第百三十九話 反撃開始
部隊の進行方向には、まるで壁のように行く手を遮る森ができていた。
「なんだ、これは!」
クラヴァンはそれを見て、怒りに満ちた声を上げる。
この草原において、植樹というのは慎重に行わなければならないものだ。
それなのに、まるで村への道を遮る様に出現した森は、彼にとって非常識極まりないものだった。
「こんな真似をして――奴等、草原を樹海で埋めるつもりか!?」
「それほど怒る事なのか?」
「当たり前だっ!」
この草原では、大抵の植物は一晩で生育してしまう。この森も、おそらくたった一晩で作られたものだろう。
そして森を作るのはいいが、それを制御するとなれば、これは大難問となる。
この草原にも潅木程度ならばまばらに存在したが、単独の樹木では拡散する事はほとんどない。
ここには花粉を運ぶ昆虫や鳥類が限りなく少ない上に、気候が安定しているため風も穏やかだからだ。
だか森を作るほどの数が揃うとなると、話は別だ。
木々は一晩で種を作り、花粉をばら撒き、凄まじい速度で森の面積を拡大させていくだろう。
そうなると人の手で制御できる範囲を超えてしまう。
草原は樹木で覆われ、瞬く間に樹海へと変貌してしまう。
そしてそれは、今はかろうじて繋がっている各都市間の交易路を寸断する。
今でさえ孤立気味な各国が完全に分断されてしまうのだ。
そして、このユミル村も例外ではない。
むしろ一番大きな被害を受けるのは、ユミル村だ。
草原の中央に位置するこの村は、草原そのものが樹海に変貌してしまえば、四方の交易路が完全に遮断されてしまう。
それ所か、村そのものが樹海に沈む可能性もある。
そうなるとクラヴァンの……いや、ケンネル王国の目論見は水泡に帰す事になってしまうのだ。
四方が断絶してしまうと、通行関税を徴収し、莫大な儲けを出す狙いが外れてしまう。
ケンネル本国にしても、南北の交易路を樹海で遮断されるかも知れない。
領地内でも孤立する集落も出るだろう。
これはもはや自爆行為だ。
しかも、大陸そのものを巻き込んだ、無理心中といっていい。
「くそっ。キシン、なぜこれを予測できなかった!」
「無茶を言うな。見え見えの奇襲ならともかく、一晩で森ができるなんて予想できるか。俺の故郷では森ができるのに軽く十年は掛かる」
「ええい、こんな事をしたら世界地図が変わるぞ!そんな事も判らんのか、あの愚か者共め。全軍、森を突っ切るぞ、一刻も早く村を制圧するのだ!」
今はまだ森が存在しているのは前方のみだ。
ここで村を制圧して、森を根こそぎ伐採すれば、まだ間に合うかもしれない。
そのためには一刻も早い勝利が必要だ。
敵を背に放置したまま、森の処理などできはしない。
「畜生め……これだから、平民共は――」
全速力で部隊を森の中に突入させる。
元より、整地されていない森なので、橇を使った輜重隊は必然的に遅れ気味になってしまう。
気の急いたクラヴァン達騎兵と、それを追う歩兵、そして進む事すら難儀する荷駄。
たった二百名の部隊が、細く、長く伸びていく。
それを見計らったように、左右から火の手が上がった。
「なに、火計か!?」
驚きの声を上げ、敵襲に備えさせるクラヴァン。
だが、火の手は伸びきった部隊を寸断するように、早く迅速に広がっていった。
遅れていた輜重隊は完全に分断されてしまう。
更に火の手の向こう、後方の輜重隊から悲鳴が上がっていた。
どうやら後方に奇襲を掛けられたようだ。
「キシン、兵を召喚しろ!」
「――了解した」
すぐさまキシンは歩兵三百を二隊召喚し、後方へと向かわせる。
そこにはスライムによる奇襲を受ける輜重隊の姿があった。
「スライムだと……馬鹿にしおって。蹴散らせ!」
だが、その叫びが終わるよりも早く、スライムたちは波が引くように撤退して行く。
元が軟体不定形な生物なだけあって、森の中を自在に逃げ回り、追撃も上手くいかない。
しかも、追撃に時間を掛ければ掛けるほどに、火の手が広がって行くのだ。
「くそっ! コム、ドラフ、召喚兵を消火に当たらせろ。我々は村を制圧に向かう」
「しかし、それでは本体が手薄に!?」
「構わん! 数の上ではこちらが有利なのだ、力押しで捩じ伏せてくれるわ!」
森林地帯に入っては、輜重隊の追従はもはや期待できない。
ならば騎兵だけで村に雪崩込んで資産を奪い、そこで再度召喚して事を優勢に進める。
もはや行き当たりばったりな作戦だが、そうでもしないと時間的に間に合わなくなってしまう。
森林と言う障害を目の当たりにし、焦りだけが先行して、クラヴァンは冷静な判断力を失いつつあった。
三十の輜重隊と副将二人、あとは召喚兵を残して先に進む。
森の範囲は未だ小さく、数十メートルも進めばユミル村の防護柵が見えてきた。
村の内部には人影はなく、一見伏兵の気配もない。
「ふん、嫌がらせだけ仕込んで逃げ出したか……?」
「そうとも限るまい。輜重車がない以上、俺は召喚兵を呼び出すことができん。慎重に進むべきだ」
召喚に使う資金も輜重隊ごと置いてきている。
現状百七十の兵士で冒険者百名程度を相手にしなければなら無いのだ。
キシンはその兵力差を危惧している。
「偵察の報告に寄れば、村内に伏兵の気配もなければ、罠の気配もないそうだ。中に入るのは問題あるまい。それよりも、資材を持ち去られていないかの方が心配だがな」
だがその危惧は無駄であろうとクラヴァンは考えている。
彼等が撤退を決めたのは昨夜の奇襲の後のはず。ならば、そのような時間的余裕はないと、計算していたのだ。
事実、村の民家には、防火ボックスの中に貴重品が残されたままになっていた。
「よし、各員で資金を集めろ。金が最優先だ」
貴重品と言っても、宝石類などでは召喚は行えない。あくまで金銭である必要があるのだ。
もっとも大きな建物――冒険者組合に陣を敷き、兵員を村中に飛ばしながら、指示を出す。
村内はどうやら、完全に無人のようだ。
ならば、今から召喚兵を使って森を伐採すれば、樹海化は防げるかもしれない。
そんな判断を下した時、今度は村の外から火矢が撃ち込まれてきたのであった。
スライムが奇襲に出ていたため、村内の路地には雑草が生え始めていた。
そこに村外から火矢が撃ち込まれ、隣接する木造民家に次々と燃え広がって行ったのだ。
「くそ、あいつ等……とことんまでイヤガラセに走る気か!」
こうなっては建物内にいる方が危ない。
そう判断して、クラヴァンが部隊を動かし、消火活動に当たらせる。
村に数ヶ所ある井戸に兵を走らせ、火を消そうとしたところへ報告が飛びこんできた。
「クラヴァン将軍、井戸が枯れています!」
「なにぃ!?」
正確に言うと井戸が枯れていた訳ではない。
メルトスライム達に井戸の底を塞いでもらい、ただの縦穴に見せかけてもらっていたのだ。
だがこの危急の時に、それを見抜ける程クラヴァンは冷静ではなかった。
水がなければ消火はできない。
水を持ち運んでいる輜重隊ならともかく、先行部隊は本当に戦闘用の兵士しかいないのだ。
「クソ、水がなければ火を消せん……このままでは部隊が炎に巻かれてしまう――」
輜重隊が追いついて来る気配は、当然まだない。
水がない以上、ここに留まるのは危険だった。
「しかたない。安全な場所に移動するぞ」
「安全な場所? そんな場所がここ等にあるのか?」
「ある……迷宮という安全地帯がな!」
迷宮内部ならば、火の手は広がらない。
しかも、冒険者達のもたらした情報では、迷宮内には泉の部屋と言う安全地帯が存在するようだ。
そこに全員を避難させる事は不可能だろうが、本陣だけをそこに配置し、入らない人員は通路に待機させればよい。
いかに高難度ダンジョンとは言え、通路にはそこそこの広さはあると聞く。
モンスターが散発的に襲ってきたとしても、数の暴力には勝てないはずだ。
ひょっとしたら、先ほどからチョロチョロとイヤガラセをしてくる冒険者達の本陣も、そこにあるのかもしれない。
そういった意味でも、いずれは部隊を送らねばならない場所だ。
「迷宮に向かうぞ。隊列は乱すな!」
「召喚兵はどうする?」
「資金の補充はできたのか?」
「三百程度なら、なんとか呼び出せるだろう。問題は指揮官だが――」
「それは俺がやろう」
キシンは実際に兵を指揮した事がない。
ゲームと違い、俯瞰する視界が存在しないため、戦況を明確に掴むことができなかったのだ。
故に彼は兵を召喚するしかできない半端な存在でもあった。
彼の能力を活かすには、別に指揮能力を持つ者が必要になる。
「行くぞ。迷宮内では警戒を怠るな! ここの迷宮は手ごわいらしいぞ!」
こうして遠征部隊は、ほとんど素通りで村を抜け、迷宮に立てこもる事になったのである。
◇◆◇◆◇
このユミルの迷宮で、もっとも安全な場所はどこか?
一層に限れば、それは泉の部屋だろう。
だが現在踏破されているエリア全体に広げるならば……それは第六層である。
「六層制覇者がいれば、ボスは現れない。それを利用して、この六層を避難エリアにしたのか」
アルドは感心したように、そう呟いた。
この六層で現れるモンスターはボスのみ。
そしてボスは階層制覇者がいれば、それは現れる事はない。
このルールを利用して、三百人を超える村人と、百人の冒険者を全てここに収容したのである。
「村を捨てたところで追撃が掛かるかも知れませんでしたからね。あの将軍はそれだけの血気を感じました」
「確かに気が短そうではあったな」
「それにここなら、水の心配はありませんし、食料なら上の階層に取りに行ける。ケンネルの部隊がここまで降りて来るのは早くても数ヶ月は掛かるでしょう」
冒険者達でも、それ以上の月日が掛かったのだ。
ましてや軍隊では海ステージである四層の突破は限りなく難しい。
「それより、火付けを行っていた部隊は戻ってきましたか?」
「やはり無理だった。矢を撃ち込んで延焼を確認したら、第二プランに移ると連絡があった」
実際の指揮を取る事の多いリビが、工作を行っていた斥候達の現状を報告してくれた。
草原の特性を活かして一夜で森を作り、部隊を縦長に伸ばし、松脂などを利用した油で火を放ち分断する。
村に入った本隊が、そのまま陣を敷かないよう……また疲労を回復させる暇がない様に火計を仕掛け、迷宮内部に誘導する。
これがヒルの取った『作戦』であった。
「『例の』通話の水晶は?」
「キチンと生きてるぜ。像の中に埋め込んであるから、かなり音は悪いけどな」
これは泉の像に細工を施したアルドの弁。
通信用の水晶は手の平に収まる程度の大きさしかない。
そしてその場に人がいる間は、迷宮は復元を行わない。
これを利用して、一名の偵察兵を泉に配置し、クラヴァン達がやって来るのを見計らって、六層に転移したのだ。
そして、それは六層からも一層に飛ぶ事ができると言うこと。つまり――
「相手の懐……急所に一気に飛び込めると言う事です」
「後は明け方を狙って急襲部隊を送り込み、クラヴァンとキシンの首を取れば……」
「ええ、私達の勝利です。今度こそ、ね」
敵は完全に網に掛かっている。
スライム達が水を封じている以上、彼等は泉の部屋から動く事はできない。
後は疲労の溜まった彼等の、気の抜ける時間帯を狙って、奇襲を仕掛ければいいのだ。
「真っ当に戦おうとしたから被害が出た。敵の力を発揮させず、不意を突いて、有利なうちに勝負を決める。それこそが冒険者の戦い方でしたね」
「ああ、それを指摘できなかったところを見ると、俺もどうやら浮き足立っていたようだな」
リビはバツの悪そうな顔で、自己分析をしてみせた。
参謀役のはずの彼が、今回ほとんど作戦立案に参加していない。おそらくは戦争という事態に、激しい動揺に見舞われていたのだろう。
「今のうちに冒険者達に休息を取らせてください。勝負は夜明けです」
「判った、伝えよう」
こうしてユミル村での攻防は、最終局面に入ったのだった。
ヒルが貴重品を回収しておかなかったのは、兵力召喚の代償に金が消えるというルールを知らなかったからですね。