるようになったのは、つい最近の出来事だ。
ようやく、それだけの『ポイント』を貯蓄する事ができた。
「女神を連れ去られたのは想定外だったが、賑やかになるのは俺の意に沿う。それは『あの女』を褒めてやらんとな」
こつこつと機嫌よさげにテーブルを叩いていたが、その手が不意に動きを止める。
「それはそれとして、この迷宮を『俺の物だ』と主張する連中には罰を与えないとなぁ」
スクリーンには迷宮に侵入したドルーズの兵達の姿。
彼等は一層の安全地帯へ足を踏み入れ、そこに拠点を築きつつあった。
かつてアリューシャの封印を設置した、その場所に。
彼は部屋の隅に浮かぶ、緑色の二つの石の前まで進み出ると、手をかざしながらテキパキと命令を下し始めた。
「まず一層の安全地帯の設定を解除。さらにモンスターを全てここに向けろ。リポップは停止してポイントは貯蔵。これで敵を撃退できればそれで良し。できなければ一層のモンスターが壊滅した段階で、溜め込んだポイントを使い『アジ・ダカーハ』を召喚して討伐に向ける」
男の命を受けて、緑の石はほのかに光を放つ。
各階層に使用できる『ポイント』の上限は決まっている。そう、この石が決めている。
配置モンスターの撤去と言う行為は禁止されているので、一層に強いモンスターを再配置するためには、一層のモンスターを討伐してもらい、余力を溜めねばならない。
「ようこそ、プレイヤー。盛大にもてなそうじゃないか。アウェイでの攻防を楽しんで行ってくれ。くふ、くふふっははははははは!」
この地に現れ、この部屋に封じられて二十年以上。
ようやく男が心から楽しめる場面が訪れたのだった。
◇◆◇◆◇
センリが『ケンネル侵攻』の報を受けたのは、タルハンに帰還してすぐの頃だった。
抗生物質の代用品であるクファルの実を担当医に渡し、処方してもらう間、アリューシャのそばに付いて様子を見守っていた。
彼女にとって、ユミルとアリューシャは秘密を共有できる数少ない仲間であり、同志だ。
そして今では、一緒に暮らす家族でもある。
付き合いはそれほど長くはないが、愛着もしがらみも存在している。
なにより病気で衰弱する子供を見捨てると言う選択肢は、彼女には存在しない。
そこへ投げ込まれた、火急の知らせ。
一時期身を寄せていただけの場所だが、ユミル達にとって最初の住処であり、いわば故郷のような場所。
それを聞いて、彼女は大きく悩んだ。
アリューシャのそばに付いているべきか、村を救いに出発するべきか。
正直、彼女の中では、村はそれほど大きな比重を占めていない。
アリューシャの命と、村の壊滅が天秤に掛けられたら、迷う事なくアリューシャを選ぶだろう。
だが、彼女には医者が付き、薬も処方される。
いわば峠は超えた状態なのだ。ならば村に向かうのもいいのではないか?
そう思う一方で、未だ意識を回復しないアリューシャのそばを離れる訳にはいかないという思いもある。
タルハンの冒険者達も知らせを聞いて、義勇兵に志願する者が出ている。
タルハン自体もユミル村との同盟に従い、兵を派遣する事は決定していた。
この素早い判断は、町長のレグルと、支部長のヤージュの連携の賜物だろう。
「放って置いても、状況は変わらないかもしれないけど……」
呼吸の荒いアリューシャを見ていると、この場を離れるのは悪手なのかも知れないと思えてくる。
今の彼女には自衛する力がない。
もし、拉致を狙うとすれば……このタイミングが最適だろう。
「だけど、急な発熱まで予想できるような連中はいないわよね……?」
ここ数年は村と往復して様子を知っているが、あの村にもすでに多くの住人が移住しており、子供も大勢いる。
そこが戦火に巻き込まれて、それを見過ごすと言うのは、彼女の正義感が許さない。
そして、今の彼女には戦禍を防げる戦闘力があるのだ。
「アリューシャちゃん、ごめんね。私、少し出掛けてくるわ」
数時間の逡巡の末、そう決断して彼女は席を立ったのだった。
アリューシャの護衛をスレイプニールのウララとスライム、イゴール達に任せ、セイコに乗って草原を駆け出した。
タルハンの出兵に同行しては、明らかに間に合わないからだ。
今は村との往来時間が大幅に短縮されたとは言え、それでも四日は掛かる距離があるのだ。
肝心の転移装置も、領主不在と、交戦状況になると撤去すると言う慣例で使用不可。
これは、転移装置が生きていると、本拠にいきなり乗り込まれる危険性もあるからだ。
もちろん受け入れ側の術者の同意がないと飛べないので、そう簡単に乗り込まれる事はないが、そこはいろいろな手段が存在するらしい。
買収や脅迫で術者を巻き込むなり、できてしまうからだ。
なので結局センリは、現状もっとも早く村に到着できる手段を選んだ。
言うまでもなく、最速の手段はアリューシャの【ポータルゲート】を使用する事だが、今の彼女にはその術を起動できない。
なので次の手段……つまりセイコによる強行軍を行う事にしたのだ。
すでにクファルを取りに行くため、結構な時間騎乗し続けている事になるが、彼女たち転移者は疲労を感じない体質だ。
精神的な物を除けば、多少の強行軍は押し通す事ができる。
セイコの疲労を考え途中で休憩を挟みはしたが、片道およそ四時間の強行軍の果て、その日の夕刻には開拓村へ到着する事ができたのだった。
そこでセンリが目にしたのは、突如として現れた村の西側を覆う森と、燃える村の姿。
村人の姿は一人として見当たらず、村の建物が無惨に燃え広がっている。
「こんな森、この間までなかったはずなのに……というか、ヒルさんが植物の管理はかなり厳格にやってたわよね?」
植物の生育が激しいこの大草原では、うっかり植林しようものなら大草原が大森林になってしまう可能性を秘めている。
だからこそ、本来村のそばに植林すれば便利な材木調達を、迷宮内部に頼ったままにしていたのだ。
それなのに、今は村の一方が森に覆われる程に木々が生い茂っている。
「ヒルさんが方針変更したのかしら? いや、それよりも、村のこの状況は……」
村は炎に包まれているが、内部に村人の姿が無いので、パニックを起こすまでには至っていない。
もしここに住人の死体が転がっていたりしたら、彼女は狂乱してそのままブパルスに攻め上がっていたかもしれない。
「ここに来るまで、擦れ違ったのは少数の避難民程度。今の村の規模なら、もっと大勢が逃げてきてもおかしくないはず」
センリがこの村に到達するまで擦れ違ったのは、五十人程度の住民と冒険者。
それではあまりに数が少ない。
「北か南に振り分けて逃げた? でも受け入れ先も不確かなのに、そんな判断するかしら?」
燃え盛る村の中を、スレイプニールの俊足で駆け抜ける。
あちこちに見える火計の矢の痕跡と、井戸を封じているスライム。村を囲む森の様子からして……
「火を放ったのはヒルさん本人で、村を取られるくらいなら、いっそ焼き払ってしまえってこと? まぁいいわ。スライム達、少し別れて私に付いて来てくれる?」
火に囲まれた現状、水と毒の属性を持つモンスターであるスライムたちは何かと役に立つかもしれない。
そう思って、井戸を封じていた数匹をそばに呼び寄せる。
スレイプニールには乗せる場所が無いので、インベントリーから納品用の放水車を取り出してスレイプニールに繋ぎ、その上に乗ってもらう事にする。
ついでにタンク内に水を汲んでもらい、いつでも消火できるようにしておくのも忘れない。
敵がいないと言う事は撃退に成功したかもしれない、ならば火を消す必要が出てくるはず、と言う判断だ。
タンクを水で満たし、再びスライム達に井戸を封じてもらい、一部を放水車に乗せたところで、多数の馬蹄の音を聞きつけた。
そこにはケンネルの紋章を付けた数十の兵と、無表情な異形の兵士達の姿。
それを見て、センリは訝しげな声を漏らす。
「足軽……?」
彼女が知る由もないが、その無表情な異形の兵は、大河ドラマなどでよく見る足軽の姿をしていたのだ。
それは西洋風な文化を発展させているこの世界では、あまりにミスマッチな姿だった。
そんな部隊を率いている、洋風の鎧を装備した男が前に進み出て、センリに詰問の声をかけた。
「なんだ、女……? おい貴様、ここの住人か!?」
「違うわよ。『元』ではあるけど」
「この有様はなんだ! 自分達の村を焼いたのか? 先行していた部隊はどこだ!」
「知らないってば」
だが、男の言葉には聞くべき事がいくつかあった。
先行していた部隊がある事、その位置を後続の彼等も掴めていない事、この炎が彼等の手によって成されたのではない事、だ。
「ふん、怪しい奴め――おい、その女をひっ捕らえろ。生きてさえいれば好きにしていいぞ」
この命令に、召喚兵以外の兵士たちは沸き立った。
草原に出ておよそ三週間。全く女っ気は無かったのだ。
普通の足ならば一週間もあれば到着できる距離を、部隊運用の都合で三週間も掛けてしまったのだから、無理もないのかもしれない。
その様子を目の当たりにしたセンリは背筋に気味の悪い悪寒を感じ、セイコに鞭を入れる。
「悪いけど、そういう冗談に付き合う気分じゃないの。先、行かせて貰うわね」
「逃がすか!」
逃げるセンリ、追うケンネル兵。
このままならば、普通に振りきれただろう。
だがセンリは、燃える村の光景を見せ付けられ、少々腹の虫の居所が悪かった。
橇の運行をセイコに任せ、そのまま後部の放水車に飛び移る。
「セイコ、悪いけど振りきらない程度の距離を確保してて」
「ブルルル――」
スレイプニールの速力では、徒歩の兵士など止まっている同然だ。
等間隔に距離を保つように指示を出すと、インベントリーからオックスが遺した軽機関銃を取り出した。
「攻めて来たそっちが悪いんだからね。覚悟なさい!」
軽快な破裂音を響かせながら、銃弾の雨を追撃者に浴びせていく。
スレイプニールに追い付くため、全力疾走を強いられた兵士にそれが避けられ様はずもない。
ましてやセンリは製造をこなすために器用度を高めに設定している。この能力は武器の命中率に影響を与えるのだ。
次々と直撃を受け、弾け飛ぶように薙ぎ払われていった。
更にセイコは井戸のある広場の広さを利用して、円を描くように移動していく。
それはまるで、単独で包囲殲滅を行うかのように、敵兵力を外輪から削ぎ落としていった。
「くそ、総員密集隊形、死体を盾にして銃弾を防げ!」
六百弱の兵が密集し、盾を構えて迎え撃つ陣形を取る。
だが、これはセンリにとって、カモとしか言い様のない隊形だった。
「あ、そう。そう来る訳ね――【フレイムビート】」
炎属性の範囲攻撃スキル、【フレイムビート】。
かつてオークの群れをあっさりと蹂躙してのけたこのスキルは、対多数攻撃に優れた性能を発揮する。
密集した彼等は撃ち出された榴弾に吹き飛ばされ、焼き払われ、薙ぎ払われる。
瞬く間に陣形を崩され、戦力を削ぎ落とされていく。
元々輜重隊であった彼等は、あっという間に戦意を挫かれ、逃亡するものすら出始めた。
それを容赦無く蹂躙し、踏み潰すスレイプニール。
時速二百キロ近い速度で疾走する馬車を止める手段など存在しない。
そんな無茶な運用をすれば、即座に破損の危機があるのだが、乗っているのがセンリならば、合間に【修復】スキルで直せてしまう。
足を止めて広場で戦闘を開始した。
その時点で、彼等ケンネル輜重隊の命運は尽きていたのだ。
そして数十分後、輜重隊は完全に壊滅していたのだった。